第10話 魔法戦士
「馬鹿な!」
「ありえん……こんなことは……」
「これは……まさか……」
「何か知っておるのか?」
トリエラは事態を把握していない、といった表情を浮かべたフリをして、大人たちを見ていた。
「以前、アグナウバ家の子供にも、同じようなことが……」
そう口にした司祭は、それが秘密であることを思い出し、口を閉ざす。
だが奇跡の目撃によって、充分な情報を既に口にしてしまっていた。
(アグナウバ……すると、確かラトリー)
トリエラの前世ゲーム知識は、かなり偏っている。
攻略したルートが二つだけであるので、その他のルートのキャラはあまり深く知らない。
だがそれでも、アグナウバというなら分かる。
ラトリー・ミルス・アグナウバはゲームの攻略対象の一人であり、トリエラと同じ魔法職のキャラクターであった。
他のルートでも仲間になるパターンがあり、そしてものすごく使い勝手が良かったキャラである。
トリエラの見たキャラシートでも、既にグレイアウトしていた。
数歳年上だったので、当然ながら記憶も戻っているはずだ。
ゲーム世界では主人公の二歳上までのキャラが、かなりの割合を占めていた。
舞台の前半が王立学院となるので、およそ年齢が近しいキャラが多かったのだ。
ラトリー以外にも確かに、年上のキャラは選ばれていたはずだ。
ならば同じことが数件は起こっており、トリエラが目立ちすぎることもない。
そしてトリエラは、これだけのクラスがいきなり現れる原因も、ちゃんと分かっている。
トリエラと同じように、幼少期から各種熟練度を上げているのだ。
そしてもう一つ、前世での記憶や経験が、ある程度は継承されている。
狩人、薬師、旅人、農民、職人というあたりは、あってもいいかなと思っていた。
しかしまさか、ある程度母に学んだ魔法職ではなく、前衛戦闘職がこれだけ出るのは、トリエラとしても意外であったのだ。
戦士やその上級職の戦鬼。
剣士やその上級職の剣豪。
魔法と接近戦の、両方に長じた魔法戦士などは、いくらなんでもやりすぎのような気もするが。
「どうするのだ? 普通ならばまずは魔術士を選ぶところなのだが」
「しかし父上、既に魔導師の選択が出ております。これを逃す手はないのでは?」
セリルに習った限りでは、魔術士から魔導師へクラスアップというのが、一般的な選択なのである。
上級職の魔導師は、普通は最初の選択肢としては出ない。
ただこれは父や祖父にとっては、喜ばしいことのようである。
だが、選ぶ必要はないのだ。
「お待ちください。姫様は既に、魔法戦士となっております」
司祭の指摘に、二人は口を噤む。
そして水晶球に浮かぶ中で、かすかに発光しているクラスを確認した。
「魔法はともかく……戦士?」
「セリル、お前はどういう教育を、いや、なぜこのようなことになっているのだ!」
クローディスの詰問するような言葉にも、セリルは涼しい顔である。
「私も実家では神を祭る家でしたので、実は判定は行っておりました。しかし、最初からこうだったのです」
そう、セリルは嘘をついていない。
トリエラは最初から、魔法戦士であったのだ。
魔法戦士というクラスに就いている人間は、あまり多くはない。
前衛の戦闘職であれば、戦士や剣士、兵士というのが一般的だ。
トリエラの場合、戦士や剣士があるのに、兵士がないというのは珍しかったが。
いや、普通の人間は、10歳頃の貴族の子息でも、戦闘職は一つぐらいしか出ないのだが。
魔法戦士というのは、前衛の戦士と、後衛の魔法職、両方の役割を果たせるクラス、ではない。
前衛の戦士が、前衛で戦いながら魔法を使うというクラスなのだ。
なおこれは、ゲームではなかったクラスである。
他にも色々と、ゲームにはないクラスというものが存在している。
歴史によるとクラスというのは、時代が進むほどに増えているのだ。
もっともそれは、過去に存在していたものが、一度忘れられているのかもしれないが。
魔法職というのは長らく、中衛から後衛、あるいは特殊なクラスであった。
だが器用に両方を、前衛で戦いながらこなすことが、戦闘技術やアイテムの進歩で可能になった。
それでも珍しいクラスが、魔法戦士である。
「生まれた時から、クラスに就いていたと?」
「それは、生まれたときになど判定の儀はしませんから、分かりませんが……」
司祭の言葉を疑わなければ、転生者のみがそのアドバンテージを受けている。
この世界のシステム、そしてクラスについて考えれば、その認識になる。
あとはその、判定の儀の時に既に、多くのクラスが出た人間を探せばいい。
それが転生者の可能性は高い。
本来ならクラスとは、後天的に獲得するものである。
生まれてからの経験や努力によって、色々な作業や知識に関して熟練していく。
それがある程度の域を上回れば、選択するクラスが出るというわけだ。
そして前世持ちというのは、既に前世で経験を積んでいる。
トリエラのクラスに関しては、それでもおかしなものであるのだが。
「神々が、姫様を祝福したのでしょう」
「そうか……」
父としては望ましいことのはずだ。
だがやはりロザミアにとっては、都合の悪いことだろう。
それでもこんなアドバンテージがあれば、暗殺や取って代わることも難しい。
ローデック公爵家は、実質はどうかは分からないが、トリエラが次期当主と決まったようなものだ。
「天恵はないのか?」
そう問い重ねたのは、祖父のグレイルだ。
天恵というのは、ごく稀に人間が生まれつき持っている、特殊なスキルのことである。
ゲームではスキルとは別に、ギフトと呼ばれていたが。
司祭の言葉に従い、トリエラは自身も口にする。
「天恵」
そして鑑定板に出たのは『技量転換』というものであった。
きょとんとした表情が、その場の全員に浮かぶ。
これについてはセリルも、初めて見たものであると言った。
また司祭も、様々なスキルについて知っていたが、これの知識はない。
あの白い空間で、あの男が語っていたもの。
転生者に固有に与えられる、特別なスキルのはずであった。
「姫様、その天恵に手を当ててみてください。詳しい内容が頭に浮かぶはずです」
既に一度それを、トリエラはやっている。
だが素直に頷いて、頭の中に浮かんだ言葉を口にした。
「技量の高さが、身体能力の上昇に加えられる、というものらしいです」
その説明を受けても、やはり困惑の色は消えなかったが。
天恵の詳細はともかく、天恵を持っているということ自体、特別である。
神々が祈祷術によって実在するこの世界では、それだけで選ばれたものであるのだ。
間違いなく選民思想につながるだろうし、貴族などがいても当たり前の世界観となる。
トリエラとしてはやはり、立場の悪さがあったとしても、これだけのアドバンテージがあるとすれば、やはりこの悪役令嬢を選んで良かったと思うのだ。
なおゲームのトリエラが持っていたギフトは、全く違うものであったが。
司祭の表情が顕著であったが、クローディスとグレイルもまた、トリエラを見る視線が変わっていた。
これまでのような物品を鑑定するようなものではなく、少なくとも人間を見ている目にはなっている。
それでもまだ、冷徹な色は濃く残っている。
だがトリエラを、貴重な人材と判断したのは間違いないだろう。
「トリエラには本邸に移って、改めて教育をしよう」
クローディスの言葉に、グレイルは何度も頷いていた。
今までのトリエラが受けていた教育は、主に学問としてのもの。
だがこれからは、貴族の嗜みとして、それ以外も多くのことを教えていこう。
公爵家内での、己の地位はかなり堅固なものとなった。
だがトリエラは、ここで口を挟む。
「お母様も一緒なのですか?」
その質問は、クローディスにとっては意図していないものであった。
だが言われてみれば、確かに配慮すべきか、とも思える問題だ。
上級貴族はその教育を、主に家庭教師によって学ぶ。
特に子供時代の礼儀作法などは、親の教育はむしろ家風や伝統を継承するのみである。
しかしトリエラの場合、ミルディア王国の国外の一族である、セリルに全ての養育を任せている。
もちろんある程度、教師などは選別しているが。
貴族は身内にも厳しくしなくてはいけない。
特に上級貴族であれば、身内への情が国を動かしてしまう場合もある。
そのために家族の間でも、一定の線を引いておく。
このあたりの事情をトリエラは知らない。
そしてふと口にしたものから、トリエラはセリルに対して、ごく普通の慕情を抱いているのだと判断された。
本人としては、もっと打算的なものであったのだが。
夫と義父の視線のやり取りから、セリルは考える。
トリエラをこのまま、本邸にやってしまっていいものか。
今までは別邸にて、好きなようにさせていた。
わざわざ自分が魔法を教えたのも、セリルの一族でのやり方である。
普通ならば広大な本邸に、セリルも部屋を与えられるべきなのだ。
離れも存在するのだから、そちらに住んでいてもいい。
だがこれまで離れていたのは、本邸にいてはロザミアの悪意に晒されるからだ。
別にセリルは、夫のことなど愛してはいない。
政略結婚でローデック領に来たわけであるし、何か催しがある時は、同伴するのはロザミアがほとんどであった。
正室の第一夫人なので、それはおかしくはない。
しかしここでトリエラが、本邸に引き取られたら。
ロザミアの悪意は、トリエラに向けられるのではないか。
面倒と思って別邸で気ままにくらしていたが、いよいよ働かなくてはいけないのかもしれない。
一族から嫁いでくる時、あの不気味な長老たちも言っていたのだ。
セリルの産む子は、一族を大きく変える子であると。
一族から嫁いでいくのに、どうして一族にそんな影響があるのかと、セリルは不思議に思ったものだが。
だが、生まれた子がトリエラであった。
どこか常人離れしたところを感じさせる、たった一人の娘。
そして神器の継承者であり、天恵までも得ていた。
ミルディアとセリルの一族では、祭る神々の形が少し違う。
それでもこのトリエラという娘には、何かがあるのだと思われた。
寒々とした、あの故郷を思い出す。
トリエラはむしろあの故郷でこそ、その力を発揮したのかもしれない。
だが現実としては、魑魅魍魎の住む王都へ、いずれは赴かなくてはいけない。
(守らなければ)
そうセリルは覚悟したのだが、クローディスは事態を棚上げにした。
「今すぐに決めることではないな。学んでいることも途中であるだろうし、少し時間を置いて考えよう」
その時間は、あとどれぐらい残されているのか。
表情を落としたセリルの顔を、トリエラは見ていた。
そんな表情はトリエラも、とてもよく似ているものであった。
馬車に乗って、別邸に戻る。
トリエラはセリルと向かい合っていた。
「あなたは賢い子ですから、今のうちに教えておかなければいけません」
セリルの言葉はいつも通り、トリエラを一人の人間として扱ったもの。
だが今は、わずかながらそこに感情が含まれていた。
「正室であるロザミアは、私たち親子を良くは思っていません」
「やはりそうですか。分かります」
トリエラとしては答え合わせのつもりであったのだが、セリルは溜息をついた。
我が娘ながら、判断が冷徹すぎる。
セリルはトリエラに対して、ほとんど魔法に関することしか教えていない。
どうしても心配であったので、判定の儀に関することは教えたが。
そしておそらく家庭教師も、一般知識は教えても、それがどうローデック家とつながるかは、教えていないかもしれない。
「教師からある程度学んでいるかもしれませんが、ミルディア王国には王族と、準王族とも言える公爵、王族の血からは遠い公爵、辺境伯、伯爵が上位貴族として存在します」
「はい、学んでいます」
「準王族は王家に近く、もし王家の血統が途絶えた時には、新しい王が選ばれることになります。王位継承権があるのは通常この準王族までです」
「私たちのローデック公爵家は違うのですね」
「そうです。神器を継承している六つの公爵家は、ミルディア王国でも半独立的な立場にあります。そして公爵家の当主は、王国の高官や高位の軍務に携わることが出来ません」
それは初めて聞いたことである。
「財力や軍事力も持つ公爵が、権力まで持ってしまうと、簒奪の恐れがあるからです」
生臭い話になってきたな、とトリエラは思った。
だが理解は出来る。
王国の大臣や高位の官僚、そして高位の将軍になれるのは、辺境伯か伯爵だけである。
ただ摂政だけは別で、トリエラの祖父が公爵を息子に譲った後、摂政となっている。
もしもそれより低い家格で適格者がいた場合、名誉伯爵となって一代限りの伯爵扱いとなる。
そしてこの王国の行政を行う伯爵家の出身が、クローディスの妻であるロザミアなのだ。
「お母様は外国の当主の娘なのですよね?」
「そのあたりはミルディアとそれ以外では、国としての形態が違いますから」
セリルの出身は、ミルディア北方の地である。
ザクセンと呼ばれていて、一応はその部族と言うか集団と言うか、長を務めているのが父であった。
ただあれを、国と呼んで本当にいいのだろうか。
ザクセンもまた、神を信仰はしていた。
邪神崇拝などではなく、まっとうな神であったと言える。
ただ神は、人格を持っていなかった。
またその密事においては、本当に限定された人間が、祭祀らしきものを行っていた。
セリルもまた巫女の一人であったが、あれはどう判断したらよかったのか。
ミルディアに来て初めて、比較対象を手に入れたわけなのであるが。
クローディスがセリルやトリエラに無関心であったのは、そのあたりも関係しているだろう。
特にセリルは、クローディスが当然のように話すことに、素直に頷くことが出来なかった。
根底から思考の方法が、価値基準が違うので、お互いに交流することが難しい。
またそもそもセリルが、美しいことは美しいが、睦言に積極的でなかったのも確かだ。
それでも父や長老たちは、自分をローデック家へと送り込んだ。
(この子には、何かがあるの?)
他の家においても、いくつか同じような子供がいるという。
世界の変革。それは故郷において、あの老人たちが望んでいたことのはずだ。
セリルは社交に長けていないし、政治的なことも分からない。
だが魔法や魔道に関しては、かなりの知識がある。
それもミルディアにあるような論理体系ではなく、実戦に即したものだ。
巫女もまた、北方の大地では、魔物を狩るために戦っていた。
ならば自分が守ることも、そして自分自身で守ることも、教えられるはずだ。
「トリー、私は貴方に、戦うための魔法を教えます」
人を殺せる魔法である。
「それで自分の身を守れるようになりなさい」
果たしてどれだけ、ロザミアが積極的に、トリエラに悪意を向けるかは分からないが。
「でしたらお母様、お願いがあります」
「お願い?」
「ランからも教えてほしいのです」
その願いに、セリルは息を呑んだ。
ランはセリルが嫁いできた時に、共に北方からやってきたメイドの一人である。
だが故郷にいた頃は、戦士として狩にも参加していた。
女だてらに、などとは北方では言われない。
しかしいつの間に、ランが強いことを知っていたのか。
「ランから聞いたのですか?」
その問いかけに、トリエラは首を傾げる。
「彼女が戦えることを、誰かが言ったのですか?」
他の共にやってきた従者であるメイドは、戦士ではない。
「ずっと強いんだろうなと思ってました」
それは確かに、ランは動きを見るだけで、メイドの動きとは違うのではあるが。
セリルはトリエラの観察眼に、驚愕と言うよりは唖然とする。
そんなに直感的に、子供が見て分かるものであるのか。
純粋にトリエラのためを思えば、確かに悪いことではない。
トリエラは、魔法戦士なのだから。
「分かりました。考えましょう」
娘のためになら、なんでもしてやりたい。
セリルもまた、一人の母であった。
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