第37話 姉と弟

 トリエラはあまり、他人の感情や気持ちが分かる人間ではない。

 前世においても両親には早く先立たれ、最終的に世話になった養父も、多くを語る人間ではなかったのだ。

 たとえその時点では分かっていなかったとしても、その後に語り合うことで、誤解が解けることもある。

 前世ではそれが分からず、だから無茶が出来たとも言えるが、その結果がこれである。


 転生してからもトリエラの周りにいるのは、立場がはっきりとした人間であった。

 なのでトリエラに無法を働く人間はおらず、そしてトリエラ自身も本来なら、不遜な人間ではなかったのだ。

 しかし状況が、それを許さなくなった。

 なんなら辺境にでも嫁がされるなり、政略結婚にも使われるなり、というのが本来の公爵家の考えであったろう。

 この場合はおそらく、辺境へ送られる方が正しい。それはトリエラが、ローデック家の血を継いでいない場合の話だ。


 だが実際のトリエラは、判定の儀で公爵家の後継者であることが決定した。

 するとクローディスは娘に足りていなかった帝王学についても、教えなければいけない。

 もっともトリエラの思考は、明瞭で冷徹である。

 知力が高くなったのも関係するのか、大人の言っていることもはっきりと分かる。

 ただ問題なのは、自分で考えないと確信しないことや、物事の思い込みの強さである。

 今のところはまだ、それは顕著に表れていないが。


 一歳年下のクレインに対して、トリエラは指導的な立場を取る。

 思い出すのは随分と前、幼稚園に入っていた頃か。

 あの頃はトリエラも、普通の家庭に普通に育っていた。

 普通というのは、随分と範囲の広い言葉であるが。


 クレインは頭も悪くはなく、転生者特典がないことを思うと、充分に優秀である。

 既に判定の儀も終えていて、魔術士のクラスに就いている。

 これはかなり優秀なことで、最初は魔法職というのは、学問系のクラスになることが多い。

 ただゲームでは最初から、間違いなく魔術士ではあったが。


 この物語の決着がどうなるか、トリエラには分からない。

 分かっているのは戦争が起こるのを止めるのは難しく、自分が死ぬ可能性も低くはないということだ。

 トリエラは自分が死んだ後のことなど、どうなっても構わないという人間ではない。

 少なくとも転生や異世界があると知った今は、自分の死後に何かを残すということを、いいことだと思っている。

 このローデック家に関しても、残しておいたほうがいいと考えている。

 そのためにはクレインには、トリエラが死んだ後にも生き残ってもらわないといけない。




 学習の速度が違うので、常にクレインと一緒に授業を受けるというわけにはいかない。

 だが自習が必要な時は、クレインもトリエラに尋ねてくるようになった。

 そしてクレインの周りの使用人も、少しずつ警戒心を弱めてくる。

 考えてみればあの現場を知らなければ、トリエラはまだ七歳の女の子なのだ。

 魔法の訓練にかんしても、他の使用人が見るところでは行わない。


 そんなトリエラはクレインの今後について考えていた。

 常識的に考えれば、次のローデック家の後継者は、トリエラの子供となる。

 配偶者を外から迎えて、その子供がローデック家を継ぎ、神器の継承者となる。

 ただそれが無理であることを、トリエラだけは知っている。


 血筋的にも背景となる母方の力を考えても、トリエラの次の公爵は、クレインの子供を据えるべきだ。

 トリエラは自分のことを知っているだけに、それが当然のことと思っている。

 もしも上手くゲームシナリオが展開し、早くに戦争が終結するのなら、トリエラは公爵家を出て、世界を旅してみたい。

 元々大自然の中で生活するのは、得意なのがトリエラだ。

 そしてやがて、のたれ死ぬのもいいだろう。

 誰も知らない場所で、辺境の傭兵をやってもいい。

 ミルディアの常識からは、トリエラは外れた人間でいたいのだ。


 そのためにはクレインを、外に出すわけにはいかない。

 確かに貴族家ならずとも、この世界は子供が親の職業を継ぐのが当然で、次男までは飼い殺しにすることが少なくない。

 特に今は戦争などで、大きく社会構造が変化する時代でもないのだ。

 しかしクレインは血統的にも、どこかの貴族家に婿入りするというのが、妥当なところだとクローディスは考えていた。

 もちろんトリエラはそうは考えない。


 クローディスの受けた提案は、よく分からないものであった。

 クレインに公爵家の継承権を残したまま、断絶している子爵家の当主とするというものだ。

 この子爵家はローデック家の寄り子の一つであり、他の貴族も狙っている、それなりに財産のある家である。

 そこにクレインを入れるというのは、悪いことではないと思えるかもしれない。

 だが本来ならクレインは、他の公爵家やあるいは、伯爵家の跡取りとして婿に迎えられてもおかしくないのだ。


 ただそれをすると、クレインは婿に入った先の人間となる。

 そしてトリエラに子供が生まれず、クレインのところで先に生まれれば、それは継承者となる可能性が高い。

「確かにそうだが……まずお前にしっかり先に結婚してもらって、子供が生まれるのを待つほうがいいだろう」

 クローディス自身にも、兄弟姉妹はいたのだ。

 トリエラはそういった父の、従兄妹の中でも、一番の年長ではある。


 基本的に神器の継承は、血縁の濃い者に流れていく。

 ここでトリエラもクレインもどちらもが死ねば、今度はクローディスとリアンナとの間に生まれている異母妹の、その子供に継承者が生まれる可能性がある。

 まったくもってこの世界は、神器による血統が、貴族社会で重きを置きすぎている。

「私に子供が生まれるかどうかより、クレインをローデック家の中に残しておきたいのです」

 そう言われてもクローディスも、簡単には納得しがたい。

 これはクレインの子供に継承権を与える機会とも言えるが、同時にクレインをローデック家の中で飼い殺しにするという判断にも見える。

 そこまでをトリエラが考えたとは、さすがにクローディスも思わないのだが。

「少し考えるとしよう」

 どのみちまだ、二人に婚約者を決めるには、年齢が足りていない。

 そして今のところはまだ、それで充分と思うトリエラであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る