第53話 大河を渡る

 暦の上では春になるが、北上するとやはり空気が冷たくなってくる。

 そう考えるとこの世界はやはり、球体の惑星であり、この大陸は北半球にあるのだと推測できる。

 もっとも暦が、寒いところを基準に作っておらず、北と南の単語の意味が反対であれば、また話は変わったのかもしれないが。

 少なくとも王立学院や公爵家の書庫で見た地図では、南に行けば行くほど、暑い国にはなるらしい。


 大してザクセンの地は、夏場でもそれなりに涼しい。

 冬は相当に寒くなるのだが、雪が降る地方はあまりないらしい。

 そのザクセンとの境となるのが、パルマー川である。

 現在の技術では橋を作れず、作ったとしても維持できない川幅を誇る。

 船を使って向こうに渡れば、そこから先はザクセンだ。


 地図の縮尺がいい加減なので気づかなかったが、ザクセンの土地と言われる範囲は、あるいはミルディアに匹敵するのではないか。

 ただその北方の果ては、山脈が連なっていて確認されていない。

 高度はそれほどでもないと思うのだが、この緯度であると温度の問題がある。

 魔法具を揃えた魔法職であれば、踏破も不可能ではないと思うのだが。


 ただ山脈を越えたとしても、魔境が広がっているなら人類の居住は難しい。

 それにどうせ寒冷地であるならば、まずは他の辺境を開拓したほうが、効率はいいであろう。

 ザクセンの民は山脈の、三合目あたりまでは牧畜をしているらしい。

 育てているのは牛や馬に豚に羊と、前世でも飼育されていた家畜である。

 ただ牛の数は少なく、馬は軍事に使うことが多いらしい。




 家畜をはじめ野生の生物は、地球の生態と似ている。

 だが知る限りにおいては、凶暴な肉食獣などは、前世と比べても少ないのではないか。

 もちろんそれは魔境に、魔物が生息しているからでもあろう。

 ただ普通の狼など肉食獣は、下手な魔物よりも強かったりはする。


 山から吹き降ろしてくる風が冷たく、川がその風を遮ることがない。

 使う船の大きさは、50人ほどは乗れるものである。

 もっとも荷物さえ運ばなくてもいいのなら、もっと大量に乗ることは出来るが。

 かつてザクセンも含む、蛮族と言われる人々が、様々な理由で川を越えて侵入してきたことがあった。

 だがこの川の存在によって、多くの侵攻を撃退してきた。

 ザクセンもそうだが、パルマー川の向こうは主に、遊牧民が住んでいる。

 ザクセンの場合はさすがに、数万規模の都市を築いてはいるが。


 船に乗ることは今までにもあったが、前世日本で見たような、小川を渡るのがせいぜいであった。

 そういった小川は、基本的には橋がかかっていることも多い。

 しかしここまで広い川は、初めての経験である。

 ちなみに転生後、トリエラは水場をやや苦手としている。

 それは水棲の生物に、凶暴なものが多いからである。


 先に護衛の半分が渡ってから、トリエラの乗った船が渡る。

 この先はミルディアとは違う世界になるのだ。

「水か……」

 そう呟いたのは、最近トリエラの周囲に付けられることの多いレイニー。

「泳げないの?」

「ああ、一応浮かぶことは出来るけど」

 ミルディアは基本的に、内陸の国家である。

 ただそれなりの大河は他にもあるし、湖もある。

 なので学ぶとしたら、泳ぐことは出来るのであるが。


 トリエラは転生以後は、泳いだことがない。

 だが前世では着衣のまま、泳ぐ訓練というか修行をしていた。

 ザクセンは比較的冷涼な地であるが、夏場にはそれなりに暑くなる。

 水場もあるので、そこで泳ぐ練習はした方がいいかもしれない。




 移動は集団が三つに分かれた。

 まず100人が渡り、これは先行部隊。

 そしてトリエラを含む100人が渡り、ここに精鋭を置く。

 それから最後尾、100人の中には留学生も入れる。

 もっとも数人は、トリエラと同じ順番に乗ったのだが。


 川を渡っていく風に、トリエラは髪をたなびかせていた。

 変に泥臭くもなく、この大河は充分に透明度がある。

 それなりに巨大な生物もいるらしいが、この規模の船に襲い掛かることはない。

 そんなことを聞いていては、逆にフラグになる気もしたが、トリエラの望むような戦闘は起こらなかった。


 トリエラは水場での戦闘はやや苦手であるが、戦えなくはない。

 しかし集団戦ともなれば、話は別なのだ。

 電撃の魔法を使えば、ほとんどの生物は死ぬか、そうでなくとも感電して動けなくなる。

 出力を調整すれば、無力化にもよく使えるのだ。

 ただ電撃の攻撃は、魔力でも防ぐことが出来る。

 ステータスでいうところの、抵抗という能力値が、そういったものに関連する。


 風の流れもあって、北上するのには丸一日はかかる。

 トリエラは平然としていたが、中には船酔いになって、船尾で嘔吐する者もいる。

「レイニーは大丈夫なの?」

「馬に乗ってるのと似たような感覚だろ」

 どうやらそういうものであるらしい。


 300人の集団が北側の停泊地に移動し、そこもそれなりの大きさの街となっている。。

 ザクセン側からの案内が、そこで待っていた。

 予定がずれたために、少しは心配していたらしい。

 だがこれで、ほぼ無事に到着したと言ってもいいだろう。




 ザクセンの衣装というのは、ミルディアに比べると厚手のものである。

 基本的に冬、寒さが厳しいからだ。

 そしてミルディアと比べると、織物の技術はあまりない。

 だが刺繍の文化が発達している。


 布は毛織物が大半であり、羊毛が特産品となっている。

 それとは別に獣の毛皮を、そのままコートにしていたりもする。

 川を隔てたことで、済んでいる住人の格好が変わっている。

 国内を移動していたのとは、また違う感覚だ。


 ザクセンは未開の地と言われているが、実際にはそれなりに発展もしている。

 ただ接する魔境の数が、ミルディアよりも多いというだけで。

 また人類未開地も、多くその境に接している。

 ミルディアの魔境においては、戦う機会もなかった強さの魔物たち。

 トリエラとしてはそういったものとの対決を、とても楽しみにしていたのであった。

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