第15話 初戦闘

 野生の生物は、独特の臭気を発している。

 ただこれは嗅覚に依存するため、風下にいないと発見するのは難しい。

 しかしそれは人間の話であって、この世界ではスキルの中に、五感を鋭敏にするものもある。

 本当の野生の生物は、その場の周辺の匂いから、かなりの情報を得ることが出来る。

 森の中では空気が完全に通ることはないし、周辺に擦り付けた匂いからも、しっかりと情報を得る。

 人間の嗅覚はいくら鍛えても、そこまでのものではない。


 何かがそこにいる。

 そしてその何かは、おそらくゴブリンではない。

 ゴブリンは個体としては、最も脆弱とも言われる魔物だが、その環境適応力や生命力は高い。

(大きい) 

 セリルは魔力感知で、そのおおよその強さを感じ取る。

 基本的に魔物というのは、その本来の肉体の強さを、魔力で強化しているのだ。

 既に先行していた斥候を除いて、その魔物を相手に、騎士が戦闘に立って陣形を取っている。


 そして姿を現したのは、体高がトリエラよりもはるかに高い猪。

 雑食性であるが、そうでなくても魔物は基本的に、人間には敵対的だ。

 草食のはずの生物を元に持つような魔物でも、人間だけは食らいにかかる。

 そして人の肉を食らって、魔物もまたレベルアップするのだ。


 このあたりのメカニズムは、やはり推論が多い。

 魔物同士で争うこともあり、その時も経験値のように、魔素を吸収してはいるようなのだ。

 だが人の味を知った、つまり人を殺している魔物の方が、おおよそ通常より強くなっている。

 村などを壊滅させた魔物が、特に危険視されて軍が動くのは、そういった事情なのである。


 この魔物は、およそ一般的な部類であると思える。

 牙は大きく、体毛が紫色というのは、前世では珍しい体色であったろう。

「毒持ちかもしれません。気をつけて」

「軽い毒なら私が解毒出来ます」

 騎士が注意をし、それにセリルが応える。


 ゲームと違うこの現実の重要な部分。

 それは斥候、あるいはその代役が出来る人間がいること。

 上から全てが見通せるような戦闘マップではなく、あくまでも視界は三次元である。

 なので敵を先に発見するということが、とても重要になる。

 また魔法職も、あまり多くはない。

 特に神官系の魔法職は、冒険者にならなくても、街でいくらでも仕事がある。

 領軍を動かすぐらいの時は、さすがに神官系の魔法職もいるが、それでも足りずに神殿に依頼をすることがあるのだ。


 魔法も使えるし、祈祷術も使えるセリル。

 パーティーとして魔境に入るなら、重要度は一番高い人間だ。

 ただ魔境において第一に重要なのは、逃げ足の速さ。

 冒険者ならばそうなのである。

 もっとも魔法職の冒険者は貴重なので、出来るだけ守ろうとはしてくれる。

 少し慣れてきて、新人と呼ばれることが少なくなった若手が、ようやく初心者の魔法職を加えられるかどうか。

 その常識からすると、この中で二番目にレベルが高いセリルの存在は、かなり異色だ。

 なお一番レベルが高いのはランである。




『火矢』

 戦闘はまず、トリエラの魔法から始まった。

 人差し指で狙いをつけて、放ったのは『火矢』の魔法。

 小動物に直撃したら、それで殺せるというぐらいの威力は持っている。

 ただこの場合、重要なのは威力ではない。

 当てることである。


 火矢の魔法は基本的に、指先や短杖の先から発し、一直線に目標に向かって飛ぶ。

 だが素早い動物なら回避するし、人間でも小刻みに動いているだけで、かなり当てにくいものである。

 ところがトリエラは魔力を多めに消費し、速度を増していた。

 なおかつこれは、詠唱を省略して使っている。

 体内で動く魔力も、ほとんど瞬間的なものだったろう。


 猪の魔物は、基本的に左右に動くのは苦手である。

 それもあってこの一撃は、見事に魔物の顔面を直撃した。

 咆哮を上げて、苦痛を表現する。

 その猛りは魔境を震わせるが、トリエラも含めてここにいるのは、それに怖気づく者ではない。


 ランは短弓を使って矢を放つ。

 都合よく目にでも刺さればよかったのだが、動く対象に対してはそこまで、精密に狙うことは難しい。

 騎士が盾を構えて、戦士は戦斧を構える。

 獣型の魔物であると、刃物がそれなりに通る。

 ただ戦斧であるとむしろ、打撃力が重要になる場合が多い。


 トリエラは前世で、野生の動物を殺したことはある。

 鳥を殺したことが一番多く、他には鹿や猪、狐なども場合によっては殺した。

 おおよそはその後に食ったが、一番外れのない味は鹿であったと思う。

 ただこの魔物は、猪ではあるが、凶暴さは前世の比ではない。

 前世においてさえ、猪の突撃で亡くなる人間は、それなりにいたのだ。

 鹿でさえ人間は、まず勝てない。それだけ脆弱な生き物なのだ。ただ鹿の場合は、足が速いので逃げてしまうが。


 人間が動物に勝つには、ほとんどの場合武器がいる。

 それはただの木の枝であっても、立派な武器である。

 実際にトリエラは前世で、養父が猪に止めをさすのに、太めの木刀を使っていたのを見ている。 

 上手く心臓がまだ動いている状態で殺せたら、解体も楽に血抜きが終わる。

 あとはナイフを枝の先に付けて、即席の槍なども作っていた。


 猪の突撃に対して騎士は盾で防ぐが、おそらく本来の物理法則では、猪の突撃は騎士を弾き飛ばしていただろう。

 しかしここは魔法のある世界。

 魔法職でない騎士も、魔法の恩恵を受けている。

 レベルアップもまた、奇跡と言う名の魔法なのかもしれない。

 しっかりと足を踏みしめた騎士は、盾で突撃を止める。

 そしてその横から、戦士が戦斧で殴りかかった。


 筋力が強化された戦士の、重さもたっぷりとある戦斧。

 猪の首の辺りに、しっかりと刃が入る。

「浅い!」

 素早く戦斧を引き抜くと、猪はその場で転がり暴れる。

 一行は騎士の後ろに移動し、このでたらめな攻撃から身を守る。

(盾を出来る要員がいないと、けっこう危険なの)

 物語ではよく分からないものであったが、これが魔物との実戦なのだ。


 身震いしてわずかに、トリエラたちから距離を取った猪。

(逃げないのか)

 野生の生物などは、基本的には逃走を優先する。

 猪などよりもよほど危険な熊でさえも、銃の危険性を知っている個体は、銃を見れば逃げたものである。

 やはり人間に対する殺意が、普通の獣よりも大きすぎる。

(これも神々が作ったものなのか)

 猪の命を狩るのには、もう少し手間がかかりそうだ。


 そう思っていたところに、セリルが少し横に動く。

 戦士が警戒の声をかける前に、彼女の手からは電撃がほとばしった。

 猪の魔法抵抗力を突破し、その巨体を震わせる。

 倒れた猪は、それでもまだ小刻みに動いていた。

「止めをさしなさい」

 そう言われた騎士と戦士は顔を見合わせ、戦士の方が前に出た。

 振りかぶった戦斧の刃は、横たわった猪の首に、深々と突き刺さったのであった。




 猪が絶命するのと共に、わずかな魔力を吸収するような感じがした。

(これが経験値)

 魔素の吸収。あるいは魔物を倒したことに対する、女神の加護。

 神殿は後者扱いしたいのだろうが、起こっている事象から考えれば、前者が正解であろう。

 さらにそういう法則を生み出したのが神である、などという主張をするなら、また話は変わってくるのだろうが。


 それにしても、セリルの魔法はすごかった。

 ある程度のダメージは与えていたとはいえ、まだまだ致命傷には遠かった魔物を、一撃で戦闘不能にしたのだ。

 確かに絶命には至っていなかったが、無力化には成功していた。

 電撃の魔法は威力を調整することが可能ならば、人間を上手く殺さずに無力化するのに便利だろう。

 次はこれを使えるようになろう、そうトリエラは決意する。

 だがまずはセリルのダメ出しが始まった。

「トリエラ、森の中で火の魔法を安易に使ってはいけません」

「あ」

 言われてみればその通りであった。


 森の中で火を使うな。

 それは魔境の森であっても、同じことである。

 魔境においては植物でさえも、その生命力は高い。

 なので火の魔法でも、森が火事になることはあまりない。

 あまりないが、積極的に使っていいわけではない。


 ごめんなさいと言ったトリエラであるが、事前にしっかり説明しない方も悪い。

 ただそれは本来なら、森林火災の恐ろしさを知らない一般の人間ならば、という前提なのだ。

 つまり事前に注意をしていないセリルの方がより悪く、なのでトリエラに対しても厳しくは言えなかった。

 だがトリエラは前世知識から、森林火災の問題を知っている。

 このあたり両者にも、前提知識に齟齬があったりした。


 もっともセリルは周囲への延焼については説明し、その危険が少ない『石弾』の魔法も教えていた。

 なのでやはり、トリエラに対しては注意をしたわけである。

 トリエラはこれまでの訓練で、石弾の魔法ではあまり破壊力を高めることが出来なかった。

 同じように詠唱を唱えても、その自動化が自分の中では、火矢や火炎放射に比べると、なかなか進まなかったのだ。

 混沌の指輪の継承者、ということがひょっとして、火の系統の魔法の習熟速度に関係しているのだろうか。


「これの解体は大変ですね」

「今回の探索はトリエラの経験と位階を上げるのが目的です。魔石だけを取って、死骸は放置しましょう」

「分かりました」

 戦士などは「もったいない」と呟いたりもしているが、この大きさの猪を運ぶのは大変であるし、解体してから運ぶにしても、その手間はやはり相当にかかるだろう。

 絶命したことによって魔力の防御を失った猪には、それなりにナイフの刃も簡単に入るようになったらしい。

 そして心臓の反対側にある魔石を取ると、その肉体が崩れていく。


 やや紫色に近いが、おおよそは黒く見える灰。

 だが灰よりもさらに細かく、空気に溶けていく。

 これが魔物の魔素還元というものだ。

「母様、魔石を取るのではなく、先に毛皮などを取ったら、それは灰にならないのよね?」

「そうね」

「順番的には、魔石とくっつかなくなるという意味では、同じだと思うんだけど」

「それも色々と学説はあるんだけど」

 セリルとしても苦笑する限りである。トリエラの知的探究心の旺盛さに、母親らしい喜びが湧いた。




 ともあれこれで、一体の魔物退治は終わった。

 だがトリエラのレベルは上がっていない。

 おそらくトリエラからしたら、かなり格上の魔物であったとは思うのだが。

 人数を揃えたので分散したのか、あるいは貢献度によって差があるのか。

 ちなみに魔法剣士のような上級職は、経験値が溜まりにくいらしい。


 騎士が確認する。

「とりあえず魔物は退治しましたが、まだ進みますか?」

 単に経験を積ませるというだけなら、この一戦だけでも充分だろう。

 だがトリエラに確認するまでもなく、セリルが頷かなかった。

「時間もありますし、魔力も充分に残っています。トリエラも疲れてはいないので、続けましょう」

「分かりました」

 そして魔境の探索は再開される。


 冒険者にとってはやはり、斥候の役割は重要なのだな、とトリエラは再認識する。

 相手を先に発見し、先制攻撃のチャンスを作る。

 ただ一般的な野生の獣と違い、あまり逃げるという選択肢を取らないのは、狩る側としてはありがたい。

 次に発見したのは鹿の魔物であったが、これまた野生の鹿とは違い、戦闘を挑んできた。


 今度は順当に石弾の魔法を使って、ダメージを与えて倒す。

 前衛の戦士と騎士が主に対戦し、今度はセリルも魔法攻撃は行わなかった。

 こちらに負傷もなく倒せたが、吸収したのかと感じた魔素は、猪よりも少ない。

 攻撃力も防御力も、猪の方が高かったからだろうか。

 だが鹿の方が、俊敏であるという面では優れていた。


 基本的には魔物は、強ければ強いほど、経験値も多い。ゲームとおおよそ同じである。

 ただ魔物にも、レベルが存在するのでは、とも言われている。確かにゲームでも、同じ魔物でもレベルの違いはあった。

 しかしゲームのおいて重要なのは、スキルである。

 レベルが高い魔物であっても、特殊能力であるスキルがなければ、それほど脅威度は高くない。

 この世界における魔物が、人間に対して攻撃的な理由。

 それはどうやら経験値を、人間から奪う方が、同じ魔物同士よりも効率がいいのではないか、という学説もある。


 ただこれも仮説に過ぎない。

 縄張り争いで魔物は、同じ魔物とも戦うことはある。

 また食事として襲うこともあり、普通に栄養としては吸収している。

 だが人間の格上でなければ経験値が得られないというシステムが、魔物にも当てはまるのかもしれないとは、確かに仮説として無理がない。

 もっとも、それなら生まれた時点で既に強い魔物など、どう判断すべきなのか、という反論もある。

 ただそれは他の野生生物であっても、肉食獣は基本的に、草食獣より強い種が多いのと同じであろう。




 三度目に接触したのは、ゴブリンの集団であった。

 ゴブリンではなく、小鬼であるが。

 五匹のゴブリンは、明らかに一匹の指示を中心に活動している。

 鳴き声は単調なものであり、しかしある程度は言語として成立しているらしい。

 もっとも語彙は、かなり貧弱であるらしいが。


 魔石を持っているので、間違いなく魔物である。

 だがゴブリンの中には、とてもゴブリンとは思えない、知能の高い個体もいるらしい。

 書物で知ったところ、この賢いゴブリンは人間の集落とも、友好的な関係を築いていたそうな。

 人間の言語を理解し、意思の疎通まで出来たのだから、それはもう魔物と考えるのは無理な生物であったろう。

 ただ最終的には、他の魔物の襲撃により、集落ごと全滅してしまったそうだが。


 ただ、今のゴブリンに対して、そんな友好的な反応は期待しない。

 風下から接近した一行は、セリルの魔法から戦闘を開始した。

 効果範囲を広げた電撃の魔法で、戦闘能力を奪う。

 だが体格が少しいい個体だけは、どうやら電撃の麻痺効果に抵抗したようである。

 それに対してトリエラはこれまた数を多くした石弾を発射。

 毛皮をまとっていた上位個体は、それでも致命的なダメージを受けない。


 ただあちらの貧弱な武器では、やはり騎士の守りを突破出来ない。

 持っていた武器が、おそらく死んだ冒険者から奪ったであろう剣なので、やや心配はあったのだが。

(ゴブリンも、雑魚なわけじゃないんだ)

 セリルの電撃に耐え、トリエラの石弾に耐えた。

 そして騎士の盾を打った攻撃は、かなりの威力があっただろう。


 しかしここで、盾を押し返して、ゴブリンの体勢を上手く崩すのが騎士である。

 横から戦士の戦斧が、ゴブリンの右足を大きく傷つけた。

 あとは前衛二人で、問題なく片付ける。

 そして経験値が入り、トリエラはレベルが上がったのを確認した。




 ゴブリンは繁殖力が高く、またその繁殖方法も特殊なため、常設で討伐依頼が存在する。

 魔石は小さくあまり価値もないが、右耳を討伐証明として持っていけば、とりあえず一食分の金にはなる。

 それを教えてくれたのは、斥候の男であった。

 セリルやランは、そのあたりのことは知らなかった。


 時間の経過もあるが、トリエラのレベルが上がったことによって、一行は今日の探索は打ち切る。

 そして拠点まで無事に戻った。

 トリエラの初戦闘、初冒険は、これにて終了である。

「今回の狩りは、他の人間がずっと強かったのを、忘れてはいけませんよ」

 狩りはこんなものか、とトリエラが思っては困る。 

 そんな思考から出た、セリルの注意である。


 トリエラとしても母や騎士の強さなどには驚いたが、魔物を甘く見るはずもない。

 最初の猪も次の鹿も、そして最後のゴブリンも、トリエラ一人ではまだ戦えないというのは確かだったからだ。

 せめて魔法の一撃で、相手を絶命させることが出来れば。

 それなら狩人や斥候のように、先制攻撃で相手を倒していけるかもしれない。

 いずれにしても今のトリエラは、肉体的にまだまだ未熟すぎる。

 素の身体能力が上がってこそ、能力値の補正も活きて来るというものだ。


 色々な課題や疑問点が、明らかになった一日であった。

 ただレベルアップによる能力値上昇は、1から2に上がった時よりも、少し増えている。

(実際に戦闘に参加したから?)

 器用の項目が、前回よりさらに1多く伸びていただけだが。


 実際の経験や戦闘は、確実にこの上昇幅にもプラスの補正をかける。

 上級職は経験値が入りにくいと聞いたが、それでもこの上げ幅を考えると、最初から上級職に就いていた方がいいだろう。

 ゲームのシステムでは、こういうことはなかったものだ。

 あちらはそもそもレベルが上がっても、ここまで一気にステータスが増えることはなかったが。

 いずれ来る未来のために、トリエラは考える。

 悪役令嬢であるからこそ、他の転生者を牽制するだけの力は必要なのだと。

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