1章 ホノワ村のラビィ(4)

 さて、とりあえず確認してくるか。


 周囲にいる大人たちの目にうんざりしながら、ラビは、それとなくノエルの背中を叩いて歩き出した。ノエルがそれに応えるように、長く大きな尻尾を振って、ラビの華奢な背中を押した。


             2


 村の中心地にあるヒューガノーズ伯爵の別荘の前には、騎士団の紋章が刻まれた二台の立派な馬車が停まっていた。


 随分前に到着したのか、どの馬も落ち着いて呼吸に乱れはなかった。毛も整えられており、先頭の馬のそばには、丹念にブラシをかけている中年男の姿があった。別荘に勤めている使用人の一人だと、ラビはその男の顔を見て確認した。


 恐らく、先程慌ただしく通っていた馬車はこれだったのだろう。


 王宮騎士団お抱えの馬は、どれも美しい茶色の毛並みをしていた。後方に停まっていた馬車に繋がれていた馬の一頭が、歩くラビとノエルに目を向ける。


 ラビは、他の人目が自分に向けられていない事を確認してから、優しい瞳をしたその馬に「こんにちは」と労った笑みを向けた。もしかしたら以前話しをし、自分の事を知っている馬なのかもしれないと思ったからだ。


 すると馬は、茶色の目を細めてこう言った。


『以前も、お会いしましたね』

「ああ、やっぱり。前も来ていた子?」


 聞き覚えのある声だと思い出し、ラビは「なるほど」と呟いた。


 賢く人語を理解する雌馬がいた事は、印象に強く残っている。他の馬は言葉は理解するが、ここまで丁寧に駆使するまでのものはいなかった。


 ラビが歩みを止めて考えていると、その馬が、尻尾を一度振るって小さな虫を払った。


『今日は次男のセドリック様が、お供を連れていらっしゃっているのですよ』

「ふうん。という事は、今は夫人に挨拶しているのか……いつ出る予定なの?」

『そうですね、長居の予定はないようですが……』


 彼女は賢い馬であるが、人間の都合や社会的知識の全てを理解している訳ではない。


 セドリックは、ヒューガノーズ伯爵の次男で、現在は王宮騎士団に所属する第三支部の副団長である。ちょくちょく戻ってきては母親に顔を見せている親孝行者だった。騎士の場合は仕事の都合で外泊も多いが、現在は兄であるルーファスと共に、王都の伯爵邸を拠点にしている。


 伯爵家の長男であるルーファスは、現在、王宮騎士団の総団長を務めていた。忙しい役職の為、最後にホノワ村に顔を出せたのは四年も前の話である。母親である夫人が公務のため王都に出向く他は、手紙で母と子のやりとりをしていた。


 伯爵家の兄弟は、どちらも律儀な男である。戻って来るたび、母親だけでなく幼馴染のラビの元まで訪ねてきた。しかし、ラビはただの幼馴染であり、頻繁に母親孝行でホノワ村に顔を出すセドリックに関しては、ラビは、毎回顔を会わせる必要性を覚えていなかった。


 むしろ、ラビは人付き合いが苦手なのだ。


 ずっとノエルと二人きりだったから、誰かがいると、落ち着かない。先月もセドリックは「戻ってくるたび会えなくて、そうしている間に一年とか酷いですッ」と突撃訪問して来たのだが、ノエルとの食事中で大変迷惑した。


 ラビはしばし考え、よし、と肯いた。


「お邪魔っぽいし、一旦引き返して、後でもう一度訪ねるよ」

『お顔を見せると、喜ばれると思いますけれど』


 伯爵家の家族仲が良いのは誰の目にも明らかで、ラビは、そちらに気を利かせている風で告げたのだが、馬は気遣うように微笑んでそう助言した。


 前方の馬車の馬を手入れしていた男が、馬の鼻息とラビの小さな声に気付いて、怪訝そうに顔を持ち上げたが、別の馬が首を伸ばして彼の視界を遮った。彼は「気のせいか」と首を傾げて、自分の作業に戻った。


「先月にも会っているし、いらない世話だよ。うん。だってあいつ、無駄に心配性だから、会うと途端に面倒になるんだ。ちゃんと食ってるかとか、小さいとか、いちいち煩いし」

『面倒ってのが本音だろうが。そうやって逃げて、結局、先月は一年振りの顔会わせになったのを忘れたのか?』


 ノエルがそれとなく注意したが、ラビは「それとこれとは状況が違うじゃん」と、当然のように言ってのけた。


「数ヶ月で人間は変わったりしないよ。あいつの事だから、また暇を見付けてすぐに戻って来るんじゃない? 挨拶はその時でも問題ないって」

『人間にとっては、一ヶ月も長い時間だと思うがなぁ……』

「夫人だって、息子と水入らずの方が嬉しいに決まってるよ。最近は伯爵も不在だからさ、ここは気を使ってやろうぜ」


 ラビは、ノエルに向かって少年のような陽気な笑みを浮かべて、「なっ」と言って親指まで立てて見せた。ノエルは、彼女が面倒をしたくないだけだと気付いたが、口にはしなかった。


 やりとりを見守っていた馬が、僅かに目尻を下げた。


『お顔を見せないんですか? それは残念です。――ああ、では最後に、私に挨拶して下さいませんか』


 ふと考えた馬が、そう言って頭を下げてきた。ラビは「仕方ないか」と嘆息し、馬の頭を優しく撫でてやった。


「よし。じゃあ、ひとまずオレは一旦かえ――」


 そう言い終わらないうちに、別荘から一人の男が飛び出してきた。


「ちょっと待って下さいラビッ、顔も見せずに帰ってしまうつもりなんですか!?」


 悲痛な叫びと共に、蒼灰色の癖のない髪に、優しい深い藍色の瞳を持った二十歳ぐらいの美青年が、見捨てられた子犬のような表情でラビの前に立ち塞がった。


 彼は、伯爵家の二男であるセドリック・ヒューガノーズであり、ラビの幼馴染だった。騎士団の正装を身にまとっており、腰には金の装飾がされた剣がある。小奇麗な出で立ちは、足の先から頭の天辺まで貴族そのものだ。


 セドリックは、馬の頭に手を置いたままのラビを、しばらく見つめた。ラビも、既に自分より頭二個以上も背丈が高くなってしまった幼馴染の彼を、じっと見つめ返していた。

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