三人は海が欲しかった

さわだ

三人は海が欲しかった

日本の夏が暑くなっているのは観測に基づく科学的なデーターから徐々に明らかにされつつある。

八月に入って毎日の天気予報で日本中が熱さを示す赤色で塗り潰されていて、そんな季節に昼から太陽の光を浴びながら両わきを建物ではなく草木に囲まれた田舎道を歩くと汗が噴き出てくる。

「外は暑いね」

膝が被る長さの短パンに半袖のシャツを着た男の子はシャツのボタンを外して前を開けた。

身体の線は細いが背が高く、短い黒髪は自然に流し、整った顔には吹き出物ひとつ無く清潔感があった。

田山実淳(たやまさねあつ)は誰が見ても好青年という印象を与える外見をしていた。

「そうね」

男の子の後ろを歩いていた夏の避暑地に似合いそうな肩の出た白いワンピース姿の女の子が反応する。

茂庭沙羅(もにわさら)は実淳と同じ高校のクラスメイトで背は実淳より一回り小さいが、肩幅も広く骨格がしっかりしていて、大人びて見えるが前髪を髪留めし、片側だけ額と耳をだしていて、まだ可愛いを大事にしているようにも見えた。

「こっちに来てもあんまり暑さかわらないんだね」

実淳は振り返って田舎道を見る。

二人が歩いてきた道は海岸線の国道沿いで、遠くに薄らと日本海が見えた。

「風があって少し涼しい気もするけど、日差しが強いと変わらないのね」

風でスカートの裾が揺れている、日差しが強くて帽子があったら良かったかもと沙羅は肩口まで伸びた髪を掻き上げた。

「沙羅さん、荷物持とうか?」

「ありがとう実淳君、大丈夫」

沙羅は手に提げていた鞄をもう一度持ち直した。

沙羅は大きめの肩掛けの鞄、実淳は大きめのリュックを背負っていた。

「本当にスマホのアンテナが立ったり消えたりしてる」

手元のスマートフォンの画面端に写る電波状況を示す棒の数が減ったり増えたりしていた。

「ちょっと道路外れただけなのに?」

「ここは谷みたいな場所だからかな?」

左手には小高い山が木々に覆われていて、右手は昔は畑か田んぼだったのだろうか何も無い背の高い草だけが生い茂っていて、最初からあったのか不正に捨てられたのか分からない大きな冷蔵庫や古い洗濯機などのゴミなども見えた。

それでも海岸の国道からあるくと数件の家が見えてきた。

スマートフォンを見ている実淳が先行する形でその後ろを沙羅が続いて行く。

草むらの中に真っ直ぐ道が延びて、数件ほど家が並ぶがあまり人が住んでいる感じはしなかった。

道の奥には一番古めかしい赤い屋根の家が建っていた。

「あの家っぽいよ」

実淳が奥の古い家を指差した。

「本当にこの家であっているの?」

「うん、もらった住所はここだけどね」

二人の目の前に立つ古い日本家屋はよく言えば趣がある、悪く言えば今にも壊れそうな建物だった。

雨や風に晒されてボロボロになった焦げ茶色の木板の塀に囲まれた家の前で実淳と沙羅は顔を合わせた。

「呼び鈴は?」

「見当たらないね、電話もLINEも反応しない」

実淳は沙羅にスマホを見せた。

「もう、本当はバス停まで迎えに来る約束だったのに」

「そうなんだけどね、ちょっと裏に回ろうか?」

そう言って実淳は玄関から足元に草がたくさん生えている木塀の間を縫って家の裏手に回った。

「勝手に入って良いの?」

「あまり良くないんだろうけど、家に誰か居ないか確認しないと」

こんな携帯の電波も届かない場所で待ちぼうけを喰らうよりは、本当に家に誰か居るのか確認した方が早いと実淳は家の軒先を歩く。

勝手に人の家の庭に入るのは悪いと思って沙羅は最初は動かなかったが、家の影に消えた実淳を見て、玄関の外に誰も居ないのを確認してからゆっくり荷物を持って後から続いた。

沙羅が古い家の裏側に回るとそこは草の森だった。

昼の光を浴びて大小様々な草が生い茂っていて、地面は一部の石が敷かれたとおり道以外はあまり踏み入れたくない場所になっていた。

この光景を見てやっぱりこの家は廃屋じゃないのかと沙羅は思ったが、先に歩いていた実淳は庭に面した開けっ放しの扉の縁側の前で立ち尽くしていた。

「この家であってたみたいだよ」

実淳は開けっ放しだった家の窓を指さす。

恐る恐る沙羅が実淳に近づいて、家の中を覗くとそこには畳の上で大の字に伸びている子供が居た。

大きめの白い無地の厚めのTシャツからスラリと伸びる棒の様な手足、二の腕もふくらはぎにも肉が付いてない少年のような身体だが、癖毛の柔らかい髪が肩口まで伸びていて、髪が長いから女の子なのかと認識させる。

「ちょっと佐香、なんで昼寝してるのよ!」

沙羅が腰に手を当てて声量多く声を上げた。

「ふぇ?」

佐香と呼ばれた少女はゆっくりと顔が動いて庭に居る二人の方を向く。

睫毛が重そうな目がゆっくりと開くと、庭に立っている沙羅と実淳を認識したようだった。

「ああ二人とも久しぶり〜」

目をこすりながら畳の上で寝ていた新佐香(あたらしさか)が起き上がって二人の方を見た。

「久しぶりじゃ無いでしょ、連絡しても反応無いし、なんでのんきに寝てるのよ!」

「あれ、来るの今日だっけ?明日じゃ無いの?」

「今ここに実淳君も私も、二人で佐香の前に居るでしょ?」

「うーん」

そう言って佐香はゆっくりと四つん這いで動き出した。

草が生い茂る庭の中で立ち尽くす二人にゆっくりと近づいて縁側で膝立ちすると全く日焼けをしてない白い腕を伸ばした。

まるで小動物が自分に害を与えるモノか?それとも有益な餌なのかと確認するようにちょっとずつ手を伸ばして沙羅と実淳の身体を触る。

「ちょっと何?」

沙羅にも手を伸ばして服の上の胸を触った。

「おお、幽霊じゃなくて本物だね」

佐香は押して手で形を確かめるように、沙羅の胸を触る。

「どこ触ってんのよ!」

「ごめん、ついつい懐かしいなあって」

沙羅の胸を掴むように佐香は指を動かした。

「学校でもベタベタと身体に触らないでって言ってるわよね?」

「今日は良いかなあって学校から遠いし・・・・・・」

「私は佐香にベタベタと抱きつかれたくてこんな遠いところに来たんじゃないの!」

「そんな寂しい事言わないで沙羅ちゃん」

甘えるように笑いながら佐香は手を広げて沙羅の胸に顔を突っ込む。

「ちょっと顔付けないでよ」

沙羅の胸の膨らみに顔を埋めながらサカは何か言ったが隣の実淳にはよく聞こえなかった。

「あーもうくっついたら熱いでしょ!」

佐香の顔に手のひらを当てて沙羅は軟体動物のようにベタベタとひっついてきた佐香を引き剥がした。

「もう久しぶりなのに・・・・・・」

「全く鬱陶しい」

「久し振りに二人のじゃれあう姿見るね。別に終業式からそんなに時間が過ぎたわけじゃないのになんだか懐かしいや」

一連の沙羅と佐香がじゃれ合う姿を見て実淳は感心していた。

「もう実淳君も注意してよ佐香の抱きつき癖を」

「まあ誰にでも抱きついてるわけじゃないし……」

「そうそう誰にでもってわけじゃないよ〜」

沙羅を宥めようとしていた実淳に対して、佐香はちゃんと選んでるよとまじめな顔をしながら実淳の腕に抱きついていた。

「そういうところがでしょう!」

また沙羅は佐香の顔に手を当てて引き離そうとした。

「大体その格好はなによだらしない。寝間着みたいじゃない」

「ちゃんと下着付けてるよ?ほら」

Tシャツの襟元を指で引っかけて沙羅に胸元を見せつける。

「ちょっと恥ずかしい真似しないでよ」

沙羅は顔を赤くしながら、実淳の方は見ずに佐香に詰め寄った。

「なんで佐香はそんなに気楽でいられるのよ?」

友達とは言え男の子の実淳の前で胸元を見せるような行為に沙羅が恥ずかしがっていた。

「だってここ自分の家だし・・・・・・」

佐香は気にしてる様子も無く、柔らかい髪に手を入れて頭を掻いた。

「実淳君来るって知ってたら少しは気を使うでしょ」

「そうそう、だからいつも下着だけの時も有るんだけど今日は人に会うからTシャツ被ってパンツ履いてるんだ」

そういうと佐香はTシャツをめくってお腹を出して、大きめのシャツに隠れていた茶色のショートパンツを見せた。

「だからそういう無防備な格好止めなさいって言ってるの」

佐香がめくり上げたシャツを沙羅が掴んで無理矢理引き下げたので、襟元が凄く延びて下着が見えそうになった。

「そういえば沙羅ちゃんなんだか今日はずいぶんお洒落な服着てるね。私服でそんなかわいい感じのワンピースとか着てたっけ?」

「私の服の事はどうでも良いでしょ?」

「いやいやそれは不公平だよ。私のことさんざんネタにしたんだから今度は沙羅ちゃんの番じゃない?ねえサネ君?」

「まあ二人ともらしい格好で可愛いけど、そろそろ荷物だけでも部屋に上げさせてくれない?」

自然に褒めながらも実淳は荷物下ろさせてくれと懇願した。

「あっそうか」

そういうと佐香は立ち上がって縁側から腰に手を当てて、ふたりを見下ろした後に大きく腕を広げた。

「ふたりともようこそ私の田舎へ!」

そう言うと佐香はそのまま実淳と沙羅を抱きしめるようにふたりに飛びついた。

三人が出会ったのは高校に入ってからだった。

それぞれ別々の中学でそれまで接点も無く、偶々席が近くなんとなく話してるウチに仲良くなった。

背が高く周りの中学生から上がってきたばかりの男子と比べて清潔感があり、姉と妹に挟まれて暮らしてきた実淳は女子の扱いにも長けていて、すぐにクラスの女子の注目の的になった。

その隣の席に座る沙羅は周りよりも背が高く、早く訪れた成長期もあって大人びた容貌をしていて、少し近づきがたい雰囲気を漂わせていたが、自然と学校行事をまとめる係りだったり、教室で誰かが騒いでみんなが迷惑を被るとひとりで注意しに行くなど、大人びた態度で周りから一目置かれていた。

そんなしっかりとしたふたりとは対照的に佐香は少年のような風貌で幼く見えるが、母子家庭で毎日自分で弁当を作って学校に来ていた。見た目が髪が長い男の子なので大人びた沙羅と実淳の子供みたいな扱いだった。

あの三人はまるで親子のようだと気が付けば教室のどのグループにも属さない独立した最小のグループを教室で築いていた。

色々なグループがクラスいや学年でも上位に属する沙羅、実淳を取り込もうとしたのだがそれは叶わなかった。

そうこうしているウチに夏休みになったので、高校一年の夏は三人で過ごすと沙羅と実淳も思っていたが、佐香は毎年おばあちゃんが住んでいた新潟の家に夏休み中ずっと居るので、学校のある地元には居ないよと言われた。

毎日三人で居たのに一ヶ月以上離れることになって沙羅と実淳は困惑したのだが、佐香はまあ今生の別れになるわけじゃないんだからと笑いながら終業式の日にまたねと軽く言って次の日には山を越えた日本海側、新潟県の海沿いにある家へと旅立って行った。

何日かたった後、実淳がふと佐香の田舎に行ってみたいと三人のLINEグループに投稿した。

佐香は別に来たければいつでもどうぞと気楽に返信した。

でも親は仕事で居ない事が多いから、家事は全部自分達でやることになる。庭の草むしりもしなくちゃいけないけどそれでも良いのかと、覚悟を聞くようなメッセージが付いていたが、実淳は二つ返事でもちろん大丈夫、寝袋もって行くよと返事した。

実淳が行くという選択をした時点で沙羅には選択肢が無かった。

そう三人で動くということはふたりが同意したら三人目に拒否権はない。

沙羅には佐香の田舎に行く理由は無かったが、特に夏休みの予定もなく、何となく佐香とノリで買った水着を着る予定もなかったので、海水浴場が近くにある佐香の田舎に行かない理由もなかったので必然的について行く事になった。

沙羅は仕方が無いことだと自分に言い聞かせて高校生初めての夏休みに、初めての友達との外泊、知らない土地に来た。

普段は自分はこんなことは絶対しない。それが三人組の多数決という力で自分たちが住む太平洋の反対側、日本海に面した新潟に連れて来られた。

いや、自分の意志で来たのは理解している。

あの二人は沙羅はどうするのと聞いたのだから選択肢はあった筈だが、そんなものは確認作業みたいなものでしかなかったじゃないか?

沙羅は自問自答をくり返しながら佐香の田舎に来た。

自分はこの佐香の田舎に来るという行為がやっぱり嫌だったのかな?

そんな事を沙羅は感じていた。

「いやー本当に凄いね夏の雑草は」

「そうね」

佐香に声を掛けられて沙羅はだるそうに返事した。

佐香の家に着いて早速はじまったのは家の周りの草むしりだった。

無料で泊めてもらうんだから仕事くらいしないと悪い、そう真面目な実淳が言って早速庭で草刈り鎌を持って作業を始めた。

どうせまた生えてくるからやらなくて良いのにと、自分で草むしりくらいはやって貰うと言った手前もあり、友達にだけ草むしりやらせて自分は昼寝するのも流石に気が引けた。

佐香も最初は昼過ぎの炎天下での草刈りに乗り気では無かったが、真面目に黙々と作業を始める実淳と沙羅の姿を見て渋々と手伝った。

「その帽子どうしたの?」

実淳が佐香が被ってる、あんまり作業中に被るには邪魔そうな大きな帽子を指差した。

「良いでしょ、おばあちゃんのなの」

佐香が日差し除けに持ってきた大きな灰色の帽子は絵本に出てくるヒロインを誑かす魔女が絶対被ってるような、天辺が長く尖っていてつばが大きい帽子だった。

佐香がそれを被ると、あとは黒いマントを付ければハロウィンパーティーが始まりそうだった。

「へえそんな魔女みたいな帽子被ってたの?」

「うん、本当に魔女みたいなおばあちゃんだったんだ」

この田舎の家は佐香のおばあちゃんがすんでいた、数年前に亡くなってからは佐香の母親が管理している夏の別荘みたいな家になっている。

「デカくてじゃまそうだ」

「ウチにある帽子はあとコレしかないんだよ」

「佐香には似合ってて良いね」

実淳の褒め言葉に佐香は照れるというよりもそうでしょう?っと帽子の縁を持ちながら笑った。

「帽子被らないと熱中症になっちゃうからね、はいもう一個農作業に使ってた麦わら帽子があるから使って」

佐香は手に持ったおばあちゃんが被ってた麦わら帽子をふたりに差し出した。

「私、帽子いらないから実淳君が被ってよ」

「僕は良いよ、タオル巻いてるから大丈夫」

「私も帽子じゃまだから良いよ」

沙羅は借りた麦藁帽子を実淳に差し出す。

「帽子被ってないと熱中症になっちゃうよ?」

「私は大丈夫だから、実淳君被って」

「沙羅ちゃんも帽子を被っておいた方が良いし、あとやっぱり着替えた方が良くない?」

「良いわよこの格好で」

佐香と実淳はTシャツと短パンで動きやすい格好をしていたが、沙羅だけはワンピースのスカート姿だった。

麦わら帽子と白いワンピースでとても女の子らしい姿だったが草むしりしやすい格好では無かった。

「沙羅ちゃん私のジャージ貸すよ?」

「佐香のジャージはキツくて着れないわよ」

「ジャージは延びるから大丈夫だよ」

「パツパツになるでしょ」

佐香と実淳は沙羅の胸をみた。

「とにかくさっさと草むしり終わらしましょう」

何処見てるんだと視界を遮るように実淳の顔に麦わら帽子を押しつけて、沙羅は草むらの中に腰を落とした。

「ここは私がやるから、佐香と実淳くんはあっちやって」

沙羅はしゃがみ込んでまた草むしりを始めた。その背中から発せられる話しかけるなオーラを感じて佐香も実淳も黙ってしまった。

どうしたもんかなと佐香と実淳は目を合わせる。

昼過ぎ太陽は沈む前のもう一踏ん張りと燦々と日光を浴びせて来た。

たぶん帽子被んないと熱中症になっちゃうけど、一度決めたら沙羅は頑固なところがあるので勧めすぎるのも逆効果だということはふたりは分かっていた。

木の塀に囲まれた広い庭を佐香と実淳は別々に見渡して、ふと壁に立てかけてあった色あせた布に目が止まった。

「あっ」

二人は同時に気が付いた。

「あーもう、熱い」

心の中のつぶやきにしようと思ったのに沙羅は思わず口に出してしまった。

なんで帽子なんか要らないっていってしまったんだろう、黒髪が熱を吸収するのは分かってた筈だ

なんで自分は人の親切を、実淳の親切を断ってしまったんだろう。

それに白いワンピース、さっさと脱いで部屋着に着替えた方が雑草掃除には良いはずなのになんだか着替えるのが嫌だった。

馬鹿らしいと思いながら軍手で雑草を一心不乱に抜いていく。

まったくさっきから自分はなにがしたいのか分からない。

そのとき沙羅を暗い陰が包んだ。

見上げると大きな傘、ビーチパラソルが出ていた。

「これなら日陰の下で作業できるよ」

実淳がビーチパラソルを地面に突き刺しながら沙羅に声を掛けた。

日陰になるだけで体感はだいぶ違った。

「ありがと」

「無理しないで」

実淳はそう声を掛けると、自分の持ち場に戻って行った。

沙羅は手を止めてその姿を追う。

実淳が持ち場に戻ると木の棒を持った佐香が目を閉じて呪文を唱えるマネをしていた。それに応えるように実淳は草刈り鎌を逆手に持って構えて対峙する。

「鎌の勇者よワシの魔法避けられるかな?」

「掛かってこい魔女!」

庭の外れで寸劇を初めた二人を観て沙羅はため息をつく。

「刃物もって遊ばない、真面目にやりなさい」

「はーい」

木の棒を捨てて口を尖らせながら佐香は自分の持ち場に戻った。

実淳は鎌を持ち直して、背の高い草を刈り始めた。

沙羅は根が真面目なので、言われたことは最後まで全うしようとする。少しお洒落して遠出をして田舎に来ていきなり草むしりになってもそれはそれで良いと思った。

だが庭の雑草を軍手で握って引き抜くのに妙に力が入る。遊んで楽しそうにしている二人に対してイライラを感じる。

ふと頭を上げると大きな傘の陰が見えた。

夏の日差しから自分を守ってくれる大きな陰。ただこの陰を出るともの凄い勢いで太陽光線が身体を焼く。

ここから出たくないのに、なんだか陰に隠れているのは勿体ない気がした。

だが、陰から出たら絶対夏に殺される。

ああだから草を抜く手に力が入るのかと沙羅は理解した。

草を抜く仕事を与えられてる限りこの傘から出る必要はないのだ。遊ぶ二人を見てイラつく必要もない。

「なんで私、イラついてるんだろ?」

近くに来たのか蝉の音が一段と大きくなった気がした。

五月蠅いと思いながら沙羅は草を強く引き抜いた。




「ねえ本当に大丈夫沙羅ちゃん?」

「大丈夫・・・・・・」

敷かれた布団に横たわって沙羅は手を振る。

「これ冷やしたタオル、頭に載せると良いよ」

「ありがとう」

実淳から冷やしたタオルをもらって沙羅は頭に載せた。

「病院とか大丈夫?」

「ご飯は食べれたし、意識はしっかりしてる。熱もないし大丈夫だと思うけど」

「気にしないで、ちょっと疲れただけだから横になれば大丈夫」

着てきたワンピースを壁に掛けて、部屋着に着替えた後でタオルケットを被りながら沙羅は横になっていた。

「草むしりしてるときちゃんと水分とった?」

佐香は一人黙々と草むしりしてる沙羅の姿を思い出した。

「とりあえずクーラー効いてる部屋で寝てれば大丈夫だと思うけど……」

「とりあえず様子見よう。何かあったら隣の部屋に居るからすぐに声掛けてね」

声を掛けて佐香と実淳は襖を閉めて居間に戻った。

「こういう時、親が居ないと困るね。お母さん居たら車とかで病院連れていってあげられるけど」

「でも本人が大丈夫って言ってるからね、あんまり大事にするのも悪いさ」

居間で小さなテーブルを囲みながら佐香と実淳は話し合う。

沙羅は長い移動もあったし、カレーはおかわりして食べてたから風呂に入ったあと急に忘れてた疲れがどっとでたのかなあと結論を出して、もう少し様子をみようと言うことになった。

ふたりだけになった佐香と実淳はふと手持ち無沙汰になった。

「ねえ、サネ君はファミコンやった事ある?」

「ファミコン?」

「これこれ」

居間に置いてある小さな液晶テレビの下には古いゲーム機が置いてあった。

「見たこと無いヤツだ」

「サネ君ってゲームとかやらないんだっけ?」

「Switchは持ってるけど最近あんまりやってない」

「これはニンテンドーの一番最初のゲーム機の復刻したやつなんだって、昔おばあちゃんちに集まった時に親戚のおじさんが置いてたんだって」

「へえ、まだ動くの?」

「動くよ」

そう言うと佐香はゲーム機に走り寄ってカセットを差し込んで電源を入れた。

テレビのリモコンを操作すると、画面はなんだか変な四角い固まりが並んだ模様が映った。

「あれ、ちゃんとハマってなかったかあ」

もう一度本体からカセットを取り外して、佐香はカセットを本体に突っ込む。

「あっ映った」

液晶テレビにはすぐにタイトル画面が映った。

「これ何のゲーム?」

「対戦できるんだよドクターマリオってゲーム」

「なにするの?」

「薬でウイルス消してくヤツ」

「面白いの?」

「対戦すると面白いよ」

言われるまま実淳は佐香からコントローラーを受け取る。

「どうやるの?」

「やればわかる!」

特に説明を受けずに対戦ゲームを始める。

「落ちてくるヤツの色を合わせるの?」

「そうそうボタンでカプセル回して色揃えて消してくの」

慣れてる佐香は当然手早く画面上でカプセルの色を揃えてウイルスを消してく。

「あっなんか降ってきたよ」

「私が沢山消すとサネ君の画面にお邪魔カプセルが出ていくからそれを片づけてね」

「なるほど」

田舎の家で特にやること無かったので古いテレビゲームを始めてみたが、意外とおもしろかった。

自分たちが生まれるより前に作られたゲームなのに健気に動いて楽しませてくれる。

「これ面白いね」

初めて触るファミコンのパズルゲームに実淳はすぐに馴染んだ。

「そう? すぐ飽きちゃうよ」

「でもすぐまたやり始めそうだ」

二人とも画面をみながら会話だけ進める。

「変だね」

「何が?」

「私の田舎でこうやってサネ君と古いゲーム家でやってるなんて不思議」

いつもは学校の中かファミレスとかそういう外の場所で集まってるのに、古い家の畳敷きの部屋で座り込んでゲームをやっている。

「そうだね」

テレビからは単調でリズミカルな音楽がくり返し聞こえて来る。

「僕も友達の田舎の家に遊びに行くなんて初めてだ」

「ねえどうして私の田舎に来ようと思ったの?」

佐香は実淳はそういう事を言わない子だと思っていた。

「気になったんだよ。佐香さんの田舎ってどんなところなんだろうって」

「なんもないところっていったでしょ?」

「なんにも無くて誰もいないところって言ってた」

「そんな事言ったっけ?」

佐香は顔に指を当て惚ける。

「うん言ってた。何も無くて誰もいない場所ってどんなところなんだろうって思ってね」

「ふーん興味持ったの実淳くんと沙羅ちゃんだけだよ」

「他の子もみんな田舎があって羨ましいなあって思ってたんじゃない?」

「私は毎回夏休み中はずっと田舎に帰るのはなんか逃げてるみたいで嫌だなあって思ってたけどね」

気が付いたら実淳の画面はカプセルが積み上がって負けていた。

「この夏休みはこのゲームばっかやってたから上手くなったなあ」

「もう一回やっていい?」

「今日は何時間でも出来るよ」

負けるはずの無いという自信からか佐香は腕を振り上げて実淳を煽った。

「佐香さんのお母さんは今日帰ってこないの?」

「なんかこの一週間はサネ君達も来るからここに居るって言ってたんだけどね。仕事忙しいみたいで東京から帰って来れないみたい」

「佐香さんはやっぱり強いよね」

「なんで?」

「一人でも全然不安にならないの凄いと思うんだけど?」

「えーサネくんもそうじゃん、一人でも平気そう」

「僕は家族と離れて一人で食事も洗濯もなんて毎日できないよ」

「さっき家事ができてたよ実淳君ご飯炊けるし、食器も洗ってくれて助かったよ」

「あれくらいは別に普通だよ」

「そういうこと出来ない子も多いと思うよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

三人で晩ご飯を用意しなくちゃいけなくて、何にももてなしを考えて無かった佐香はとりあえず皆でカレーでも作ろうという事になって、野菜を切ったりご飯を炊いたりしたのだが、実淳はお米炊いたり、不器用ながら野菜を切ったりしたが沙羅は何もできないでいた。

「まあ親が家に居たらやってくれるからね、実淳くんはどこで習ったの?」

「僕は親が夏休みに塾とか体験教室行けとか色々と予定入れてくれてそれでなんとなくだよカレー作りとかはそういうところで習った。普段は家事とか全然やってないよ」

「へえそんなのあるんだ今年はやんないの?」

「高校生なったら塾の夏期講習ばっかり入れさせられたけどね。あ」

実淳が操作を誤って自爆した。

「大学とかもう考えなきゃ行けないんだね」

「佐香さんはどうするの?」

「考えてたらこんな田舎で一日中ファミコンやってないんじゃない?」

そう言って佐香はもう一度コンテニューを選んでボタンを押した。

「実は今日ここに来るのも親には文句言われたんだ」

佐香は何も答えずに画面に集中してた。

「でも、なんか今年の夏はここに来た方がいい気がしたんだ」

小さくて狭い畳敷きの居間。小さなちゃぶ台と古いゲーム機。テレビだけは液晶テレビになっていたが、子供がゲームをやってる姿はずっと昔からあった風景だった。

「あっ」

「勝った」

無言で闘ってた二人のドクターマリオは気が付くと佐香が負けていた。

「初めて勝てたね」

「まあ今のは狡いね、狡い」

「何が?」

「今ちょっと私のメンタル揺さぶった。サネ君そういうの良いから真剣勝負しよう、真剣勝負」

佐香はコントローラを握り直した。

「わかったよ……やろう」

そこから二人は特に言葉とを交わすこと無く黙々と古いゲームに没頭した。

時々漏れる罵詈雑言が聞こえるだけの静かな戦いが続く。

「楽しそう……」

襖の奥から聞こえる音を聞きながら沙羅は少し安心していた。

知らない家の古い布団は少しカビ臭い。畳みの上に布団を敷いて寝るのは久しぶりな気がする。

中学校の頃の林間学校以来かも知れない。

なんで私はここで寝てるんだろう?

そしてなんで起きてるんだったら襖を開けて私もゲームやるって言えないんだろう。

そんな事考えていたら、沙羅は長旅の疲れからか以外とすぐに眠りにつけた。




「うーん、もう勝てない」

「なんとなく攻略法がわかったよ」

すっかり慣れた実淳は一晩で佐香よりもドクターマリオが上手くなっていた。

「二人とも飽きないわね」

二日目は昨日はあんなに日光が降り注いでいたのに、朝から大粒の雨が降っていた。

徹夜になりかけるくらいファミコンをやり続けた佐香と実淳が起きてきたのは遅かったが、朝食の準備が出来ずに腹を空かした沙羅を待たせてしまったので朝から怒られた。

「お昼食べちゃったし、何にもすることないね」

昼はうどんを茹でてみんなで食べた。

「結構雨強いし、この中で歩き回るのもね林の中入って行くのも面白いんだけど泥だらけになっちゃうし」

佐香は小学生みたいな事を提案した。

「せっかく水着持って来たのに海にも行けないからね」

「しょうがないわよ」

昨日鞄から出しておいて準備した水着を思い出しながら、沙羅はガラスのコップの麦茶を飲み干す。

「じゃあ勿体ないから今日午後は水着着て過ごす?」

「嫌よ」

「沙羅ちゃん即答」

ノリが悪いなあと佐香は口を尖らせた。

「田舎まで来たのに何も出来ない、明日には帰る……」

佐香が呟くと三人は居間のちゃぶ台を囲んでお互いの顔を見合わせた。

「まっしょうがないね」

「しょうがない、家の中で出来る事探そう」

「しょうがないわね」

三人とも諦めが早く、部屋の中でやれることを探した。

「じゃあこの誰かが置いて行った人生ゲームやろう!」

ファミコンの近くに置いてあったボードゲームを佐香は持ち出してきた。

「せっかくだから夏休みの課題やろうか」

「そうね皆でやった方が進むかも」

人生ゲームの箱を持った佐香が一人で箱を開けてやり始めようとしたが、実淳と沙羅は荷物から課題とノートを持ち出して、机に広げたので渋々佐香も手付かずの課題を持ち出して二人に追随した。

「ねえサネ君ここどうやって解くの?」

「ああ簡単だよこの方程式を当てれば良いんだよ」

実淳が佐香の近くに寄って教科書を開いて方程式を示す。

「これでどうするの?」

「まずはやってみて」

「えーもう答えおしえてよ」

「それじゃ勉強にならないだろ?」

実淳が答えを教えてくれなかったので佐香は膨れっ面で教科書を覗き込んだ。

「あーもう、これじゃあ学校とかでやってる事とかわらないじゃん、夏休みだよ夏休み」

「もう少しやったら休憩して散歩でも行く?」

「もう勉強良くない?」

「佐香、もう少しだからちゃんとやって」

ひとり黙々と課題を進めていた沙羅が佐香を注意した。

「もう、沙羅ちゃんは真面目だなあ」

佐香は身体を後ろに倒して畳みに寝転がった。

「佐香!」

「沙羅ちゃんお母さんみたいに五月蠅い」

佐香がニヤニヤと笑うので、沙羅は更に語気を強めた。

「私は佐香のお母さんじゃないし、みんなで勉強するって決めたんだから今は勉強する。そもそも殆ど課題進んでなかったんだからあとで苦労するより私達がいるときにやった方が良いでしょ?」

実淳と沙羅が課題をやろうと言うまで佐香は殆ど夏休みの課題に手を付けて無かった。

「あーもう、晴れてれば海行って遊べたのになあ」

「しょうがないでしょ雨なんだから」

「海が欲しかったなあ」

畳みの上でゴロゴロする佐香を見て実淳は少しだけ考えた。

「じゃあ一旦休憩しようか?」

「ほんと?」

すぐさま佐香は起き上がった。

「もう、実淳君はすぐ佐香を甘やかす」

「ありがとうサネ君、心の友よ」

佐香は久しぶりにあった父親に抱きつくように両手を広げて実淳に抱きついた。

「ねえねえサネ君、雨降ってるけどさ海を見に行こうよ」

「僕はちょっと休憩しようって言っただけで……」

「すぐ近くだから、ね?」

実淳の腕を掴んで佐香はせがむ。

「戻って来たら課題やる?」

「やる、絶対やる」

実淳は佐香の決意の顔を見て、犬を飼ったら毎日散歩に行くと約束する子供っていうのはこれくらい自信に満ちているのだろうなあと思った。

「じゃあちょっとだけだよ?」

佐香は両手を高く上げてバンザイをする。

「私は課題やってるから二人で行って」

「ちょっと沙羅ちゃん」

畳みを膝で擦り歩いて佐香は沙羅の隣に近づく。

「せっかく田舎に来てるんだから勉強だけして帰るつもり?」

佐香は身体をくっつけて沙羅を誘惑する。

「沙羅ちゃんだって夏休み前に水着一緒に選んでたとき凄く真剣に悩んでたじゃん、本当は水着着て泳ぎたかったんでしょ?」

「雨が降ってるでしょ?」

「でも雨が降ってようが、泳げるとか関係ないじゃん。誰と海に行きたかったのって話しで」

「佐香」

佐香は自分が調子に乗ってた事をすぐに理解した。

沙羅の美人で小さな顔の小さな眉間に皺が寄り、その両目の眼光は確実にそれ以上踏み込んだら殺されると本能が理解できる威圧感に満ちていた。

「私は行かないから行くんだったらふたりで行って来て」

断言すると沙羅は立ち上がった。

「どこ行くの沙羅ちゃん?」

「お手洗い」

ゆっくりと歩いて沙羅が居間を出る。

佐香と実淳は顔を見合わせる。

佐香は自分の顔を指差して自分のせいかなと無言で実淳に問い合わせる。

実淳は首を縦に振った。

佐香は腕を組んで首を傾げたあと、居間から昨日掃除した庭を見た。

そしてちゃぶ台に突然倒れこんで唸るように声を出した。

「勉強するかぁ」

佐香は力尽きて絶命寸前の草食動物みたいに最後のひと鳴きをした。

実淳は大きな溜息を付いた。




その日は結局意地になってみな無言で課題に取りこみ気が付いたら日は落ちていた。

適当に晩ご飯を済まして、またファミコンやったり人生ゲームをやってみたり遊んでいると沙羅と実淳は田舎での最後の夜を迎えたが、特にやることもなくなったので皆で寝ることにした。

実淳は居間で布団を敷いて、佐香と沙羅の二人は寝室で枕を並べる。

佐香の家の周りは殆ど街灯も無く真っ暗なので小さくなった音だけが雨足が弱くなった事を教えてくれた。

虫の音もあまり聞こえない静かな夜、何度か目を瞑ったので今が何時だかわからない。

沙羅の背中で布団が擦れる音がする。

佐香が起きたみたいだった。

トイレかなと思ったので何も声を掛けなかったが、玄関の引き戸が開く音がした。

なんとなく気になった沙羅も起き上がって、玄関に行くと佐香のサンダルが無かった。

玄関には沙羅と実淳の靴だけが残っていた。

佐香は外に出たのかなと思って沙羅も部屋着のまま靴を履いて外に出る。

雨はすっかり止んでいて、空には地元では中々見られない満点の星空が広がっていた。

月は出ていなくて、とても暗い道が続いていた。

沙羅は怖くて布団に戻ろうと思ったが、なんだか惹かれるように夜道に出ていった。

家への脇道を出て道路に出ると辺りは真っ暗だったが、遠くに見える海沿いの国道の光が見えた。山の方は真っ暗なので、なんとなく沙羅は光に誘われるように海沿いの道を目指した。

偶にトラックが凄いスピードで通っていくのが見える。

波の音が少しずつ聞こえて来た。

海沿いにはコンクリートの堤防があって、その下に砂利混じりの海岸があった筈だった。

とりあえずそこまでと思って沙羅は歩みを進めると、またトラックが走り抜けていった。

堤防まで着くとまっ黒な海と星空が視界いっぱいに広がった。両脇には海に突き出た堤防が見えた。

目が慣れてきたのか、国道沿いの街灯に照らされた海岸を見渡すと小さな人影が見えた。

白いTシャツを着た子が海を見ながら立っていた。

砂利を踏むと小さな音が鳴った、沙羅はゆっくりと人影に近づいて行く。

「沙羅ちゃん何してるの?」

先に佐香に自分が聞きたかった事を言われて沙羅は言葉に詰まった。

「どうしたのひとりで出て行って」

「ああ、ごめん寝てると思ったから誘うの悪いかなあって」

「誘う気なんかなかったでしょ?」

佐香は口を開けて目を泳がせた。

「ばれた?」

「ごめんなさい私こそ勝手について来て」

「この辺は懐中電灯とか持たずに夜の道歩くの危ないよ。沙羅ちゃんは妙なところが思いっきりあるよね」

佐香は笑いながら懐中電灯を点けた。

「どうしたのひとりでこんなところに」

「うーん何となく、たまに一人で夜散歩してるだけだよ」

「そう……」

佐香は波打ち際へと向かって歩き出した。

時々強い波の時には足先に波が被るくらいまで海に近づいた。

「いつもここにはひとりで来てたんだけど、隣に沙羅ちゃんが居るなんて変な感じ」

一人が良かったのか沙羅は佐香の邪魔をしてしまったのかと不安になった。

「ごめん邪魔して」

「違うよなんだかフワフワする誰かとここに一緒にいるなんて、考えた事も無かったから」

手を広げて佐香は振り返る。

「こんな田舎にふたりが来てくれたのに結局どこにも出掛けられなくて残念」

佐香は蹴るポーズをしながら悔しがので、沙羅には少しだけ態とらしく感じた。

だからまた沙羅は自己嫌悪してしまったが、暗い海岸で黒い心の一端が自然に声に出た。

「佐香には私より実淳君が居てくれたら別に良かったんじゃ無い?」

「なんで?」

「ふたりはとっても仲が良いもの」

沙羅の声は波に消されそうな小さな声だった。

「私は実淳君と沙羅ちゃんの方が仲いいと思うよ。ふたりとも性格良いし美人でイケメンでクラスで一番のカップルじゃん」

「そんな事ないわ、実淳君はクラスで人気あるけど私は性格悪い」

佐香は更に近づいて堤防を指差す。

誘われるままゆっくりと二人は歩いて波打ち際から遠ざかる。波の音から遠のいて少し声が聞こえやすくなった。

「沙羅ちゃん性格悪かった?」

懐中電灯で足下を照らしながら佐香は沙羅の前を歩く。

「悪いわ、さっきも佐香と実淳くんが楽しそうなのを邪魔したわ」

「あれは私が空気読めなかっただけで……」

「佐香と実淳くんが楽しそうにしてると時々不安になる」

「私が子供っぽいから?」

佐香は惚けてみせたが、沙羅の不安を知っていた。

よく沙羅は実淳を見ている。その視線に佐香が気がつくと謝るような不安げな顔をしていた。

いつもは堂々としてるのにその時だけ沙羅は迷子になった子供のように爆発寸前の顔をしていた。

「でも佐香が隣にいてくれないと何を実淳君と話しても良いか分からないから困る。変でしょ?ふたりで居るの見てると不安なのにふたりとも一緒に居てくれないことも不安なの、こんなのただのワガママだわ」

「沙羅ちゃん」

下を向きながら歩いていた沙羅が顔を上げると、懐中電灯を顔の下に置いて顔を晒した佐香が立っていた。

「あれこの顔怖くない?」

「別に」

「そこでキャーとか声上げた方が女の子らしくて可愛いのに沙羅ちゃんは無駄にクールだね」

懐中電灯を顔に向ける。

「眩しい」

沙羅は手で懐中電灯を塞ぐ。

「沙羅ちゃんのこと実淳君もきっと好きだよ」

「そんなのわかんないわ」

「大丈夫だって自信持て」

「違うの私が実淳君の事をどう思ってるのかよくわからないの」

そっちなのと佐香はすこし驚いた。

「好きじゃ無いの?」

「もちろん実淳君の事は嫌いじゃ無い、でも一緒に居るとなんだか落ち着かない」

「それって私にはよく分かんないけど好きって事なんじゃ無いの?」

「昨日も綺麗な服を選んで着て、それを見て実淳君が「似合ってるね」って言ってくれて、そのあと一緒に乗ってた高速バスの車中は記憶が無いの」

それだけ浮ついてる感情を好きと括らなければ、好きだ夢中だというのはどういう感情の事を言うのか佐香には想像できなかった。

「実淳君に好かれようと思って多分一番可愛い服を着ていったの、でも褒められても嬉しいと言うより怖かった。なんか自分で間違った事をしてるみたいで……誘って思い通りになる事が怖かった。それを実淳君に見透かされてる気がして」

「誰かに好かれようと思うことは悪い事なんかじゃ無いよ。私なんか背が低いし、子供みたいだから誰も警戒しない。笑ってれば普通の子は大抵上から目線で頭撫でてくるよ」

佐香は自分が周りから見て庇護の対象だと知っていた。

「だから実淳君が私の事を友達として扱ってくれるのが嬉しいんだけどね」

「やっぱり佐香も実淳君の事が好きなんじゃない」

「あっ沙羅ちゃんだって「も」って言った」

「それは違うの」

「もう好きだったら好きですって言えば良いじゃん」

「言ったら終わり」

「なんで」

「こうやって三人で居ることが終わってしまう気がする」

「いつまでも三人で居られるわけじゃないじゃん。高校卒業したらバラバラになるかも」

「だから今バラバラにすることは無い気がするの」

両手に拳を作って沙羅は力説した。

「そっか、まあそうかもね」

佐香は懐中電灯の明かりを消した。

「私が田舎で過ごしてる間、ふたりは地元でもっと仲良くなるのかなって思ってた」

「夏休みに入ってからふたりで会った事ない」

「うーん沙羅ちゃんてもしかして臆病なだけなんじゃない?」

「そうかも」

「そんな臆病なのによくひとりでこんな暗い海まで来たね」

「今は怖いわ」

周りの真っ暗な空間を見渡して沙羅は自分の身体を竦めた。

「しょうがないなあ」

佐香は沙羅の手を握った。

「私も沙羅ちゃんと実淳君のことが好きなんだと思うんだよね」

沙羅の手を引いて佐香は歩き始めた。

「だから私が居なくてもふたりが一緒に居てくれると嬉しいんだけどね」

「私はそれがイヤ」

「やっぱり沙羅ちゃんはワガママだなあ」

沙羅は謝るのも失礼だと思って口を強く結んだ。

「まあそういう見た目と違って子供っぽいところが最高に可愛い」

笑いながら佐香は沙羅の手を曳く。

「佐香はそうしたいの?」

「沙羅ちゃんが三人で居たいならそれで良いよ」

本当はひとりで居たかったのかもしれない。だからちょっと前まで田舎に引き籠もるという理由でひとりになれると思うと気が楽だった。

でも田舎でひとりになっても、海岸でひとりになっても追いかけてくる友達なんて初めてだった。

ふたりとも自分よりも背が高くて大人らしいのに、子供みたいに誰かに依存している。

「でも三人で居たいのは私も同じなのか……」

ひとりでいるのが良ければ黙って田舎に来て。ふたりを迎えなければ三人にならなかった。

「沙羅ちゃん明日ふたりでバス乗って帰れるの?」

「私を置いて行って佐香が一緒に帰れば良いのに……」

沙羅は自棄気味に自分が田舎に残ると言った。

「ご飯作れなくて洗濯もできないのにここにひとりで夏休み過ごせるの?」

「来年までには憶える」

「そしたら来年までは三人いっしょだね」

佐香は笑いながら沙羅の手を引っ張った。




「海だ」

三日目、帰る直前になって実淳は初めて海岸に降りて日本海を間近に見た。

背負った荷物を降ろして風を受けながら遠い海を見る。

「ふたりともなんで恥ずかしそうな顔をしてるの?」

「そんな事ないよ」

佐香はちょっと一歩引いて実淳の横に立っていたが、沙羅は昨日の夜のことを思い出して座り込んで頭を抱えていた。

「端まで来たんだね」

実淳は荷物を降ろして海岸線を見渡す。

「三人でこんな海岸に立ってるのなんか変だ」

実淳の呟きには誰も同意の意見は上がらない。

そんな事は佐香にも沙羅にも分かっていたからだ。

「僕は帰ったらまた夏期講習だ」

「大変だね」

溜息交じりの実淳に佐香は同情した。

「佐香は課題終わらせなきゃね」

しゃがみ込んでいた沙羅が立ち上がる。

「うーん、課題写させてもらいに早く田舎切り上げて帰ろうかなあ」

「それか私が残って課題終わるまで監視しようか?」

「沙羅ちゃんとふたりきりなんてやだよ。ご飯も洗濯も全部私がやらなきゃいけないじゃん」

「だから教えあえばいいでしょ?」

沙羅は本当に帰らないつもりなのだろうか?

「二人ともここに残ったら僕が寂しいじゃないか」

「実淳君も寂しいの?」

「たぶん」

三人とも顔を見合わせた。

「やっぱり私達三人は以外と仲が良いんだね」

「実淳君はもう少しクールだと思ってた」

「僕は沙羅さんの方がクールだと思ってたよ」

最初に笑ったのは佐香だった。続いて実淳が笑う。最後に笑ったのは沙羅だった。

「なんなのこれ、みんな子供みたい」

「そろそろバス来ちゃうよ?」

「しょうがないよね、帰るか」

三人とも海を背にして道路に向かって歩き出した。

「またここに来れば良いよ」

「来年かな?」

来年三人はどうなっているのだろうか、そのままのような誰か欠けているのか?そんな事を三人とも考えていた。

「ねえ沙羅さん、もうちょっとここに居ようか?」

「えっ?」

「夏期講習明日からだから、もう少しここで海で泳いで夜帰ってもいいかも、高速バスのキャンセルくらいスマホ繋がったらすぐできると思う」

沙羅は実淳の提案にすぐには答えられなかった。

「どうしたの?」

先行して歩いていた佐香が声を掛ける。

「なんでもない」

「バス来ちゃうよ〜」

気が付くと佐香は走り初めていた。バス停で誰か立って無いとバスが出て行ってしまうかもと思って先に行って立っていようと思った。

「実淳君」

沙羅は荷物を持ち直し、空いた手で実淳の手首を掴んだ。

「帰りましょう」

実淳は沙羅に手を引っ張られて歩き始めた。

「またここに来れば良いよ。そのとき泳ごうよ」

「そうだね、ワガママ言ったごめん」

謝られると困ると沙羅は思った。

沙羅と実淳がバス停に着くとちょうど街行きのバスが来た。

「じゃあね学校で」

佐香はバスの入り口のドアの前で手を振って見送った。

実淳と沙羅は小さく手を振り返してバスの前の方へと座った。

名残惜しいってこういう気持ちなのか噛みしめるように佐香は手を引いて下を向いた。

そして顔を上げると動き出したバスが止まった。

沙羅と実淳の二人がバスから降りてきた。

二人とも並びながらゆっくりと佐香に近づく。

「どうしたの?」

「忘れ物した」

沙羅が少し顔を背けながら言った。

「へ?」

「水着を鞄から出したまま部屋に忘れたから、取りに帰って良い? それでついでだからもう海でひと泳ぎしてから帰ろうかなあってサネ君とさっき決めたんだけど良い?」

呆気にとられて佐香は反応できなかった。

実淳も照れくさそうに頭を下げていた。

「二人とも恥ずかしいなあもう!」

佐香は二人を抱き抱えるように飛びついた。




END

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三人は海が欲しかった さわだ @sawada

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