第25話 夜の中で
ローデック公爵家の当主は、言うまでもなくトリエラの父であるクローディスである。
ただその当主が不在の間に、公爵家の執務を司る者を家宰と呼ぶ。
家の宰相、と思えば意味も通じるだろう。
その家宰とオロルドは、王都のクローディスから、毎日のように連絡を受けている。
かつての地球ほどではないが、連絡の手段がある程度は取れている。
これがこのゲームの時代が、単純に中世と呼べないところなのである。
そもそも中世の典型的な服装は、近世以降にもそれなりに使われていた。
今のトリエラの部屋にしても、中世っぽさはあることはあるが、生地や仕立ての確かさを考えれば、おそらくは中世よりは近世を飛び越して近代に近いはずなのだ。
そんなトリエラの眠る、天蓋つきのベッド。
部屋にある本棚が、わずかな音を立てて開いていく。
侵入してきたのは、ロザミアに加えて男が二人。
もちろん屋敷の使用人などではない。
セリルの時にしろ今回にしろ、ロザミアは外部の人間を使いすぎている。
もちろん人を介して使っているので、自分には捜査の手が届かないようにしてはいるのだろうが。
それでも公爵家が全力を出せば、やがてたどり着くだろう。
ロザミアはそれが分からないほど愚かで短絡的なのだろうか。
トリエラにしてみれば、おそらくあの神様気取りの連中に、洗脳なり思考誘導なりを受けているのだろうとは思うが。
哀れだが、殺さない理由にはならない。
彼女はたまたま人間であるが、人間は他にも生物を殺して、それを糧として生きている。
トリエラはさすがに人肉を食うつもりはないが、生きるための殺人を否定するつもりはない。
殺されそうになるから殺す。
前世では逆であったが。
わざわざロザミア自身が、どうして自分まで犯行現場にやってくるのか。
明らかにおかしな行動であるが、彼女自身もそれには説明がつかない。
ただトリエラに対する強烈な悪意が、彼女の中にはある。
不自然なまでにそれが彼女を突き動かすのは、トリエラの判定の儀が終わってからだ。
歴史的に見れば、それは自然なことであった。
おおよその継承者というのは、前の継承者の長子になることが多い。
トリエラは明らかにクレインより一歳近く年上なのだから、それに継承者の血が出るのは当たり前のはずなのだ。
もっとも他の者と同じように、トリエラがあまりにもローデック家の特徴を、つまり父親に似ている部分を、持っていなかったことで不貞と決め付けていたのか。
実はロザミアならずとも、この偏見は間違いではない。
神器継承者のみならず、血統に神器の聖戦士の血を引いていると、その親の特徴が出ることはかなり多いのだ。
クローディス自身が、セリルとのそういった接触が、ほとんどなかったので疑っていた。
そもそも辺境の治安を安定させる政略結婚であったし、娘であれば嫁がせればいいと思い、重要視していなかったのだ。
対してクレインは自分に良く似ていたので、可愛がっていたのも確かだ。
そんなクローディスであるが、神器継承者が爵位を継ぐという原則を、曲げるつもりは全くなかった。
そこからがロザミアの恩讐の始まりであったと言っていい。
クローディスの長男を産んで、社交では正室の第一夫人として振舞ってきた。
次の公爵の母親ともなれば、その権力も大きなものになる。
クレインは根が素直なので、かなり母親の影響を受けることが大きい。
クローディスとしてはそこが、かなり気がかりではあったのだが。
トリエラはクローディスの目から見ても、次代の公爵に相応しい器に思えた。
なのでそれに相応しいように、自分でも公爵家の伝承などを教えた。
それが相対的に、クレインへの関心が弱まったように見えたのだ。
そういった段階を経て、ロザミアは誘導されやすい状態になっていった。
トリエラを殺せ。
まずは邪魔になる者を殺せ。
そんな内なる言葉に突き動かされ、明らかにおかしな順番で、トリエラを排除しようとした。
転生者であり、この世界がゲームを元にしていると知っているトリエラ以外は、ロザミアが乱心したようにしか思えないだろう。
その抹殺対象にのみ、正しく理解されている。
確かにロザミアは、気の毒な女であった。
トリエラという人間が、自分に対する悪意に対して、ひどく攻撃的な人間であったことも含めて。
男たち二人が、音もなくベッドに近づく。
その脛を切ったのは、ベッドの下に潜り込んでいたランであった。
ゲームとは違うこの世界、先制攻撃でダメージを与えれば、戦闘は圧倒的に有利。
HPらしきものは確かに表示されるが、あれはせいぜい出血量の目安になるだけ。
まずランは、普段は使わない長剣を一度だけ使って、男たちの敏捷性を奪った。
護衛対象のセリルを殺された屈辱、そして友人を失った怒り。
あるいはランはトリエラ以上に、ロザミアに対する憎しみを抱いていた。
二人の暗殺者は、それでも手練であった。
片足が強く切られても、脛当てによって完全に機動力を失ったわけではない。
それでも痛みによって、ある程度は動きが制限されるか。
しかしこの世界は、ゲームではないがゲームのルールが働いている。
痛覚耐性というスキルがあれば、痛みを我慢して動くことが出来るのだ。
そして前衛系の戦闘職であれば、ほぼ誰もがこれを持っている。
ランに対して、二人が得物のナイフを手に切りかかる。
それに対して天蓋の上から、トリエラが落ちてきた。
子供の体重であっても、全力で鉄の棒を叩きつける。
刃はついていないが、それでも殺傷力は充分だ。
これによって一人が動けなくなって、ランはもう一人に集中できる。
だがその場の、三人目の敵が動き出した。
「お前さえいなければ!」
細剣を優雅に扱う、ロザミアの動き。
わざわざ乗馬用の服に着替え、動きやすさまで注意を払っていた。
だが彼女は決定的に、人間との殺し合いに慣れていなかった。
トリエラが投げたものを、剣で弾く。
だが底から洩れた粉が、わずかに飛び散った。
その粉末は、ファナが丹精を込めて作った目潰し。
視界がわずかに塞がれたロザミアに、トリエラは襲い掛かった。
ナイフは小さく、ほんのわずかにロザミアの腕を切った程度。
ロザミアは視界の回復を優先しながらも、剣を振り回してトリエラの追撃を避ける。
だがその動きが、急激に鈍くなっていった。
意識が朦朧とし、体が動かなくなる。
それこそまさにトリエラのナイフに塗られた、トリカブトの毒の効果であった。
倒れこんだロザミアは、空に手を伸ばす。
「遺言はあるか?」
トリエラはそう尋ねたが、ロザミアが何かを口にすることはなかった。
一思いには殺さず、毒で死んでいくのを見ていた。
それはトリエラが残虐というわけではなく、明らかにそれと分かる致命傷を、遺体に残しておきたくなかったからだ。
毒殺は貴族の間では、ポピュラーな暗殺手段である。よって隠蔽の仕方も確立されている。
トリエラはランに命じて、邸内の歩哨を呼ばせた。
そしてここから、邸宅内は大騒ぎになったのである。
トリエラの部屋で、謎の男二人と共に、ロザミアが死亡。
男たちは外傷による死亡だが、ロザミアは毒による死亡。
こんな事態に対して、家宰では対応出来ないのは当たり前であった。
クローディスが戻ってくるまで、事態に関しては最低限の者にしか教えない。
とりあえず襲ってきた侵入者は、誰かを確認しようとは思ったが。
普通の人間なら持っているはずの、自分の鑑定板。
身分証明書にもなるそれを、この二人は持っていなかった。
万一落として、何者かが分かるというのを、危険視したのかもしれない。
事実公爵家はまだ、この男たちについて詳細が分かっていない。
ロザミアがいくら誘導されていたとは言っても、男たちを流れの暗殺者として雇ったわけではないだろう。
するとやはり、実家の方から引き入れた者となる。
マーシル伯爵家が抱えている私兵か、あるいは手配した暗殺者か。
どちらにしろラン一人の方が強かったわけだが。
また対人戦の実戦では、当たり前のようで改めて確認することがあった。
相手の方が強くても、毒の刃で切れば倒れるのだと。
もっともステータスの能力値に、抵抗という項目があるのは、毒や病気などへの抵抗力を示す。
それを加味してもなお、毒の効果は強かったわけだが。
この事件を聞いて、クローディスはまたも王都から急遽帰還した。
その間ロザミアの遺体は、氷の魔法で腐敗しないように処理されている。
トリエラはその間、普段と変わらない日々を過ごしていた。
少し変わったのは、ロザミアを殺したことで、レベルが上がったことか。
人間を殺すよりも魔物を殺した方が、経験値は多く獲得できる。
もしこの原則がなければ、この世界はもっと戦争の多い世界になっていただろう。
それでもロザミアとのレベル差は大きかったので、以前に魔境で倒した分も合わせて、レベルは4へと上がったのだ。
筋力 24 (+7)
魔力 34 (+9)
器用 29 (+8)
敏捷 23 (+6)
頑健 11 (+3)
知力 19 (+5)
精神 27 (+7)
感覚 31 (+8)
抵抗 25 (+7)
相変わらず魔力の上昇が著しい。
そしてやはり、肉体の頑健さに不安が残る。
ただでさえこの体は、子供のものであるので、脆弱なのだ。
また新たに増えたスキルは、敏捷強化。
集中することによって一定時間、体力を削りながら敏捷力を上げるというものであった。
積み上げてきた戦いによって、得るスキルは違うようである。
ただやはり能力値補正だけでは足らず、クラスによるスキル獲得は、さらに強力な補正がかかると見ていい。
もっともこういった肉体の補正を、一時的に上げるスキルというのは、一長一短がある。
なぜなら全ての戦闘技術は、通常時の身体能力に合わせているからだ。
訓練を行う上においては、通常の状態とスキルを発動した状態、この二つのパターンで対戦してみる必要がある。
そしてトリエラとしては、敏捷だけが上がったとしても、それほど戦力の強化にはならないのでは、と思うのだ。
この敏捷強化というのは、およそ5%の敏捷補正がアップするらしい。
ただ肉体の能力というのは、筋力や柔軟性、反応速度にも関わっているのだ。
単純に敏捷だけが上がるスキルというのは、あまり使いやすいものではない。
ただランの話によると、こういった身体能力強化スキルは、後々統合されることがあるらしい。
筋力や頑健も上がると、身体強化という一つのスキルに消化するのだ。
また慣れてくればこの上昇状態を、体力の消耗なく常時保つことが出来るようになる。
そうなるとまさに、全体的な肉体強化スキルとなるのだ。
なるほど、とトリエラも理解する。
ゲームでは敏捷の値の強化は、純粋に先制攻撃や、回避力に反映されていた。
だがこの世界においては、単純な肉体能力よりも、技術の方が重要だと思っていたのだ。
瞬発的な力の増加は、戦闘においては重要なことだ。
そして頑健にまでその強化が及べば、トリエラとしては嬉しい。
だが肉体を充分に使えない子供のうちは、やはり魔法に頼った方がいいのだろう。
ゲームでは守備力を高めたキャラであっても、魔法による攻撃は弱かった。
その点では回避力に優れたキャラの方が、武器の攻撃も魔法の攻撃も、回避してノーダメージに済んだものだ。
しかしこの世界においては、広範囲に攻撃する魔法もあれば、対象を追尾する魔法もある。
肉体の頑健さのみならず、魔法に対する耐性をつけておくのは、戦闘において重要なことなのだ。
ローデック家としては、短期間に二度目の葬儀である。
ただこの世界、移動が未発達なのもあるので、関係者が勢ぞろいして葬儀というわけにはいかない。
遺体を処理するのだけは早めに行い、社交シーズンに合わせて墓参りをするというのが、一般的な貴族の葬儀なのだとか。
その意味ではザクセンの人間も、その内一度はやってくるだろう。
あるいは逆にトリエラが、一度ザクセンを訪れることになるのか。
ともあれロザミアの葬儀は、対外的には病死ということで終わった。
死亡した状況などから、確かに狙ったのはロザミアの方が先で、トリエラは正当防衛である。
もっともこの世界、正当防衛という言葉はあまり使わないようであるが。
トリエラはクローディスの様子を窺っていたが、どうしてロザミアがこんなにも愚かなことをしたのか、理解出来ないようであった。
ただこのままではトリエラが成長してから、復讐されるのを恐れたというなら、ある程度の理解は可能だ。
ともあれこれで、ローデック家においてトリエラを害する存在は、いなくなったと言っていい。
今後の社交においても、第三夫人がクローディスと共に、宴席などに出席することになるのだろう。
トリエラはまだ、六歳である。
もしも原作においてもこんなことがあれば、つまり転生者でないトリエラがこんなことになれば、確かに性格は歪むだろう。
元々歪んでいたトリエラとしては、ようやく自分の殺人衝動を、確認する機会を得たわけであるが。
少し時間を置いて、また王都に行こうとクローディスは言った。
幼年学舎での一時的な学習を、トリエラに受けさせるためである。
今度こそは王都で、転生者たちと対面する機会を得たい。
そう思っているトリエラは、セリルの残した書付を元に、今日も魔法の練習に励むのであった。
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