1章 ホノワ村のラビィ(5)

 ノエルが複雑そうに溜息をこぼし、『この策士な若馬め』と呟いた。馬はにこやかに『だって、セドリック様が可哀そうでしょう?』と賢そうな顔を誇らしげに持ち上げた。


「あ~……久しぶりだな、副団長殿」

「名前で呼んで下さいよ、なんですか『副団長殿』って。ええ、そうですね、久しぶりですね。あなたとは一ヶ月も会えていませんから」


 セドリックは言葉早く言ったが、途端に諦めたように溜息を吐いた。


「ラビィは相変わらずですね。害獣の被害どころか、ここ数年は大型の獣が村に迷い込んだという目撃報告もないそうですが、あなたが何かしたんですか?」

「『ラビィ』って言うなよ、『ラビ』って呼べ。オレは何もしてないよ」

「そうなんですか? でも昔、人に懐かない狼を手懐けていたでしょう?」


 指摘されて、ラビは言葉に詰まった。


 確かに七年ほど前に、自宅近くまで迷い込んで来た狼を保護し、言い聞かせて山に帰した事はある。人間嫌いな狼を扱える獣師はほとんどいないが、ラビは言葉が交わせた。だから、どうにか短時間で説得出来た訳であるが……。


 あの時は大吹雪で、周りに人の姿はなかったはずだ。ラビは、セドリックが、一体いつからその状況を見ていたのか気になった。


 あの日、ホノワ村は朝から大吹雪に見舞われていた。


 その狼は群れを守るため、熊との闘いで怪我を負い、腹も空かせて山からここまで降りて来たのだ。手負いだったその狼は衰弱していたが、本能から村にいる家畜の気配を嗅ぎ取って興奮していた。


 しかし、村に入ったら間違いなく撃ち殺されてしまう事は、幼いラビにも分かっていた。だからラビは「お願いだから村には行かないで」と寒さに震えながら、その狼に懇願したのだ。


 長い時間をかけて説得した後、ラビは、手負いの狼を自宅に連れ帰って手当てをした。自分が持っていた少ない食事を分け与え、少し休んで体力が戻った後、彼は群れの元へと帰っていった。



 狼達とは、あれから交流が続いており、村の家畜には手を出さない、村には下りないと軽い調子で言い合った約束が今も守られていた。ラビが困るからと、熊が人里に下りないよう誘導しているのも彼らだ。


「……そんな大昔の事なんて忘れた」


 ラビは、語尾を濁して話題を切り上げた。


 ラビが俯く様子を、セドリックは不思議そうに見つめた。彼はしばらく考えるように視線を往復させ、それから「一つ訊いてもいいですか?」と唐突に口を開いた。


「獣師は害獣を払う為に銃を使う事が多いですが、ラビは使いませんよね。何かコツはあるんですか?」


 動物と話せるとカミングアウトする事は出来ないし、信じて貰えるはずもない。


 ラビは視線をそらしたまま、唇を尖らせてこう答えた。


「怪我したら、動物だって痛いんだよ。銃なんて使ったら余計混乱するから、相手の動物の特性なんかを把握したうえで対応策を考える……それだけ」


 明後日の方向を向いて、片方の腰に手をあててラビは言葉を切った。


 二回ほど瞬きしたセドリックが、やや背を屈めた。彼はラビと視線の高さを合わせると、「ラビ」と柔らかい声で呼んだ。


「ラビ、こっちを見て下さい」

「なんで」

「だって、あなた、話す間も僕の方を見ていないんですよ。話しをする時は、相手の顔を見るのが礼儀で――」

「わかってるって! また礼儀とか教養っていうんだろッ。お前、いちいちそういうの細かいッ」


 ラビが小事を遮るように睨みつけると、セドリックは一瞬の間を置いて、それから「ようやく目が合いました」と困ったように笑った。


 その時、伯爵の別荘入口から一人の騎士団服の男がやってきて「副団長」と抑揚のない声を上げた。彼は、セドリックの向かいに立つラビに気付くと、秀麗な眉を怪訝そうに持ち上げた。


 やや長い栗色の髪を片方の耳に掛けた、鋭い眼差しを細い眼鏡の奥にしまった男だった。年は二十代中盤ぐらいだろうか。顔立ちは整っていて体躯は細長く、男にしては色が白い。薄い水色の瞳には愛想がなく、彼はラビを小汚いと言わんばかりの顔で眺めていた。


「……副団長、彼が例の幼馴染の獣師ですか」


 一文の台詞だけで、ラビは浅い苛立ちを覚えた。セドリックが自分の事をどのように話したのかは知らないが、男の見下すような眼差しと、言い方が気に食わなかった。


 金髪金目には触れてはいないが、恐らく『忌み子』を嫌っているタイプだろう。そして、低い身分の人間を下に見るタイプの貴族だ。その男が自分を男だと勘違いしている事を把握しながら、ラビは、とりあえずセドリックに訊いた。


「おい、セドリック。こいつは誰だ?」

「えっと、彼は僕が所属する第三騎士団の補佐官、ユリシスです」


 紹介されたユリシスが、「こいつとはなんですか、失礼な」と眼鏡を押し上げた。ラビの足元で、ノエルが『てめぇの事だよ』と当然のように突っ込み、それが馬達にはツボだったのか『ぷふっ』と笑い声を忍ばせて小さく嘶いた。


 ユリシスは腕を組むと、改めてラビを観察するように見てきた。品定めされているようで嫌な感じで、ラビが露骨に拒否の表情を浮かべると、ユリシスも眉間に皺を刻んだ。


「君は害獣の【氷狼】を知っていますか?」

「まぁ、存在は知っているけど……一般的に知られている範囲内なら」


 ラビは、ユリシスの凝視に慣れず、思わず歯切れ悪く言った。氷狼については、危険動物の一種として中級の害獣に指定されており、昔、両親が揃えてくれていた図鑑で何度か見た事があった。


 体表が氷で覆われた狼で、年中雪に覆われた場所にのみ生息する害獣である。血液は、触れた先から熱を奪っていく性質があり、害獣についても知識が深いノエルの話だと、気性は荒いが、縄張りを荒らさなければ逆鱗に触れる事はないらしい。


 中級以上に指定されている害獣に関しては、氷狼のように、個性的な生態と能力を持っているものが多い。例えば【炎狼】だと、氷狼とは逆の性質で、血に触れると冷気か奪われ燃えるともいわれている。

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