第10話
放課後。またしても摩耶さんに帰られてしまった俺は、早々と自宅に帰る。その後やることだけ済ませたら、近所のスーパーまで足を運んだ。特にこれといった特別な理由はない、ただの食糧補充のためだ。
基本的に夢魔族は、精気さえ摂取していれば生命活動を維持することは出来る。しかし俺のような夢魔族にそぐわないような生き方をしていると、そういう手段が取れない。だから効率は悪いが、人間と同じように食事を取り栄養と満腹感を得る必要があるのだ。
とはいえ俺に味の好みなんてない。そもそもからして料理が出来ないし、摩耶さんと出会う前から適当なもので済ませていたくらい食に興味がない。ただでさえ効率の悪い食事で、どれだけ効率的に栄養を摂取することしか考えていないくらいだ。具体的にはサプリとかで誤魔化すとか、そんなレベルだ。
だから必然的にスーパーに寄ったとしても、買うものはだいたい決まっている。故に俺の感覚からしたら、買い物というより食糧補充のニュアンスが大きいのだ。
ただ今日の食料補充はいつもとは違い、華やかなものへとなった。
「あれ? 遊馬君?」
「あ……摩耶さん」
店内に入ってすぐにある野菜売り場の中に、俺の想い人である摩耶さんがいた。学校終わった後のバイトから直で来たのだろか、まだ制服姿だった。しかし彼女がここにいるとは思っていなかった。絶対に摩耶さんが通う圏内じゃないからだ。
「奇遇だね、こんなところで会うなんて」
「え、えぇ……それはこちらのセリフでもあって。摩耶さんのお宅ってこの辺りじゃないですよね?」
「うん、違うね。いつもは別のスーパーに行くんだけど、タイムセール絡みでね。わざわざここに来たってわけ」
「あぁ……そうなんですね」
黒羽から摩耶さんの家庭事情を聞いていただけに、俺はその理由に納得する。確かに節制をするためなら、少し歩いてでも別のスーパーに出向くってものか。そのくらいの苦労、摩耶さんなら喜んでやりそうだ。
しかし摩耶さん、タイムセールという単語を何の抵抗もなく口にしたな。あまり自身の家庭事情を重く見ていないとか……いや、それはないか。でも確認のために聞いておこう。
「……摩耶さんも、タイムセールとか寄るんですね」
「えへへ、そうだよ。ウチ母子家庭でお母さんいつも仕事だから……家計のやりくりとか家事諸々とか、私がやらないと回らないんだよね」
「そんな事情が……ごめんなさい、無遠慮に聞いちゃって」
一応申し訳なさそうに俺は謝罪する。前もって聞いていたことだが、摩耶さんは俺が事前に情報を握っていることを知らない。だから謝る過程が必要であった。
ただそんな俺に対し、摩耶さんは笑って許してくれた。
「ううん、気にしないで。別に遊馬君が悪いってわけじゃないし。それに私もね、実はお父さんのこと、よく知らないんだ」
「え、そうなんですか?」
それは知らない情報だ。驚きで目を大きく見開いていると、摩耶さんは更に説明を続ける。
「うん。私が生まれて間もない頃にいなくなっちゃったらしいから、全然記憶になくて……お母さんも私に気を遣って教えてくれないから、気にしないことにしたんだよ。何よりも今が大切だからね」
「……辛くは、ないんですか?」
「辛く……はないね。私自身、お父さんって存在がよくわからないから。何を持って「悲しい」って感情を抱けばいいか、わかんないよ」
そう語る摩耶さんの顔は、なんとも言えない苦笑を浮かべていた。いくら記憶がないとはいえ、肉親の片割れである父親の記憶がないというのは、一般的には辛いことではある。10年以上が経ちその悩みからもある程度向き合えるようになったとはいえ、まだ心の中ではしこりがあるようにも見える。とはいえだいぶ根本的な問題だから、俺にもどうしようもないけど。
やがて摩耶さんは買い物を続けるためにカートを押し始める。特に邪険にされている様子もないので、俺は摩耶さんの横を並走する。その中で暗い話題を払拭するかのように、摩耶さんは俺の顔を物珍しそうにのぞき込みながら話題を変えた。
「でもびっくりしたよ。遊馬君もスーパーとかに来るんだね」
「そうですね、一応一人暮らししてるので」
「え、そうなの? それこそ初耳だよ!」
「まあ、今まで聞かれなかったので。あんまり人に言いふらすようなことでもないですし」
と、俺は淡々と答える。俺の場合は集落から追放され、一人暮らしせざるを得なくなったんだけどな。ただわざわざ俺の方から告白すると、なんだか誘っているようにしか思えないからな。誘うにしても、この誘い方はダメな気がした。
「じゃあ遊馬君もお料理とかするの?」
「俺ですか? いやぁ、俺は無理ですよ。料理とか全くできないんで……」
情けなさそうに苦笑いを浮かべた。人間界での生活は長い方ではあるが、残念ながら俺の食事内容はコンビニとかスーパーの総菜とかから変わったことはない。
「それじゃあ、遊馬君はいつも出来あいのものしか食べてないの?」
「そうですね。まあ自分が作ったものよりは間違いなく美味しいので」
それは間違いない。前に一度だけチャレンジしたことはあるが、何故か最終的に炭へと変わってしまった。もちろん食えたものではなく、その場でくたばったのは苦い思い出だ。
と力なく笑っていると、何故か摩耶さんがしばし考え込むような難しい顔をしていた。しかしすぐに顔を上げると、真っすぐと俺を見つめ宣言した。
「なら今度の休みの日とかに、私がご飯作りに行ってあげようか?」
「え、えっ……⁉」
周りに買い物客がそれなりにいるにも関わらず、俺は大げさレベルの驚きの声を上げる。単純に予想外の回答だったのもある。だがその言葉の意味を理解した時には、こみ上げてくる嬉しさが抑えられそうになかった。
恋愛経験や性的なことに疎い俺でもわかる。異性に対して料理を振舞う、これが普通の関係性で成り立つことではない。特別というランクの中でも更に上位に該当する提案、俺はそう捉えている。
とはいえ勘違いだったら恥ずかしいこの上ない。確認を取る必要がある。
「それは、どういうことですか……?」
「どうもこうもないよ。だって遊馬君、おそらくもう一月くらいはまともなご飯食べていないんじゃない?」
「えぇ、まあ……」
一月どころかここ2、3年くらい食べていないのだが……話がややこしくなるので黙っておこう。
「そんなの可哀そうだよ。遊馬君、男の子だからいっぱい栄養のある、美味しいもの食べなきゃダメだよ。だから私がご飯作ってあげるよ。幸い私は料理得意だし」
「そ、それは、正直助かりますけども……そこまでしてもらうわけには……」
さすがに申し訳なさで胸がいっぱいになり、俺はつい遠慮気味になってしまう。本当ははしゃぎたくなるくらい嬉しいけど、摩耶さんの苦労を考えたらやはり躊躇してしまうところが俺の押しが弱いところだ。
しかしそんな俺の意図を察したのか、摩耶さんは優しい笑顔でこう付け加える。
「大丈夫だよ。遊馬君は優しいから、絶対その辺り気にすると思った……でもこれは、私にもメリットがあることなの」
「メリット?」
「うん。その、あまり胸を張れたことじゃないけど……食費が浮くから」
「あぁー……」
なるほど、俺は心中で納得した。母子家庭で裕福な生活を送れていない摩耶さんにとって、金銭管理は欠かせない問題だ。一銭でも食費を浮かせられるチャンスがあるのなら、それに飛び込まない手はない。事情から読み取るならこんなところだろう。
「遊馬君が懸念していることも最もだけど、これなら対等だと思うんだよね。食材とか何やらは遊馬君が用意して、その代わりに私が調理をする。交換条件としては十分だと思うんだよね。だからさ……」
そう言い終えて一拍をおく摩耶さん。するとその宝石のような美しく大きな瞳が、真っすぐと俺の瞳を捉える。同時に背中がゾクゾクっと震え、身体中が熱くなる不思議な感覚に襲われる。この後の展開はわかっている、避けられそうもない。だがもちろんその未来に、不快感なんてあるはずがなかった。
「遊馬君……ごはん奢ってよ、ね?」
魔性の言葉、まさにそう呼ぶに相応しい、魔法が秘めた言葉であった。古来の日本には言霊というものが存在するらしいが、もし現代にもあるとすればこのことを言うのだろう。内心をぐちゃぐちゃにかき回されながらも、俺はそんなバカなことを考える。
こんなことを言われて、断れる人間などこの世にはいない。前にも似たようなことがあった気もするが、今回はその比ではない。主婦の多いスーパーでよかった、もっと別の場所なら大変なことになっていたはずだ。頼んでもいないのに近くで聞いていた男たちが群がる光景が、容易に想像できてしまう。
だがそんな仮の未来などどうでもいい。今摩耶さんはその言葉を、俺にだけ告げてくれた。それだけで俺の中の幸福指数は振り切れるくらい上昇したほどだ。もちろんその答えは決まっている。
「はい! 俺でよろしければ!」
「ふふっ、ありがとう。なら明日とかどう? 土曜だから午前中に終わるし、ちょうどいいと思うの。遊馬君のおウチなら他人の気も使わなくていいと思うし……どうかな?」
「えぇ、自分は構いません!」
「決まりね。じゃあ今から食材のお買い物も済ませちゃおっか? 時間とか大丈夫?」
「俺は全然、大丈夫です!」
緊張して声が無駄にデカくなる俺。しかし摩耶さんがそれを気にしている様子もなく、笑顔で段取りも決めてくれた。おんぶに抱っこ感があって情けない限りだが、そんなことを考えているほど俺は平静を保てていなかった。
夢のようだ。まさか摩耶さんの手料理が食べられる日が来るとは。しかもしれっと自宅に招く展開にもなっているし、おまけ程度に今から一緒にお買い物デートだ。今日ほどスーパーに足を運んでよかったと思った日はない。
そしてこれは俺にとっても、大きな大きなチャンスだ。ここで摩耶さんとの仲をグッと縮めて、俺たちの中を決定的なものにする。アイネの言うように物理的に抱き着いて俺の中に眠る気持ちを伝えれば、きっと通じるはずだ。失敗のことなんて一切考えない、俺の性格的にそんな暗いことを考えたらヘタレるに決まっているからだ。
だから明日をターニングポイントとして、死ぬ気で挑む。それが俺の決死の心構えだった。
「遊馬君~どうしたの? 早く行くよ」
「あ、はい! 今行きます」
考え事をしている内に摩耶さんが先へと向かって行ったので、俺もその後ろをついていく。内心で考えている難しい思考を悟られないように、笑顔を浮かべるのも忘れない。
死ぬ気で頑張らないといけない、というのは重々承知している。しかし、イコール楽しむなと言われると、いやそうじゃないと思っている自分もいるのだ。緊張で心臓が飛び出そうにもなるが、そのイベントに対して楽しまないのも失礼だ。だから俺は楽しむことも忘れない。決死の覚悟で挑むのは自分のためだが、摩耶さんにも楽しんでもらうために俺もそういう気持ちを忘れてはならないのだ。
何はともあれ次の休日、それが俺の運命の日だ。俺は現状を再確認しながら、その時まで震えて待つこととなった。
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