第8話

「……は? アンタマジで言ってるの?」

 話を聞き終えたアイネの口からは、何故かドスの効いた声が出ていた。彼女のことを詳しく知っていなければ、その怖さに逃げ出してしまいそうだった。無論そんなことしたら失望されそうだから、俺はしないけど。

「放課後、人が寄りついてこない環境、雰囲気よさげな展開に催眠魔法……それだけしておいて何もしないとか……ユーマ、本当は付いてないんじゃないの、ムスコ」

「ついてるわ!」

 ついに夢魔族以前に男として疑われるところまで行ってしまった。まあ確かに改めて聞けばそこで事に及ばないとか、夢魔族の感性からしたら絶対にあり得ないことだ。アイネなら誘われずとも強引に性交に持っていくことだろう。

 そんなアイネは俺のヘタレ具合に、呆れてものも言えないようだ。

「……アンタが病的なヘタレだということは知っていたけど、まさかここまでとはね。正直、はぐれにするほどでもないって思っていたところはあるけど……これなら納得よ。ユーマ、アンタインキュバスと呼ぶに呼べない存在だわ」

「そんなこと、俺が一番自覚してるっつーの」

 吐き捨てるように俺は認める。インキュバスとして、夢魔族として、その行動は恥さらしもいいところ。はぐれに堕ちたとて、文句は言えないのは俺が一番自覚している。

 しかしそこで言いたいことだけ吐き捨てて自身の欲求だけを満たすアイネではない。もう何回も耳にしてきた特大のため息をつきながら、アイネは仕方なく俺へ恩情を送る。

「……でもアドバイスするって言っちゃったから。そうね、今のアンタに言えることがあるとすれば……とりあえず、さっさとその女を抱きなさい」

「だ、抱くっ……⁉」

 たったその一言に、心臓爆破レベルの動揺を体験する。そして夢魔族の持つ豊かな想像力が、一瞬にしてその情景を脳内に浮かび上がってしまう。ベッドの上で愛らしくたたずむ、生まれた姿の摩耶さん……それを想像しただけで俺の頭が沸騰するくらい熱くなるのは、条件反射のようなものだった。

 ただアイネの思惑は、俺とは微妙に違った。

「バカね、アタシとてそこまで期待はしてないわよ。ハグの方よ、ハグ」

「は、ハグ……?」

 拍子抜けする俺の返事。それをまともに聞くことなく、アイネは話し続ける。

「そうよ。話を聞く限りでも、ユーマが努力しているのはなんとなくわかる。でもある一定の距離まで近づくとヘタレが発動して、結局やりたいことができない。その現状を解決するためには、少しずつ距離感に慣れるしかないのよ。転んだ振りをして助けてもらうとか、とにかく事故的なものでもなんでもいいから」

「なるほど……一種の荒療法ってヤツか」

「そういうこと。そのために、当面の目標としてハグを掲げなさい。もちろんそのままベッドインすれば話は早いんだけど」

「む、無理です……」

「わかってる。だから小さな目標をコツコツと積み上げていきなさい……そういう部分は、夢魔族も人間も一緒なのよ」

 澄ました顔でアイネは綺麗にまとめた。幼い頃からサキュバスとして優秀であり、そのような苦労を積んでいるかどうかわからないアイネではあるが、彼女が言うならそうなのだろう。アイネとはそういうヤツなのだ。

 だから俺も、とりあえず疑うことはなく彼女の言葉を信じることにした。

「……わかったよ。とりあえずアイネの言う通り、いつも以上に勇気を出してみることにするよ。このまま停滞していたら、本当に摩耶さんと恋仲になるなんて夢物語だろうし」

「ホントよ……ユーマの辛気臭い、笑うこともできない話なんて、もう聞きたくないから」

「……次からは聞かせないように、努力するよ」

 一切の冗談すら感じられないアイネの声色は、非常に恐ろしいものだ。だから俺も降参して首を縦に振るしかなかった。俺がアイネに一泡吹かせられる日は来るのだろうか。そんな可能性の低い未来を想像しながら、俺は今後のプランについて考えることにしたのだった。

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