第2話 優等生

 薄い霧のかかった林を抜けて行けば、その音は聞こえてくる。

 湖の対岸で行われている、もう一つの訓練。


 川のせせらぎを思わせる音色が流れ、次の瞬間にはバケツの水をひっくり返すような破裂音に変わる。生成、そして破壊。その繰り返し。


「お、もう実戦なんだ。思ったより激しくやってるようねぇ」


 早くも状況を察したナギが言う。

 段々と向こうの影がはっきりしてくる。人影は二つだ。


 片や刀剣を振るうヘクター・マグガル。位置を変えつつ、遠方から飛来する弾幕を、手にした剣で真っ二つにしてゆく。


 切られた弾から弾けているのは、水。魔想の水だ。


 魔想の担い手はその手に水を集めて弾を造り、対峙しているヘクターへ向けて次々と飛ばしていた。懸命に口を引き結ばせながら、赤茶色の髪の毛先が水飛沫とともに舞って踊る。


 驚いたことの二つめ。

 少数部隊のリバースが迎えた新人は、自分だけではないということ。


 リバースの基地で彼女を見かけた時、幻覚を見ているのかと思った。それほどに彼女がこの場所にいるのは意外で、もっと言えば場違いのようにも感じたのだ。

 そう思わせられるほどに、アズミ・シーグレイは優秀な一般魔導兵なのだった。

 訓練兵時代の同期であり、シャルコルの戦場でも共に戦った兵士。彼女とこんなところで再会するとは思わなかった。


 アズミは手のひらに水を生成しては、ヘクターへと発射する。水の魔想は軍の行動ではまず見られない形式だ。殺傷能力が低いゆえに、一般的に戦いには向かないとされていた。

 だが彼女の扱うそれは、非常に速かった。

 他の一般魔導兵が放つ火球などとは比べものにならない速度で水弾は放たれている。あれでは水そのものの殺傷能力が低かろうとお構いなしだ。当たれば間違いなく骨を折るし、部位によっては即死もあり得る。


 あの速度で、しかも素早く動き回るヘクターを正確に捉えている。一度手のひらから離した弾を空中に滞留させ、時間差で撃ち出すような動きも見られた。あのように体から離した魔想と接続を維持したままコントロールする技は、十年以上の修練を積んだ上級魔導兵のそれ。

 彼女は同期の魔導兵の中で、比肩する者がいないほどの優等生だった。その証拠をまさに今、まざまざと見せつけられているようだ。


 そして技術ばかりではない。


「まるでカドラムが使う機関銃みたいね」


 ナギの評価にアラタは黙って頷く。あまりの驚きに言葉を失っていた。


 魔想の生成から射出までのスパンの短さもさるものながら、特筆すべきはその量。

 普通ならば二十秒で枯渇こかつしてもおかしくないほどの魔力量を、アズミは平然と放出し続けている。


「アラタ君?」


 ナギが呼んでいる。自分が唖然とするあまり腰を地面に落としていたからだ。

 まるで参考にならない。呼吸をするように魔想を造るアズミと、魔想を造ることすらままならない自分では、魔想使いとして規模が違いすぎる。


 そんな並外れた魔想行使を剣一本で対処するヘクターもやはり尋常ではない。

 燃えるような赤髪を濡らすことなく立ち回っている彼は、まだ本格的に剣の魔想を使っていないようだ。その姿は魔想使いである前に、卓越した戦士であった。


 つまるところこの訓練は、化け物と化け物の対峙なのだ。


 機関銃の如き水弾の連射で相手を寄せ付けなかったアズミだが、ここで突然に射角を変えた。狙いはヘクターの頭上だ。

 横方向の攻撃から縦方向の曲射。その転換を見て取ったヘクターは、逆に好機と見たのか一気にアズミとの距離を詰めようとする。

 降りそそぐ水弾が地上に派手な水の柱を作る。その合間を縫いつつ、影は敵対者へ近づいてゆく。

 縦方向の攻撃は、地上を素早く動く相手に当てるには不向きだった。いかにアズミの腕が上級魔導兵に匹敵するものでも、ヘクターを点で捉えるには及ばない。


 しかし、水の柱の隙間に浮遊する水の弾を見つけた時、アラタは彼女の狙いに気づいた。


「曲射は目くらまし……!」


 攻撃の最中にいるヘクターも足を止め、アズミの狙いを悟る。

 その頃にはもう、彼の周囲は浮遊する水弾で囲われていた。


 仕上げとばかりに、アズミは開いた手のひらを握りつぶす。

 派手な水飛沫の中に隠れて滞留していた水弾が、ヘクターの目前から、後方から、左右から、頭上から、一挙に押し寄せ中心を貫いた。


 凄まじい音とともに、飛沫が中空に舞い、視界を悪くする。

 一瞬、嫌な寒気が背筋を伝う。もしもあの攻撃が直撃していたなら、中の人物は確実に死亡しているだろう。万が一とはいえ、その可能性はある。


 アズミの魔想で造られた水分が地面に落ちて消える。そうして晴れた空間に、ヘクターは身を屈めていた。

 頭上には剣身の幅が広い剣が浮いている。それは既に手にしている剣とは別のもの。ここにきて初めて行使した魔想の剣が、攻撃を防いだ。


 ヘクターは攻撃を防いで間を待たず、一息にアズミの元へと駆け寄る。アズミはといえば、策を使い切ったのか、ただ迫り来る相手を受け入れるばかりだった。


 彼女の首に刃が向けられ、戦いは終わった。


「初手の物量で相手を釘づけにし、次の段階で隙を晒したと見せかけて目くらまし。最後に大仕掛けで締める。アズミらしい、綺麗な構成だった。だがあと少し手数が欲しいな。せっかくの仕掛けだから、もっと活用して優位に立てるように工夫できると、なお良い」

「ふあ……はい!」


 ヘクターのアドバイスに、アズミは上気した顔で返事をした。


「これは……アラタ君には辛い現実だねぇ」


 ニヤニヤと耳打ちしてくるナギ。

 彼女の言う通り、二人の訓練を目の当たりにしたアラタは、いろいろと打ちひしがれた気分になっているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る