第18話 王都へ
全く貴族というのは、無駄なことで世の中を複雑にする生き物である。
そうトリエラが思えるのは、もちろん前世の記憶があるからだが。
ただ礼儀作法などがあまりに省略されるとどうなるか、それはトリエラも分からないではない。
「これ、平民が絶対に入ってこれないように、わざと複雑にしてませんか?」
「それは言ってはいけない」
嗜めたクローディスであったが、声は笑っていた。
トリエラに対する貴族教育は、事前に思っていたよりは少し手間がかかった。
学ぶトリエラ自身が、その内容に興味を抱かなかったからである。
ただそれが必要であるという、社会のめんどくささ自体は、やはり理解していた。
なので特に遅れもなく、普通の子供と同じようなペースで、習得を果たしたのである。
これを見て父であるクローディスは、学者に向いているのでは、などと思った。
そしてセリルは、明らかに戦士に向いている、と思うのである。
文化の違う場所に育った二人は、結局のところ価値観の違いのため、あまり話が合わない。
それでもトリエラは生まれているのだから、最低限に尊重しあうことは出来るのだろう。
もっとも神々と名乗る存在の、干渉は必ずある。
ゲーム世界は主人公のヒロインの観点から見られていた。
なので舞台は王立学院が主であり、あとは王都や、後半の戦争の戦場になる。
もっともルートによっては、王都周辺が戦場となることが多く、トリエラは2ルートしかその行方を知らない。
ただ逆にトリエラには、ヒロインの知りえなかったことを知ることが出来る。
(王立学院にこの時期に出入りできる)
攻略対象の中で、ラトリーだけは王都に既にいるはずだ。
クローディスから聞いた、王都への移動。
それほど長い期間ではなく、今回は数ヶ月程度となる。
だがゲームキャラの何人かは、王都で育っていた。
あまり詳しい設定は知りもしなかったが、女のキャラまで含めれば、何人かは既に王都にいるはずだ。
設定を忘れているところもあるので微妙だが、マリエラというキャラは王都育ちで、そして誰かが既に選択していた。
ラトリーとマリエラ、この二人のどちらかには会っておきたい。
ただ悪役令嬢という点では、最初から印象は悪くなっているかもしれない。
ちなみにマリエラは悪役令嬢ではないが、攻略対象の誰かの婚約者であったはずだ。
いわば敵役令嬢。
(あれ? でも婚約者としても……)
クレインのであっただろうか?
残りの二人はちょっと、この時点での婚約者というのは考えにくい。
するとラトリーの婚約者であったか?
これまであまり考えなかったが、既に王都にいるキャラは、それだけでアドバンテージがある。
トリエラはゲームでの圧倒的な性能が目立っていたが、この現実ではやはり仲間がいなければ、パーティーを組んで挑んでくる相手には厳しい。
転生者にはそれぞれ、天恵が与えられている。
ただそれでもこの世界由来の人間を鍛えれば、それなりに戦えるのではないか。
王都へ向かう準備を整えながら、今さらだがトリエラは思った。
自分にはもっと、仲間が必要であると。
ゲームに出てくる敵キャラは、あくまでも主人公たちの敵であって、トリエラの仲間ではないのだ。
王都へ出発するにあたり、トリエラは父と同行する。
セリルも来るのかと思ったが、領都に残ることとした。
さすがにクローディスに加え、護衛も大勢いる中では、トリエラも安全だと思ったのか。
ただエマを付けてくれているので、ある程度は配慮しているのだろう。
もっともランとファナがいるのみでは、セリルの方が不自由するのではないか、と思ったりもした。
あの二人がいるなら、セリル自身にはそれほどの危険もないとは思うのだが。
何台もの馬車に分乗し、ローデック公爵家の一行が街道を行く。
この街道は砂などを固めた上に、石畳を敷いているものらしい。
馬車が余裕で行き交うことが出来る幅に、そして一定の間隔で街路樹や休憩所まで存在する。
昔の地球のように、馬を使った早馬の制度はない。
この世界では速度を考えるなら、飛竜などの飛行生物を使った方が速いのだ。
もっともゲームにおいては存在した、ペガサスという生物がいない。
飛竜はいるのにペガサスがいないのは、世界を設定した神々の怠慢か。
そう考えるとトリエラは、やはり自分の記憶は操作されていないと思うのだ。
もっとも神々を称する存在が、単にそこまで気が回らなかったという、嘘のような本当の話もあるかもしれないが。
前世で生き物に乗る経験がなかったトリエラには、騎兵系のクラスへの適性はなかった。
またレベルアップのことを考えれば、将来的には馬よりも、自分で走ったほうが速くなるかもしれない。
それでも荷物などを運ぶことを考えれば、やはり生き物に騎乗する技術はいるのか。
しかし荷物を大量に運ぶだけなら、もっと適したクラスもある。
そしてそのクラスへの適性はあったりする。
思えば父とこうも一緒なのは、生まれて初めてである。
この間にトリエラは、様々なことを父から聞いておくことにする。
たとえばトリエラが継承する『混沌の指輪』のことである。
字面だけを見れば、何やら悪役に相応しい神器のようで、実際に悪役令嬢であるトリエラが使うことになる。
ただ本来のこの神器には、邪神などに対する特殊効果が働くらしい。
太古の昔の大戦で、12人の聖戦士が神々の加護を受けて戦った。
この聖戦士というのは、今のクラスに存在する『聖戦士』とは違うもので、それぞれ色々なクラスに就いていたらしい。
ならば今の『聖戦士』とはなんのクラスかというと、大戦以降も何度かあった、邪神教団などに対する英雄に、神々が神器と共に与えるクラスなのだそうだ。
上級職である魔法戦士などよりも、さらに一つ上の最上級職と呼ばれるのが、この聖戦士のクラスである。
他にも最上級職と呼ばれるクラスは、色々とある。
ちなみにトリエラのクラス適性の中にあった中では『戦鬼』というのが最上級クラスであったりする。
魔法と全く関係のないクラスが、どうして出てくるのかは、クローディスのみならずセリルさえも不思議であった。
かなりの速度で、馬車は走っている。
護衛の人数も多いが、それでも速度は落としていない。
先触れの騎馬を出して、民間の移動者は道の左右によけさせる。
それに対して別に、土下座などはしていない平民たち。
むしろ子供などは、騎士に手を振っていたりする。
そして八日の後、一行は王都に到着した。
150万の人口を飲み込む、巨大都市ミケーロ。
書物の知識が正しければ、世界で最大の都市のはずである。
ある程度は書物や、人伝の言葉で事前に調べてはおいた。
だが大河に面したミケーロは、本当に巨大な都市である。
ただ城壁に関しては、それほど立派なわけではない。
もちろん誰もが自由に出入り出来るようにはなっていないが、門はかなりの数があって、貴族専用のものもあるのだ。
ミケーロの周辺は基本的に、野菜を中心とした畑が広がっている。
穀物などの日保ちがするものは、もっと遠くから運んでくるのだ。
そしてその畑の中、ミケーロの周囲を円状に道路が作られている。
これはミケーロを中継するにしても、一度街に入らなくてはいけない、という構造を解消するためのものだ。
(城壁はせいぜい10歩ぐらい? ただ厚みはそこそこある)
昔はもっと全域が、高い城壁で囲まれていたのだ。
だが人口が集中し、その都市機能を維持するために、その高い城壁は貴族街と市街を区分けするものになった。
おおよそ商店や工房なども、区画で整理されている。
食事をする場所だけは、あちこちにあるとか書いてあったか。ただし屋台のようなものも多い。
150万という人口は、前世日本でもそうそうはない都市であった。
もちろん東京の1000万というのは、規格外の数字である。
とは言え人口というのは、どれだけの面積に人が住んでいるかや、登録されている人間がどうなっているかなども関係する。
門から入ったその先は、広い大道が続いている。
ただその両脇には、屋台などの移動式店舗がいくつも並んでいる。
食事も出来るだろうし、また材料も売っていれば、古着などの類もある。
変わったところでは魔法屋というものか。
看板はあるが商品のないそれは、純粋に魔法をかけてくれるだけのものらしい。
そしてその使う魔法は、主に清浄。
ミケーロの街は基本的に、庶民の家には風呂がない。
公共浴場がとても安く存在するが、他の人間と一緒の浴槽に入るのは嫌であったり、風呂にまで入るのが面倒という人間もいるらしい。
帰属の場合は普通にバスタブで、それはウーテルの本邸も別邸も変わらなかった。
使用人の浴場はまた、別にあったものだが。
前世で東南アジアの国を訪れたことのあるトリエラは、その雰囲気に似ているかなとも思った。
だがこれはまだ王都の一部を見ただけであり、その奥深くや裏面までは、見たわけではない。
馬車はゆっくりと、貴族街へ向かう。
50歩ほどもある巨大な城壁に守られた、堅固な貴族街。
後で地図をもらおう、とトリエラは誓ったものである。
王都の公爵邸は、さすがに領都のものよりは狭かった。
だが敷地の中にはそれなりに広い庭などもあり、私兵たちの詰めている兵舎もある。
さすがにここで訓練などは行わないが、王城の中の練兵場で、国軍などと模擬戦をすることは多いらしい。
この屋敷に祖父は住んでいるのかと思ったら、王城の中にある宰相府に、ほとんどは住んでいるらしい。
宰相とまでなると、いざという時には王に代わって判断もしなければいけないので、それぐらいの場所にいなければいけないのか。
ただしこの日は、屋敷の方に戻ってきていた。
トリエラを迎えるためである。
子よりも孫を可愛がるのは、この世界でも同じであるのか。
グレイルはトリエラに対しては、かなり甘いところがあると思う。
王都でのトリエラの予定は、それなりに余裕をもって組んである。
面会する相手などは、国王や神殿の大司教など、錚々たる面子であるからだ。
おおよそそういった立場の人間は、スケジュールが詰まっていたりする。
また突然のスケジュールが入った場合、それは本当に重要なことであるからだ。
なので公爵邸にて、色々と調べることに時間をついやする。
そして逆に向こうから、トリエラへの面会を希望する者もいる。
公爵家の王都での御用商人などは、次代のトリエラへも顔をつないでおく必要がある。
(王都には他にも、何人も転生者がいると思うのだけど)
とりあえず王都の、法衣貴族はそうだろう。
ゲームの世界では後の戦争で使えるキャラは、それなりに王都で会うことが多かった。
だがこの時期に既に王都にいるのかというと、それはまた別の話なのだ。
トリエラは王都の地図をもらったが、それと共に貴族家の人物を記録したものを渡される。
社交のためには必要な、貴族便覧というものがあるらしい。
毎年更新されるこれは、ちゃんと有料でほとんどの貴族が購入する。
なお発光しているのは王室の機関である。
この貴族便覧は、爵位や簡単な成り立ちなどに、家系も掲載された優れものだ。
ただまだ社交デビューしていない貴族や王族は、さすがに省いてある。
それこそまさにトリエラの欲しいものなのだが、それはちゃんと別に用意されていた。
わずかな期間だが幼年学舎に顔を出し、接触すべき相手がいるからだ。
その中には数人、ゲームの登場人物の名前がある。
当たり前と言えば当たり前だが、ゲームの登場人物よりも、実際の貴族ははるかに多い。
そしてゲームには出ていないが、国家として重要な人物も多いのだ。
(実際の大臣なんて、ほとんどお爺さんだろうしなあ)
トリエラはそう考えているし、あながちそれで間違いではない。
旅の疲れもあるだろうと、到着の日とその次の日は、身内だけが集まった。
祖父に加えて、なんとロザミアの弟などである。
それは政略結婚であったことを考えると、望ましいのはクレインが嫡子になることであったとはいえ、次代の当主に顔をつながないという選択肢はない。
なんならトリエラの婚約者に、自分の息子を送り込む、などということも考えるかもしれない。
ただそういった初めて会う人間は、だいたいがトリエラの美貌を絶賛していた。
六歳児にそんなことを言っても、この先はどうなるか分からないであろう。
だがゲーム設定的にも、確かにトリエラは美少女にはなるのだ。
政略結婚というのは、面倒なものである。
そもそもトリエラには、男性に対する興味がない。
セリルもそれに近いが、トリエラはむしろ嫌悪に近い感情を持っている。
その嫌悪は嫌悪でも、同属嫌悪に近いものだが。
三日目、トリエラは護衛に連れられて、王立学院にやってきた。
ゲームの主な舞台となるここは、前世ではアカデミーなどと呼ばれていた。
教育機関だけではなく、研究機関も揃っている。
前世で言えば大学が近く、それに幼稚園から高校までが付属しているといった具合だ。
ただ前世でトリエラは、大学に行く年齢になる前に死んでしまったが。
幼年学舎は基本的に、下級貴族の子女が多い。
あるいは家督を継げない、次男や三男、もしくは女子など。
ミルディア王国は一応、家督の継承は男子が優先される。
ただトリエラの例以外にも、全く女が継ぐことがないわけではない。
一般的な貴族は、12歳から15歳程度の間に、貴族院に最低一年は所属する。
ただこれに関しても、早くに貴族の籍から離れて、市井の人間となる者もいるのだとか。
このあたりの設定で、ゲームの知識がほとんどなかったのは、むしろ正解であったかもしれない。
知識を突き合わせるのが、色々と大変になるだろう。
午前中で少しだけ施設を案内されたが、午後は屋敷での面会の予定がある。
公爵家の御用商人であるが、面会する前にどうやら、その跡継ぎまで連れてきた、ということが伝えられる。
「跡継ぎをか?」
同席していたクローディスは、少し不思議そうな顔をした。
「何歳なのだ?」
「なんでも九歳だとか」
「それはまだ若すぎるような気もするが……」
どういうことかとトリエラは考えるが、次の商会を継ぐものとしても、まだこんな年齢で顔つなぎをする理由が薄いのだろうか。
「まあ、良いだろう。礼儀さえ弁えているのなら」
そう、もしも貴族の不興を買えば、商人としてもまずい立場になる。
それをあえて連れていたというのだから、トリエラにはおおよその予想がついていた。
転生者だ。
上手く貴族とも対面して、問題を起こさないように振舞える者。
そしてこの時期のトリエラに、あえて接触しようなどと思う者。
転生者以外にはないではないか。
(やっと、他の一人)
果たしていったい、どういう人間なのか。
トリエラは珍しくも、期待に胸を高鳴らせるのであった。
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