第14話 魔境

 この世界が実は、平行世界の地球である可能性。

 トリエラは実は平行世界という言葉は知らなかったが、パラレルワールドという言葉は知っていた。

 いや同じであろうに、と前世日本でそちらの方面の教養を持っている者がいれば、言ってしまったかもしれない。

 ただ彼女としては、月の顔の違いや、真北に北極星がなく、よく分からない星があるということで、やはり地球ではないのかな、とも思う。

 そのくせトリカブトや馬は、地球原産のものと区別がつかないのだが。


 この世界の生態については、最も違うのが魔物の存在である。

 魔物とは何かと言うと、魔素の働きを受けて活動する生物や、生物に似たもの。

 そしてその魔素を利用するための器官である、魔石を体内に持っていることだ。

 生物の中で魔石もなく魔素からなる魔法を使えるのは、人間だけである。

 神話や伝承によると、他の大陸には人間とはやや違う、亜人がいるという噂もあるが。

 書物のことが全て真実とは、解明されていないのだ。


 一般的には魔物は、とんでもない化物、という認識が強いだろう。

 だが実際のところ、普通に野生の獣の方が、弱い魔物よりはよほど強い。

 ただある程度のレベルを超える強さの生物は、やはり魔物ばかりである。

 その頂点とも言えるのは、幻獣とも神獣とも呼ばれる、竜であろうか。


 レベルを上げるためには、魔物と戦うのがいい。

 だがミルディアの中でもそれなりに首都に近い、このウーテルにおいて魔物を見ることなどあるのか。

 実はあるのだ。


 魔物の中でも弱いものは、大型の野生生物にさえ負ける。

 そして魔物の発生のシステムだが、これは通常の自然繁殖以外に、魔境から生まれるとも言われている。

 その魔境とは何かと言うと、これまた簡単だが魔素の集まった場所のことである。

 逆に魔素が集まったところこそが、魔境になるのだと言ったほうが正しいらしい。


 魔素の集まる魔境というのは、ちゃんと管理されれば鉱山めいた役割を持つ。

 魔物の体内から取る魔石は、魔素の結晶体。

 つまりこれから、魔力を引き出すことが出来るのだ。

 小さな魔境から発生するのは、小さな魔物で、その産する魔石も小さい。

 ただその小さな魔石であっても、燃料源としてはそれなりに優秀だ。

 ウーテルのようなそれなりに大きい都市では、魔法を利用した魔道具が色々と存在する。

 またインフラ施設に関しても、小さな魔石はそれなりに必要となる。


 大きな魔石を使うのは、特殊な薬を作ったり、あるいは装備を作ったりする場合だ。

 この場合は他の広大で危険な魔境や、あるいは中央から取り寄せられることがある。

 もっとも王都は王都で需要があるので、基本は広大な魔境に接した辺境から届けられる。

 この辺境がそのまま、人類の生活圏の限界であるため、魔境の向こうにある大地には、もしかしたら他の人類の国家があるのかもしれない。

 ただこのミルディア王国があるミルディア大陸は、やはりミルディアが中心であるらしい。

 しかしトリエラが少し調べただけでも、他の可能性があったりはするのだが。




 ウーテルの近郊にも、魔境はあって管理されている。

 基本的にはそこから、魔物があふれてくることはない。魔物もまた魔境の中のほうが、生きやすいのは確からしい。

 ただ全く出てこないわけでもなく、魔境の内部に魔物が増えすぎると、食べ物を求めて迷い出てくる。

 それを対峙するのは、普通に公爵家が雇用している領兵だ。

 前衛職の『戦士』なり『兵士』なり、あるいは『剣士』なり『弓兵』なりのクラスに就いている。

 魔法職もいるが、基本は小規模な拠点に待機している。

 ゲーム世界と比べると、魔法職の数は圧倒的に少ないのだが、それはこの貴族社会の仕組みを思えば、おかしなことではない。


 そして魔境の内部に入るのが、冒険者と呼ばれる職業だ。

 なおクラスとしても『冒険者』というのは存在する。

 斥候や狩人と似た役割を持ち、トリエラの適性クラスにも表示されていた。

 単純な戦闘力は戦闘職に劣るが、生き残り探索を続けるには適したクラス。

 ただすぐに魔境に出かける予定などないトリエラは、まず魔法戦士でレベルを上げる。


 トリエラのレベルが上がって三日後、一行は魔境に向かっていた。

 入り口まで半日かかるが、それは徒歩での話。

 冒険者を乗せた乗合馬車が、ウーテルの街からは出ている。

 もっとも安いがタダではないので、金銭に余裕がない新米は、歩いていくものだ。

 時間の短縮のためには、本当なら馬車に金を払って乗っていった方がいい。

 ただ歩くという基本的なことを鍛えるのだと考えれば、新米の間は徒歩も選択肢の一つだろう。


 なおトリエラたちは、馬車ではあるがもちろん、特別に仕立てられた馬車を使っている。

 人選はトリエラにセリル、そしてランにエマも共に来ている。もっともエマは身の回りの世話をするだけなので、拠点で待機する予定だが。

 魔境に入る三人のために、本邸からはクローディスが護衛を寄越してきた。

 本当に信頼できる護衛なのか、セリルとしては疑問であったが。

 ローデック公爵家の中で、ロザミアの影響力は小さいものではない。

 だが三人の中には『騎士』のクラスに就いた本当の騎士がいて、確かに護衛の戦力としては妥当なものだろう。




 騎士は基本的には、一代限りの貴族である。

 だがその跡取りが騎士に相応しければ、自動的にまた叙勲され、領地などを持っていたらそれも継承される。

 最悪婿養子か養子という手段があるので、実質的には代々の貴族となる。

 ちなみに同じ一代貴族に、準男爵というものがある。

 これは主に騎士が、なんらかの成果を上げたために、陞爵するものだ。

 これを滞りなく務めれば、男爵に陞爵する。

 ミルディア王国では、男爵と子爵が、継承可能な下級貴族である。


 上級貴族である伯爵以上には、騎士を自分で任ずるが権限がある。

 もちろん国への届出は必要だが、自分の領地を分け与えることによって、一代の貴族とすることが出来るのだ。

 これはただし、王国騎士とは区別される。

 騎士ともなれば戦場での働きで、さらなる陞爵さえ見えてくる。

 もっともここのところ、ミルディアでは国家全体を動かすような、大きな戦争は経験していない。


 トリエラが調べるに『騎士』というクラスは、相当に職階として選べるようになるハードルが高い。

 純粋な戦闘技能も必要だが、集団をまとめる立場として、指揮官としての能力も必要なのだ。

 また当然ながら、報告書を書いたりする、ある程度の学問的素養も必要となる。

 おまけに貴族の端くれであるから、礼儀作法さえ必要になる。

 庶民から騎士になるのは、極めて難しいことなのだ。


 ただクラスとしての騎士と、身分としての騎士は違う。

 クラスは『騎兵』や『重戦士』であっても身分としての騎士にはなれる。

 本物の騎士はそれだけで、身分もまた騎士として扱われる可能性がある。

 実際に準男爵になるのは、クラスとしての騎士が必須である。

 騎士をすっ飛ばして、準男爵になるというのも、一応は制度としては存在する。


 本日の護衛は騎士が一人に『斥候』と『戦士』の領兵が一人ずつ。

 魔境に踏み入るにおいて、最初には絶対に必要となるのが、斥候という役割である。

 もしくは狩人でもいいのだが、とにかく重要なのは、魔物を先に発見すること。

 戦える人間ばかりを集めてパーティーを組み、戦闘中に背後からの攻撃を受けて、死者を出す冒険者のなんと多いことか。

 ゲームにおいても斥候はクラスとして存在したが、必ず一人は斥候の持つ能力が必要であった。

 つまり斥候の能力を持っていれば、クラス自体は斥候でなくてもいいのだが。


 馬車一台と、騎馬が三人。

 早朝に出発した一行は、昼前に魔境に接した拠点に到着する。

 そこは堀と城壁に囲まれた、一種の砦のようなものである。

 ここに馬車とエマは待機して、残りの人間で、魔境の中に踏み入る。

 初心者が潜るぐらいに浅い場所で、今日は魔物を狩る予定だ。

 だがこれが危険なことであるのは、セリルもランも、そしてトリエラも分かっている。

 魔物や魔境ではなく、人間が危険であること。

 こちらの世界でも、人間の最後の敵は、人間であるらしい。




 そこは景色として見るなら、単に森である。

 だが気配が全く違うと言っていいだろう。

 冒険者が毎日侵入しているので、完全な自然のままとは言えない。

 魔物を狩る以外にも、魔境でしか生育しない植物や、魔境で生育した場合、全く違う薬草になる植物など、そういったものを採取する者もいる。

 ちなみに単純に魔物を狩るより、薬草採取の方が儲かるというのは、意外と冒険者が知らないことらしい。


 そういうことならファナも連れてきたらよかったのかな、とトリエラはこっそりとランに質問する。

「守りきれる人数が、オーバーしてしまいますね」

 それもあってエマは、拠点に待機しているわけである。

 ただトリエラとしては、セリルにラン、それに護衛が三人もいて、自分一人を守るのか、と不思議に思う。

「奥様や私も、護衛対象だからね」

 なるほど。それならむしろ、護衛の数はまだまだ不足しているのか。


 メイドの中でも、実ははっきりと役割が分かれているのだと、トリエラはようやく気づいている。

 純粋な意味でのメイドは、セリルが嫁入りの時に付いて来た三人の中には、一人もいないのだ。

 エマはセリルにとって相談役と言うか、メイドよりも一つ上の、侍女のような立場にある。

 ファナは薬学に詳しく、医者とまでは言わないが、セリルとトリエラの健康を担当している。

 そしてランは言うまでもなく護衛だ。

 このあたりの事情は、騎士たちは知っているのだろうか。


 いざ魔境に踏み入る前に、それについての確認がなされた。

 セリルの魔法についての腕前は、護衛たちも知っていた。

 だがランの護衛の腕については、聞かされていなかったらしい。

 トリエラからするとランは、こと対人戦においてなら、護衛の隊長である騎士よりも強いかもしれない。

 もちろん装備の関係もあるので、動きだけでそう判断するのは早計であるが。


 セリルの魔法については、期待はしすぎるな、ということになった。

 ただ故郷ではランと共に、魔物を狩っていたことは共有されている。

 つまりこの中で、完全に魔物を未経験なのは、トリエラだけである。

 もっとも前世の経験を入れるなら、狩猟の経験ぐらいはあるのだが。


 トリエラとセリルを中心にしながら、斥候の護衛が戦闘に立つ。

 魔境の中に進むのは、人々が踏みしめた道が既に出来ている。

 これはずっと先まで続いていて、冒険者は己の領分にあっただけ、先へ進んでから森の中に入っていく。

「ラン、貴族の娘の護衛にこの人数は、適切なの?」

 トリエラとしては、そのあたりの判断がつかない。

「魔境の浅い部分ならいいでしょうけど、ザクセンとローデックでは事情も違いますからね」

 一応ランも調べたのだが、そもそも貴族と言えども、子供をこの年齢から狩に連れて行くのは、ザクセンでもないことだ。

 またこれがトリエラの最初の探索としても、倍は護衛があってもいい。

 


 

 こんな状況にあるのは、いくつか理由がある。

 まず言えるのは、当主であるクローディスが、王都に赴いて不在であるということ。

 トリエラが神器の継承者であることを、国王に報告する務めである。

 もちろんただそれだけ、のために王都まで行くわけではない。

 貴族間の交渉なども必要なのだが、そのあたりトリエラは思いつくことなどはない。


 護衛の人選をしたのは、ローデック公爵家の騎士団を統率する、オロルドという老騎士である。

 ローデック家の中でも立場は、上から三番前後となる。

 なお騎士団を含めた領軍を動かす権限としては、公爵家でも二番目。

 ロザミアの言葉には乗らない、クローディスとしては信頼しているし、セリルとしても安全だと思える人間だ。

 ただそのオロルドが、確実に安全と言えるのが、この三人しかいなかったと考えると、それはそれでトリエラの確実な味方が少なすぎる。


 トリエラはもし、ロザミアが自分を殺そうとするなら、どういう手段を取ってくるかを考える。

 ただ殺せるのか、という根本的な疑問も抱いている。

 それは五歳の時から、脈絡もなく伝えられる天使の声。

 ゲームのキャラを選んでなかったばかりに、既に死んでしまった転生者がいる。

 あれは男も言っていたが、ゲームが始まるまではゲームキャラは、死なないようになっているのではないか。

 もちろん自分の命を使って、実験してみるわけにもいかない。

 だが保険になるのでは、という程度には考えている。


 魔境に踏み入る六人の中では、自分が圧倒的に一番弱い。

 それをトリエラはしっかり理解している。

 ロザミアは果たして、クローディスのいない時期を狙って、トリエラの命を狙ってくるか。

 難しいのではないかな、とトリエラは思う。

 

 今までセリルは本邸におらず、トリエラと共に暮らしていた。

 ロザミアにとっては、邪魔な存在ではなかったのだ。

 もっとも長子に神器の継承がされやすいことを考えれば、彼女はもっと早くから手を打っておくべきであったろう。

 ただそのあたり、ゲームのストーリーの補正力が、かなり働いていたのかもしれない。

 つまりロザミアは、これまでトリエラを殺せなかったか、殺さなかった。

 それを急に殺すには、人材を手配する必要があるだろう。


 オロルドが護衛に手勢をあまり出さなかったのは、あるいはロザミアの監視のためではないか。

 もっともトリエラはもちろん、セリルもオロルドのことをはっきりとは知らない。

 ただ代々の騎士として公爵家に仕え、今も重鎮である。

 正当な継承者であるトリエラを狙う理由は、彼自身にはないと思うのだ。




 斥候が先行して、一行は魔境の中を進む。

 既に道からは外れて、ある程度の茂みもあるような場所だ。

 斥候の他に『狩人』などのクラスの人間は、生命の気配を感知するスキルを持っていることが多い。

 護衛の斥候が魔物を探し、ランが周囲を警戒する。

 この隊列は合理的なはずだ。


 ただトリエラには既に、スキルが存在する。

 クラススキルというもので、そのクラスに就くと自動的に加わるスキルである。

 もっとも魔法戦士の場合は、実は上級クラスなので、その基礎スキルがそれなりにある。

 目立つところでは魔力感知、魔力操作、詠唱補助、武器戦闘、苦痛軽減、近接戦闘といったあたりだ。

 魔法と武器を組み合わせて、接近戦を行う。そんな魔法戦士には相応しいスキルである。

 ただこれ以外に、武器庫というスキルだけは、トリエラも理解しがたいものであったが。


 前世と現世の最大の違いは、魔素からなるエネルギーである。

 およそ全く何もないところから、火を出したり氷を作ったりするように見える。

 だがそれもまだ、現象としては分からなくもない。

 ただこの『武器庫』だけは明らかに、前世の科学文明を大きく上回っていた。

 もっとも創作の中には、この存在は昔からありふれている。

 いわゆる四次元ポケットだ。


 武器庫はその四次元ポケットの中で、武器の収納に特化したものである。

 ただ実際は武器でも、弓矢などは入れるのに一段階の手間がいる。

 弦を外した上で、弓の方は入れないといけないのだ。

 またもろい物も入れることは出来ない。

 出来ることは出来るのだが、すぐに破損するのだ。

 つまり武器に出来そうな硬度、弾力のあるものが、おおよそ10kg少し入る。

 もっとも防具になりそうな手甲も入ったので、そのあたりの基準は微妙だ。

 ただ取り出し口は右手か左手の先で、大きさも限られている。

 その中にトリエラは投擲武器と、予備の短剣などを入れているわけだ。


 今日の探索では、遠距離から一匹の魔物を倒すことを目指す。

 それ以上の戦闘をするかどうかは、まず最初の戦闘を見てから決める。

 もっとも単独で行動している魔物というのは、逆に見つけにくいものであるが。

 この魔境で最も弱いと言われているのは、小鬼の魔物である。

 亜人型の魔物であり、小さな角が二つある。

 その絵図を見たとき、トリエラが抱いた感想は、ゴブリンに似ているのでは、というものだ。


 ただ最弱の魔物であるというのは、群れから追い出されたはぐれのことを指す。

 実際には群れで行動する魔物であり、通常狩りや採取を行っている時は、五匹以上で行動する。

 これに対して同数以上で挑むというのが、一般的な小鬼退治だ。

 同じ小鬼が相手でも、群れの巣に突入するとなると、その難易度は急激に上がる。

 魔物はまた人間と同じで、レベルアップする。

 つまり群れの中心は、強い小鬼が率いているということだ。


 レベルアップというのも、不思議な現象である。

 魔物も全て、このレベルというものを、おそらくは持っている。

 動物にないことを考えると、おそらく体内に存在する、魔石が関係しているのだろう。

 それならばなぜ、魔石を持たない中で人間だけが、レベルアップするのか。

 これにも定説があって、魔法を使っているからだ、ということになる。

 魔法を使う魔物はいるが、一般の動物は魔法を使わない。

 このあたりの常識を持って、トリエラは魔境を進んでいる。


 先導する斥候は、無難な魔物になかなか当たらない。

 このあたりの魔境はまだ浅く、冒険者が狩り尽くしていることが多いのだ。

 ただしトリエラは、その鋭い五感で気がついた。

 あるいはこの中で、一番背が低いことも、関係したのかもしれないが。

「ラン、あちらの方から」

 小さく囁かれて、ランも気づく。

 生物の匂いが、こちらに流れてきていた。

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