第7話

 その日の俺も、相も変わらず摩耶さんの姿を追いかけていた。正直学校に来ている目的の9割方はこれなのだ、暇さえあれば摩耶さんを追いかけることで頭がいっぱいになる。ちなみに残りの1割はアイネのパシリだったりするが、今はどうでもいい。

 そして放課後。部活なども始まり次第に教室から人が消えるスピードが早くなる中、またしても摩耶さんは教室から姿を消していた。一週間経てばわかることだが、どうやら放課後は忙しいようで気づけばいなくなっていることが多々あった。どこかの部活に入ったという情報も聞いたことないし、本当に帰っているのだろう。さすがの俺も帰り道をつけるなどといった外道の手は使わないから、真相は闇の中であるが。

 ただその日は違った。教室にはいなかったが荷物が放置されていたので、まだ校内に残っている可能性が高い。ならば何かしらのアクションを起こし、更に仲を深めるきっかけにする他ない。こんな難儀な性格だからこそ、限られたチャンスを逃していられないのだ。

故にすぐに荷物を片付けた後、摩耶さんを探すために校内をぐるりと駆け回った。そして意外とすぐに、彼女の姿は見つかった。

「あれ、摩耶さん? こんなところで何を?」

「あ、遊馬君!」

 あくまでも偶然を装った俺は、職員室から出てくる摩耶さんに声をかける。俺の姿を見て笑顔を見せる摩耶さんであったが、どこかその笑顔もぎこちない。というのもその原因自体が、彼女の腕の中にあった。

「……随分と重そうな荷物ですね。それは?」

 躊躇うことなく俺はその手にある、理科室にありそうな道具の山々に注目する。状況からなんとなく察しがつくが、こういうコミュニケーションを取ることも大事なことだ。

「あぁ、これ? ちょっと先生に頼まれたの。ちょっと第一理科室まで荷物を運んで欲しいって。偶然帰ろうとしたところを捕まっちゃった……今日はついてないなぁ」

「ははっ……そうなんですね」

 一切辛い表情を見せず笑顔を貫く摩耶さんを前に、俺はやや引きつった笑顔を浮かべていた。摩耶さん自体が気づいているかどうかは不明だが、おそらくそれは勘違いだ。きっと先生は、摩耶さんと単純に関わりが欲しくて頼んだだけだと思う。教室に残っていたならまだしも、帰ろうとした彼女に声をかける辺りそう考えるしかない。

 というのも摩耶さんの容姿がそれほどまでに凄まじい。既にその噂は学校中まで広まっていた。俺を含め同級生の視線を集めるのは当然のこと、上級生やはたまた教師まで、彼女から目を離すことが出来ない。無論教師たちは立場を弁えてラインを越えることはないが、こういった手段で彼女と関わろうとしてくるのだ。面倒ったらありゃしない。

 それに加えて摩耶さんは結構なお人好しでもある。根本的に明るくてコミュ力も高い彼女には、入学してから多くの友人に恵まれている。その友人たちに対し、平等に優しさを振りまいている光景を何度も見てきた。だから彼女には敵らしい存在すら存在しないという特徴もあるのだ。現代社会においてはかなり珍しい、仏のような存在なのかもしれない。

 まあだからこそ唯一の弊害として、こういった面倒事を抱え込むことが多くなるってわけだ。人間としては魅力的な女性であることは間違いないが、貧乏くじも引きやすい人でもある。

 だがしかし、このシチュエーションは俺にとってはチャンス以外の何物でもなかった。

「荷物ってそれだけ?」

「ううん、これと同じくらいのがもう一個あるけど……」

「なら俺も手伝うよ。その荷物どこにあるの?」

「えっ⁉ だ、大丈夫だよ! 遊馬君の手を煩わせることでも……」

「だってそれ、重いでしょ?」

 食い気味に遠慮する摩耶さんだが、俺は彼女が抱える荷物を指差した。笑顔で誤魔化しているかもしれないが、その荷物が彼女にはやや重いということはなんとなく予想できた。笑顔の質がいつもより悪いこと、若干腕がプルプルと震えていることを見れば誰でもわかることだ。

「女性に重い荷物を運ばせるのなんて、ナンセンスの極みだよ。こういうのは男の仕事って、相場が決まってるし。それに摩耶さんだって、決して暇じゃないんですよね?」

「そ……それを言われると、ちょっと否定が難しい、かな……?」

 苦い表情を浮かべながら、白状するように摩耶さんは認めた。放課後になると慌ただしく帰宅する摩耶さんに、用事がないわけがない。その具体的な内容までは知らないが、きっとお忙しいことだろう。その助けになれるのなら、俺はこの身を砕く思いで助けるまでだ。

「俺のことは気にしなくて大丈夫ですよ。どうせ暇ですし」

「そうなんだ……なら、お言葉に甘えちゃおっかな? これと同じようなものが先生の机にあるはずだから、それをお願いできる?」

「えぇ、任せてください」

 ニコっと爽やかな笑顔を浮かべる俺。今この瞬間、摩耶さんのお役に立てることが何よりも嬉しい。今ならアイネにだって立ち向かっていけそうだ……いや、それはさすがに無理か。

 摩耶さんの指示があった通り、俺は職員室に入り理科教師の机にある荷物を抱えた。女性に持たせるにしては少しばかり重いが、俺からしたら大したことなかった。何故これを摩耶さんに持たせようとしたのか、教師の脳みその構造が全くというほど理解できなかった。

 そのまま俺たちは楽しく談笑しながら、目的地である第一理科室へとやってくる。普段物理等の授業で来ることはたまにあるが、こうして授業外に訪れるのは初めてのことだ。加えて放課後というだけあって、中には誰もいない。理科室内を歩く音でさえ、はっきりと耳に残ってしまうくらいだ。

「それで摩耶さん。これはどこに置けばいいんですか?」

「えっと……先生からは、適当なところに置いておいてくれって言われてるんだけど……」

「それはまた、随分とアバウトですね」

「あはは……まあ先生も忙しいんだと思うよ。とりあえず教卓のところにでも置いておこうか」

「そうですね」

 否定する必要もなかったので、俺たちは摩耶さんの指示の通りに荷物を置いた。さすがにそれなりの重量の荷物を持って移動していたため、腕が一気に軽くなった感覚を味わう。

 それは摩耶さんも一緒のようだ。しかし俺と違って、摩耶さんはか弱き人間の女性。重いものを持っていたこともあり、荷物を離した瞬間にバランスを崩す。後から考えると大したことじゃないが、その時の俺は瞬間的な焦りを覚えた。

「摩耶さんっ……⁉」

 すぐに摩耶さんの元へと駆け寄った俺は、彼女の腕を取りこちら側に引き寄せる。なんとか彼女が倒れることはなかったが、それどころでもなかった。その瞬間、ふわりと摩耶さんから漂う女性特有の魅惑な香りがしたが、さすがにそれを楽しむ余裕などどこにもなかった。

「だ、大丈夫でしたか……?」

「う、うん、なんとか……いきなりだったから、びっくりしちゃった……」

「ごめんなさい……ただちょっと危ないって思ったので……」

 摩耶さんを驚かせてしまったことに、俺の中では申し訳なさが広がる。しかしもう少し手を引くのが遅れていたら、背後にある黒板に頭をぶつけるところであった。ぶっちゃけその程度、ちょっとしたドジで片付けられるかもしれない。ただ俺にはその判断が、咄嗟につけられなかったのだ。

 その意図自体は通じたのか、摩耶さんも目くじらを立てて怒るようなことはしなかった。

「でもありがとうね。また私のことを思って助けてくれたんだよね?」

「え、えぇ……反射的に助けたとはいえ、摩耶さんが危ないと思ったので」

「だと思った。遊馬君、優しい人だから」

 曇りのない、真っすぐとした愛らしい笑顔を向けられ、俺はつい直視できなくなる。ここまで手厚く優しくしているのは摩耶さんと、絶対に敵わないとわかっているアイネくらいだ。それ以外の人には、例外なく一定の距離間を築いている。それを摩耶さん自身が気づいているかどうかは、俺には不明だ。

 だがしかし、摩耶さんから見える視点はまた違う。事あることに手を貸してくれる、少なくとも美形の部類に入る俺のことをどう見えているだろうか? そんなことは本人しかわからないし、魔法で本心など聞きたくない。ただ俺なんかよりも心優しき存在である摩耶さんなら……少なくとも過小評価はしない。

「こんなにも遊馬君に優しくしてもらえて……私は幸せ者だな」

「……っ!」

 ただこのセリフは予想外だ。過小評価とか、そんなことはどうだっていい。今俺は、摩耶さんの口から放たれた、破壊力満点の言葉に耳を疑い、そして心を奪われた。催眠魔法なんかよりも強力で、ヘタレの俺の心臓を大きく揺さぶった。その時点で、俺の平静はいとも簡単に失われたのだ。

「……摩耶さん」

「ん? どうかした、の……」

 気づいた時には既に、俺は催眠魔法を使っていた。もはや無意識レベルの発動であった。俺の中の何か、ここで押し込まなければならないと警告を鳴らしたのだろうか。しかし使ってしまった以上、やるしかなくなった。

 摩耶さんの意識は、俺の支配下にある。そういった感覚は俺の中にあるし、虚ろな目をしている彼女の顔を見れば誰だってわかることだ。無抵抗な状態であることを確認し終え、俺は彼女を黒板際に追い込む。そのまま逃げられない雰囲気を作るため、摩耶さんの顔の横を手で制した。前にアイネにされた壁ドン、それのちゃんとした方だ。

 実際、この壁ドンに意味があるとは思えない。だって壁ドンというのは、その場の雰囲気をお互いが楽しむためにあるものだ。しかし今、摩耶さんの意識は完全に俺の支配下。摩耶さんが楽しむということはないだろう。

 しかしやってしまったものはしょうがない。このチャンスを掴まずして、何がインキュバスだ。インキュバスなら……男なら、ここで一歩踏み出してこそ価値がある!

 一歩前に踏み込み、摩耶さんの可憐な唇を俺のもので塞ぐだけ。それだけの、夢魔族にとっては呼吸同然の簡単なお仕事なのに……俺は再び、持病のヘタレを発動させる。

「……やっぱり無理だぁ!」

 もう頭も身体もどうにかなってしまいそうだった。全身がこんがり焼きあがってしまいほどの強い熱を感じ、正常な判断が出来なくなってしまう。それと同時に俺自身を支配してしまうほどの焦りが襲い掛かり、何をすればいいのかすらわからなくなってしまう。

 結局、条件反射の如く俺は隠蔽に徹する。即座に摩耶さんと距離を取り、干渉魔法で摩耶さんの記憶を都合のいいものに変える。荷物を運んだ後すぐに帰ったことにすれば、摩耶さんも疑問に思うことはないだろう。こういう時、本当に干渉魔法というのは便利なものだ……本来想定していた使い方と違うことに関しては、考えないことにしている。

 そして全てを片付けた後、俺は摩耶さんを残して理科室を後にしたのだった。

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