1章 ホノワ村のラビィ(6)

『氷狼かぁ……体表がクソ硬ぇんだよな。血に触れると鉄だろうが一瞬で凍っちまうから、銃弾も貫通しないんだぜ』


 ノエルがニヤリとして補足して来たので、ラビは心の中で「へぇ」と答えつつ、彼と目を合わせた。


 ノエルは自身の生い立ちや、ホノワ村に来るまでの経緯といった詳細は語らなかったが、他の獣についてはかなり詳しく知っていた。ラビは、害獣達の生々しい話を彼から聞かされるたび、ノエルがどのぐらい長生きしているのかと疑問を覚えるほどだ。


 勿論、聞いていてすごく面白いし、好奇心を引かれる事の方が多い。ノエルはあらゆる土地の話や、国、宗教、地形にも詳しく、多くの経験を持っている。


「馬の脚に何か?」


 不意に、ユリシスが怪訝そうに言った。


 ラビは彼ら目も向けず「なんでもねぇよ」と、ノエルと目を合わせながら答えた。


「で、氷狼がなに? あいつらは人里には降りない習性だろ」

「ラビ、また顔が向こうを向いてますよ」


 セドリックが指摘しつつも、語尾を弱めてこう続けた。


「最近になって、第三騎士団の管轄内で氷狼の被害が出ていまして、その、少し話を聞いて頂けたら、と……」


 このように仕事の話しを持ち出すのは珍しく、嫌な予感を覚えてラビが横目に睨み上げると、セドリックが途端に語尾を濁した。


 すると、ユリシスが、口をつぐんだ上司に代わって口を開いた。


「副団長の案ではありませんよ。あなたの事は、以前から少し話を聞いておりまして、我が騎士団内から『協力を頼んでみてはどうだろうか』と提案がありましたので、知識をお貸りしようと伺ったのですよ。何しろ辺境の地なので、獣師の手配も難――」


 ユリシスは勝手に話し始めたが、ラビは先を聞かず断言した。


「ヤだ。だから、話も聞かん」


 ラビは「オレは仕事があるから」と、片手を振って彼らの横を素通りし、伯爵邸に向かった。その後ろをノエルが追いかける。


 セドリックが「やっぱり」と項垂れる横で、話しを遮られたユリシスのこめかみには、見事な青筋が立っていた。


           3


 他人には振りまわされない。自分の意思を貫き通す。


 九歳という若さで自立したラビは、明日を生きるために毎日を積み重ねていた。彼女の密かな夢は、いつかこの村を出て旅をする事だ。成人扱いである十七歳を待って、いつかノエルと共に、金髪金目の『忌み子』と嫌われる事のない、静かに暮らせる土地を探しながら、夜と夜を紡いで、広い世界を見て回る事を夢見ていた。


 世界は大きくて、百以上に切り分けられた地図を収拾するのは困難だったが、薬草を買いに来てくれる人に頼んで、長い年月をかけて、少しずつ古い地図を手に入れていた。


 家にこもって地図を広げ、どこかに、自分が暮らせるような落ち着いた土地はないか眺め過ごすのは楽しかった。ノエルから話を聞きながら、地図の上にメモの走り書きを行い、人里や、立ち寄らない方がいい場所には×印を入れる。


 ×印はどんどん増えたが、印の入っていない土地を歩き進んでみる楽しみが膨らんだ。


 家に残っていた両親との思い出の品も、今は、村を離れられるまでに片付けが済んでいた。旅の進路については決まっていて、十七歳になった現在、一ヶ月分の薬草師と獣師の仕事の予定の他はなく、来月の仕事は埋めていなかった。


 もう、他に予定を入れるつもりはない。


 予定では十七歳の誕生日に冒険を始めるつもりでいたが、仕事の関係もあり、十七歳になって二ヶ月も過ぎてしまっていた。


 早ければ来月にも村を離れる気でいたので、辺境の地で起こっているという害獣に関わるつもりはなかった。セドリックが副団長を務めているのは、第三騎士団だ。学位を持っている獣師も多くいる中で、セドリックの幼馴染という理由だけでラビが出る必要はないだろう。


 セドリックとユリシスを置き去りにしたラビは、伯爵邸の別荘の門をくぐり、玄関扉の前に立った。


『いいのか? あの眼鏡、怒り心頭って感じだったぜ』


「いいんだよ。無償で慈善協力はする気も、金の都合をつけようとも思ってないし。悩んでいる間にずるずる予定が伸びて、もう二ヶ月も身動き出来てないんだ。今度こそは、今月中では全部終わらせてやるッ」


 先月、先々月と、不思議と遠い場所からやって来る新規の客が続いていた。彼らはラビの金髪金目に少し目を瞠ったものの、差別意識はないと言わんばかりに、返って労うように微笑んでまでくれた。


 皆人が良くて、中にはご高齢の町医者までいて、苦労して来てくれたのが申し訳なくて、ラビは「急で済まないが、来月分まで定量の注文を入れてもいいかね?」との頼みを断れず、今月まで予定が入ってしまったのである。


 誰かから紹介でもされたらしいが、彼らは揃って名前を明かす事はなかった。ただラビを見て、「なるほど、君が『例の獣師君なんだね』」と興味深そうには呟いていたが。


 ラビと共に玄関前に並んだノエルは、例の客達の紹介先を推測して、半ば同情するように隣の彼女を見た。王都住まいか、王都に出入りしている者が多いとは彼は薄々察してはいた。


『……来月には旅に出たいって言ってたもんな』

「何事もなければ、今度こそ出発できるよ。気になるのは、ゲンさんかな。胸が弱いから、彼自身の薬草に関しては多めに揃えてあげて、入手先とか育て方とか、色々と教えておくつもりでノートにまとめている最中なんだ」

『ふうん。お前が机の前で頭抱えてた例のノートか。ま、無理だけはすんなよ。――おい、あっちにも騎士がいるぜ』


 ノエルがふと顔を横に向け、促されたラビもそちらへ目をやった。


 別荘の庭園に、三人の騎士の姿があった。二十代の前半から後半までの男達で、初夏の暖かい日差しの下で、騎士団の制服をきっちりと着込んでいた。


 上司のいない隙にお喋りを楽しんでいた彼らが、ラビの視線に気付いて振り返った。小柄な若い男が目を見開き、他の男も似たような顔をして次々に口を閉じた。


 彼らが金髪に目を止めている様子が分かって、ラビは露骨に舌打ちし「見世物じゃねぇぞ」と口の中で呟いた。

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