4章 獣師な彼女と、親友(3)

 その時、慌ただしい足音が部屋に近づいてきた。


 テト達が視線を向けると同時に、部屋に飛び込んで来たのはセドリックだった。彼は、室内にいる面々に目を止めると、やや血の気を引かせて怒鳴った。


「あなた達は一体何をしているんですか!」


 セドリックの後ろから遅れて到着したユリシスが、ベッドを見て、苛立ったように眉間の皺を深めた。


「……昨日の夜更かしで寝坊ですか、いい度胸です」

「そんな問題じゃないでしょう!」


 珍しく声を荒上げるセドリックを、一同が訝しげに思ったところで、セドリックが続けて次の言葉を言うよりも早く、室内の騒がしさに気付いたラビが寝返りを打ってシーツから顔を覗かせた。


 重いた目をしばし擦ったラビが、ベッドに一番近いテトへ視線を向けた。


 静まり返る部屋の中、ラビはむぅっと目を凝らす表情で、テトの顔を凝視した。すっかり寝ぼけていると分かる顔だが、テト達は「ようやく起きたか」と半ば安堵していた。


 これなら、少し強く促せば完全に覚醒するだろうと安易に考え、テトは膝を折った。同じ目の高さから声をかけようとしたのだが、唐突にラビが彼の頭に手を伸ばしてきて、犬のように頭を撫でられたテトは硬直した。


 それを見ていた一同も絶句した。


 どうやら、ラビの頭が眠ったままであるらしいと気付いたヴァンが、「こいつ、犬でも飼ってんのか?」と部屋の沈黙を無理やり破った。場に乾いた笑いが起こり掛けたが、ラビから発せられた次の言葉で空気が凍りついた。


「……お前が寝かせないから、こっちは睡眠不足なんだけど」


 小奇麗な顔が、テトを見据えたまま柔らかく微笑した。金色の瞳が穏やかに細められ、少女にしか見えない表情を一番近くから向けられた彼は、ピキリと固まった。


 細く白い指が彼の頭から滑り下りて、耳の上に軽く触れた。


「オレだけ体力消耗して、お前だけいつも元気って、割にあわないよなぁ……」


 金色の長い睫毛が影を落として、ゆっくりと閉じられていった。


 テトに伸ばされていた華奢な手が、とうとうベッドの上に転がり落ちて、静まり返った室内に、吐息混じりの小さな囁きがこぼれた。


「――……おやすみ、ノエル」


 その言葉を最後に、小さな寝息が続いた。すっかり気を許した寝顔は、やけに可愛らしく見える。


 数秒の迷いと葛藤の末に、ベッドの脇に立っていたヴァン、サーバル、ジンが「ひぃッ」と息を呑み、テトが「ぎゃっ」と真っ赤な顔をして後ずさった。


「嘘だろおい、マジで昨日と同じクソガキなのかッ?」

「俺の顎髭を滅しようとした悪魔はどこ行った!?」

「というか、なに今の意味深な台詞ッ? テ、テト、お前ッ、たった一日で!?」

「誤解だって! 俺の名前じゃなかっただろッ? 確か、恋人みたいな友達がいるらしいって聞いたッ」


 すると、ヴァンがふと「ん?」と首を捻った。


「いや、待てよ。でも今見た感じだと、あのガキなら男同士でもアリな状況が想像でき――、いやいやいやいや、ちょっと落ち着け俺ッ。あ~っと、煙草でも吸って頭冷やしてくるかな~」


 その時、部屋に大きな衝撃音が上がり、一同は飛び上がった。


 すっかり存在を失念していたが、怒らせると一番怖い上司がいたのだったと思い出して、テト達はそろりと首を回した。


 入口に居たセドリックの拳が、壁にめり込んでいた。拳が押しつけられた壁には亀裂が入っており、落ち着いた表情とは裏腹に、セドリックの目は殺気立って怒りで座っていた。ユリシスも、その気迫に圧倒されて動けないでいた。


 セドリックは、ゆっくりと拳を戻すと、一同を見回し、戦場で見せるような怒号を張り上げた。


「断りもなく女性の部屋に押し掛けるなどと、一体何を考えているのですか!」


 言われた言葉の意味がすぐに理解できず、男達は完全に硬直した。


 しかし、セドリックの怒り心頭な様子を見て、それが冗談ではないのだと遅れて理解に至った彼らの中で、ヴァンが思わず「マジかよ……」と呟いた。

 

             2


 絶句した部下を前に、ユリシスは、昨日ラビに感じていた違和感の正体に「なるほど」と顔を歪めた。男性にしては華奢なラビの身体や、素直な表情をすると少女寄りの可愛らしさが窺える事には、当初から疑問は覚えていたのだ。


 昨日、ラビの手に触れて、ほぼ確信はしていた。白い指先や柔らかい肌、袖から覗く手首は折れてしまいそうなほど細く、どう考えても少年のものとは思えなかった。しかし、セドリックからは女性とは聞いていなかったので、決めつけてしまう事が出来ないでいたのだ。


 ラビが旅に出たいという件について、ユリシスはセドリックから相談を受けており、先日、この機会にとテトに話を聞き出す事を頼んだ。


 簡単に髪に触れたテトを見た時は、理由も分からず腹が立った。顔にかかる金色の髪を後ろへと梳かれた際、露わになったラビの横顔は思っていた以上に小さく、警戒のない顔が、何故か瞼に焼き付いて離れないでいる。


 僅かに私情が入り乱れたユリシスは、今は困惑している場合ではないだろうと自分に言い聞かせて、どうにか冷静さを取り繕った。


「……お言葉ですが副団長、ラビは女性でいらっしゃる? 私が『彼』と口にした時も、訂正されませんでしたよね?」


 過去のやりとりを振り返り、ユリシスは慎重に言葉を選んでそう尋ねた。


 セドリックは、ラビについて一同にきちんと説明しておらず、勘違いを否定するタイミングを逃してしまっていた事実を思い出した。


 男所帯の騎士団なので、その方が都合がいいかもしれない、とちらりとでも考えていたのが仇になったようだ。そんな自分を認めつつも、セドリックは、納得のいかない顔で答えた。


「……ラビは女性です。というか、どこからどう見ても女性でしょう?」

「一体コレの、どこをどう見れば女性に見えるのかお教え頂きたいぐらいですよッ」


 ユリシスは、珍しく感情を抑えきれずに捲くし立てた。


 そうだ、あんなのが女に見えてたまるかと、ここ数日間の精神的疲労を思い出す。彼女を言いくるめた際は奇妙な満足感を覚えたが、他人に触らせたくないだなんて、気のせいに違いない。


 葛藤するユリシスの表情を見て、セドリックは、騙すような形になった事を怒っているのだろうと考えて、こう言った。


「多分、ラビも質問されれば当然のように『女だ』と答えたと思いますよ。彼女は、誤解を解くのが面倒で黙っているだけですから」

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