第3話 切り取られた家

 湖での訓練が終わると、アラタは街道を通って家へと帰る。スクエアハウスという名の、カディアラの町中にある特異機能群リバースの基地だ。

 住宅街の赤い屋根の家。外見は少しばかり大きな、ごくありふれた一般家屋だ。


 仮に見知らぬ誰かが扉を開けて入ったとしても、そこが軍事に関わる施設であると気付くのは難しいだろう。なぜなら、


「あー、アラタ帰ってきたー。おかえりー」


 実際、玄関で出迎えてくるのは年端もいかない子供なのだから。


「ただいま、ユルル」


 その少女は、深緑色の長すぎる髪の間から、屈託のない笑顔を覗かせていた。

 ユルルという名前の少女は、リバースに所属する人間としては最年少の九歳。シャツの上から短いサロペットを履いた、元気な子供というイメージの彼女は、いつ見てもあっけらかんと笑っているような気がする。

 九歳など世情のことが分からなくてもおかしくない年齢だし、彼女も自分が所属している団体のことを知っているのかは怪しい。


「あははー、アラタの顔が逆さまだ。おかしいのー」

「……ユルルが床で寝転がっているせいだ。何をやっているの?」


 彼女はなぜか玄関で寝転がった体勢でアラタを出迎えている。何をやっているのかは皆目見当もつかないが、彼女のこうした行動にはここ数日で慣れてしまった。


「こうしてるとねー、楽しいのー」

「楽しい?」

「隅っこがよく見えるんだよー」

「隅っこ…………とにかく、そこで寝てると誰かに踏まれちゃうよ。それに長い髪が汚れる」


 こんなに分かりやすい場所で寝ている彼女を踏んづける人はいないだろうが、土足で多くの往来がある玄関の床は清潔とは言い難い。


「アラタもやってみよー。一緒に隅っこ見よ。楽しいよー」

「えーっと……」


 アラタが積み重ねてきた十八年分の価値観では、その楽しさを味わうのは既に難しい。

 しかし純粋な善意でこちらを楽しませようとする幼子の眼差しは眩しいもの。自分を脅して酒場へ連行するナギとは大違いだ。少しくらい付き合ってもいいのかもしれない。


 そう思った時、気持ちよさそうに寝そべっていたユルルの頬に、誰かの足が乗る。餅のような頬が軽く押しつぶされ、ユルルは「うにゃあぁ」とうめいた。


「そんなところで寝てんなガキ。誰がその服洗濯すると思ってんの?」


 ユルルの顔に無遠慮に乗せられた白い足。その持ち主は、派手な金色の髪を左右でまとめた強面の女。初日にアラタのことを散々に罵った、メア・コーリナーだ。


「メア、いたい~」

「だったら起きな。夕食ができた。カーネル呼んできて」

「はあいー」


 ユルルはメアの足から逃れるように床を一回転。立ち上がり、とてて、と駆けて行った。


 そうして残された二人。


 メアはタンクトップとチェックのミニスカートの上からエプロンを纏っていた。つい今まで食事を用意していたのだろう。


 スクエアハウスでの生活に決まった規則はない。ごく最低限のルールを除けば他は自由。食事も洗濯も睡眠も、その裁量は各々に委ねられている。

 金銭も日々の生活に不自由のない額が定期的に支給されているので、食事についても当然、用意に困るようなことはない。


 だがメアは、このスクエアハウスでの家事の多くをこなし、夕食時には毎日のように人数分の食事を用意している。

 なぜそうした役回りになっているかは知らないが。見た目の派手さの割に家事が好きなのだろうか。


 エプロン姿のメアがこちらを見る。


「ああ、帰ってたんだアンタ。で、今日は魔想を使えたの?」

「いえ、まだです」

「……ハ、やっぱアンタ才能ないんじゃない? それかやる気がないか。中途半端な覚悟なら、今からでもやめときなって。アンタがいなくても、ヘクターがいれば十分なんだから」


 この刺してくるような言葉さえなければ、こんなにもこの人に苦手意識を持たずに済むのに、とアラタは思う。

 どうにもメアには、まだアラタのことをリバースの一員として認めていないような節がある。そのせいかアラタへの当たりが強いように見えるのだ。


「まだ、やめる気はありませんよ」

「ふうん? ま精々頑張ってみたら? 駄目だったら、アンタには料理当番でもしてもらうことにするから」

「えぇ……そんなこと勝手に決めないでくださいよ」

「うるさい。毎日三食、こき使ってやるんだから」


 メアはそう言って、アラタの背後のほうへ視線を向ける。


「……そんで、他の三人はまだ帰らないの?」

「ああ、アズミはもうすぐ帰ってくると思います。僕が帰る時、ヘクターさんと後ろの方を歩いていたのが見えましたから。ナギさんは……ヘクターさんを捕まえに行ったので、たぶん……」

「あの女、また酒場か! しかもヘクターまで巻き込んで! そういう時は出かける前に言えって……ハァ、ご飯二人分多くなっちゃうじゃん、最悪……」


 これも主婦の悩みというものか。アラタの家でも、父親が勝手に友人の家で食事を済ませた日、母親が口も利かなくなり地獄の空気が流れる場面が何度かあった。

 そんな恐ろしい光景を思い出し、頭を抱えたメアに声をかける。


「あの、余った分は僕が食べますけど」

「無理しなくていいって。置いておけば明日まではもつだろうし」

「いやぁ、僕こう見えて、訓練兵時代に胃袋を鍛えられまして。いつもちょっと食べ足りないなぁと思っていたんですよ」

「え、あ、それマジ? なんだよ、そういうことはもっと早く言いな。明日からは量増やさなきゃじゃん」


 メアは先ほどまでの悩みようが嘘のように、けろりと表情を変えた。


「じゃあすぐに用意するから、冷める前に来なよ」


 機嫌を良くしてキッチンへと向かう彼女を見て、悪い人ではないのかもしれない、とアラタは思う。慣れるまでは、振り回されることも多そうだが。


 そうして宣言通り、その日に余るはずだった料理は全てアラタの胃袋に収まった。

 実に、いつもの三倍量もの食事だった。

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