2章 ラオルテと第三騎士団(5)

 そう言い返したかったが、ラビは、セドリックとユリシスの存在もあったので黙っていた。


 すると、ラビの心配と気落ちを察したノエルが、小馬鹿にするように顔を上げて得意げに目を細めた。負けず嫌いの彼女の心配気は苛立ちに変わり、ラビは、今すぐその偉そうな顔に両手を押し付けて、揉みくちゃにしてやりたくなった。


「ラビ、何を見ているんです?」


 前触れもなく、眼前にセドリックの顔が現れて、ラビは驚いて目を丸くした。ノエルの姿が、彼の向こうに隠れて見えなってしまう。


 こちらを見つめるセドリックは、どこか少し拗ねたような、面白くなさそうな顔をしていた。


「僕が隣にいるのに、無視しているんですか?」

「……オレ、何か話を振られたの?」


 ラビが困惑しつつ尋ね返すと、隣にいたユリシスが、「別に話は振っていませんが」と珈琲カップを持ち上げた。


 というより、まずはこの並びがおかしいのでは、とラビは腹の中で呟いた。ユリシスとセドリックは、間にラビを挟んで座っているのだ。互いに話したいのであれば、隣同士か向かい側に座ればいいのに、何故自分を挟んでいるのか。


 ラビは、ひとまず水を飲んで落ち着く事にした。その間もずっと、何故か横顔にセドリックの視線を感じた。


 用もなく見られ続けるというのも、なんだか居心地が悪い。何かしら、こちらから話が返ってくるのを待っているのだろうかと考えて、ラビは、横目でそれとなく訊いてみた。


「――そういえば、ルーファスは元気?」

「兄さんなら元気ですよ。今は仕事で忙しくされていますが」


 話しかけただけなのに、セドリックが目を和らげて嬉しそうに微笑んだ。


 セドリックの兄、ルーファス・ヒューガノーズは、十八歳という若さで王宮騎士団をまとめる重役に就き、二十四歳になった今も華々しく活躍し続ける優秀な男だった。


 ラビは四年ほど顔を見る機会がなかったが、ルーファスについては、特に伯爵夫妻から揃って話を聞かされていた。彼の父親である伯爵の話によると「ウチの長男は、出来過ぎる美形で立ち周りも上手い。恐ろしいぐらい男女共にモテにモテて大変なのだ」そうだ。


「……そういえばさ、伯爵がルーファスのこと、陛下にも気に入られる美しさだとか自慢してたぜ。大丈夫か、お前の親父」

「えッ、いつ話したんですか?」

「うーん、三ヵ月前あたりかな」


 ラビは、記憶を辿りながら答えた。


 ヒューガノーズ伯爵は、甘党とは思えないほどに若作りでハンサムな男なのだが、自分好みの顔をしている長男を溺愛している変わり者でもあった。ラビの金髪についても「眺めていて飽きない」と言い、幼い頃のように伸ばしてくれる事を期待しているところがある。


 すると、ユリシスが「なるほど」と理解に至ったような顔で相槌を打った。


「一時期引き取られていた事もあって、今も伯爵家とは交友があるわけですね。ルーファス様とは、最近もお会いしたのですか?」

「ううん、最後に会ったのは四年ぐらい前だし、ルーファスも覚えてないんじゃないかな」


 ラビがそれとなく述べると、セドリックが「そんな事はないですよ」と笑った。


「兄さんの口からは、今でもラビの話が出ますし、末っ子みたいに考えているところもありますから、寂しがっていると思います」


「末っ子? つまりそれって、セドリックより下って事じゃん! ヤだ!」

「『ヤだ』って、そんなこと言わないで下さいよ。だって、ラビが最年少じゃないですか……」


 困り果てるセドリックを見て、ノエルが『お前がしゃきっとしてねぇからだろ』とニヤニヤした。ラビは心の中で、そういうところは確かに末っ子っぽいよな、と思った。


 ラビは、昔はそんなに身長差もなかったセドリックを思い返した。歳は三つ離れているが、出会った時は木登りも下手だったし、弟分というイメージが強かった。


「兄さんは家族想いですからね。いずれ本邸に母上も来て頂きたいと考えて、仕事の合間を縫って色々とアプローチをしているようですが、……無理やりつれて来るわけにもいきませんし」


 セドリックが「ふぅ」と悩ましげな息を吐いた。


 伯爵夫人だって、本当はその気持ちがあるとラビは知っていた。せっかくの家族が擦れ違うのを見るのは嫌だと感じて、つい幼馴染に少しだけ教えたくなった。


「きっと大丈夫だって。ちょっと無理に言い聞かせてでも、本邸に戻した方がいいとオレは思うけどな。だってさ、伯爵も最近はあまり帰ってこられないから、すごく寂しがってたよ。王都に行きたいけど、別の事に気がかりがあるみたいで、理由はビアンカにも話――」


 話してくれてないんだよな、と続けようとして、ラビは慌てて口をつぐんだ。


 猫のビアンカは、仔猫時代から可愛がってくれている伯爵夫人を大事にしていた。ラビが別荘を訪問する際に、どうしたら彼女の溜息の数が減るのか相談してくる事も多い。


 しかし、猫から話を聞いているんです、と正直に説明出来るはずもない。


 セドリックが「え、それ本当ですか?」とこちらを覗きこんで来たので、ラビは追及を避けるべく「なんでもないッ」と立ち上がった。それを見た彼が、慌ててラビの腕を掴んで引き止めた。


「ラビ、待って。どうか逃げないで」

「待たない、調査してくるッ」

「えっと……分かりました。その、母上の事を気にしていてくれて、ありがとうございます」


 どうしてか、彼は自分の事のようにはにかんでいた。何が嬉しいのか分からないが、「家族のように大事に見てくれているんですね」と言う。


 ラビは、よく分からなくて、ひとまず呑気な幼馴染を睨みつけた。


「礼はオレじゃなくて、ビアンカに言ってやれよ。夫人が寂しがらないように、いつもそばにいてくれているんだから」


 伯爵夫人は、以前は身体が弱かったために療養していたようだが、今では体調に問題はない。彼女をホノワ村に引きとめている本当の理由は分からないが、ラビとしては、夫や息子達を想ってスコーンを焼き、好きよと伝えるように優しく抱きしめてくれる彼女は、家族と一緒に、穏やかに暮らす姿が一番合っていると思っていた。


 ビアンカも、ラビも、血の繋がった家族がいないからこそ、それを強く確信しているのだ。


 ラビの言葉を聞いたセドリックは、数秒ほどきょとんとしていた。彼は、兄が母に送った猫を思い浮かべ、それから柔らかく微笑んで「そうですね、ビアンカにも伝えたいと思います」と言い、そっと手を離した。

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