第4話 魔獣狩り 白焔狼 後編

 木々の枝を巧みに回避し、トリエラは森の中を進む。

 白焔狼との距離が離れすぎないように、と思うのは甘すぎた。

 巨体でありながらも白焔狼は、この魔境を棲家とする魔獣だ。

 人間にとっては障害になる枝なども、平気でへし折りながら接近してくる。

(それでも自由自在に動き回るよりはマシか)

 トリエラとしては木々を足場に、立体的に動くことが出来る。


 空中に足場を作っての空中戦は、トリエラにとっても簡単なことではない。

 だがこういった不規則な動きをするのは、昔から得意なのだ。

 それに彼女には、絶対的な切り札がある。

 少なくとも逃げ切ることは出来るという、絶対的な確信。

 だからこそ白焔狼相手でも、命を失うような戦いに躊躇がない。


 いや、それは切り札とは関係がないか。

 命を賭けるのは、命を奪う戦いをするのだから、当たり前のことだ。

 自分と互角以上の相手を倒さなければ、経験値が増えないこの世界。

 色々と都合よく出来ている世界ではあるが、この点は強者に対しても公平だ。


 大地に足を着ける時間より、木々の間を飛び回る時間の方が長い。

 その状態でトリエラは、白焔狼の牙や爪と切り結んでいた。

 わずかな隙があっても、そこは獣の肉体の柔軟性がカバーする。

 またその毛皮と肉体も、剣による斬撃があまり通じない。

 単なる打撃になっていて、それすらもほとんどダメージを与えていないのか。

 トリエラの力では、さらなる速度が必要になるのか。

 だがトリエラの技による聖銀の剣は、間違いなく刃筋を立てていた。


 切り札の一つでもある、至近距離からの『烈光』の魔法も熱エネルギーとしてはさほど作用しなかった。

 一般的な高位の炎熱系魔法『炎槍』のさらに上位の魔法である。

 ただ白焔狼がその古き名の通り、白い焔の獣であるなら、熱のエネルギーには強いのも当たり前なのかもしれない。

(質量攻撃の魔法か……)

 刃の切断と、熱の攻撃が効かないなら、大質量の攻撃を試すべきであろう。

 だがわずかに間合いを空けたトリエラは、もう一度看破をしてみる。


 一瞬だけ通った、白焔狼の力を見抜く魔法。

 それがトリエラに教えたのは、白焔狼の魔力が減っていることであった。

 斬撃に対するものか、魔法に対するものかは分からない。

 だが白焔狼の防御は、魔力を消費して行っている。

 ならばこのまま削っていくべきか。

 

 消極的と言うよりは、それが確実ならばそうする。

 トリエラは自殺志願者ではない。

 だがまるでそれを見抜いたかのように、白焔狼が口を開ける。

 わずかに距離はあったが、魔力の高まりを感じた。

 そして白焔狼は『烈光』のようなブレスを吐いた。


 神獣とさえ言われる存在であれば、それも不思議ではない。

 爪と牙の使い方や、トリエラの剣への迎撃にしても、白焔狼の知能が高いのは分かっていた。

 だがこんな攻撃の記述は、書物では見たことがない。

 烈光の速度は回避が難しい。

 おまけに白焔狼はそれを吐き続け、トリエラの動きを追いかけた。

 鎧の持つ魔法への防壁が、どうにかそれを防いでくれる。

『抗魔!』

 魔法への対抗力を上げる魔法を使い、目元を覆う。

 鎧の魔力が切れる前に、白焔狼のブレスも途切れた。


 だが次に目の前にあったのは、大きく顎を開けた白焔狼の口。

 ブレスさえも目くらましにして、トリエラの命を狩りに来た。

 考えていた対応策が、全て瓦解する。

 攻撃は最大の防御であり、相手の攻撃を許さずに殺しつくすことが、生きるための戦いでは重要だ。


 しかしその白焔狼の勢いが、空中でわずかに止まった。

 うっすらと見えた、その巨大な手。

 トリエラの期待していた、絶対的な切り札の、一つの形。

 この勝機に、トリエラは動く。

 剣を両手で掴み、全力で突いた。

 白焔狼の大きく開いた、その口の中を。




 生物はおおよその場合、口の中というのは急所の一つだ。

 白焔狼もそれは例外ではなく、剣は口蓋を滑り喉を貫いた。

 だがそれでも白焔狼は、もがくように手足を動かす。

 野生の獣は脊髄などを破壊されても、しばらくは暴れ回る。

 実は人間も同じく、間違いなく中枢神経を破壊されていても、手足がばたばたと動くことは多い。

『石弾!』

 口の中に入っていた左手から、魔法を叩きつける。

 それによってさらに体内から破壊し、剣と一緒に右手は抜かれる。

 だが反射で動く顎によって、左手はずたずたに裂かれた。


 落下する中で足を伸ばして、木の枝を蹴る。

 白焔狼は下に、トリエラは上に、という体勢になった。

 獣の弾力が、高所からの落下の衝撃を弱めてくれる。

 

 白焔狼の首にまたがるように、トリエラは座った体勢になっていた。

 そして手甲ごと噛み砕かれた、左腕を引き抜く。

 痛覚への耐性スキルは持っているが、痛みが完全になくなるわけではなく、痛みをこらえて動くことが出来るというのが本来のこのスキルだ。

 手甲を外して治療をしようとしたが、白焔狼の姿に気づく。

 わずかな痙攣もなくなり、完全に死んだように見える。

 しかしまだ魔力が拡散していない。


 ここからまだ復活するのか。

 さすがに無理な気もするが、多頭蛇などは肉体の方の脳が残っていれば、首を全て切り落とされても再生する。

 トリエラは右手だけで持った剣で、白焔狼の口から脳天にかけて、もう一度振り抜いた。

 魔力の障壁を失っていた肉体は、骨までもが簡単に切断される。


 そしてようやく魔力の拡散が始まる。

 ほっと息を吐いたトリエラの尻の下で、白焔狼の肉体が消滅する。

 わずかな気の緩みはあったが、足から着地。

 周囲の気配を探ったが、トリエラと白焔狼の戦いを恐れてか、気になるような反応は感じられなかった。


 石弾よりももっと強力な、質量攻撃の出来る魔法が必要だ。

 トリエラはそんな反省をしながら、ようやく治療に入る。

 手甲を外したが、左手はもう使い物にならない。

 魔法で治療しようにも、単純に傷を塞げばいいというものではない。

 ポケットから包帯を取り出して、とりあえず出血だけを止める。

 それからようやく、視界に入っていた物に注意を向けた。


 白焔狼の肉体が消えた後、そこに残った物。

 それは白く輝く拳大のオーブであった。

 普通の魔物が体内に持つ、魔石などは残っていない。

 やはり白焔狼は、魔物の部類には入らない。

 だが普通の生物でないのも確かであった。

「オーブか……。『鑑定』」

 トリエラの魔法によって、オーブの情報が脳内に表示される。

 その内容を確認してから、懐に入れる。

 トリエラの鑑定では、オーブの詳細が分からなかった。

 だが確かなことは、これがスキルオーブであるということだ。

 そしてもう一つ確かなことは、トリエラのレベルがアップしたということ。

 今のクラスの『冒険者』特有のスキルが増えて、パラメータも変化しているのが分かった。

 いつもならその検証をするところだが、今日はまだやることがある。

 重たい足を引きずって、トリエラは道へと戻った。




 完全に日が没した頃に、その場に辿り着いた。 そこはトリエラが最初に白焔狼に遭遇した、大地がクレーター状にえぐられた場所である。

 生き残っていた冒険者が二人、まだそこにいた。

 浅く息を繰り返す男と、杖を地面に置いたままの女。

 トリエラの足音に気づいて振り返るが、その女自身も足を負傷しているのが分かった。

「た、助けて」

「ポーションは持ってないのか?」

「もう何度も使ってしまったから……」

「なるほど」

 ポーションは傷を治癒させるが、その効果には差がある。

 そして短時間に何度も使うと、治癒の効果がどんどん小さくなっていくという特徴があった。


 トリエラの目から見て、男の方は腹に空いた傷を塞いだものの、内臓の方までは治癒しきれていない。

 生命力関連のスキルを持ちやすい前衛職だからこそ、なんとかまだ生きているのだろう。

「お前たちは烈光の剣の人間なのか? 他に生き残りは?」

「……いないわ」

「そうか」

 生命探知によって、周辺には人間も魔物もいないことは分かっている。

 白焔狼の気配が残っている間は、ここは安心と言っていいだろう。


 トリエラは考える。

 彼女の前には二つの選択肢があった。

 即ち、この二人を、殺すか、生かすか。


 死にかけていてもなお、男から感じる生命力は強い。

 これを殺せばある程度の経験値が、トリエラには入るだろう。

 白焔狼に比べれば微細なものだが、それでも貴重な経験値収入だ。

 女の方は分かりにくいが、最前線パーティーの人間なら、若くてもそれなりの力はあるはずだ。

 魔力は使い切ったのか、あまり感じられないが。


 殺してしまって身包みをはいで、あとは焼いてしまってもいい。

 周囲に飛び散った人間だったものの残骸を思えば、殺してしまってもばれない気はする。

(だが、リスクが高いか)

 生かしておいた方が、ここは役に立つだろう。

 パーティーが壊滅した生き残りの二人も、この先をどうするのかすぐには決まらないであろうし。


 そうと決まればトリエラは男の傍らにひざまずき、無事な右手を鎧の砕けた腹部にかざす。

 すぐに発動するほど習熟していないが、ここでは『治癒』の魔法よりも高度な魔法を使う。

『継続治癒』

 治癒の効果がしばらく続くので、動かすのには都合がいいだろう。

 本当はもう少し回復してから移動させるべきだろうが、臓物の匂いはいずれ魔物を引き寄せる。

「『浮遊』とか移動系の魔法は使えないかな?」

「あ、あたしは無理。だけど強化系ならいくつか」

 するとやはり、同じ方法で運ぶしかないわけか。


 女魔法使いの足を治癒し、杖を使わせて歩かせる。

 トリエラは浮かせた男の足を引っ張って、ゆっくりと歩く。

「治療代と輸送代と護衛代で、銀貨一枚はもらうぞ」

 破格の安値に、女魔法使いは頷いた。

 彼女の足もまだ、完全には治癒していない。

「腹の中はまだ完全に治癒していないから、このまま神殿に運ぶ」

「分かりました」

 ポーションでの治癒なら、内臓が壊死していることは、あまり考えられないだろうが。


 


 わずかな沈黙があった。

 パーティーの仲間をほぼ全員失ったこの魔法使いは、まだ若そうに見えた。

 言葉の端々から、貴族階級の出身ではないだろうな、と予想はつく。

 民間の魔法職というのは、それなりに貴重な存在だ。

「この先の当てはあるのか? 蓄えに、あと装備品の修理も必要だろう」

「それは……リーダーが戻ってくれば、お金はなんとか?」

「なんだ、リーダーなしで探索してたのか?」

 その声に批難の響きを感じたのか、女魔法使いは慌てて告げる。

「そんな危険はなかったんです。元々の計画通りで、リーダーともしっかり計画していて、深いところまでも潜りませんでした……」

「運が悪かったか」

 そう、運の悪さだ。

 単なる不注意の次ぐらいにある、冒険者の死亡理由。

 それでも大人数のパーティーであれば、なんとか撤退することも出来たのかもしれない。

 だがそこでリーダーがいなかったというのが、不運の重なりだ。


 リーダーは魔境から離れた街に用事で出かけていて、その間は活動を縮小していた。

 ちゃんと安全のリソースは取っていったはずだったのだ。

 それがまさか、伝説に残るような魔獣……いや、神獣と出くわすなど、タイミングが悪すぎる。

「そういえば、あの白い狼はどうしたの?」

 今さらながらそれを尋ねてくるのは、ようやく余裕が出来てきたからか。

 仲間もとりあえずは死なずに済みそうではあるし。

「逃げながら鼻先を一度切りつけたら、退散していった。そちらと戦ったので消耗もしてたんだろう」

 まさかあれを倒した、とは言えない。


 この話題からは少し、離れた方がいいだろう。

「神殿にしろ装備にしろ、金はあるの?」

「少しだけなら。あ……」

 彼女が振り向いたのは、虐殺の現場の方向。

「あの、仲間の遺物が……」

 考えてみれば散らばった遺骸の中には、装備の一部も転がっている。

 そして財布を持った者も、当然ながらいただろう。

 それを受け取るのは遺族になるのか、それとも仲間内になるのかは知らない。

「今日はもう無理だ。明日、私のパーティーと一緒に行こう」

 慰めるトリエラであったが、おそらくそれまでには死体は、魔物に食われているだろうな、とも思った。

 白焔狼の気配に怖気づくのは、大きくて強い魔物。

 小さな虫どもは地面の下から、人の臓物を食べていくだろう。


 夜中のうちに死体漁り、などという考えも少しよぎった。

 だが片手の不自由な今のトリエラでは、さすがに夜の魔境を一人で探索するつもりはない。

 仲間も止めるだろうし、検証しなければいけないこともある。


 魔法を発動させたまま、夜道を歩く。

 幸いにも『灯明』の魔法ぐらいは使えたため、足元はしっかり見えたが。

「そういえば、名前もきいていなかったかな」

「あ、あたしはメリルで、こちらはジャン」

「私はトリエラ。白銀のトリエラ。困ったことがあれば頼ってくれてもいい。うちは他にも女のメンバーはいるし」

「トリエラ……白銀、の?」

 それなりに名前ぐらいは知られていたか。

 ただトリエラとしては、烈光の剣のメンバー全員までは、名前や能力を知っているわけではない。


 冒険者の出来る女の魔法職は少ない。

 だが需要自体も少ないのである。

 魔法職は少ないので、女でも我慢するか、というのが正直な価値観だろう。

 ただパーティーが壊滅した以上、烈光の剣が果たしてどうするのか。


 生き残ったこの男は、装備から見て前衛の盾職あたりであろう。

 確かリーダーは前衛の物理攻撃職だったはずだから、改めてパーティーを作り直すなら、後衛からの魔法職は必要だ。

 しかしそのためにはもう一人ぐらい、彼女を守る人員が必要になるだろう。

 パーティーを組みなおすには、彼女を外してしまうかもしれない。

 ならばそれを、譲ってほしいと思うトリエラである。



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