二章 公爵家の娘

第16話 継承者の宿命

 トリエラが公爵家の本邸に迎えられるまでに、もう一度魔境を探索する機会があった。

 三度目は止められてしまったが、父はまだ王都から戻っていなかったので、家臣の間での判断であるらしい。

(つまり館の中の方が、まだしも安全になってきたのかな?)

 外の危険度が上がってきたのかもしれない。どちらの可能性もあるだろう。


 別邸では庭に出て、セリルの指導を受けたりランと訓練をする。

 そうした中ではやはりザクセンから付いて来たというファナから、様々な薬についての知識を授けられることもあった。

 薬というのは、過ぎれば毒薬でもある。 

 だがこの世界においては、毒に対する耐性が、人間はおおよそ強いようでもある。

 おそらくあの鑑定板で計測できるステータスの、抵抗という値が重要なのだろう。


 相変わらず書物から知識を得ているトリエラは、歴史をおおまかに見たところ、伝染病があまりないのではないか、と気がついた。

 子供に特有の伝染病で、命を失っていることは、それなりに多い。

 だが大人までが全滅するような伝染病は、本当に少ない。

 魔法があることによって、科学的な方法ではない、病気対策というのもあるのだろう。

 それとは別にレベルアップによる抵抗の能力値の増加が、病気や毒に対する耐性になっているのではないか。


 トリエラはそう推測もしたのだが、セリルにしろファナにしろ、言葉の意味が分からなかったようだ。

 いや、分かった上で「何を当たり前のことを?」と思ったのだろう。

 冷静に考えてみれば、ステータスにおける能力値の補正は、この世界の人間にとっては当たり前のことなのだ。

 空気や水のように、そこに当たり前にある。

 それに対してありがたいと思うのは、なかなか意味が分からないのだろう。


 ただ前世基準で考えると、耳かき一杯で人を殺せる毒というのは、それなりにあったとは思う。

 病気にしろ、能力値による10%や20%程度の抵抗があったとしても、コレラやペストなどを抑えられるものなのか。

 あるいは抵抗という能力値に関しては、他の能力値に比べても、ずっと強い働きを持っているのかもしれない。

 実際のところファナが教えてくれる毒の致死量なども、前世基準に比べれば、ずっと多いものだと思うのだ。


 抵抗という能力値は実のところ、生存能力が関係しているのではなかろうか。

 魔法戦士というクラスはほとんどの能力値の成功に補正がかかっていたが、抵抗という能力値だけは特にプラスされていない。

 レベル3になったトリエラの能力値は、以下の通りである。


 ・筋力 17

 ・魔力 25

 ・器用 21

 ・敏捷 17

 ・頑健 8

 ・知力 14

 ・精神 20

 ・感覚 23

 ・抵抗 18


 レベル2に上がった時より、器用の上げ幅が1多かった。

 個人的には頑健の低さが、かなり不安ではある。

 頑健ではないのに、抵抗は高いのかと思ったが、これは生命力にやはり関係しているのでは、などと思ったりする。

 遭難した時など、頑健な男よりも、女の方が生き残っている確率が高い、などとも前世では聞いていた。

 肉体的には脆弱であって、その代わりに生命力が高いのが女。

 ただこのあたりの答え合わせは、他の転生者と話さないと、なかなか分からないものであろう。




 今のトリエラの戦い方は、ランの戦い方を真似している。

 現実的にまだ体が全然成長していない幼児期には、長い得物などを使うのには無理がある。

 たとえ筋力が補正を受けたとしても、体重自体が足りないため、重量武器は使えないのだ。

 そして希少な魔法戦士というクラスらしく、魔法を上手く組み入れている。

 森の中では火の魔法を使うことに、注意を受けたトリエラ。

 しかしいざ命がかかった時には、問答無用で最速の魔法を使うべきだとも言われた。


 トリエラは他にも攻撃魔法を習った。

 石弾以外には、空気を固めた圧力で攻撃する、気弾という魔法も習った。

 こちらはそれなりに使えるようになったのだが、延焼の可能性のない、氷槍の魔法などは、かなり扱いが難しい。

 セリルなどは逆に、氷槍の魔法は得意なのである。

「使えないわけじゃないのよね」

 確かにセリルの言うとおり、しっかりと詠唱をするならば、氷槍も発動する。

 だがその構成にかかる時間などは、石弾よりも長いぐらいだ。


 トリエラとしてはこれは、イメージの問題が関係するのでは、と思ったりもする。

 確かに火矢や火炎放射なども、どこからそのエネルギーを持ってきたのだ、と思うことはある。

 石弾はそれに比べると、屋外では石畳や地面から、圧縮された石礫を発射するか、魔力で作った石を放つかの、二つの方法がある。

 トリエラとしてはこれが、イメージしにくいのだ。

 前世で習った理系の常識から、物質を都合よく変化させたり、何もないところから生み出すというのが、どうしても魔法を構築する邪魔になる。


 また氷槍もそうである。

 水のある場所なら温度を低下させるというイメージが湧くのだが、何もない大気の中から水を生み出し、それを冷却して氷の槍とする。

 どうしても手順が、発火する類の魔法よりも、大変だと思ってしまう。

 実際にトリエラは、石弾や氷槍の方が、行使するのに多くのMPを使う。

 ただセリルなどは氷槍の魔法は得意であり、むしろ発火系の魔法よりも必要とするMPが少ない。

 こういうものは相性だ、などとセリルは普通に常識として言っているし、トリエラが発火系が得意なのは、父方の遺伝であろうと思っている。

 確かにローデック家は、炎の魔法を使う家ではあるのだが。


 基本的にローデック家の別邸にある書物で、火炎系の魔法はほとんどが、使用可能になるのはセリルも確認した。

 ただし先に他の火炎系魔法に習熟して、消費MPを少なくしなければ、高度な熱エネルギー系を使うのは難しい。

 またごく一部の魔法は、名前だけは分かっているが、詠唱は禁呪として記されていない。

 しかしその魔法は、ザクセンで魔法を学ぶ中で、知っていたりするのだセリルである。

 やはり国が違えば、禁忌とするものも違うのか。

 あるいは単純に、強力な魔物と戦うことの多いザクセンでは、禁呪などともったいぶったことはしていられなかったのか。

 そう考えるとミルディアは、平和ではあるが軍事力には疑問が残る。




 セリルが改めてそんなことを考えているのを、トリエラは知らない。

 だが本邸からやってきた執事から、今後のトリエラの育成について、相談があったりもした。

 一度王都に行って、王立学院に入学してみるべきではないか。

 クローディスはそんなことを言っていたらしい。


 王立学院はミルディア王国における最高学府であり、即ち大陸最高の学問の場である。

 ミルディアは大陸において、ほぼ覇権国家の地位を築いているが、その首都には周辺国からも、王侯子息の留学生がやってくる。

 中には純粋な学問から、淑女教育に魔法教育、官僚教育まで行っており、また騎士団士官学校なども付随している。

 だいたいどの貴族も最短で一年、長くて10年以上をここで過ごして、自分の進路を決めたりもする。

 また王族や貴族にとっては、自分の派閥を築いたり、他者の派閥に属するなど、社交の場所でもある。


 このままトリエラを入学させるというわけではなく、幼年学舎で短期間の勉強をさせては、ということらしい。

 名目はそうであるが、継承者と発覚したトリエラを、顔つなぎする必要があると、クローディスは判断したのだろう。

 本格的な社交を始めるのは、さすがに成人してからとなる。

 ミルディア王国の場合は、満14歳で成人となる。

 結婚するのも14歳からと、このあたりはトリエラも意外であったりした。

 貴族の政略結婚など、とんでもない年齢差でありうることだと思っていたのだ。

 もっともこれには、結婚まではいかなくても、婚約という手段が存在してはいる。


 本格的な社交界デビューの前に、幼年学舎で短期間、他の貴族との交流をさせる。

 そしてまた家庭での教育となり、12歳あたりから本格的な学院の生徒となる。

「この正式な学院への入学にあたり、側仕えなどを選び、学院内での影響力及び、貴族間での影響力を増すことが、貴族の務めとなるかと」

 そう執事から説明を受けているのは、セリルだけではなくトリエラもであった。

 この子は理解出来ると思い、セリルが同席させたのだ。


 本格的な礼儀作法に、数ヶ月ほどはかかるだろう。

 またさすがに六歳というのは、幼年学舎としても幼すぎる。本来なら。

 ただここは他の者はいないと思って、その老執事は少し声を潜めながらも、確かに言った。

「王都において王族や貴族と結び、トリエラ様が次代のローデック公であると、内外に広めたいというお考えでしょう」

 それはつまり、クローディスもまた、トリエラを認めたということだ。

 そしてロザミアの手が出にくいように、配慮した上の判断ではないだろうか。


 ゲームの世界ではどういう設定だったのだろう。

 かなり不安は残るが、トリエラとしてはまだ自分一人の力では、何も決められないことは認めざるをえなかった。




 トリエラは聞き分けのいい子だ、とセリルは感じている。

 ある程度は間違いではないが、それはトリエラがこの世界において、生きる覚悟と死ぬ覚悟を決めているからだ。

 転生者ではありながら、生き残りやすい人生など選ばなかった。

 ならば生き残るために、必要な知識や技術はどんどんと学んでいった方がいい。


 魔法についてはセリル自身が、ほぼ付きっ切りで実技は見ている。

 家庭教師は理論を教えることが多いが、その理論があくまでもまだ、仮説であることもある。

 そういう場合は疑問点を、セリルに尋ねることもあった。

 セリルも国外の有力者の娘ではあるが、ミルディアの王立学院には通っていない。

 なので一般常識がぽっかりと抜けているところはある。

 これについては今の別邸に、トリエラに教えられる者がいない。

 それが分かってもトリエラは、他者を馬鹿にすることはなく、質問をメモにして保管していたりする。


 むしろトリエラは、ミルディアとザクセンの違うところを、多く学びたいと思うようになったように見えた。

 そこでセリルは、自分が神官と言うよりは、巫女としての教育を受けていたことなども話した。

「巫女ですか?」

「神官に近いのでしょうが職階の『巫女』や『巫覡』とはまた違うものです。

 クラスにはクラスとして、『巫女』というものがある。

 これは神に仕えるものではなく、精霊との交信をする者である。

 つまり精霊術士になるための、前段階のクラスである。


 ザクセンでは祭る神と、祭り方が少し違っていた。

 この世界には40以上の神がいると言われているが、その名が失われてしまった神もいる。

 ただザクセンで祭る神は、ミルディアで信仰されている神とは、また違ったものであるらしい。

「神と言うよりはもっと、厳密なものであったのだけど……一度長老たちと話してみたら、貴女は話が合うかもしれません」

 母の目に自分はどう映っているのだろう、と首を傾げるトリエラである。


 そのトリエラがランやファナから、生き残るための技術を教わる間に、セリルも自分の中の知識を、紙に写していた。

 ザクセンから持ってきたものの中には、ザクセンだけに伝わっている秘術について、書かれたものもある。

 だが本当に大切なことは、全て口伝で教わったのだ。

 同年代の巫女の中では、セリルの他にはあと一人だけしか、そういったことを教わっている者はいなかったが。


 本来ならこういった知識も、トリエラに口伝えで教えるべきなのだろう。

 だがセリルは状況を楽観していない。

 自分が死ぬ可能性というのを、しっかり考えているのだ。

 特に危険なのは、トリエラが幼年学舎に入るまでの、数ヶ月の間だ。

 王族や貴族に認められれば、トリエラの公爵家での地位は磐石なものになる。

 既に王に報告は果たされているので、危険性は少なくなったと言えるのかもしれない。

 それでもまだこのぐらいの年齢であれば、幼くして死ぬ可能性はある。


 ロザミアとしてはそれまでに、トリエラを殺してしまいたいだろう。

 そして自分がもう一人産めば、その子が神器を継承する血統に選ばれる可能性がなくはない。

 ただセリルが少し聞いた話では、クローディスとロザミアの間には、あまり夫婦の交情などはなくなっているようなのだ。

 クレイン一人を産んだだけで、二人目を産んでいないというのはそういうことなのだろう。

 正室としてはロザミアの地位は磐石だが、クローディスの寵愛は他の側室に移っているらしい。


 ただもしもトリエラが死んだりでもしたら、クローディスはロザミアとの間に、積極的に子を作るかもしれない。

 それが一番穏当であるし、他の側室の産む子供が継承者となっても、また殺される可能性があるからだ。

「まったく、ミルディアの人間は……」

 ザクセンの長老たちの秘密主義も辟易したものだが、ミルディアの貴族社会も、陰惨たるものであると言うしかないセリルであった。




 これまでよりも時間に余裕を持たせず、詰め込みで教育が行われた。

 残念なことに魔法の訓練だけでは、レベルは4まで上がらなかった。

 そしていよいよ、トリエラが本邸に迎えられる日がやってきた。

 公爵家の馬車に、トリエラとセリルが乗り込み、ファナとランは別の馬車。

 セリルは身の回りの物もかなり、荷物として持っていく。

 その中には魔道具として、ザクセンから持ってきたものもたくさんあった。


 トリエラは住み慣れた別邸を出る前に、セリルから装飾の少ないネックレスを渡される。

 魔力感知によると、これはどうやら魔道具であるらしい。

「これは?」

「おおよその毒を無効化出来るものです。魔法の毒に加えて、生物の毒もこれでかなり防げます」

 そういったものは、もっと事前に渡してくれても良かったのではないだろうか。

「その宝石は魔石を加工したもので、毒を受ければ濁ります。私では元に戻せないので、出来れば魔道具に長けた者を見つけたいのですが」

 なるほど、セリルといる間なら、祈祷術でおおよその毒には対処出来たというわけか。


 これからもまた、同じ屋敷に住むことは変わらない。

 だがトリエラとセリルの周囲には、気の許せない者が増えてくる。

 二人が離れた時に、刺客が現れたらどうなるか。

 ステータスパラメーターのおかげで、毒などでは死ににくい体質とはなっている。

 だが前世で養父から教わった毒の中には、とても微小な量で人を殺してしまうものがあった。

 触れるだけで肌がただれるような茸に、誤って触れてしまったこともある。

 ただ魔境を体験した身としては、少なくともこの領内は、あまり強力な毒物はないのではとも思う。


 もっとも前世知識からすると、毒ではなくても人を殺す手段はいくらでもあると分かる。

 養父が注意したことの中には、一酸化炭素中毒などがあった。

 あれはちょっとやそっとの耐性があったとしても、どうにもならないものではないだろうか。

 それに科学的に神経に働く毒が、果たして抵抗という力でどれだけ対抗できるのか。

 調べた本などがあれば、ぜひとも読んでおきたいものだ。


 前回とは違い、馬車を降りれば屋敷の使用人、全員が揃ってトリエラを迎えた。

 今のトリエラの立場は、次期ローデック公爵。

 周囲も気楽に仕事をしていた別邸とは、立ち居振る舞いも変わっていくことになるだろう。

 前世の養父もしつけには厳しいものであったが、おそらく貴族としての教育は、そういったものよりも堅苦しいものになると思う。

(これでまだ、ゲームが始まるまでには、何年も時間があるなんて)

 ゲーム開始時には、あの天使のナレーションがまた入るのだろうか。

 そしてそれまでに、なんとか他の転生者に巡り合うことは出来ないだろうか。


 時間がまだまだあるようでいて、無駄に過ごしていいのはほとんどないだろう。

 他の多くの転生者と、敵対しても構わないと、自分はこの人生を選んだのだ。

 死にたいわけではないが、単に生き残ればそれでいいわけでもない。

 だが全力を尽くして生きることだけは、とりあえず決めてある。

 トリエラの、貴族の娘としての生活は、これより始まるのである。

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