第12話 貴族の嗜み

 本邸にトリエラを迎え入れるのには、一ヶ月ほどの準備がかかると言われた。

 ただ身一つで行くにしろ、家財などを揃えなければいけないし、あらためて家庭教師なども手配する必要がある。

 この別邸でトリエラが受けていた教育は、確かに貴族のもの。

 だが公爵の嫡子ともなれば、それだけでは足りないというのが理由であった。


 セリルも共に、本邸に招かれることになる。

 正直なところ、夫や他の夫人がいる本邸になど、息が詰まりそうで嫌だというのが彼女の本音である。

 それでも今のトリエラを、一人で送り出すという選択肢はない。

 ただランや、他のザクセンからついてきてくれたメイドたちにも、トリエラの状況は共有されている。

 今の彼女が、どれぐらい危険であるか、というものだ。


 夫であるクローディスは、特に問題はない。

 問題なのはその正室であるロザミアである。

 北方辺境の場合は、そもそも長幼も血統も関係なく、部族の中で一番認められた者が次の長となる。

 もっとも長老たちが推薦するので、それに左右されることは多いが。

 息子であるクレインは、継承者になれなかった。

 だが過去の例からすると、トリエラが死んだ場合は改めて、生まれてくる子供が継承者となるのが自然だ。


 ロザミアとその実家であるマーシル伯爵家は、王国内での権益を拡大させたいと考えている。

 そのためにこの結婚は成立したと言える。

 ザクセンの族長の娘であるセリルを第二夫人としたのは、そのザクセンに隣接する魔境の土地が、ローデック公爵家の飛び地として領地になっているからだ。

 なおクローディスには他にも側室はいるし、妾もいる。

 グレイルやクローディスはむしろ、マーシル家との縁は出来たが、必要以上に影響を受けないよう、嫡子は他の妻から生まれた子供が良かった。

 逆にマーシル家とすれば、ロザミアの生まれた子供が次代の公爵にならなければ、あまりローデック家へと働きかけることが出来ない。


 まずはトリエラを殺す。

 セリルはトリエラがいないのなら、別に殺す必要もないのだ。

 ただクローディスがまた、セリルとの関係を復活させるなら、殺しに来る可能性は高いだろうが。

「ならば、私の知識も必要でしょうね」

 そう言ったのは、同じくセリルに付いて来たメイドの一人であるファナであった。

 彼女は薬師のクラスにあり、セリルやトリエラに対しては、簡単な薬を作ったりもしている。

 故郷でも同じことをしていて、ファナも本来のメイドとは少し違うのだ。


 本職の傍仕えというのは、エマという中年の女が一人だけである。

 故郷でも貴人の世話係をしていて、ミルディアの常識などもある程度知っていた。

 また育児の知識などもあったため、乳母などもやってくれていた。

 トリエラは手のかからない子供であったが。

 エマからするとトリエラは、かなり特殊な子供である。それこそセリルが思っている以上に。




 この世界はと言うか、この惑星は、やはり地球なのだろうか。

 トリエラがそう思うのは、別邸の薬草園を眺めていた時である。

 メイドの一人が管理している花壇の集まりであるが、あまり華麗な花を咲かせることもない。

 セリルからは下手に触ると危ないものもある、と言われているのであまり近寄ることもなかったが。


 それでも狭い屋敷の中でだけ生活していれば、そんな薬草園を訪れることもある。

 その中にアロエやヨモギを見つけたときは、どういうことかとも考えた。

 神々が本当に神であるなら、地球に真似た世界を作った、という論法が成り立つだろう。

 それこそ動物の中にも、馬などがいることの説明はつく。

 だが地球に似せたにしては、中途半端に似てしまっている。

 トリエラとしてはもう一つの可能性も考えてしまうのだ。


 そして薬草園の中には、猛毒のトリカブトやトウゴマが栽培されていた。

 あるいは大麻などさえもあった。

 もちろんこれらの植物は、容量を守って使えば薬となる。

 前世において養父が、山に入ったときに教えてくれたものだ。

 過ぎた薬は全て毒。ただし過少に使っても毒でしかないものはある、と。


 そんな薬草園を管理しているファナが、トリエラの教育係となった。

 自分や母が、または別邸の住人が病気になどなった時、医者代わりに薬を煎じてくれていたメイドである。

 だが教師としての彼女は、実際の植物を見せながら、主にその毒としての効能を説明するようになったのだ。


 クラスの中には『薬師』というクラスがある。

 その薬師というのが、ファナなのである。

「ミルディアの貴族は、政敵の暗殺手段として、毒を使うことがあります」

 それは確かにあるだろうな、とトリエラは思った。

 ファナとしてはそれを聞いて、全く顔色も変えないトリエラの方が不思議であった。

 ただ彼女は知らされていなかったが、トリエラの適性クラスの中には、既に薬師もあったのだ。


 こういった知識を学んでいくうちに、トリエラは自分の状況を楽観出来ないものだと気づいていく。

 ロザミアという父の正室は、確かにトリエラには悪意を持っている。

 その程度はというと、母がランと共に護身のための技術を教え、ファナが毒への対策を教えるほど切迫したもの。

 暗殺の危険は絶対にあるということだ。

(だからトリエラは歪んでいったのかな?)

 周りが敵ばかりであれば、助けようとも思わなくなるであろう。

 それが冷酷非情の性格を形成したのだろうか。




 トリエラを殺すとしたら、確かに正面から殺すより、毒物などの方がいいのだろう。

 もちろんどちらであろうと、問題がないわけではないが。

 ロザミアがトリエラを、それこそ誰かに命じてナイフなどで殺した場合。

 これは完全に公爵家の醜聞となる。

 だが毒殺であれば、病死と誤魔化すことが出来るかもしれない。

 それでもロザミアのやったことが明らかであれば、父はロザミアから心が離れてしまうのではないか。


 他の貴族家はともかく、ローデック家の神器継承者というのは、かなり特別であるらしい。

 それを殺害するということを、正室のやったことであれ許容するのか。

 父はともかく祖父などは、かなりトリエラに好意的であったし、父もわずかに情を見せていた。

 トリエラが死んだならば、次の継承者がまた生まれることになる。

 ロザミアとしては自分でその子を産むつもりなのかもしれないが、父はどう考えるだろう。


(確か正式な妻は、あと一人いるんだったっけ)

 そちらはゲームではなく、こちらに転生してからの知識のはずだ。

 もしも第三夫人が子供を産めば、そちらが継承者になる可能性が高い。

 するとロザミアは、またもそれを暗殺にかかるだろうか?

 しかしトリエラが知るに、セリルはかなり特殊な形で公爵家に入っている。

 第三夫人の実家がどこかは知らないが、ロザミアが殺せるものなのだろうか。


 ただとりあえす確実なのは、自分と母に対して、ロザミアが害意を持っている可能性が高いということ。

 おそらく父は、ある程度トリエラを重視してはいるだろう。

 だが最悪なことを考えておくのなら、ロザミアは自分と母を殺しにかかることは間違いない。

 これを根本的に解決するにはどうするか。

(ロザミアを殺そう)

 殺される前に殺してしまうのが、一番安全である。

 ただしロザミアの害意を確認するのが、先にはなる。

 この国の法律がどうなのかは知らないが、それ以前の価値観として、トリエラはそう考える。

 基本的に自分が殺すのは、自分や自分が大切にしている者を、害そうとするものだけであると。


 生まれ変わってからの、こちらの世界の常識ではない。

 トリエラは日本で過ごしていた頃から、こういう意識を持っていた。

 だからこそ、殺されてしまったというのはある。

 自分も殺したのだから、ある程度は自業自得なところはあるが。


 殺人を決めた六歳児の心中を、セリルは当然見通すことはない。

 ただ自分の娘は普通ではないのだな、という意識は少しずつ大きくなっていったのだった。




 トリエラの教育と訓練は進む。

 これまでの家庭教師に加えて、クローディスはさらに違う分野の学者を雇ったりもしたのだ。

 転生者であるトリエラは、他人から見ればたいそう早熟だ。

 だがあまりそう見られるのも嫌だな、と本人は思っていた。

 前世のトリエラは、あまり子供らしい子供時代を送っていない。

 だいたいにおいての価値観によれば、不幸な分類の少女であった。

 ただ貴族の娘というのも、それはそれで面倒だ。


 生活の環境などを考えると、前世日本で過ごした人間など、この文明レベルでは暮らすのが苦痛ではないだろうか。

 トリエラのように前世でも、今時そんな生活をしているの、と驚かれるアナログな人間は別だろうが。

 養父は時代の変化には、無頓着な人間であった。

 伝承された技術を、次の誰かに引き継いでいく。

 だからこそトリエラは、こんなおかしな経験値を前世で積んでいる。


 転生者はまた、何人か死んだらしい。

 この間、初めて別邸の敷地内から出たわけだが、公爵家の領都であっても、生活のレベルはそれほど高そうではなかった。

 それでも上流層に生まれれば、まだマシだったのかもしれない。

 しかし平民で、それも田舎になど生まれていては、前世日本を懐かしく思う人間も多いのではないだろうか。

 天使は死亡を告げるだけで、その理由までは言わない。

 だが自殺者もいるのでは、とトリエラは思ったりする。


 トリエラがまさに、悪役令嬢ではあっても貴族を選んだのは、ゲーム世界を現実にした場合、生き抜くのが大変だと思ったからだ。

 女でありながらキャンプの経験や、田舎の過疎地の自給自足生活に、ある程度慣れていてもなお、である。

 平民の教育はどういうものなのか、トリエラは何人かに聞いたことがある。

 それで分かったのは、農村までも含めても、それなりに識字率は高いということ。

 ただ四則演算に関しては、足し算と引き算しか出来ない人間が、かなりの数であるということだ。

 ちなみにこの世界は、数字は10進法である。




 ランの戦い方は、現在のトリエラには合っていた。

 弓だけはさすがに、体格が未熟であるため使えない。

 ただその代わりに、投石の技術を磨いた。

 石を投げるというのは、案外馬鹿にならない威力を持つ。

 たとえば日本の戦争でも、銃が普及するまでは、兵士の死亡原因の第一は弓矢であった。

 そしてその次が、投石である。……あったと思うトリエラである。


 もっともトリエラの場合、遠距離攻撃には魔法がある。

 威力にしても今の六歳の体格で石を投げるよりは、火炎放射などの方が威力は高い。

 さらにトリエラは、短期間に幾つかの魔法を覚えた。

 攻撃と言うよりは、牽制にどれだけ使えるか。

 また身体能力を高めるというのも教わったが、これは子供の肉体では、よほどの窮地以外は使わない方がいいとも言われた。


 投擲武器としては石に限らなくても、ある程度の重さを持つものを懐に忍び込ませておけば、それだけで武器にはなる。

 基本的には短剣の技術を、ランはトリエラに教えた。

 ただこの世界では現時点では、大規模な人間同士の戦争は起こっていない。

 少なくともこの、ミルディアの文明圏はそれなりに平和なのだ。


 なので発達している戦闘技術は、第一に魔物を想定したものである。

 そして魔物は千差万別なので、あまり技術を磨くということはない。

 基本的には身体能力を上げて、適切な武器を使用する。

 加えて防具をしっかり装備すれば、それが戦闘の正しい準備となる。


 対人戦闘の技術が、全く発達していないわけではない。

 実際にこの街にも、闘技場があって人間同士の戦いが見られたりする。

 また護衛の技術は基本、対人戦を基本としている。

 遠距離からの弓や魔法の攻撃は、同じく魔法で防ぐことが一般化している。

 なので暗殺者が、状況を整えて接近して殺すというのも、それなりにはある。

 むしろトリエラにとって必要なのは、その暗殺者の一撃だけをどうにか回避する能力だろう。


 そんな日々を送っていた中で、トリエラはついにそれを経験する。

 もっとも気づいたのは、翌日のことであったが。

「これは……」

 鑑定板に記載された、位階という項目。

 ゲームにおいてはおそらく、レベルとされていたものだろう。

 それが『1』から『2』に上がっていたのだ。




 元のゲームにおいては、レベルを上げる手段は二つであった。

 一つは分かりやすいことだが、魔物や人間などの敵を倒すこと。

 魔物を倒した場合は、魔素と呼称されている魔物を成り立たせている存在が、周囲に拡散する。

 これは実は計測されていないもので、理論上の存在である。

 この魔素を吸収するため、いわゆる経験値が加えられて、レベルが上がるのだ。


 もう一つは、魔法を使うこと。

 魔素というのは魔法の元であるとされていて、この理論上の存在を使うことは、やはり体の中を魔素が通り抜けることになる。

 そのためやはりレベルが上がるのだ。 

 ゲームだけではなく、この世界においても、主な手段はこの二つである。

 そう、主な手段は、だ。


 前世とこの世界の最大の差は何か。

 物理法則は、かなり前世と同じである。

 少なくともトリエラが感じる限りは、同じように体が動く。

 最も違うものは、やはり魔法だろう。

 そしてその魔法は、果たしてどこからきているのか。


 魔素がそこかしらに存在するのだ。

 そして魔法を使っているのだから、確かにレベルは上がるだろう。

 もっとも魔物の持つ魔素と、魔法を使う魔素、レベルが上がるのは前者を倒した場合の方が圧倒的に早いらしい。

 そのあたりは観測が出来ておらず、統計から予想されているだけである。

 こんなことを理解しているトリエラに、家庭教師たちは驚いていたが。


 トリエラは前世、大人になることなく死んでしまった。

 だが今のこの社会では、教師が驚くような思考力を持っているらしい。

 使用人などと話しても、確かに思考の前提となる知識が、まったくないと思えたりはする。

 知識と言うか、知性と言おうか。

 物事の優先順序を決めたり、深い洞察を行ったりと、そういうことが基礎レベルで出来ていない。

 それでも貴族の屋敷の使用人ともなれば、一般的な平民よりは、教養に触れることがある。

 門前の小僧、習わぬ経を唱える、というやつだ。


 それはそれとして、レベルアップである。

 ナレーターのようにレベルが上がったと脳内で知らされることはなく、また一瞬で能力が上がったわけでもない。

 ただある日、朝からやや違和感があって、鑑定板を調べればそうなっていたのだ。

(ゲームだと即反映されてたけど)

 考えてみればそれも、おかしなことではあるのだ。


 位階が上がる、と表現されるレベルアップ。

 生まれた時から人は、レベルが1となっている。

 このレベルがアップすることにより、鑑定板で調べることの出来る、能力値も成長していく。

 だが明らかにこの数字は、そのままの能力値ではない。


 一応これも学術的に研究はされていて、法則はおおよそ判明している。

 またクラスに就いていることで、その上昇が変化することも知られている。

 ただ大男の筋力1と、トリエラのような幼女の筋力5では、完全に大男の方が力では優る。

「お母様、レベルが上がってました」

 そうセリルに報告して、トリエラはレベルアップと能力値の上昇についてを確認していく。

 それはおおよそ、書籍で記されていたのと、同じようなものであった。

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