4章 獣師な彼女と、親友(2)

 結局、書庫内の片付けが終わったのは深夜遅くで、夜空に浮かんだ三日月もだいぶ傾いていた。


 ラビは欠伸を噛みしめつつ静まり返った廊下を歩き、部屋に戻ってから手早くシャワーを浴びた。


 開いた窓から吹きこむ夜風は心地良く、大地を照らし出す青白い月明かりが、部屋に差しこんでいた。普段ホノワ村から眺める夜空とは、星の位置が少し違っているようにも見えて、ラビは、ノエルの隣から少しだけ夜空を眺めた。


「ねぇ、ノエル。【月の石】を見付けたら、どうするの?」

『俺は妖獣だ。力を取り込まないで、そのまま発動だけさせて使用済みにしてやればいい』


 なんだか魔法みたいだ、とラビは思ったが、眠気に勝てず続けて欠伸が込み上げ、そのままベッドに潜り込んだ。


『窓、閉めようか?』


 ノエルが隣に寝そべりながら、頭を持ち上げてそう訊いた。


「別に寒くないよ」

『よし。じゃあ子守唄でも唄ってやる』

「ノエルって音痴じゃん」


 可笑しくなって、ラビは声を潜めて笑った。何度ノエルに教えても、彼は上手く音程が取れないままだったのだ。


『ちッ、可愛くねぇな。じゃあ早く寝ろ』

「ノエルが話しかけるから眠れないんだよ」


 しばらく窓から吹きこむ風の音を聞きながら、ラビは、不貞腐れるノエルを見つめていた。次第に瞼が重くなり、とうとう目を閉じてしまう。


 ノエルがシーツをくわえ、ラビの首までしっかり掛けた。


 彼女は眠りに落ちる刹那、知らず手を伸ばして、ノエルの毛並みを掴んでいた。彼はそれに気付くと、ラビの頬に鼻先をすり寄せた。


『俺はどこへも行かない、お前のそばにいる――おやすみ、小さなラビィ』


 その声も認識出来ないまま、ラビは、深い眠りに落ちていった。


             1


 懐かしい夢を見たような気がしたが、何だったかは覚えていない。


 ラビは、早朝一番に騒がしいノック音が聞こえたような気がして、半ば強引に覚醒した。しかし、すぐに強烈な眠気を覚えて、再びシーツを被り直していた。


 予定起床時間になっても出てこないラビを心配し、扉を何度か叩いたテトは、迫る時間に急かされて、鍵のない扉を開けて中に入った。未だにベッドで丸くなっているラビを発見し、思わず駆け寄って乱暴に揺らした。


「おい、起きろって! お前は騎士団の人間じゃないけどさ、うちは規律が厳しいんだ。寝坊したらユリシス様に説教されるぞ!?」


 いや、説教は確実にされるだろう。そう想像がついて、テトはラビに同情した。


 昨日、ラビが深夜遅くまで書庫に閉じこもっていたらしいという話は、既に早朝訓練の時には仲間達の間に広がっていた。


 ラビは昨日の夕食時も顔を出さず、副団長であるセドリックにサンドイッチのパシリをさせた事も、ユリシスは快く思っていないはずなのだ。何故ならテトは、昨日の夜の見張りから戻った際、ちらりとユリシスを見掛けたのだが、かなり機嫌が悪そうだった。


 目が合った途端、物凄く睨まれたのだから間違いない。


 ラビの説教の時間が伸びるのは可哀そうであるし、昨日の昼から、ずっとまともにご飯を食べていない心配もある。テトは、ラビに今日の朝食まで逃させてしまうのはマズいと考え、「起きろぉ!」とシーツ越しに身体を激しく揺さぶった。


 ラビは、邪魔するなと言わんばかりに、シーツを被る手に力を入れた。彼女は睡眠不足だったせいで、とにかく強烈に眠たかったのである。


 正直な身体は本能的に睡眠を求めており、ラビは「頼むから放っておいてくれ」とベッドに顔を埋めた。


「あともうちょい寝かせて……」

「駄目だってッ、ユリシス様に説教受けるうえ、朝飯まで食いっぱぐれちまうぞ!」

「うぅ……せめてあと十分…………」


 遅い起床の常連組であるヴァンとジンが、テトの叫びに気付いて、部屋の入口から顔を覗かせた。室内を覗き込むなりヴァンは「なんだ、チビ獣師はまだ寝てんのか」と言い、まだ顎髭に傷跡が残っているジンが「この凶暴なチビ、昨日どんだけ書庫に閉じこもってたんだ……」と呆れたように呟いた。


 その時、騎士団の起床体制を管理しているサーバルが、上の階から降りてきた。


 サーバルは、既に全員降りていると思っていた三階に、まだ人の姿があるのを見て「どうしたの」と目を丸くして駆け寄った。彼は、最近まで空室だった寝室前の人だかりに嫌な予感を覚え、ヴァンとジンの間からそっと室内を覗き込んだ。


 頭までシーツを被ってベッドで丸くなっているラビと、そんなラビを必死に起こそうと奮闘する、第三騎士団の仲で一番若いテトの姿を認めるなり、サーバルは「うわぁ、まだ起きてないんだ」と顔を強張らせた。


「まずいよ。昨日ユリシス様、すごい機嫌悪かったんだから早く起こしてあげてッ。寝坊したらただじゃおかないって、ピリピリしてたよ」

「マジかよッ。ユリシス様、もうそろそろで上がってくるんじゃねッ?」


 第三騎士団の説教係兼教育長を思い浮かべ、ジンは、思わず言いながら廊下へ目を走らせていた。


 彼らの間で交わされる内容を聞いて、テトがギョッとしたように振り返る。そんな彼の視線を受け止めたヴァンが、そろりと視線をそらした。


「あ~……俺、今から煙草タイムだから、お前らでよろしく」


 そう言って踵を返そうとしたヴァンの横で、同じように逃げようとしていたジンが、ふと足を止めて「そういえば」と思い出したように首を傾けた。


「副団長、昨日の夜ちょっと機嫌悪かったけど、こいつのせいか? 寝坊したらなんとかって、なんか深刻な顔で独り言やってたのを見たぜ」

「マジか。副団長怒らせるとか、マズイだろ」


 普段温厚な副団長のセドリックは、切れるとかなり怖い。そのうえ、ユリシスよりも説教が長いのだ。


 途端に顔色を変えたヴァンは、大股でラビの寝室に踏みこんだ。彼を筆頭に、ジンとサーバルも室内へ入り、まだ起きる気配のないラビのベッドを覗き込む。


 テトは後ろに立った三人に「起こすの手伝ってくれよ」と改めて目を向けたが、ふと、ヴァンが両手の関節を鳴らせて臨戦態勢を整えている事に気付いて「え」と思った。


「ちょ、何してんだよ、ヴァン!?」

「何って。言う事聞かない奴は、ぶん殴って起こした方が早いだろ? 殴って叩き起こすってのが、騎士団の鉄則だろうが。つか、副団長怒らせるとかマジで怖いから」

「そんな鉄則ねぇよ!」

「あ、背中を叩くのはどうかな。大抵の人はびっくりして起きるよ」


 優しいサーバルがそう提案したが、ヴァンは「いいや、甘やかす必要はないぜ」と悪い顔をした。ジンがハッと気付いた顔で、「……そうか、あの時の怨みを晴らすチャンスなのか」と考え込む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る