1章 ホノワ村のラビィ(10)

 どうして、誰も彼が見えないのだろうかと、不思議になる光景だ。


 ノエルはここに寝そべっていて、ラビの目にはハッキリと映るのに、こうして同じテーブル席に腰かけているセドリックとユリシスには見えていないのだ。つまり彼らの世界に、ラビの友達は存在していないのと変わらない。


「――ちょっと、旅に出ようと思って……そろそろいい加減、もういいかなって」


 みんなには秘密の、大事な友達。


 生まれて初めてラビの友達になってくれて、この金の髪や目を好きだと言ってくれたのが、ノエルだった。


 ノエルから話を聞かされるたび、ラビは、いつか自分の目でホノワ村の外を見てみたいと憧れた。だから、いつか一緒に、人の目も気にせず旅に出る事を夢にみていた。


「『もういいかな』とは、どういう事ですか?」


 ひんやりとした声に、ラビはハッとして我に返った。


 つい口が滑ったと後悔したが、セドリックの探るような眼差しは更に鋭くなっており、誤魔化すのは難しそうだった。セドリックは昔から、世話焼きで心配性という面倒な性格をしているのだ。


 ノエルの尻尾の動きが優雅過ぎるせいだと、ラビは内心八つ当たり気味に舌打ちした。


『なんだよ、俺なんも言ってねぇだろ』


 視線に含まれる言葉を察したノエルが、床に伏せたまま、呆れたようにラビを見つめ返した。


 ラビは、一番落ち着ける自分の家の中でありながら、彼と言葉を交わせない状況をもどかしく思いつつ、コップをテーブルの上に戻した。ノエルと目を合わせたまま頬杖をつくと、ノエルも、ラビの不貞腐れた視線を受け止めながら組んだ手の上に顎を乗せた。


『俺のせいじゃねぇからな?』


 分かってるよ、オレがうっかりしてただけ。


 ラビは目で答えながら、セドリックが納得してくれるような説明を考えた。


「……昔から考えてはいたんだ、自由気ままな旅もいいよなって。ずっとタイミングが掴めなかったけど、ちょうど一段落出来そうだから、近いうちにここを出ようかと思って」

「誰かに相談したんですか?」

「相談なんていらないよ。残る家に関しては村の連中に全部譲るし、オレがどいたら、それなりに有効活用出来ると思う」

「僕は反対です」


 セドリックが立ち上がった。眉を潜め、非難するような眼差しでこちらを見降ろしてくる様子を横目に見やり、ラビは、面倒な説教が始まる事を予感してそっぽを向いた。


「あなたは何を考えているんですか。いくら喧嘩が強いからって、……いえ、確かに剣の腕もそれなりにありますけど、だからといって無謀ですよ。害獣の他に山賊もいて、特にこの時期は被害が多いんです。何も、このタイミングで出て行かなくても――」

「だから、以前からずっと考えてたんだってば」


 ラビは鬱陶しくなって、幼馴染の言葉を強く遮った。


「獣師の勉強がてら、いろんな土地を渡るのだって悪くないだろ。オレはずっと独学で――……それに、ここに閉じこもっているよりは、ずっと面白いと思う」


 思わず本音をこぼすと、セドリックが急に真面目な顔で考え始めた。ようやく納得してくれただろうかと思いながら、ラビは喉の渇きを覚えてコップを持ち上げた。


 セドリックがふと、血の気を引かせた面持ちを彼女へと向けてこう言った。


「――まさか。僕がいない間に、誰かに何かひどい事をされたんですか……?」


 何故か心配するような声で、全く予想もしてないかった問い掛けをされた。


 ラビは口に含んだお茶を、もう少しで噴き出すところだった。


 こいつは急に何言ってんだと思ったが、ひとまずセドリックから問い掛けられた言葉を、もう一度頭の中で反芻してみた。


 僕がいない間に何かひどい事をされたか、だと?


 ラビは自分の発言を振り返ってみたが、勘違いされるような物言いをした覚えもなく、彼がどう考えてその推測に辿り着いたのか見当がつかなかった。


 そもそも、ひどい事、に当てはまるような出来事も思い浮かばない。『忌み子』扱いの中傷は普段からの事であるし、かといって、直接暴言を吐かれたり暴力を受けた訳ではないので、『ひどい事』にはあてはまらないだろう。


 旅については、本当に前々から考えていた事だ。


 何かあったから早急に村を出たい、という軽い気持ちではなく、これはラビの夢である。以前から考えていたというだけでは、理由が弱いのだろうか?


 どうすれば説得出来るのかと言葉を探している間にも、セドリックがテーブルに両手をついて、身を乗り出して続けて尋ねてきた。


「ラビ、言い辛い内容かもしれませんが、正直に話して下さい。あなたはそういった知識も薄いですから、理解出来なくてショックな事だったとは思いますが、……ひどい事をしたのが『男』だったから、こっちを見てくれないんですか……?」


 ラビは懸命に説得方法を考えていたので、セドリックから投げかけられる言葉の内容や、肩に伸ばされる手にも気付いていなかった。彼に「ラビ」と肩に触れられて、驚いて飛び上がった。


 思わず反射的に手を振り払うと、何故かセドリックが蒼白した。


 彼は、ラビに手を弾かれたままの姿で硬直し、目が合うなり傷ついた顔をした。なんだかこっちが悪い事をしたような気分になって、ラビは、申し訳なく思って眉尻を下げた。


「……ごめん。その、考え事をしてたんだ…………痛かったんなら謝る、えぇと、ごめんなさい」


 傷つけてしまったようだから、ラビは、最後は言葉を整えて「ごめんなさい」と丁寧に謝った。セドリックは愛されて育った優しい人間だから、冷たくされる事には慣れていないのだろうなと、彼女なりに配慮したつもりだった。


 しかし素直な口調で謝られて、セドリックは、今度こそ言葉を失った。脳裏を掠める最悪の状況を思って、全身から血の気を引かせる。


 そんな二人のやりとりを見守っていたユリシスが、よく分からないというように口を開いた。


「つまり君は、ここを出て行くから氷狼の件には関わりたくないという事ですか? 村を出る理由は、その目と髪の色に関わる事なのでしょうか」

「別に、オレの勝手だろ」


 セドリックが固まってしまった事を疑問に思ったものの、逃げるのかと直球で言うようなユリシスの口振りが勘に障り、ラビは彼を睨み返した。


「村を出たいのでしたら、今回の件に付き合って頂いて損はないと思いますよ。往復を含めて、一時的にでも十日以上はここから離れられます。現地の警備棟には食堂も寝室もありますから、食事の面倒も寝泊まりの問題もありません」

「食事とか寝床とか、興味ないし」

「騎士団が所有する建物には、地図の他にも地理に関わる蔵書が多くありますよ。見たくはないですか。旅をするのなら、きちんとデータを取っておくべきでしょう」

「ぐぅっ、……なるほど」


 確かに、それが本当だとするならば、悪い話しではないのかもしれない。各地に支部がある騎士団は、仕事柄遠征も多いから、詳しい資料や記録の他に、新しい地図も多く持っている可能性はある。


 それとなくノエルに目配せすると、彼がこちらへと真面目な顔を向けた。

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