1章 ホノワ村のラビィ(11)

『俺は、お前が行く所ならどこへでもついて行くさ。――本ってのはどれも高価だし、見るだけでも価値はあると思うぜ?』


 一瞬、どこか優しげに目を細めてノエルは、唐突に茶化すような口調で言って、牙を覗かせてニヤリとした。   


 一緒だから怖くないだろ、とノエルの目が続けて語っていた。話ぐらい聞いてみればいいさ、と彼の不敵な笑みに後押しされ、ラビは「そうだなぁ」と悩ましげに首を傾けた。


「……内容にもよる。先に話を聞いてからだな」

「待って下さいラビッ。警備棟といっても簡単な造りで、騎士団はみんな男――」

「それぐらい知ってるよ。オレ、自分の面倒は自分で見れるから問題ないぞ?」


 途端に息を吹き返し慌てたセドリックに、ラビは、怪訝な表情で言い返した。


 セドリックは続けて何事か言おうとしたものの、説得は無駄であると悟り、吐息混じりに「もしかして、僕の勘違いなんですかね」「というより、そういう事じゃないんですよ……」と片手で顔を覆った。


 ユリシスが珍しいものを見るような顔で、項垂れるセドリックを眺めた。彼は顎を触り、セドリックとラビを見比べて、副団長の悩みを勘繰った。


「なるほど。珍しい毛色ではありますが、顔立ちはまぁまぁですからね。率直に訊きますが、君は最近髪や目を理由に、誰かに襲われましたか?」

「『襲われる?』――物理的攻撃を受けたかって話なら、最近はないけど?」

「なんですか、その物理的攻撃というのは」

「石を投げられるとか、外側から扉を封鎖されたり、柵に落書きされたり、ポスト破壊されたり?」

「なかなか物騒ですね」


 私に訊かれても困りますよ、とユリシスは眉を顰め、さりげなく改めて副団長の幼馴染を観察した。


 ユリシスから見ても、ラビは男にしては整った顔立ちをしており、身体も華奢である。しかし女に困らない土地で、こんな色気もないがさつなガキを襲う物好きな男がいるとは想像もつかないので、一体どうして副団長が心配しているのか、不思議でならなかった。


 そう部下が思案するそばで、セドリックは彼らの会話から、ひとまず強姦や未遂といった間違いは起こらなかったらしいと気付いて、大きく息をついて椅子に座り直した。ひどい疲労感を覚えて、テーブルの上で手を組んで深く項垂れる。


「……ラビ、とにかく旅の件に関しては保留にしておいて下さい。後日にでも、きちんと話し合う時間を作りましょう。僕も休みを取りますから、一度母上も交えたうえで――」

「なんでそこで伯爵夫人が出てくんのさ。この国の法律じゃ、十七歳からは成人扱いだろ」 


 ラビの言葉を聞いたユリシスは、普段の済ました表情を崩し「十七歳!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。彼はラビの事を、てっきり十五歳そこそこだと思っていたので、なんて品のない子供っぽい男なんだと冷や汗まで覚えた。


 彼らの事情はよく知らないが、ユリシスは、悲壮感を漂わせる副団長が可哀相にも思えて、「今回の氷狼の件ですが」とこちらで話を始める事にした。


「ヴィルドン地方に、ラオルテという町があります。年の半分以上が雪で覆われるため、氷狼の対策として、大木の防壁で町一帯が囲われています。そこには警備棟という見張り用の高い建物があり、騎士団が定期的に派遣さているのですが、先月頃、町は氷狼の襲撃に遭いました。それからというもの、日中問わず、週に二、三回のペースで、数頭の氷狼が山から下りて来ている状況です」

「でもさ、氷狼に常温は毒だよ」


 ラビが改めて再度指摘すると、ユリシスは「彼らが熱に弱い事は知ってます」と眼鏡を押し上げた。


「しかし、彼らは苦しみながらも町へ侵入しようとする。ほとんど死に掛けながらも、異常な執着心のように喰らい付く事を諦めないのです。銃弾は皮膚に貫通する前に凍りついてしまいますので、剣と放火銃で応戦していますが、彼らは言葉の通り、死ぬまで止まらないのですよ」


 その時、床の上で寝そべっていたノエルが鼻を鳴らした。


『氷獣は、気位の高い賢い生き物だぜ。仲間意識が強いからこそ、自分達の定めたテリトリーの外には出ねぇし、リスクの高い危険は冒さない。戦闘で理性を失うほど馬鹿でもねぇから、死ぬまで止まらないってのも、普通なら有り得ない』


 とすると、常温地への侵入行動と凶暴化は、明らかな異常なのだろう。


 ラビが考え込むと、ユリシスも難しい顔をした。


「氷狼の異常行動については、今のところ原因が分かっていません。害獣の調査を扱ってくれる獣師も少ないですし、氷狼を追い払えるほどの動物もいないので対策の立てようもないという訳です」

「だから、オレに現場の状況を見てほしいってわけ?」

「はい」


 ラビは「ふうん」と答えながら、ノエルに目配せした。このまま狂ったように氷狼が死んでいくのも気が引けるし、怪我人が出てしまう事態も解決してあげたいという気持ちはある。


 実際に人が死んでしまったら、もう取り返しはつかない。


 長い事考えたラビは、深く息をついて仕方なく答えた。


「……わかった、オレに出来る範囲内で協力する。それから」


 そこで、ラビは一度言葉を切って、セドリックに右手を差し出した。


「伯爵夫人のスコーン持ってるんだろ、寄越せ」


 ラビは別荘を出る際に、伯爵夫人がセドリックに持たせていた事に気付いていた。だからこそ、力づくで追い返す行動には出なかったのだ。


 セドリックがきょとんとし、それから、柔かな苦笑を浮かべた。


「やっぱり食べたかったんじゃないですか。でも、寄越せという言い方は品がないですよ」

「うるさい」


 ラビは小さく言い返したが、甘いスコーンを頬張ってすぐ、警戒心のようなその眉間の皺があっさりと消えた。知らず子供のように笑う彼女を見て、セドリックが微笑んでいる事にも気付かないでいた。


 自分でビスケットを焼く事はあったけれど、やっぱり、伯爵夫人の作るスコーンが一番美味いとラビは思った。

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