第23話 復讐の輝き

 魂とか命とか記憶とか、そういうものを深く考えたことはない。

 トリエラにとってこの人生は、前世からの続きであった。

 どうしようもない性指向と、恵まれなかった家族関係。

 それでも養父やその友人は、トリエラに色々なことを教えてくれたし、かけがえのないと思える人もいた。

 そんな存在を奪われたことが、結局は前世で命を落とす理由になったのだが。


 自分はどうせ、子孫を残すことはない。

 そう思っていたから、ある程度は自暴自棄になっていたことは確かだ。

 命を生み出さない自分が、世界に残すもの。

 それはほんの少しだけ、世の中のゴミを掃除しようという気持ち。

 だが養父たちから教えてもらった技術を、他の誰にも継承しなかったのは、少しだけ悔やまれた。

 しかし今、その技術が本当に必要とされようとしている。

 つまり、人を殺す技術である。


 ロザミアを殺す。

 出来るならばもっと、早くから行っておくべきことであった。

 だいたいいつもトリエラは、害悪の排除に遅れてしまうのだ。

 そのために大切な者が傷つき、そして失われる。

 シナリオの強制力が働いているとしたら、おそらく今度は逆に働いて、トリエラの復讐を援護してくれるだろう。

 もちろん単純に、ロザミアを殺すのは難しい。


 まず重要なのは、殺されないことだ。

 セリルを殺すやり方は、あまりにも直接的過ぎた。

 人を雇って、あるいは子飼いの人間を使っての暗殺。

 そんなものはおそらく、クローディスさえ予想していなかったのだろう。

 現在のトリエラの周囲には、メイドだけではなくて、クローディスの配置した護衛もいる。

 だがトリエラはそんな護衛たちには期待していない。

 力量や信用ではなく、手段の問題だ。


 セリルを暗殺という強引な手段で殺害し、トリエラにもそんな手段を取ってくるのか。

 常識的に考えて、今度はもっと搦め手の暗殺を仕掛けてくるだろう。

 おそらく毒殺という選択が、トリエラの中には浮かんでいる。

 そのために薬師でもあるファナを、常に身近に置こうと思っていた。


 だがそんなトリエラに、クローディスはちょっと衝撃的なことを教えた。

「神器を継承する血統が発現している継承者には、毒や病がほとんど効かなくなる」

 これは代々神器継承者だけに伝わる、秘密の中の一つであるという。

 そんなアドバンテージを知っていれば、それはほとんどの転生者は、神器の継承者を選ぶわけである。




 元々ゲームにおいては、神器には単に武器や道具という以上に、持ち主の力を高める効果があった。

 力が30%アップだとか、敏捷が30%アップだとか、そういう壊れた効果である。

 ただそれとは別に、継承者のみならず血統持ちには、特定の能力値が上がりやすいという傾向もあった。

 血統主義とはまた貴族的なものだが、フィクションであったのだから問題はない。

 だが現状においては、血統によって確かに、上昇しやすい能力値があるという研究はあるのだ。


 それとは別に、神器継承者の特別扱い。

 毒という状態は確かにゲームにもあったが、それは神器を持っていても、防げるというものではなかったはずだ。

 特定の装備によって、毒などを防ぐことは出来た。

 また毒以外にも、色々と状態異常の種類はあった。

 そういったものの全てを、継承者はほぼ無効化出来るというのだ。


 これは同じ血統持ちでも、継承者とそれ以外では、圧倒的な待遇の差が出るのも当たり前だ。

 自分は謙虚に生きていこうと思ったトリエラだが、それはつまりロザミアと心中するつもりはなくなったということだ。

 今でもただ単に、生きていくだけの人生は意味がないと思っている。

 だがそれでもこの命を、ロザミアごときに奪わせてなるものか、と考える程度にはなった。

 ランがどうにか回復して、トリエラの護衛に戻る。

 そんな彼女はセリルを守りきれなかったことを、どうやら負い目に感じているらしい。


 ミルディア王国のような貴族がはっきりと存在するわけではないが、ザクセンの民にも主従関係というのはある。

 ランはわざわざ選抜されて、セリルと共にミルディアにやってきたのだ。

 それが自分の役目を果たせず、護衛対象のセリルを失った。

 彼女にとってもロザミアは、主君の仇といったところになるのだろう。




 セリルの葬儀が終わり、セリルのいない生活が始まる。

 トリエラは今までと同じように、家庭教師から様々なことを学んでいた。

 皮肉なことにセリルの死によって、トリエラは己の命の価値を考え始めている。

 なんなら悪役令嬢として、最終的に殺されることも、特に厭わなかったトリエラがである。

 少なくともこの命で、殺してしまいたい人間がいる。

 そう考えれば生きるということにも、また違った価値が生まれてくるというものだ。


 またトリエラはセリルの残した紙束を、自分の時間で読むことを始めた。

 確かに屋敷にある書物では、言及されていない部分が随分とある。

 これが分かっているということは、セリルもミルディアの本を一通り読んだということなのだろう。

 そして辺境と言われるザクセンにおいて、そういった知識が秘匿されずに受け継がれている。

 知識の価値は場所によって、随分と変わるのか。


 そう思ったトリエラであったが、実際のところは少し違うらしい。

 これまでは主にセリルに仕えていたエマが、トリエラ専属となったからである。

 エマは元々、ザクセンでも族長などに仕えつつ、長老との仲立ちもしていたのだという。

 それによるとセリルは、ザクセンの中でもかなり、英才教育を受けた人間なのだとか。

 亡くなってから知る、母の新しい事実。

 そしてそれを語るエマの目には、暗い輝きが見て取れる。


 ゲーム世界では、なぜトリエラがあそこまで、悪役令嬢であったのか。

 原因の一つとしては、この母の暗殺が理由とでもなっていたのだろう。

 だがゲームの設定がどうであれ、わざわざそれを合わせようとするのか。

 むしろトリエラの方を殺そうとするのが、言ってはなんだが合理的だ。

 もっともそんなことをされて、クローディスがさらにロザミアとの間に子供を作るか、今となってはトリエラも疑問に思っている。


 単純に貴族的に考えるだけならば、確かにトリエラが死んだ後、ロザミアとの間にまた、子供を作ればいいだけだ。

 しかし血統の判定をするまでに、子供自身が儀式を理解する年齢まで、成長しなければいけない。

 それまでに第三夫人との間に子供でも生まれれば、ロザミアはそちらもまた暗殺しようとするのではないか。

 暗殺という手段が悪手であるのは、こういった疑念を相手に抱かれてしまうからだ。


 クローディスも公爵家内部で片が付くなら、おそらくロザミアを排除することをもう考えているだろう。

 ずっと別邸で、何も文句を言わずにいたセリルは、こちらに移ってきても特別、ロザミアに敵対するわけではなかった。

 それはクローディスにも分かっていたから、余計に今は腹を立てているのだろう。

 だからといってトリエラが、ロザミアを殺害することまで、許容するだろうか。

 そのあたりはトリエラも、微妙なところだとは思っているのだ。


 だがエマは違うらしい。

「いざとなれば私が、ロザミアに毒を盛りましょう」

 よくもまあ六歳児に向かって、そんなことが言えたものである。

 だがトリエラの様子を見て、これを理解できると思っているのか。


 ロザミアは排除する。

 ただしそれは毒殺などという、陰惨な手段に限らない。

 殺せる機会があれば、確実に殺していく。

 それがトリエラの判断であった。




 なぜロザミアがトリエラではなく、セリルを先に殺したのか。

 クローディスとしてはそこが、理解しがたいのである。

 セリルは安全だと考えたからこそ、特に護衛を増やすこともなく、ウーテルに置いたのだ。

 継承者であるトリエラは、自分の側にいた方が、安全だと思っていた。

 もちろん遠回りに考えば、トリエラを殺したとしても、今のままではロザミアの子はクレインだけ。

 改めて子供が生まれてようやく、自分の子供が継承者になることが出来る。


 そう考えたクローディスは、邪悪な考えに及んでしまった。

 現在クローディスの第三夫人は、妊娠中であるのだ。

 神器の継承者としての器が、果たしてどの段階で受け継がれるのか、それを正確に調べたような研究はなかったと思う。

 だがもしも母体の中にいても、そこで継承者の資格が与えられるなら。

 今トリエラを殺したところで、第三夫人の子供が継承者となるだけ。

 ならばトリエラに関しては後回しにして、まずはセリルがこれ以上子供を産む可能性を消してしまう。

 そう考えて、セリルを殺害したのではないか。


 論理的に考えるなら、セリルを先に殺害した理由は、それぐらいしか思い浮かばない。

 もちろんクローディスは貴族家の当主らしく、他の可能性も考えてみた。

 それはこの事件の黒幕が、ロザミアではないという場合である。


 セリルを殺して、さらにトリエラを殺して、最も得をするかもしれない者。

 それはクローディスの第三夫人である。

 これからまた子供が生まれる上に、現在のクローディスの寵愛を、最も受けている。

 だがさすがにそれは考えたくないと、クローディスも思っている。


 元々政略結婚であり、束縛も強かった第一夫人のロザミア。

 美貌ではあったが同じく政略結婚であり、なにより全くクローディスに興味を示さなかったセリル。

 貴族の結婚というのはそういうものなのであろうが、第三夫人ともなると、ある程度自分の好きに選べる。

 あちらとしてもクローディスのことは悪くは思わず、だからこそ二人目の子供を妊娠しているのだ。


 ありえないと思うからこそ、まずクローディスはそちらの線を消していった。

 動機や、本人の野心、また根本的にそんなことが可能なのか。

 そういった線から、第三夫人やその実家が黒幕である可能性は消えた。




「ということです」

 回復したランは、クローディスの調査をさらに調べてきていた。

 彼女はセリルの護衛に失敗したが、本人も死にかけて、さらにセリルの故郷から引き連れてきたメイドである。

 そういった関係から信頼されて、調査をする人間に選ばれたのである。


 クローディスの調べさせたことを、そのままトリエラにも報告するラン。

 トリエラはもうひどく冷静になって、それらの情報をまとめていた。


 復讐するのはいい。

 だがその復讐相手を間違えては、全く擁護の出来ないことになる。

 このミルディアにおいては貴族と言えども、領民である平民を無意味に傷つけることは禁止されている。

 もちろん対等ではないが、人権に近いものを法で保障されているのだ。

 貴族同士となれば、それはまさに間違いがあってはならない。

 ロザミアの関与がばれたとしても、せいぜいがローデック家の領地に幽閉されるとか、その程度のことであろう。

 もっとも静養してから数年、病気でこの世から去ることになるだろうが。


 こういったことに関してトリエラは、今まで教わってこなかった。

 さすがに六歳児に対して、行うような教育ではないと思われていたのだろう。

 ただセリルはもちろんクローディスも、領民は大切にしなさいとは言っていた。

 ゲームではトリエラと同じく、権力の権化たる悪の象徴だったが、実際にはそう上手くもいかない。

 そんな悪辣な人間は、存在がかなり不自然になるからだ。


 対してロザミアは、生来そういう性質であったのか、それとも思考の誘導を受けたのか、分かりやすい悪である。

 もしもあの男たちのような存在から操作されているなら、確かに哀れではある。

 だがトリエラが自分の身を、守らない理由にはならない。

 そしてたとえ操り人形であっても、敵であるなら除くだけ。

「お父様はどうするつもりなの?」

「おそらくは襲撃犯を探し、証拠集めなどをするのでしょうが……」

 エマはこれまで全く見せてこなかった、邪悪な側の顔を見せるようになった。

「頭の回る人間であれば、実行犯は消しているでしょうね」

 その回答に、トリエラも頷いた。


 エマとしてはこのトリエラの胆力は、期待していた以上のものである。

 セリルを補佐するため、あるいは次代のトリエラのために、長老たちからつけられたエマ。

 そこまで上手くいくものかと、ずっと疑問に思ってはいたが、おおよそ狙い通りに動いている。

(我ら古き民のために……)

 トリエラには、それに相応しい役目を果たしてもらわなければならない。




 ロザミアを殺す。

 殺す方法は、正面から殺すべきだろう。

 彼女も貴族家の夫人らしく、毒や病などに対する、抵抗力をます魔道具を持っている。

 このあたりの格差が、貴族と平民の乳幼児期の生存率の差になっている。


 ただ貴族も下手に数を増やしすぎると、それを生かしていくだけのリソースがなくなる。

 貴族こそ平民よりも、その地位を奪い合うのは厳しい。

 また暗殺という手段もあるため、やはり貴族も他の原因で死ぬことはあるのだ。


 そういったことを考えると、別邸でトリエラを育てたセリルは、まさに慧眼であったと言えよう。

 計画を考えるのは、トリエラのほかにはザクセン出身の三人だけ。

 その中でランには、クローディスが果たしてロザミアをどうするのか、探らせてもいる。

 またクローディスと接触することがわずかにあるエマにも、そのあたりは調べてもらっている。


 確かなのはクローディスが、トリエラを守ろうとしていること。 

 その理由としてはもしトリエラが殺されたなら、ロザミアの悪意は今度は、他の夫人にまで向くだろう事が確かだからだ。

 自分が子供を産むか、あるいはクレインが成長して子供を作れば、それが継承者になる可能性はある。

 だがとりあえず必要なのは、トリエラを殺すことである。


 クローディスとしても、これ以上の内輪もめは許容出来ない。

 そのためにわざわざセリルの死を、公のものとして知らしめたのだろう。

 こうなってから考えてもやはり、ロザミアはトリエラだけを狙うべきであったのだ。

 おそらくゲームのシナリオの強制力が、彼女にも働いている。

 ならば状況を作れば、ボロを出してくれるのではないか。

 トリエラはそう考えるし、エマもそれには同意した。


 以前はずっと、セリルの身の回りを世話する、年配のメイドとしか思っていなかったエマ。

 もちろんランやファナに指示を出すところは、メイドと言うよりは女官に近いのではと思ったものだ。

 トリエラはその忠告を聞いたりしながらも、確信している。

 多少ならず不自然な場面であろうと、ロザミアはトリエラを殺そうとしれくるだろうと。

 なぜならばゲームのシナリオを用意するためには、そういった行動が必要だからだ。


 果たしてどれだけ、人間の心を操ることが出来るのか。

 本当に邪悪なのは、ロザミアなわけではないとは分かっている。

 しかしトリエラは、ロザミアを殺す。

 それは自分が生き残るための闘争ではなく、純然たる私怨である。

 その殺害の計画を考えるトリエラは、暗い喜びを感じていた。

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