第5話

 アイネとの再会を終えて教室に戻る頃には、既にクラスメイトの姿はなかった。いくら入学式初日だとはいえ、学校に長く残る物好きはいないようだ。まあそれよりも前に摩耶さんの姿がなかったから、あまり興味はないけど。

 用事もなくなったので、俺も帰ることにする。荷物は既にまとめていたので、さっさと昇降口へと向かう。他のクラスを覗けばまだチラホラと生徒の姿が見える。中には俺の姿を見て見惚れる女子生徒の姿もあった。見かけ倒れという言葉が俺以上に似合うヤツもいないけどな。

 あと余談だが、アイネのクラスの方からくぐもった声が聞こえた気がする。近づいてみるとフェロモンの匂いがして、俺は全てを察した。邪魔すると後がめんどいからそっと遠ざかることにした。

 学校の様子もぐるっと確認し終えたところで、俺は昇降口に到着した。しかしそのタイミングで、予想だにしないイベントが発生する。

「あ、遊馬君! やっと来た!」

「えっ……摩耶さんっ⁉」

 なんと昇降口の扉にもたれかけるように、摩耶さんが俺を待っていてくれたのだ。もう帰っていたとばかり思っていた俺は、心臓が飛び出そうなほどに驚く。これは俺に限った話じゃない。学校一とも言える美人である摩耶さんが眩しい笑顔を浮かべながら、俺個人の存在のために時間を割いてくれたのだ、驚きと喜びが入り混じった感情が芽生えるのは当然のことだ。

 突然の展開に緊張が一気に跳ね上がる俺だが、その態度を表に出すわけにはいかない。どうにか感情を堪えようとすると、摩耶さんの方から俺の元へと駆け寄ってくる。

「もうどこ行っていたの? 私、結構待っていたんだよ?」

「ご、ごめんなさい。ちょっと昔馴染みの知り合いがいて……それにもう教室にいなかったから、もう帰ったとばかり……」

「お手洗いに行っていただけだよ。それで戻ってみたら、なんかすっごい女の人に連れていかれたって聞いたから……大丈夫だった?」

「ま、まあ……さっきも言った通り、アイツはちょっとした知り合いなんですよ。ちょっと誤解されがちなだけど、根はいいヤツなんだ」

「へぇ~そうなんだ」

 愛想笑いを浮かべながら、俺はしどろもどろに思いつきの言葉を並べた。すっごい女の人、というのはもちろんアイネのことだろう。確かにあの見た目のアイネと一緒にいたら、嫌でも噂になる。それが摩耶さんにとってどう捉えられるかは不明だが、少なくともいい気分にはならないはずだ。今度からアイネと会う時は、周囲の警戒を怠らないようにしよう。

 そんな俺の言い訳染みた言葉にも、摩耶さんは一切疑うようなことはなかった。やはり出会い方が良かっただけに、俺が嘘をつくような人間だとは思われていないらしい。実際嘘自体はついていないが、そう思われているのを確認できたのは素直に嬉しい。

「……それで俺を待っていたようだけど、何か用事でもあるの?」

「ううん、大したことじゃないの。ただ遊馬君と一緒に帰ろうかなって思っただけだよ」

「え……俺とですか?」

 予想外の展開に、俺はつい言葉を失った。てっきり早く教室から出ていったものだから、何かしらの用事があるものとばかり思っていた。だから俺もこの展開には驚きの連続であった。

 しかし摩耶さんの意図も、俺の想像の範囲外のものであった。

「そうだよ。私、もっと遊馬君のことが知りたいの」

「俺のこと、ですか?」

「うん。だってあの時助けてくれた遊馬君、すごいカッコよかったよ」

「カッコっ……そ、そうですか」

 突然の褒め言葉、それも好きな人からのカッコいいは、ダイレクトに心に刺さる。オートマチックににやけてしまう表情を取り繕うほどに、嬉しさが内からこみ上げてきた。身体中が熱くなってきてるのは言うまでもない。今すぐ自宅に駆け込んで、ベッドの中で悶え死にたい気分であった。

 しかしもちろんのこと、摩耶さんの言葉はここで終わらない。

「だってあの状況で助けてくれる人なんて、早々いないよ。それだけで私が遊馬君という存在が気になる理由としては、真っ当なものだと思うよ」

「そ、そうですか……俺としては、自分に出来ることをしたまでなので……」

 ぶっちゃけ、ほぼ百%勝てる見込みがあったからこそ、行動したのだ。正直褒められることではないが、俺にとっては都合がいいので黙っておこう。

「だからもっと遊馬君とお話したいって思って、ここで待ってたの……ダメ、かな?」

「ダメじゃないです! もちろんOKです!」

 慌てて返事をしたせいで、俺の声も少し上ずる。いつの間にか主導権を握られ、立たせる顔がない。傍から見ても情けない姿であることは、俺が一番自覚していた。

 しかしながらあれは反則だ。可憐な笑顔から一転、上目遣いでお願いする彼女を、一体誰が断れるだろうか。少なくとも俺には無理だ。摩耶さんに頼まれれば、見るからに怪しい壺でさえも買ってしまうだろう。それほどまでの暴力的なまでの魅力が、摩耶さんにはあるのだ。

「よかった、それじゃあ帰ろっか。遊馬君のおウチってどの辺りなの?」

「えっと……ここからは割と近いですよ。駅方面に歩いて十分くらいなので」

「へぇ~そうなんだ。私はもう少し遠いけど、方角は一緒だね!」

 と、自然な流れで帰路に就き始める俺たち。こうして摩耶さんが隣で歩いている姿を見るだけで、俺は夢のような気持ちになった。もちろんこのような展開はいつか望んではいたが、少なくとももう少し後くらいだと思っていた。そう、この展開の早さには俺自身も驚いている。

 そもそもあの今朝のイベントが、俺の中でも予想外でラッキーな展開だったのだ。あのイベントのお陰で摩耶さんとのフラットな関係から一歩前に踏み込めた。摩耶さんの中でも、俺に対する評価がガラリと変わったことだろう。

 そういった客観視した意見と個人的な推察から、俺はある一つの結論に至った。

(摩耶さんは確実に、俺に脈がある)

 別におかしなことでも何でもない。高校の入学式という精神的に不安な時に厄介事に巻き込まれそれを異性に助けられたら、すぐに惚れるとは言わなくても気になる程度の好感度を得るのは容易なことだ。そのイベントを乗り越えたからこそ、今の俺があると言ってもいい。

 もちろんインキュバスとしての力を使えば、強引に惚れさせ事を済ませられるかもしれない。摩耶さんほどの心優しい性格なら、一夜の過ちだけで責任を取ってくれるだろう。アイネの言う通り、それが一番手っ取り早い方法だ……ただ違う、そうじゃない。

 俺は摩耶さんと、今の過程を楽しみたいのだ。少しずつ仲を深めていき、いつの間にか俺以外の男性のことが考えられなくなる。そんな状況に陥った時のドキドキとか尊さを、俺は摩耶さんと体験したいのだ。そのためにこんな、夢魔族的には至極遠回りな手段を取っている。

 しかしこの様子なら摩耶さんとそういう仲になっていくのも、時間の問題なはずだ。既にある一定の好感度は稼いでいる。この調子でドンドン摩耶さんとのイベントを増やしていき、俺への好意を深めていけば、全然達成できない目標ではない。現実味を帯びてきたことに、俺は密かな喜びすら感じ始めた。

「……どうかしたの?」

「え? なにか、変でした?」

「ううん。なんか遊馬君、すごく嬉しそうだったからさ。いいことであったのかなって」

「そりゃまあ……摩耶さんと一緒に帰れるってだけで、俺は凄く嬉しいですよ。男って単純な生き物だし」

「ふふっ、なにそれ」

 粋のいいジョークかと思ったのか、摩耶さんは面白おかしく可憐に笑った。その笑顔で俺の心が再び射抜かれたのは言うまでもない。

 大丈夫だ、何も問題はない。俺と摩耶さんの関係は非常に良好だ、あともう一押しあれば、更に一歩先の関係に進むことが出来るはずだ。そのための手段は事前に考えてある、俺に抜かりはない。

 摩耶さんに気付かれないように、俺は内心でほくそ笑む。俺の脳内には摩耶さんとの甘美で官能的な、恋人としての学校生活が詳細に描かれていたのだった。

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