第24話 殺人衝動
トリエラには殺人衝動がある。
動物虐待や、単純な他人への悪意ではなく、人類全体への攻撃的なものだ。
これは前世、生まれつきそれなりにあったものだが、初潮を迎えたあたりからひどくなった。
それを自分で制御することが、死ぬまでの課題ともなったものだ。
己ではなく、単なる他者でもなく、己の大切な者を傷つける要因となる。
それを最後に憎悪に変えて、トリエラは死んだ。
転生してそれが、ある程度は弱まっているのは、やはり肉体がまた幼くなっているからか。
しかし成長して、またもあの衝動に満たされる時には、合法的にそれを開放したい。
このゲームを元とした世界においては、その手段が存在する。
以前に言われたことだが、レベルの高い犯罪者の処刑は、貴族や騎士が行うことが多い。
強ければ強いほど、経験値が手に入るのと一緒だ。
逆に貴族などは、高位であれば高位であるほど、ある程度のレベルが上がる。
ミルディアでは王立学院で、貴族の多くがレベル上げを行う。
それもあって平民の反乱などがあっても、なかなか国家を覆すことまでには至らない。
トリエラはいずれ、人を殺すようになるだろう。
あるいはだからこそ、このトリエラというキャラへの転生を許されたのか。
そもそも前世の知識などが、どこまで本当のことと言えるのか。
転生すら可能であるならば、記憶の操作も可能ではないか。
人を殺したいという衝動はある。
だが無辜の人間を殺したいわけではない。
そんなトリエラにとって、この世界の設定はそれなりに都合がいいものだ。
人ではなくても、自分を害しようとする、あるいは害するだけの力の獣であれば、それなりに殺戮衝動の対象となる。
こんな壊れた人間が、日本で生きていくのは辛かった。
だからこそ殺し、そして殺されたのは、因果の果てとしては妥当なところだと思ったのだ。
転生の価値など、己の不具合を知っているトリエラにとって、何も嬉しいものではなかった。
そんなトリエラであったが、今は多少だが感謝している。
ロザミアを殺すことに、何もためらいを覚えないからだ。
(前世と同じかな)
前世では別に、母親を殺されたわけではなかったが。
ただ大切な人間を、無茶苦茶にされた。
あの転生前の空間で会った、あの男。
おそらく約束は守って、彼女の精神を癒してくれたのかもしれない。
だが結局生きるということは、どこかで死と向き合うことである。
特にこんな世界では、死は前世よりもよほど身近にある。
シナリオの後半に、おおよそ戦争が起こるからこそ、トリエラは転生を許容した。
悪役令嬢なのだから、人を殺す機会も多いと思ったものだ。
ただ殺人衝動は、魔物と戦うことで、ほぼ抑えることが出来る。
殺し合いをすることが、トリエラは嫌いではないらしい。
前世ではさすがに、そんなことを何度もはしなかったので、気づいていなかったが。
ロザミアを殺すためには、どうすればいいか。
今の状況はあまり、望ましいものではない。
クローディスはトリエラを守っているが、それだけにトリエラもロザミアに近づく機会がない。
それにトリエラとしても、無駄死にをするつもりはない。
なのでまず確認したのは、ロザミアのレベルとクラスである。
彼女も貴族ではあるので、王立学院には通っていた。
そして護身のためにも、ある程度のレベルは上げているはずである。
それともう一つはクラスだ。
クラスが何か分かれば、そしてレベルも分かれば、ロザミア自身の脅威度も分かる。
色々とトリエラは考えたが、ロザミアを殺すのに一番確実な手は、トリエラ自身で殺すことだ。
その場合はトリエラを、逆にロザミアが殺せる状況にしておきたい。
おそらくは殺せるという状況になれば、ロザミアはトリエラを殺しにかかる。
そんなことをすれば、いくら政略結婚とはいえ、クローディスはロザミアを放置はしないだろうに。
病死にでもなってもらうのは、分かっているだろう。
だがロザミアを上手く誘導している、シナリオに従わせる力が、この場合も働くはずだ。
運命の強制力とでも言おうか。
トリエラは多くの転生者の死を知らされながらも、ようやくこの悪趣味なゲームに慣れてきている。
ランのクラスは主に、斥候と暗殺者。
この場合一番適応しているのは盗賊のクラスであろうが、なかなかそんな人材はいない。
彼女にトリエラが頼んだのは、ロザミアのクラスとレベルの分かる、鑑定板の確認である。
「一応は判明しましたが」
鑑定板は基本的に、人に見せる物ではない。
よほどの親しい間柄であれば、また別であるのだろうが。
セリルでさえトリエラに、詳しくは教えていなかった。
ランとファナにしても、まだ隠していることはあるのだろう。
結婚してからのロザミアは、特にレベル上げなどもしていないはずだ。
それでもランの調べたものは、それなりのレベルになっていた。
「レベル15の剣士……」
意外と言えば意外であるが、言われてみればロザミアの所作などは、前衛の戦闘職に向いているかもとは思えなくはない。
ただ、レベル15というのは、最低でもそこというものだ。
それ以降にレベルが上がっていても、鑑定板を更新していなければ、実際はそれ以上になっていてもおかしくはない。
もっとも貴族がそれほど、レベルを上げる必要があるのか。
それに剣士がレベル10になれば、条件を満たせば上級職の剣豪にクラスアップ出来る。
そうしていないということは、レベル10になった時に、他のクラスから剣士になったのかもしれない。
もちろん他のクラスになれず、剣士のままにしてあるのかもしれないが。
「逆のことも考えられますな」
そう言ったのはエマで、彼女の言葉には聞くべきものがあった。
即ちロザミアは他のクラスでレベルを上げて、そこから剣士にクラスチェンジしたということだ。
「職階を変更して、戦闘用にしておくことは、貴族としては護身のために重要かと」
なるほど、クラスに固有のスキルというのも、確かに存在する。
それを維持しておくために、剣士のままでいることもあるのか。
トリエラとのレベル差に、そもそもの年齢による身体能力差。
これを覆すのは、相当に難しいように思える。
「姫様、お命じくだされば、私がどうにか始末をつけます」
ランは友人でもあったセリルのためには、その命を捨ててもいいと思っている。
「私はこれ以上、私にとって少しでも大切な人間が、失われるのを許さない」
だがトリエラは止めるのだ。
ランのレベルとロザミアの護衛のレベルを考えれば、正面からの暗殺も不可能ではない。
それは確かにそうなのだが、トリエラが殺すのとランが殺すのでは、全く意味が違う。
仇討ちになると言っても、ランは使用人だ。
ロザミアを殺したとしても、死をもって償うしかなくなるだろう。
今後も教師となるランに、そんなことはさせるわけにはいかない。
「結末は、私の手で」
六歳の少女がするべきでない表情だと、ランやファナは悲しみ、エマは満足していた。
ロザミアに手を出させる。
その上でトリエラが返り討ちにする。
クローディスは本当なら、もうこれ以上の混乱は避けたいところだろう。
なんだかんだ言いながら、貴族の保身と建前を、彼は考えているとトリエラは捉えていた。
ただ貴族という枠によって、完全に作られた人間でもない。
第一夫人のロザミアに対してより、第三夫人に愛情をかけるあたり、割りきりが出来ていないということか。
このままであればおそらく、第三夫人にまで牙を剥く。
ロザミアのやってしまったことは、あまりにも貴族として軽率なのだ。
エマはクローディスに対して、このままロザミアを自由に動かしては、寵愛している第三夫人や、その子供にまで害が出る、と囁いたらしい。
クローディスとしてもロザミアとの政略結婚は、貴族として必要なことだと分かっている。
だがそれにも限度があるだろうし、ロザミアの息子であるクレインがいれば、マーシル家とのつながりが消えることはない。
彼もまた罪人の処刑によって、レベルを上げたことのある貴族だ。
殺人に対する忌避感は、必要以上には持っていない。
もう少し時間をかければ、おそらくクローディスはロザミアを、静養とでも名目付けて、辺境の地に送ることになるだろう。
それで終わるのか、あるいは少し時間が経過してから病死してもらうのか、おそらくは前者であろうか。
大臣職にあるマーシル家のロザミアを、あまり蔑ろにすることは出来ない。
その辺りの根回しを、クローディスはどう行っているのか。
彼は王都に向かって、またウーテルを出ることになる。
そもそもセリルの件で予定を早めていたので、やることは確かにあったはずなのだ。
またロザミアを追放する根回しも、するつもりなのかもしれない。
ただ彼がいなくなるということは、ロザミアがわずかにでも、動く隙を作るということになる。
この世界には科学文明とはまた違った、魔道文明が存在する。
たとえば王都とウーテルなどにも、通信の技術はあったりする。
だが中継点がかなり必要であり、魔力も必要となる。
そしてどうやら、電波での通信は出来ないようだ。
これが魔法という異なった力が存在するのと、引き換えに世界から科学を奪ったのか。
それはトリエラの分からないことであるが、クローディスがいなくなってからは、家宰もぴりぴりとしているし、また公爵家の軍を率いるオロルドも、館にずっと詰めている。
何も起こってくれるなと、公邸の人間のほとんどが思っているだろう。
またここまで警戒されていれば、何も起こせないとも思っているかもしれない。
それだけにトリエラは、ここに介入の機会を作りたい。
日々の生活は、トリエラにとって穏やかそうに過ぎていく。
ロザミアの排除には全力を尽くすが、それだけで一日が終わるわけではない。
レベルが4にまで上がらないか、と魔法の訓練もしたりする。
だが全力を出すわけにはいかない。
襲われた時にMPが残っていなければ、魔法を使わずに戦うことになる。
もちろんそれでも、最初の一回はどうにかなるだろう。
しかしその一度目で、どうにかロザミアをしとめたい。
トリエラの力を知っている者は、公爵家の中でもそれほど多くない。
判定の儀で神器継承者となったことは、ほとんど全員が知っているが、逆に言えばそこまでだ。
それこそがまさに、このミルディアの地においては、重要なことなのである。
既にクラスに、しかも戦闘系のクラスに就いていることは、おそらくロザミアも知らないのではないか。
レベル上げについても、この世界のルールでは、短期間に急激なレベル上げは出来ない。
ロザミアはおそらく、剣士である自分の方が、トリエラよりも強いと思っているだろう。
確かにそれは、ある程度は間違いではない。
剣士というクラスについて、ランなどはある程度詳しかったので、ロザミアのおおよその実力も推測できる。
トリエラのレベルが相手に知られているとしても、それはさほど問題ではない。
能力値の補正は、この六歳児の肉体を強化していても、さほどのものではないはずなのだ。
だから上手くロザミアと二人の状況を作れば、襲い掛かってくることはありうる。
ロザミア自身の意思と言うよりも、あの男たちの誘導によって。
あるいはトリエラの中の、この消えない殺人衝動でさえも、あいつらに増幅されたものなのか。
そのあたりはどうでもいいだろう。
クローディスがウーテルを出てから、もう七日ほどもたつ。
だがロザミアがトリエラを襲うような機会は、まだ巡ってきていない。
逆にこちらから攻撃しようにも、ロザミアを護衛する者よりもむしろ、トリエラを護衛する者が、その襲撃の妨げとなる。
夜間であってもあちこちで、邸内を監視する兵士がいたりする。
これではお互いに、夜間の暗殺という手段も難しいだろう。
そんな中で打開策を持ってきたのは、やはりエマであった。
もっとも彼女の言葉を受けて、実際に調べたのはランであったのだが。
公爵邸から外に抜ける、秘密の地下道というのが存在する。
これは非常時に使われるものだが、やはり貴族の家にはこういったものがあるのか。
ランが調べた限りでは、その外に抜けるのは、やはり難しいらしい。
下手に鍵などが開錠されるのなら、外からの暗殺者がやってくるからだ。
だがその地下道を使用するのは、幾つかの部屋から入り口がある。
そしてそれは、ロザミアに加えてトリエラの部屋にも、秘密の入り口があるのだ。
「ロザミアが他に暗殺者を手配出来るなら、内側から地下通路の鍵を開けて、招き入れることが出来るでしょう。そしてそこから姫様のこの部屋に侵入してくることも」
「出来ると分かれば、そう動く?」
「おそらくは」
そう答えるランであるが、今のトリエラの姿には、違和感を抱いてしまう。
元々早熟ではあり、ランによる教育もあってか、トリエラは普通の六歳児ではない。
だがいくら早熟であっても、人を殺すことをこうも淡々と、考えることが出来るのか。
セリルの死は、トリエラのストッパーを外してしまったように、ランは思える。
そしてその相談に、嬉々としてしたがっているのが、エマなのである。
ランとファナはともかく、エマは年齢も離れていることもあって、ザクセンではさほどの交流もなかった。
ファナなどとは魔物を狩るための薬をもらうため、よく使いでランは顔を合わせていたのだが。
正直なところセリルの仇を討つ気はあるが、その手段はクローディスに任せた方がいいのでは、とランは思ったりもする。
それは臆したわけではなく、セリルがこの世に残したものが、トリエラという娘であるからだ。
人を殺すことは、ミルディアの貴族においては、それほど珍しいことではない。
だがこの年齢のトリエラが、自分の手で仇を討とうとしている。
これは実際、止めた方がいいのでは、とも思うのだ。
「上手く罠にかかってくれるかしら?」
そんなランの想いも知らず、トリエラはロザミアへの罠を考えていくのであった。
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