第9話

「とはいえ……距離感を近づける、か……」

 青空の広がる、俺以外に誰もいない屋上。昼休みというのもあり、校舎の方からは生徒たちの喧騒がこれでもかと聞こえてくる。それをバックミュージックにしながら、俺は昼飯のパンを口にしていく。ふと俺の教室の方を見ると、摩耶さんが友人に囲まれながら楽しそうにお昼を取っている姿が見える。その周囲の友人たちが、羨ましくて仕方なかった。

 そんな中俺は脳内で、アイネのアドバイスに乗っ取ったプランを考えていた。とはいってもそのほとんどが、今まで考えてきた作戦の延長線のようなものばかりだ。実行したところでいつものようにヘタレる未来が容易に想像できる。

 だからこそ今の俺には、更なる情報が必要であった。今までも摩耶さんの情報に関しては山のように調べてきたが、その全ては表面上の情報だけだ。要は噂や人伝え程度の情報まで、摩耶さんのプライベートに迫るものまでは持っていない。そこは最低限のプライバシー的に、踏みとどまることにした。

 しかしそうは言っていられなくなった。より摩耶さんのプライベートにも歩み寄り、摩耶さんにとって唯一無二の存在になる。俺が摩耶さんとの距離を近づけるためにはそのくらいのことをしないといけないのは、なんとなく予感していた。

 ただその情報を得るためにはどうすればいい? できるだけストーカーまがいな真似はしなくない以上、誰か摩耶さんのことについて詳しい人に聞くのが一番であるが、その心当たりもない。割とどうしようもない状況に追い込まれていた。

「どうしたものかな……」

 有効な手段が思いつかず、観念して天を見上げる。そんな時だった。

 ぎいぃっと、俺の背後にある屋上の扉が軋む音が聞こえる。その扉自体が結構ボロいのもあり、開けるだけでそのような不気味な音が聞こえてくる。つまり誰かが、俺しかいない屋上に足を踏み入れたことになる。

 即座に頭に思い浮かんだのは、想い人の摩耶さんとアイネの顔だ。しかしアイネは俺と別れた後どこかへ消えてしまったし、摩耶さんも教室から動いていない。そうなると俺も知らない人ということになるが、正直興味はない。しかしそうとも言っていられないので、視線だけでも扉の方へと向けた。

 そこにいたのは同級生らしき女子生徒であった。赤みのある短い茶髪とスラっとしたスタイルをした、スポーティーな雰囲気を纏っている。絶世の美女である摩耶さんやサキュバスとして容姿には人一倍優れているアイネほどではないが、世間一般的には美少女とカテゴリーされる顔立ちもしている。所謂陽の者って感じがして、ちょっと近づきづらい印象すらある。

 ただその少女について、俺はほんの少しだけ知っている。入学式の時、摩耶さんが待っていたと言っていた友達と同じ顔をしている。気になったから一応名前も調べた、確か……黒羽一葉さん、だったっけ?

 しかしながら当然のこと、俺と彼女には一切接点がない。そもそもクラスが違うし、彼女の姿を見かける時は大概近くに摩耶さんがいる。個人的に関わる理由もないから、今後とも関わることはないと思っていたのだが……

「……見つけた」

 しかしながらそれは俺の話、どうやら向こうは俺に用事があるようだ。地面に寝転がっている俺の姿を視認した黒羽は、一瞬にして表情が険しくなる。まるでナンパをしてきた男を視線だけで撃退するかのような、鋭いものを感じた。

 と、俺がのんきに現状を整理できたのはそこまでだった。

 大きな歩幅で近づいてきた黒羽が俺の背後に立つと、迷うことなく制服を掴みそのまま引っ張り上げる。女子とは思えないくらいの怪力と俺がこの展開を全く予想できなかったのもあり、いとも簡単に立ち上がる。そして俺を真正面へと捉えた黒羽は、怒りに満ちた表情をしながら俺に対する尋問を始めた。

「貴方ね、ここ最近まーやをたぶらかす、夢宮遊馬とかいう悪い虫は!」

 親の仇と対峙しているかのような剣幕で、黒羽は俺を叱咤する。ただその言葉の意味が分からない。いや、意味自体は理解できるが何故それを言われているのかが理解できなかった。

「な、何のことだ……?」

「とぼけないで! 貴方がまーやにちょっかいを出していることなんて、知ってるんだから!」

「いや、ちょっかいって……」

 言いがかりにも程がある。確かに俺は摩耶さん気を引こうと、積極的に彼女とコンタクトを取っている。しかし、いくら気を引こうと彼女が不快に思うようなことはしない。大概が他愛もない雑談程度だ。

 ただそんな事情など、黒羽が知るわけもない。俺の言い訳など一切耳にしないといった様子で、自らの怒りを更に加熱させる。断固として俺を許さないかのような、強気な態度が見て取れる。それでも摩耶さんの友人相手に、悪い印象を持たれたくない気持ちは十分にある。

「ご、誤解だ。俺はただ、摩耶さんと仲良くしようと……」

「摩耶さん⁉ 仲良く⁉ その姿勢が気に入らない!」

 うっすらと予感はしていたが、黒羽は俺の言い訳を跳ねのける。むしろその怒りの炎に油を注いでしまう。一気に俺との距離を詰めると、そのまま胸倉を掴む。またもや発揮される怪力が、俺の身体を腕一本で持ち上げる。それほどまでの怒りを、どうやら買ってしまったらしい。

 今にも俺のことを殺してしまいそうなほどの剣幕の黒羽。異性とここまで距離を近づけたのは、アイネを除いて初めてのことだ。しかし状況が状況なのと、相手が想い人でないのもあり、緊張でヘタレることはない。俺が彼女から感じるのは、純粋すぎる恐怖だけだ。

「いい、よく聞きなさい! まーやはね……まーやは、可愛い! すっごく可愛いの!」

「……はい?」

 しかし彼女の口から飛び出た鋭い言葉の内容からは、まるで緊張感がない。思わず俺も拍子抜けしてしまったくらいだ。そんな俺の反応など全く気にしていないとしか思えない様子で、黒羽は気分良くその想いの丈をぶつける。

「まーやは世界一可愛い! 撫でまわしたくなるような黒髪とか、私でも見惚れちゃうくらいの魅惑的なスタイルとか、キスしちゃいたいくらいの可愛い可愛い顔とか! まーやは可愛いの! もはや天然記念物に指定しないといけないものなの!」

「は、はぁ……」

「あ、でもダメね。そんなことしたらまーやと一緒にいられなくなる! それは嫌だ! まーやはずっと、ずーっと私と一緒なの!」

「あ、あの……もしもし?」

「そして何より!」

 完全に暴走状態に入ってしまった黒羽。所々で割り込もうとするが、摩耶さんの魅力を語る黒羽を止められそうになかった。うん、気持ちはわかるよ。摩耶さんは人間とは思えない、女神的な可愛さを持っていることは、俺も十分わかっている。

 しかし例えそれを証明したところで、今の黒羽が止まることはない。

「まーやは優しい。その身に携えた全幅の優しさは、全ての人の癒しとなって、幸せにする。まーやにちょっかいをかけている貴方なら、それくらいわかるでしょ?」

「……もちろんだ」

 知ってて当然のことだ。黒羽の言う通り、摩耶さんは優しさの権化のような人間だ。どんな相手でも分け隔てなく接するのも、一見迷惑にしか見えない同級生に絡まれても邪険にしないのも……見知らぬ薄汚いはぐれインキュバスに希望を与えるのも、全て彼女の優しさがあってこそのことだ。普通の人ならその容姿に目がいきがちだが、俺は何よりもそこを評価したい。

 そしてその気持ちは黒羽も一緒だ。想いの強さだけなら、俺にも匹敵する。

「だからまーやにの周りに、悪い虫なんてついてほしくない。まーやに相応しい人間が現れるその時まで、私がまーやを守ってみせる……そう決めたの」

 不覚にも、言葉が出なかった。圧倒された、という表現が正しいだろうか。とにかく黒羽の覚悟の重さというのは、これでもかというくらい伝わってくる。

 俺は黒羽一葉という人間のことを知らない。いくら摩耶さんの友人とはいえ、そこまで興味が湧くことは、今まで一度もなかった。しかし今、俺は彼女に興味が湧いた。ただその興味とは彼女自身のことではない。

「……貴方も摩耶さんの素晴らしさを、しっかりと認識しているみたいでしね」

「ふん、当然よ。私とまーやは中学校の時からの親友よ。私以上にまーやを理解し、まーやを愛せる人間など、存在しない!」

 ビンゴ、心の中でそう思った。まだ高校生活が始まって、2週間ほどしか経ってない。その間にも摩耶さんと仲良くなった人は増えただろうが、心の底から繋がった親友は出来ていないはずだ。そしてもし仮にいるとするならば、それは摩耶さんと高校以前からの付き合いのある人だ。つまりそこには……俺には知らない情報がたくさん詰まっているということだ。

 そうとわかればやるべきことは一つだけ。摩耶さんやアイネには敵わない俺であるが、それ以外の人相手に躊躇う抵抗感というものは存在しなかった。

「へぇ……じゃあさ、俺にも教えてよ。俺が知らないこととか、いろいろさ」

 俺がそう口にすると同時に、催眠魔法発動のために目を赤く光らせる。あまり広がると影響範囲がヤバいことになるので控えめ程度の発動だ、周りに散布されるフェロモンも微量のもの。しかしそれだけあれば、黒羽の意識をコントロールし意のままに操ることなど容易であった。

 再び黒羽に目をやると、彼女の意識は既に虚ろになっていた。目もどこか焦点が合わず、光もない。難しい思考の駆け引きなどできるような状態ではない。彼女は今、聞かれたことに答えることだけの傀儡と化した。

「……なにが、聞きたいの?」

 その通りになってくれた黒羽は、棒読み気味に聞いてくる。催眠がばっちり聞いているのが確認できたので、俺は知りたい情報を引き出していく。

「そうだな……摩耶さんの親友である黒羽しか知らないこととかないのか?」

「私しか、知らないこと……まーやが母子家庭であることとか?」

「……ほう?」

 ソイツは初耳だった。摩耶さんの家庭事情に関してはプライバシーの観点から、俺も積極的に覗こうとしなかった。そのせいで苦労した部分もあるが、今こうして補完できているから大丈夫だ。

 何はともあれ、今は情報収集の時間だ。

「さすがの私も、まーやの込み入った家庭事情までは知らない。でもまーやがずっと幼い頃に、父親と離れることになった、ということだけは聞いている」

「なるほど……んでそのまま母親と二人暮らしと。兄弟とかもいない感じか?」

「私の知る限りは、いた記憶はない。そもそも再婚とかする余裕がなかった、と私は考える。女手一つで娘を育てるのは、それだけ大変」

「ま……そうだよな」

 そういったところは人間も夢魔族も一致している。子どもほど手のかかる生き物はいない。そうなれば育てる苦労というのは俺には想像もつかないし、気が遠くなるくらい大変なことだろう。それに加え計り知れないくらい、お金もかかる。

「……もしかして、かなり貧乏だったりするのか?」

「たぶん。そこまで差し迫ったことはないけど、まーやが裕福だった記憶はないわ。どちらかといえば、節約好きだし」

「そうなのか……」

「ま、まーやは私が幸せにするから、全然問題ないんだけど」

「あ、はい」

 なんで催眠魔法がかけられているのに、その熱き想いだけは突き抜けて語れるんだよ。もはやすげえよ、下手なインキュバスより催眠魔法の耐性あるんじゃないのか。まあ意識をほとんど乗っ取られているから、心の底からそう思っているだけだろう。彼女の想いは、魔法すら凌駕するらしい。

まあ何はともあれ。そうなってくると少し事情が変わってくる。ポロっとこぼれた情報ではあるが、俺の疑問を一つ解決できるかもしれない。

「……あれ? じゃあ摩耶さんが放課後になるといなくなる理由って……」

「バイトね、高校生に上がったと同時に始めたのよ。パートで今まで養ってくれたお母さんのお手伝いをしたいって思いからね」

「す、すげえ……」

 つい自然と声を漏らしてしまうほど、素直に驚いた。人間のことについてはよく調べたつもりではあるが、摩耶さんくらいの歳でそこまで考えて行動している人などほとんどいないだろう。家庭事情がそうさせた、と言われたらその通りだ。しかしそれを加味したとて、摩耶さんが異常なまでの人格者だということが証明された。

「そう……まーやはすごくいい人。だから貴方も手を出さないで」

 だからこその黒羽のこの言葉である。確かにその境遇を知っていたら、悪い虫をつけられたくないと考えるのもわからなくはない。自身の人生すら犠牲にして優しさを振りまくような人間なのだ、摩耶さんにはそれに相応しい優しさを持つ人とくっついて欲しい。客観視すれば、誰だってそう思うだろう。

 ただその一般論に、俺の主観的な感情は含まれない。黒羽の想いというのも十分理解できる。しかし俺の中で膨らみ続ける摩耶さんへの想いというのも、日々抑えられないものになっていく。ここで引け、なんて頼みは聞けないのだ。

「……それは聞けない相談だな」

 聞きたい情報は聞けた。もう黒羽の意識を奪う理由はない。そう思った俺は指を鳴らし、体内から漏れ出たフェロモンを引っ込める。

「あ、あれ、私……」

 催眠から解けた黒羽だったが、状況が読み込めず混乱する。催眠を解くと同時に記憶も干渉魔法であやふやにしておいたから、この数分で何が起きたのかわからないのだろう。別に俺としては話してもよかったのだが、それだと俺の評価が急転直下で落ちるため、黙っていた方が良さそうだ。

「俺にはもう、あの人が隣にいる未来しか考えられないんだ。諦めるつもりは、毛頭ない」

 だから最後に、俺の嘘偽りのない気持ちを黒羽にぶつける。それと同時にもう一度、黒羽に催眠魔法を発動する。ただ今度は意識を奪う方ではなく、その名の通り眠らせる方の催眠だ。

「な、に、いって……」

 俺の魔法が発動した瞬間、黒羽の意識は刈り取られた。糸の切れた操り人形の如く崩れ落ちる彼女を、咄嗟に俺は支える。そのまま床に寝転がして、俺は屋上を後にした。

俺のライバルは、自分自身だけじゃない。そう再確認した俺は、もう何回心中で繰り返したかわからないほどの覚悟を再び締め直した。

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