第9話 判定の儀
この日、生まれて初めて、トリエラは領都ウーテルにおける、ローデック公爵家の本邸に入った。
出産もその後も、セリルは全て別邸で行ったし、トリエラの父であるクローディスがそこを訪れたのは、数えるほどしかなかった。
だがセリルにとっては、そちらの方が都合がよかった。
トリエラは赤ん坊の頃から、かなり特殊な子であった。
一族の赤子を見ていたセリルにからすると、意味なく泣き喚くということがない。
腹が減った時と、オムツが塗れた時ぐらいしか、乳母を呼ぶこともなかった。
また少しどころではない、好奇心の旺盛さも特徴であった。
かつてあの別邸では、家督を継承しない者が、研究のために本を集めていた。
その後もあの屋敷は側室やその子が使うことが多く、年齢別にある程度の書籍を揃えていた。
トリエラの読んでいる本は、年齢からすれば随分と、内容が難しいものだと思うのだ。
子供特有の好奇心。
だがそこからトリエラが、何かを見出すということがないように思える。
いつの間にかセリルは自分の娘が、何か遠いところを見つめるようになったのに気づいた。
子供が語る、夢見がちな未来ではない。
魔法を使いたいと言ったのも、何かを確信していたかのようだ。
それはまるで、故郷の部族の神官たちのように。
ただあれは、そういった教えを受けたからこそ、あのように狂信的になるのだとは理解していた。
トリエラは違う。
何かが決定的に、他の子供とは違う。
自分が何のために生まれてきたのか、確信しているかのようなあの目。
そして魔法によって判定をした時、セリルはその未来が分かった。
故郷のあの神官たちの吐く、呪詛の言葉。
セリルは故郷に伝わる歴史を、懐疑的に聞いていた。
巫女と育てられながら、多くの知識を教えられてきた。
同じように育った娘は何人かいたが、その中でもセリルのような少女はあと一人ぐらいであった。
彼女はセリルが嫁ぐ前に、部族からは消えていた。
果たしてどうなったのか、セリルの知ることではなかった。
広大な屋敷の中を歩くと、一度中庭に出て、回廊を通って離れに向かう。
どこに向かっているのか気になるが、とりあえず母も一緒であるのだから問題ないのだろう。
使用人などと出会うことはないが、あちこちから人の気配は感じる。
訪れたのは、小さな礼拝堂のような場所だ。ただ、礼拝堂ではないだろう。この世界はそういう宗教ではない。
大きく開く扉の中は、やや薄暗かった。
だが高い位置に小さな窓があり、そこそこ外光が入ってきている。
灯明の魔法で光源を増やしているが、それでもまだ普段の灯明の魔法よりも、光量が抑えられている。
儀式用にでも使うような建物に見えた。
既にその中には、今回の儀式のための人間が揃っている。
見覚えのある人間がいる。
トリエラの父であるクローディスは、おおよそゲームに準拠した容姿である。
髪は真っ赤であり、ローデック公爵家の人間は、基本的に赤い髪が遺伝している。
それはトリエラの異母弟であるクレインも同じで、並べてみたら明らかに、あちらの方がローデック家の血が濃いと思えるものだ。
もちろんトリエラは母親似そっくりであるため、不貞などを疑われているわけではない。
ただトリエラの感覚としても、男子で自分に似ている長男の方を、可愛がってもおかしくはないだろうと思う。
使用人たちの噂話によれば、セリルとクローディスの間には、夫婦の営みさえほとんどなかったはずだ。
なので本当の子供なのかどうか、怪しまれているのだ、と使用人たちは言う。
もちろんトリエラは、自分がこの父の娘だと知っている。
ローデック公爵家に伝わる神器を、ゲームでトリエラは使えるのである。
それに母親としてセリルを見た場合、浮気をするような人間とは思えない。
貞淑であると言うよりは、そもそも男に興味がないのではないか。
クローディスの他には、前ローデック公爵であるグレイルがいる。
クローディスの父であり、ミルディア王国の現在の宰相。
同じく赤毛であるが、それには白いものが混じっており、深い皺と共に年月の積み重ねを感じさせる。
これまたゲームのキャラの面影があるが、あいつらはどこまで世界に干渉しているのか。
二人のトリエラに向けてくる視線は、鋭いものがある。
悪感情というほどのものではないが、人を見定めようとする目だ。
セリルもこういった、機械的な目で人を見ることがある。
だがこの二人の視線は、威圧感さえ伴っていた。
そしてもう一人、明らかに視線に敵意を乗せてくるもの。
最初からこの場にいる者の中では、唯一の女性である。
金色の髪に翡翠の瞳と、外見だけなら美しい。
衣服や装飾品の豪奢さに、年齢などから考えれば、クローディスの正室であるロザミアなのだろう。
ゲームには出てこない登場人物であるし、クレインの母親の名前など知らなかったが、さすがに事前には知らされていた。
トリエラは前世で、クレインルートは攻略していない。
なのでロザミアについては、詳しくは知らないのだ。
ただわずかな絡みの中に、既に死んでいるというような話はあった。
それがクレインを、ああいった弱気なキャラにしてしまった原因なのかもしれない。
(ひょっとしたら、私が殺すのかな)
ゲームの中でのトリエラとクレインの交流は、姉弟であるのにあまりない。
おおよそクレインが逃げ出すというものだったが、トリエラがロザミアを殺したのなら充分にありうる話だ。
ただそんな想像は後にして、今は父と祖父の歓心を買うことが重要になる。
「お父様、お祖父様、ご機嫌麗しゅう」
スカートの裾を掴んで、家庭教師が教えた通りに挨拶をする。
物怖じをしないトリエラの姿が、果たしてどう映っただろうか。
「うむ、久しいな」
「儂は初めて会うか」
とりあえずその声色からも、変にトリエラに悪意を抱いているとは思えない。
もっとも、好意も感じられなかったが。
容姿の美しさを利用して、父や祖父といった存在を、こちらに引き寄せる。
そういった手段も有効だろうとは思ったが、トリエラには無理であった。
いずれゲームのように物語が進むなら、かなりの確率で父や祖父は死んでいく。
その時に変に情が移っていれば、殺すのにもためらいが出てくるかもしれない。
(私が生き残るためには、さっさと公爵家の家督を継ぐのが一番だろうけど)
トリエラは無表情で相対しながらも、ごく自然と二人を排除する方法を考えていたのであった。
この宗教的儀式を行う部屋には、他にも三人の人間がいた。
全員が明らかに神官であるが、一人は明らかに高位の者の服装をしており、それを補佐するのが二人の神官なのか。
セリルから聞いていた、貴族限定の判定の儀。
わざわざ一人だけのために、こうやって神官から足を運ぶのだ。
ただセリルの場合は、神官ではなく部族の長老である魔法使いが、同じ仕事をしていた。
だからこれは神の奇跡などではなく、単純な魔法なのだと分かっている。
一族の中でも、特に直系の父と祖父、そして父の正室だけを同席させているというのは、セリルの聞いたミルディア王国の貴族のやり方とは違う。
普通ならば直系の子供の場合は、特に一族の有力者を多く集めるはずなのだ。
それがこれだけ限られているというのは、やはりセリルの不義が疑われているということ。
またもしもそれが明らかになれば、明らかにならないように対処するためであろう。
身内は横に移動し、高位神官である司祭が最奥を背中にして立つ。
若手の神官が一人は水晶球を、そしてもう一人は磨かれた金属製の板を持ってきた。
「さあ、姫様はこの板を、左右から両手で持ってください」
既に一度は経験したものだが、金属の質感が以前とは違う。
なんらかの合金だとは思うのだが、鉄よりは軽い気がする。
司祭が杖を、その金属板にかざして詠唱をする。
それは古代語によるもので、神々への祈りなどではなかった。
「姫様、それでは右手から魔力を、板を通して左手に流すイメージをしてください」
そう言われても素養のない人間には、不可能であったりする。
その場合は神官たちが介在するわけだが。
トリエラはもちろん、魔力操作までは出来るようになっている。
金属板が光り、かすかに気配が揺れた。
「なるほど、我が魔道の家の血脈だ」
そんなクローディスの言葉は、とりあえず無視するトリエラである。しっかり記憶はしておくが。
「それではまず名前を仰ってください」
セリルの教えであると、口に出さずに念じるだけでも充分なはずであったが。
「トリエラ・クローディク・ローデック」
プレートに名前という単語と、トリエラの名前が浮かび上がった。
年齢、所属、身分などといったものが確認されていく。
そして大事なものが一つ。
「血統を」
「血統」
言われたままに、その言葉を発した。
すると板に浮き出たのは、いくつかの単語。
「おお!」
そして祖父のグレイルが声を上げる。
血統という単語の隣には、いくつかの単語がやはり並んでいた。
その中に一つだけ、短い文がある。
それは『混沌の継承者』と書かれていたのだ。
およそ1600年前のことになる。
神代の終わりの大戦において、人類の中から12人の使徒が選ばれ、神々の祝福を受けた。
そしてその祝福と共に、使徒に与えられたのが、12の神器である。
現ミルディア王国の王室もまた、その一つを継承している。
そしてローデック公爵家も、その使徒の子孫であるのだ。
受け継いだ神器の名前は『混沌の指輪』という。
善悪も関係なく、全ての正邪を焼き尽くす、原初の炎を司るという神器。
血統の項目には、重ねられた婚姻によって、他の血統も混じっている。
実際にトリエラのその項目にも、他の血統が混じっているのは分かった。
重要なのは、継承者か否か、ということだ。
世代に一人だけ現れるという、神器の継承者。
既にセリルのおかげで、トリエラはこの継承者であることを知っていた。
そして王や貴族の当主は、絶対にこの継承者が選ばれる。
もちろん実務は他の者に任せたりもするが、基本的に全権限は継承者に集まるのだ。
「これは、婿探しはしっかりやらんといかんな」
グレイルは上機嫌になったようであるし、クローディスもトリエラに対する気配を弱めていた。
逆に明らかに敵意を、いや憎悪を向けたのがロザミアである。
彼女の息子はこれで、公爵家の後継者からは外された。
もちろん公爵家の一門ではあるので、その影響力が全くなくなるというわけではない。
トリエラに子供が生まれなければ、彼の子供が次の継承者になる可能性も高い。
ただそれでも、クレインは公爵家の当主にはならないことがほぼ確定したのだ。
貴族というのは血が全てである。
このあたりトリエラとしては、前世の価値観とはどうしても合わない。
確かに前世でも、過去には特権階級というものはあった。
だがこの世界においては、その血統に対して、確実にこういった価値が示されている。
貴族とそれ以外を分ける、絶対的な壁。
最初はそう思ったものだが、実は貴族でも血統にそれらが発現しない者はいて、逆に隔世遺伝で発現する者がいる。
確かに継承者までとなると、かなりその血も濃いものとなるのだが。
ゲームでもこの実世界でも、血統は多くを継承すればするほど、その人間の素質は成長しやすくなると言われている。
トリエラなどは混沌以外にも、しっかりと継承しているのが明らかだ。
「閣下、職階もお調べになりますか?」
「ふむ、まだ六歳であるなら、早い気もするが」
「まだ何も明らかでなければ、それはそれで構わないではありませんか」
職階というのは、ゲームにおいてはクラスと呼ばれるものであった。
職業、兵種、などとも言われていたが、ニュアンスは微妙に違ってくる。
セリルの説明によると、神々が人間に与えた、魔物と戦うための力の一つであるという。
クラスに就くことによって、能力の上昇値が上がったり、特定の恩恵を得やすくなる。
恩恵というのはゲームではスキルと呼ばれていたものだ。
ただこのクラスには、ゲームとの決定的な差がある。
ゲームではクラスは、ほとんどが戦闘用のものであった。
あるいは特殊な生産職であり、一般的なものはない。
だがこの世界では、農民や商人、漁師といったようなクラスが存在する。
どういったクラスに就くことが出来るかというと、ゲームではレベルと熟練度が関係していた。
オーソドックスな『戦士』であると剣などの接近戦武器の熟練度が1以上であること。
レベルに関しては、特に制限のない、初級職であった。
今のトリエラは六歳であり、その経験などもしれたもののはずである。
なのでクラスの適性を見ても、何も表示されないこともある。
平民などは村などであれば、10歳の子供を全員、一気に判定する、という手段も取られている。
貴族の場合はおおよそ、六歳頃からは毎年、誕生日を前後して神官に調べてもらうのだ。
もちろんこれも、神々による慈悲などではなく、実際には世界にセットされたシステムである。
なので魔法によってこの先の結果も、トリエラは既に知っている。
セリルもまた驚いていたが、これはどうしようもない。
水晶球が接近する。
「それでは姫様、職階を」
「職階」
水晶球の表面に、多くの文字が浮かぶ。
それを見て今度は、神官たちも含めた全てが驚きの表情を見せた。
もちろんあらかじめ知っていた、トリエラとセリルは除いて。
戦士 戦鬼 軽戦士 魔法戦士 剣士 剣豪 魔剣士 魔法剣士
双剣士 剣闘士 拳闘士 格闘家 狩人 野伏 魔術士 魔導師
魔法兵 斥候 探索者 冒険者 荷役 薬師 密偵 暗殺者
旅人 農民 職人
これが、現在のトリエラが就くことが出来るクラスであった。
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