第2話
入学式。それは若人たちが新たな門出を迎え、更なる成長の軌跡をたどる記念すべき最初の日のこと。その日に限って不思議と、天気は雲一つない快晴の時が多い。雨模様な記憶など人々には薄い、と人間の間では言われている。そしてその言葉は、概ね当たっていた。
すぐ近くまで来ている聖白高校の道沿いには、綺麗に咲き乱れた桜の木々が見える。儚く散っていない様子を見ても、ここ数日荒れた天気になっていないのは明白だ。そして今日も空を見上げれば、これまた美しい青色の空が広がっていた。ここ最近の中でも一番の天気だ、まるで俺たちの門出を祝っているかのようだ。
「ま、俺自身、やらないといけないことは山積みだけどな」
しかしそこまで感傷的な気分にもなれず、俺は現実的な思考で本日の流れを頭にまとめる。
入学式というだけあって、今日は午前中に終わる。新しいクラスに集まった後に体育館で入学式、また教室に残ってこまごまとした諸連絡と自己紹介、こんな流れだったはずだ。新しい仲間とのファーストコンタクトなだけあって、ここで張り切る人は多いだろう。俺もその内の一人だ、しかも他とは気合が違う。俺には摩耶さんを堕とすという、大事な使命があるのだから。
そうこうしているうちに聖白高校の校門前に到着。周りには俺と同じように、今日からこの学校にお世話になる生徒が中へと入っていく。するとほんの少しだけ俺の周りが少しざわつく
「ねぇあの人、カッコ良くない?」
「ホントだ、すっごいイケメン!」
「どこの学校の人なのかな? 仲良くなりたいなぁ~!」
俺が通りすぎる後ろでは、多くの女子生徒から羨望の眼差しを向けられる。中にはこのように黄色い声まで聞こえてくる始末だ。その逆に少数の男子からは嫉妬まがいの視線を向けられるほどだ。そんな想像通りの反応があちこちからするくらいに、俺の顔面偏差値は非常に高いのだ。
俺のようなインキュバスもとい夢魔族は、ある3種類の魔法を自由に行使できる。むしろ自由に使えなければ半人前とされており、そのほとんどは人間界へと降りることは出来ない。その中で俺が今使っているのは、自らの姿を思い通りの姿に変える「変身魔法」だ。
元来インキュバスは、性交に及ぶ相手の最も理想とする姿に変えられると言われている。その由来に漏れず、俺たち夢魔族は変身魔法を呼吸と同じように使えるのだ。そうでもしないと人間界では生きていけない、立ち回りの悪いヤツならそのまま愛憎にまみれて死ぬ未来は容易に見えるからだ。
そして今も俺はかなり顔立ちの整った男子高校生へと姿を変えている。大人びた雰囲気を纏わせながらも親しみやすい健康的な笑顔が似合う、どこからどう見ても好青年の姿を演じている。このくらいの変身なら、落ちこぼれの俺でも容易いことであった。
しかしいくら黄色い声をもらっても、俺は一切の興味を示さない。俺には摩耶さんという、心に決めた人がいる。周りにいい顔をしておくことに越したことはないが、摩耶さん以外に靡くつもりはこれっぽっちもないのだ。
人の波につられて歩きながら、俺は視線だけをチラチラと周りに向ける。摩耶さんほどの美人ともなれば、今の俺と同じように目立たないはずがない。こうして歩いて待っていれば、自ずと摩耶さんも姿を現すことだろう。
そう思っていた俺の予想だが、見事に的中した。しかし俺の想像とは少し違って、ちょっとしたアクシデントが添えてあった。
(……摩耶さんだ)
俺が見つめる視線の先、やや人だかりになった場所の中心にて彼女が――摩耶さんが悠然と立っていた。初めて見る聖白高校の女子制服がこれ以上にないほど似合っており、燦燦と輝く太陽のような存在感を放っていた。俺と同じように周囲を歩く男子生徒も、彼女を一目見たら二度見するくらいの美しさだというのは言うまでもない。
しかしながらそんな摩耶さんの表情は、やや浮かないものであった。表面上こそ笑顔を浮かべているが、あまりにも苦笑がすぎるものであった。あんなものは摩耶さんが心の底から浮かべる、素晴らしき笑顔ではない。そしてその元凶たる存在も、彼女の目の前にいた。
「キミ可愛いね? どう、入学式の後にデートとか?」
「え、えっと……」
ねっとりとした粘着質な声が、摩耶さんの耳へと語り掛ける。それだけでも不愉快だというのに、ソイツがやっていることを考えると怒りで頭が沸騰しそうだった。
摩耶さんに対してやや強引気味に話しかけているのは、おそらく新入生と思われる男子生徒。まるでインキュバスによって居場所を失われたダメホストのような、顔だけはいい男であった。くすんだ金髪とかへらへらとした笑顔とか身体中に纏うチャラい雰囲気とか、とにかく仲良くしたいとは微塵も思わない。
しかしその節操のなさは高校生とは思えず、なんと高校生活開始の日に摩耶さんにナンパを仕掛けていた。周りからも冷ややかな目で見られているが、恐ろしいほどの胆力でその全てを無視していた。もはや自分がしていることが何よりも正しいと思っているかのようだ、なんという傲慢さだ。
(……チャンスだな)
俺の中でどうしようもない怒りが湧くのは当然のこと、しかしそれとは別にもう一つの思惑も浮かんでいた。それは好機、要はチャンスだ。ここでナンパの手から摩耶さんを守れば、これ以上にないほど好印象を与えられる。それだけではなく、ある一定の好感度の確保だって可能だ。摩耶さんの素晴らしさを利用しているようで心苦しくなるが、俺はこの機を逃すわけにはいかない。
それに俺には、インキュバスにはこの状況をどうにかできる力がある。殴り合いに発展されると勝ち目は薄いが、脳内シミュレーションではそうはならないと自信を持っていえる。
「やめときなよ」
胸を張って強気な態度を全面に押し出した俺は、迷うことなく二人の間に割り込む。見知らぬ第三者の介入に、摩耶さんは目を大きく見開いた。その反応の一つ一つを堪能したいところだけど、それは後にしよう。今はもう一人の、明らかに不機嫌さを露わにしているこの男をどうにかしなければ。
「あ、なんだよ? 今いいところなんだから邪魔するなよ」
「ならアンタも、この人の華々しい高校生活の門出を邪魔するなよ。きっと貴方のせいでぶち壊されてますよ」
「はっ、何を言う! 俺のような顔のいい男に言い寄られて、悪く思う女なんていないだろ?」
「……ははっ」
「な、何がおかしい!」
どうしようもないほど性根が腐っていたのもあり、俺はつい鼻で笑ってしまう。それが気に食わなかったのか、男子生徒は苛立ちを俺へとぶつける。さすがに短気すぎて笑う。
やはり顔に自信を全振りしている人間は、どうにも勘違い野郎が多い。インキュバスの中にもそういうヤツはいるが、立ち回りの差がこれでもかと出ている。きっと将来苦労するタイプだな、コイツ。
まあいい、どちらにせよ早く事を済ませることには変わりはない。これ以上摩耶さんに不快な思いをしてほしくないし、さっさとケリをつけよう。
「いや、別に。ただ……そんなに悪目立ちして、初っ端から苦労しそうだなって思ってさ。周り、見てみろよ」
「はぁ? 何言って……」
すぐに理解できない様子であったが、ぐるりと周りを見ると男子生徒も状況を理解したようだ。俺が割り込んで更に騒ぎが大きくなったこともあり、見物人の数は凄いことになっていた。俺たちと同じ新入生はもちろん、新入生の相手をしている上級生や教師の皆さんからも注目を集めている。
ただしその見え方は、俺とこの男子生徒では全然違うことだろう。俺はトラブルを颯爽と解決しようとする優等生、そして男子生徒は初日からナンパという面倒な問題を起こす問題児。好感度の差で考えれば、歴然とした差が開いているのは言うまでもない。その結果、男子生徒には冷ややかな視線が四方から振り注がれていた。
「……ちっ」
さすがに状況が悪いと踏んだ男子生徒は摩耶さんから離れ、校舎の方へと消えていった。おそらくこの噂は瞬く間に広まり、ヤツの高校生活は過ごしにくいものになっていくだろう。まあそれも致し方ない。摩耶さんとの仲を阻む障害となったのだ、排除するのは当然のことだ。
ただ個人的にも、ちょっと容赦のない手段を用いてしまったことは否定しない。実はさっきの場面、この辺一帯に夢魔族特有の魔法の一つ「催眠魔法」を使用したのだ。特殊なフェロモンによって意識を支配するこの魔法により、多くの人間をこの騒ぎに釘付けにし、あの男子生徒に掛かる圧を分厚いものにした。おそらくあの男子生徒含め、俺の策に気付いたものは誰もいないはずだ。インキュバスの催眠魔法というのは、そういうものだ。
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