第22話 喪失

 クローディスの苦悶するような表情を見ながらも、トリエラは自分の心に立つさざなみを、意外なこととして感じていた。

 まだ自分は誰かの死に、これだけ動揺する情緒を残していたのか。

 だがそれよりも確かなのは、事態に対する疑問点。

(お母様を殺しても、あまり意味はないはずなのに)

 誰がセリルに危害を加えたのか。

 公爵家の屋敷にいるはずのセリルに、まともな暗殺者が近づけるはずもない。

 あるいは外に出ていたのかもしれないが、それにしてもなぜセリルなのか。


 論理的に考えれば、セリルを殺すような理由は、敵対しているであろうロザミアにも、ほとんどないはずなのだ。

 クローディスとセリルはほぼ没交渉で、一応は同じ屋敷に入ったとはいっても、セリルの元を訪れることはほとんどない。

 そしてロザミアが、あるいはその後ろにいる者が公爵家の相続に手を出すにしても、必要なのはセリルではなくトリエラの排除である。

 それから改めて、また子供を産むことで、継承者を作り出す必要がある、はずであった。

(まさかこれが介入?)

 あの男が言っていた、シナリオが始まるまでは、ゲームのキャラクターたちは、運命によって守られるというもの。

 言葉通りに考えるなら、弾丸はトリエラを避けて、周囲の人間に当たるのか。


 用意された馬車は、来た時のものとは違った。

 随伴するのも護衛ばかりであり、エマは後から戻ってくることになる。

 まず帰還するのは、クローディスとトリエラの二人だけだ。

 他の側周りの人間は、とりあえず置いていく。

 護衛の人間だけで、周囲を固めるのだ。


 トリエラは一緒に馬車に乗っているクローディスが、本当の怒りを抱えているのを感じていた。

 ただそれがセリルに対する愛情などとは、冷静に見て思えなかった。

 彼は道すがら、セリルが襲われたことをトリエラに説明する。

 セリルが庭で、珍しくもお茶などをしていた時に、外部から侵入された者たちに、襲撃されたのだという。


 なぜそのタイミングで、セリルが珍しくも庭になど出ていたのか。

 そして第二夫人とはいえ、妻を害されたクローディスと言うかローデック家は、その評判を下げることになるだろう。

 せめてこれが病気などであれば、まだしも隠蔽はしやすい。

 ただこの世界には神官の祈祷術があるので、貴族が毒殺されるというのは、よほどの即死する毒を使うしかない。

 あるいは持続的に効果のある毒か。




 王都への道は八日間かかったが、帰りは三日で済む。

 それだけ高性能の馬車を使ったわけだが、それでも途中では村などに泊まることがあった。

 宿があればそこを、なければ村長の家などを借りて、そこで休むことになる。

 クローディスだけではなくトリエラも、しっかりと護衛の対象にはなっていた。


(父は私を殺させるつもりはない)

 それが父親としての感情なのか、貴族家当主としての考えなのか、あるいはあの男たちによる思考誘導の結果なのか。

 確かに言えることは、トリエラに迫る刃は、差し当たって感じられないというところか。

 セリルはおそらく、ダメなのだろう。

 母親という感覚はあまりなかったが、魔法の師匠としては、トリエラはセリルを慕っていた。

 彼女にとっては家族という感覚より、師弟という感覚の方が、人間関係としては分かりやすい。

 

 前世の養父との関係に似ていた。

 彼は結局トリエラに対して、保護者としては接していたが、優しさを見せることは少なかった。

 ただ生きていくうえで必要なことを教え、一人でも生きていけるようにと育てた。

 その結果は随分と早い死につながったわけだが、それでもトリエラとしては後悔はしていない。

 元々前世の日本は、彼女にとって生きづらい場所であったのだ。


 そんなトリエラであるが、確かにセリルは母親であったのだ。

 自分が人間として、どこか欠落しているのは、前世からずっと感じていた。

 だからこの、欠落した人格を持ちながら、生き続けるというのは辛かったのだ。

 死んでもいいと思えるからこそ、このトリエラというキャラを選んだ。

 最悪、他のキャラクターが死ぬ前に、トリエラが死んだ方が、被害は少ないと思ったから。


 そんな破滅願望を持っていながらも、トリエラは無駄死にはしたくはない。

 そして自分にとって少しでも大切な人間がいれば、その仇を討つためには、たいがいのことをする覚悟はしている。

(私はやっぱり欠陥品だ) 

 誰かが死ぬことに、慣れてしまっている。

 それは前世において、早くに両親を亡くしてしまったということから、歪んでしまったものだったのかもしれないが。


 ロザミアを殺す。

 それだけはもう、トリエラの中で確定していることであった。




 最後の三日目、馬車の走る速度はもう、それほど速くもなくなっていた。

 つまりそれは、急ぐ必要がなくなったということだ。

 クローディスは口にしないが、それを悟るぐらいには、トリエラも状況を理解している。

 護衛の騎士たちの立ち話も、そっと聞いたりはしていたのだ。


 巻き込まれたのか、それとも数名は巻き込むつもりだったのか、他にも死者が出たらしい。

 トリエラとしてはそれが、ランとファナでないことを祈る。

 セリル以外の人間は、そこまで重視されていない。

(常識的に考えて、どちらかは一緒にいたはず)

 そしてランがいたならば、セリルと一緒に戦って、よほどの手練でなければ対応できたはずだ。


 馬車の中で沈黙したままのトリエラの肩を、クローディスは抱いた。

 男性に対しては嫌悪感を感じるトリエラであったが、これは父親としての普通の対応だ。

 トリエラも力を抜いて、体重を父に預ける。

 思えば母親だけではなく、普通の意味での父親も、トリエラは知らなかった。

 だがシナリオ通りに進んでしまえば、この父親も死んでしまうのだ。


 最後に残るのは、クレインだけ。

 ガタガタになった公爵家を、罪人の家族として立て直していく、そういうエンディングを迎えていた。

(弟……)

 クレインの他にもトリエラには、母親の違う妹が一人いる。

 第三夫人の娘であり、現在はまだ二歳である。

 そしてまた妊娠していて、出産日もそれなりに迫っていたはずだ。

 もしもロザミアが自分の子供を継承者にしたいなら、その第三夫人さえもが、狙われる対象になってもおかしくない。

 使用人たちの噂話では、明らかに父の寵愛は、そちらに移っているのだから。


 貴族同士の政略結婚に、公爵家の当主を決める特別な条件。

 これらがなかったなら、普通にクレインが次期当主になっていたのだろう。

 トリエラとしては政略結婚に使われる前に、公爵家を出奔していればよかった。

 そして数年ごとに、たまにセリルに顔を見せていれば、それでよかったのだ。


(私を怒らせたな)

 悲しみや苦しみは、あまり感じることのないトリエラだ。

 だがその分まで彼女は、怒りは激しく感じるように出来ている。


 必ず殺す。

 トリエラがそう誓うのは、二度目のことであった。




 ウーテルに到着した馬車は、奇妙に静かな街の大道を、公邸に向かって進む。

 クローディスは魔道具を使って、領都の家宰との連絡を取っていた。

 その内容は、他の人間には洩らしていない。

 だが次第に表情は、険しいものになっていった。

 隣に座る娘のトリエラが、凍ったように表情を消していくにも、彼は気づいていなかった。


 屋敷に戻ったクローディスは、トリエラの手を引いてセリルの部屋へとやってくる。

 トリエラはその途中で、ファナの姿を見つけた。

 彼女が無事だったことには安堵するが、ならばランはどこなのか。

 ファナは目を伏せていて、トリエラの顔を見ようとはしなかった。


 ベッドに横たわっていたのは、青白い顔をした母であった。

 生命の力を感じない、既に魂の失われてしまった姿。

(こんな光景を見たような……)

 前世の両親の死も、このような感じであったのだろうか。

 だが生前は、ずっとそんな記憶は甦らなかった。


 転生したその人間に、記憶や人格はどのように宿るのか。

 トリエラは自分の人格が、かなり前世から同一のものであると感じている。

 母親も父親も、いないことが当たり前。

 実際にこの人生においても、トリエラは両親を必要としなかった。

 セリルは教師のようなものであったし、クローディスはほとんど面識さえなかったのだ。


 だが眠るように横たわる、母の姿を見て湧いてくる、この感情はなんなのか。

 怒りに転換してしまえと、心は叫んでいる。

 自分はずっと前世でも、そうやって生きていた。

 己を哀れむのではなく、悲しみにくれるのでもなく、ただ怒りに転換して。

 その激情のままに、トリエラは涙を流していた。

 そしてようやく気づく。自分はセリルを、間違いなく大切な人間だと思っていたことに。




 両親の愛情をトリエラは知らない。

 そしてセリルの性格もまた、少し独特ではあった。

 だから彼女は勘違いしていたのだ。

 母と子の愛情というのは、もっと分かりやすいものだと。


 肩に置かれた手は、クローディスのもの。

 ごく普通の父親として、クローディスはトリエラを気遣っている。

 その中にはもちろん、トリエラが公爵家の嫡子だということも、少しは混じっているだろう。

 激情をそのままに出してはいけない。

 母の仇は取るのだと、改めて決意する。

「うぐ……」

 呼吸が乱れる中、トリエラはそれでも冷静さを保っているつもりであった。

 やがてクローディスはその場にひざまずくと、優しくトリエラを抱きしめた。


 この父の、あるいは公爵家当主としての感情や役割も、トリエラは利用していかなければいけない。

 冷静に、冷徹に、冷酷に、目的を遂行するのだ。

 ロザミアを殺すのだ。

 あるいはもう、いっそのことクレインさえも、チャンスがあれば排除する。

(いや、違う)

 ロザミアを排除さえすれば、クレインには何も危険性はない。

 もちろん母親を殺されれば、憎しみをトリエラに抱くだろう。

 だがその憎しみも、トリエラは引き受けようではないか。


 クレインを生かしておくことは、将来のために必要になる可能性が高い。

 もしも転生者たちが、トリエラによるクレイン殺害を知ったら、協力して排除にかかる可能性はとても高い。

 ラトリーなどと王都で、出会うことが出来ていれば、また話も違ったのかもしれないが。

 涙をこぼし、悲しみを激情に変えながら、トリエラは考え続けた。




 トリエラの周囲は、クローディスの信頼する護衛が、しばらくは固めることとなった。

 そしてトリエラはファナから、詳しい事情を聞くことになった。

 幸いと唯一言えるのは、ランがまだ生きていたことである。

 だが彼女もまた、呪いを受けていて、起き上がれない状態にある。


 セリルが身近なものだけと一緒に、邸宅の東屋でお茶をしていたというのが、襲撃のタイミングであったらしい。

 だが最初に誘ったのは、ロザミアであったのだ。

 ランとファナを供にして、東屋に先に到着したセリル。

 そこには公爵家の護衛や使用人も、普通に待機していた。


 五人組の侵入者は、裏門を開けて入ってきたらしい。

 そしてそこからまっすぐ、セリルたちを狙った。

 ファナは蹴飛ばされて動けなくなっていたが、彼女本人としてはそれで助かった。

 護衛が殺されていくのを、ファナは見ていた。

 そしてランに対して振るわれた短剣が、呪いの短剣であったらしい。


 後にセリルの腹を貫いたのも、その短剣であった。

 通常ならばお抱えの神官が、治癒魔法を使えば済む。

 セリル自身であっても、相当の治癒魔法は使えたのだ。

 だが治癒阻害の呪いなどを使われた場合、必要なのは呪いを浄化する高位の神官や、それがいなければ医者である。

 ランは傷ついたのが腕や足であったため、出血を止めてどうにか助かった。

 しかしセリルは無理だった、ということである。


 まだ後遺症が残っていて、ベッドに伏したままのラン。

 そこを訪れたトリエラに、彼女は床に土下座するように、身を投げ出したのだ。

「申し訳ございません」

 クローディスではなく、トリエラに対して。

 彼女はセリルの護衛であり、今ではもうトリエラの護衛となっている。

 傷自体はどうにか、祈祷術によって塞ぐことが出来た。

 だが呪いによって失われた血などが多かったため、しばらくは静養する必要があるだろう。


 明らかにこれは、ロザミアがやったことだとしか思えない。

 状況証拠はほとんど全て、彼女が主犯であるか、そうでなくても指示をしたことを示している。

 だが襲撃者が逃げてしまったため、今のところは確証がない。

 おそらく捕まえたとしても、直接ロザミアには届かないのだろう。

 トリエラは冷静になって、そう考えることが出来るようになっていた。




 真昼に公爵家に襲撃者が侵入し、当主の第二夫人が殺害される。

 このようなことは本来なら、公爵家としては隠蔽してしまいたいものだっただろう。

 だがクローディスはこれを公開し、犯人の捜索を命じた。

 つまりこれは、残ったトリエラを、表立って守るための行動である。


 やがて正式な葬儀が始まる前に、王都からはエマも戻ってきた。

 彼女はセリルの私物の中から、自筆の紙束を取り出して、トリエラに渡す。

「ミルディアでは禁呪となっているようなものが、ザクセンでは普通に知られてたりもしました。奥様はそれをトリエラ様に教えるため、こうやって書き残していたのです」

 セリルは自分が、トリエラよりも狙われる優先度は低いと思っていた。

 だがそれでも何かの事故で、自分が死んでしまうことは考えていたのだ。


 トリエラが強くなるための、本当ならば禁じられた魔法の詠唱。 

 詳しい説明と共に、セリルが残したもの。

 だがセリルが残した中で、最大のものはトリエラ自身であろう。

「姫様、私がお守りします」

 身の回りのことを、他の二人の分まで、一人でやってしまう有能な古参メイド。

 そんなエマの目にも、暗い光が宿っていた。

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