第4話 持たざる者
食事の後、アラタは談話室へと向かう。この家で最初に目覚めた部屋だ。
扉のない入り口から中を覗けば、そこには先客がいた。
「おや、もうしばらく食事に時間がかかると思ったのですが、早かったですね」
椅子に腰かけて本を読んでいる丸眼鏡の男はカーネル・クレイド。
アラタは彼の対面に腰掛けながら言う。
「ほとんど勢いで食べましたよ。おかげでお腹が重いです」
「メアも喜んでいるでしょう。腕によりをかけて作った料理をたくさん食べてくれるのは気持ちがいいですからね」
「そういうものですか。あんまりいつもと変わらなかったように見えましたけど」
「彼女は誤解されがちですが、素直な子ですよ」
カーネルは微笑ましいと言うように、落ち着いた笑みをたたえた。
「もう少し言葉を選べば誤解を生まずに済むのに、と思うことはありますがね」
「カーネルさんの言葉使いは、なんというか穏やかですよね」
「昔から年下の子を相手にすることが多かったからかもしれませんね。いつしか言葉を慎重に選ぶようになりました。今となっては、ただの癖ですが」
リンドを除けばリバースの中でも最年長の彼は、そんな風に言って苦笑した。
彼と言葉を交わしていると、アラタは不思議と心に静けさを感じた。騒がしい町の大通りから、ひっそりと佇む建物へ訪れたような。その静まった思考では、物事をより深く考えることができた。彼の包みこむような余裕が、そうさせてくれるのだろう。
カーネルは手にしていた本を閉じて言う。
「さて、それではいつもの通りに始めましょうか?」
「はい。お願いします」
立ち上がったカーネルはアラタの背後に回る。わずかに顔をうつむかせたアラタのうなじに、彼は手を当てた。
カーネルの特別な魔想は、形あるものの中に潜り込み、その内情を調査することに長けていた。モノの基礎となる材料、モノを形作る部品の配置、モノに内在する成分とその流れ。ありとあらゆるモノの情報を、彼は手触りで知る。
首に当てられたカーネルの手から、程なくして無数の微細な動きが感じられた。
「ふむ…………血液の流れ、正常。臓器の状態、正常。健康状態、良好」
彼はアラタの体の情報を洗い出しては、その結果を読み上げていく。さながら一冊の書物を読み解くかのように。
「そして、体内魔力の流れは…………やはり正常。その他異常はなし、といったところですかね。魔力に関しては至って正常です」
やはり。思っていた通りの結果に、軽い虚しさを覚える。
自分は飽きもせず、まだ期待をしていたようだ。
「数日に渡る診察の結果から、はっきりしました。あなたが魔想を発動できないのは、体内の魔力に異常が起きている、ということではありません」
彼はアラタの期待に沿わない結果を通告する。
その魔想の特性により、カーネルは精密な健康診断を得意としていた。
彼に診察の提案をされたのは、アラタの身体に何らかの異常が起きている可能性があったからだ。それにより魔想が発動できないのではないか、という予想だった。
しかし何度目かの診察を経て、結果は明らかとなった。
身体に異常はない。つまり魔想が使えないのは、別の問題。
「やっぱり僕には魔想の才能がないのでしょうか……?」
弱気な言葉が出てしまうアラタに、カーネルは穏やかに問いかける。
「どうしてそう思うのです?」
「魔想を使えたタイミングはいつも土壇場で……だから、勢いだけの偶然だったのかもしれません」
「私もあまり適確なアドバイスはできませんが、才能が有るか無いかという話でしたら、魔想を発動できた時点で才能は有るのだと思います。そして一度起こり得たことには
魔想を発動するための条件、か。
「私たちの力は案外繊細のようですから。上手くおだてて、飼い慣らさないと」
「そうですね。なんだか弱気になっていたのかもしれません。もうちょっと頑張ってみます」
カーネルがアラタの首から手を離した時、ちょうど部屋に誰かが入ってくる足音がした。
「やっぱりさぁ。やる気が足りないって話じゃないの、それ?」
二人の会話に割り込んだのはメア。その傍にはユルルを連れている。
「メア、あなたも私の診察を受けに来たのですか?」
「ウチにはもう必要ないって」
「おや、それではユルルの方?」
カーネルがユルルの方へ視線を移すと、彼女はメアの体に身を隠す。
「カーネルのしんさつ、なんかいやー」
顔だけ覗かせたユルルが、笑みのまま純粋な拒否の言葉をカーネルにぶつける。
まあ、悪意のない子供の言うことだ。そんなことはカーネルも分かっているだろう。
「なんか嫌……」
いや、思った以上にダメージを受けているようだった。
ユルルのような子供の純粋な拒否は堪えるのか、いつも浮かべている穏やかな笑みを強張らせ、抑揚のない声で呟くカーネルなのだった。
そこへさらにメアが追い打ちをかける。
「わかる。なんかちょっとやらしいよね、手つきが」
「妙にぞわぞわするっていうのは、ちょっと分かります」
アラタも思わず意見してしまう。診察してもらったというのに申し訳ないが。
カーネルの魔想は、小さな手の形をしているらしい。その姿を見たことはないが、うなじに当てられた彼の手のひらからは、数百もの存在が蠢く様子が感じ取れた。
「私は至って真面目ですよ…………」
そう言ってカーネルは、ずれてもいない眼鏡を直そうとしている。
「そんなことより、そこの未熟者。魔力には問題がないんだって? ならもう、それは覚悟が足りないってことじゃんか」
「メア。せっかく彼もやる気になったというのに、混ぜっ返さないで」
「ウチは本当のこと言っただけだし。私たちの魔想は、それぞれの精神性と深い結びつきがあるっていうの、そいつも知ってんでしょ?」
そいつ、と指をさされたアラタ。もちろん知っている。
「
ナギに教わったことをアラタは復唱する。
「
だがそこでメアの眉がぴくりと動いた。
「人を見下す健常者の言葉をアンタが使うな。気持ち悪い」
「え…………えっと、ごめんなさい?」
その一瞬、冷え切った空気。誰もが戸惑う中、メアが言葉を継いだ。
「……まぁそういうことだから。魔想が使えないってことは、精神が駄目ってこと。心構えがなってないってこと。だからもう、しょうがないことなんだって……」
最後の言葉は、なんとなく弱々しく聞こえた。
「メア、その言葉は、あなた自身を傷つけるだけです。今は部屋にお帰りなさい」
分からない。カーネルが何のことを言っているのかは分からないが、部屋の空気が気まずくなってしまいそうな予感だけは感じていた。
カーネルの言葉を受け入れたメアは、歯を食いしばって部屋から遠ざかる。ユルルもその背中を追うようにいなくなった。
「……先ほどの彼女の言葉は気にしないでください。大丈夫、あなたはきちんと魔想を扱えるようになりますよ」
「いえ、それより――」
アラタにはメアに言われたことより、カーネルが彼女に言った内容の方が気にかかっていた。
「あの人、何かあったんですか?」
カーネルは口をつぐむ。まるでそれが口にしづらいことのように。
「あなたには気を遣わせてしまいますね。しかし……同じチームで活動する以上、いつまでも隠し通せることでもないし、隠すべきでもないでしょう」
彼の言う通り、同じ部隊に所属するのだ。隊員の間に疑いがあってはならない。
何も隊員同士で友情を育む必要はない。だが隊員同士は、信頼できる関係であるべきだ。
「……今のあなたと同じです」
「え?」
カーネルの言葉は、すぐに理解するには情報量が少なすぎた。
しかしそれでも、自分が陥っている今の状況を考えて、段々とその真意を掴み始めた頃、彼は続きをつむいだ。
「メア・コーリナーもまた、あなたと同じように……いや、あなた以上に、長いこと魔想を発現できていないのです」
彼の言った事実に、アラタはまさかと思った。
あれだけ魔想を使えない自分のことをなじっておいて、彼女自身も魔想を使えないなんて話があるものか。
しかし、それが本当のことであるならば。
メアが自分に向けて放った暴言は、彼女自身に跳ね返っていくはずで、それはほとんど自虐のようだと思った。
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