第6話 目的と選択

「待ちわびたよ」

「待ちわびた、じゃありません。ちゃんと説明してください。彼が仲間になるって話、同意を得ていたわけじゃなかったんですか?」


 入室するなり、ヘクターは真っ先に抗議する。


 部屋はリンドの執務室兼私室のようだ。片づけのために先に入っていたリンドは、すべて世は事も無しといった笑みで、大きな椅子に背を預けていた。


「誰も同意を得た、なんて言ってないもーん。それはこれからの話だ。まったく早とちりだよ、ヘクター君は」

「この人は……」


 人を煙に巻くような言動、小馬鹿にした表情は、数日前に会った彼女の印象のまま。

 ヘクターの対応を見るに、彼もまた普段から困らされる一人なのだろう。


「まずは改めて挨拶を。私はクロノ・リンド。アルトラン王国軍魔導総長であり、ここでは特異機能群リバースの責任者を務めているよ。リバースに関する説明は、もう聞いたね?」

「軍とは違う独立組織で、特殊な作戦を実行するのだと」


 それで十分だと言うようにリンドは頷く。


「その認識で構わないよ。加えて言うなら、特殊なのは作戦内容だけではなく、構成員もまた特殊な技能を持つ者ばかりだ。ここにいる彼らはみんな特異な魔想を扱う」

「特異な魔想……」


 アラタは呟く。概ねは予想していた通りだ。

 リーダーのヘクターは、自身と仲間のことを「傷をつけられた者たち」と言っていた。そしてトラウマは魔想と強く結びつき、特殊な魔想を生み出すらしい。


「『魔想イメージ出力固定化障害』と呼ばれる症状だけどね。過去のトラウマによって固定化した魔想は、通常の魔想よりも情報密度が高く、より強い効力を持つんだ。ちなみにそうした患者のことは、簡易的に『傷物スカー』と呼んだりもするよ」


 アラタは、大切な人を失った時の経験が狂獣化の魔想という形になった。

 同じようにここに集められている人たちもまた、悲惨な体験を経た、歪な魔想使いということ。


「……僕のような人を集めているのは分かりました。でもやっぱり、僕は魔想を使いたくない。組織に入って作戦に参加することは、できないと思います」

「キミの魔想はトラウマの場面を再上映するようなものだ。不快な記憶を進んで掘り起こしたくないという気持ちは分かる」

「それだけじゃないんです。魔想で狂獣に成っている間、僕はまともじゃない。自分が誰だか分からなくなるし……友人を、殺そうと思ったことも…………自分でない自分に成ってしまうのが、僕には恐ろしいんです」


 シャルコル戦役で、狂獣に成った時の記憶は、全て憶えている。

 理性的に物を考えられた頭が、徐々に攻撃的な衝動に駆られていった。思考も行動も狂獣のものに成って、最終的に人の血を欲し、ウェンを殺そうと思った。


 もし、ほんの少し歯止めが利かなければ、この両手は友人の血で染まっていた。そんな可能性が存在したことに、恐怖を覚える。


「ふむ……では少し視点を変えよう」


 そう言ってリンドは机の上で両手を絡める。


「リバースの現時点での目的が、カドラムの最高指導者――――フェイクを殺すことだとしても、キミは誘いを拒むのかな?」


 頭に染みついたその名前にアラタは目を見開いた。


「……知っているんですか、あの男を?」

「ああ。男の存在はまだアルトランに知れ渡っていない。実際に会ったのは、キミと、カムルという兵士の二人だけだからね」


 そう。カドラム側は宣戦布告の際にも、個人の名を記すことはなかった。カドラム統治の内部構成は未だ不明、というのが世間一般の解釈だ。


「私はカムルとは懇意でね。あの村で起きたことは全て聞いたよ。もちろん、キミのことも知ってた。崩壊したタリエ村から唯一逃げ出した生還者。そして村を滅亡に追いやったフェイクを、強く憎んでいる青年」


 アラタは何も言えなかった。否定しようという気はない。彼女の言葉は事実だ。

 憎しみに駆られた復讐など何ももたらさない。何度もそう考えながら、頭から復讐を追い出すことはできなかった。胸の内の空白は、その機会だけを待ち望んでいた。


 ヘクターが表情を強張らせて呟く。


「タリエ村…………ある日唐突に広がった変成の病によって村人は全滅し、その地は残された狂獣と病が蔓延まんえんする吹き溜まりになった。噂には聞いていたが、まさか事実とは……」

「生き残ったアラタ君は、その後めでたくアルトラン軍の兵士になった。どこか戦場でフェイクに会えるのを期待していたかい? それで彼を手に掛けようと?」


 癇に障るようなリンドの言葉だが、それもまた事実。

 そればかりを目的に従軍していた。いつか相見える日を、何年でも待つつもりで。


「だけど現実問題、それは無理な話だよ。そもそも対峙できる可能性が低いという話は、まあさておき。――――実際に会えたとしても、キミがフェイクに対して魔想も使わず戦えるとは思えないな」

「そんなことは……」

「そう? じゃ試してみるかい? ヘクター君」

「はい」


 名を呼ばれたヘクターは素早くリンドに向き直る。


「彼を攻撃」

「分かりました」


 その返事をしたと同時、中空に現れた一振りの剣がアラタの足元に突き刺さった。

 突然のことに固まって動けないアラタ。続くもう一振りが自身に狙いをつけているのを見て後ずさる。

 足を掠めるように飛来した剣を、何とか回避した。けれど体勢を立て直す間もなく、剣を構えたヘクターが迫ってくる。素早い接近に体の動きが間に合わない。そうして剣に気をとられている隙に足を引っ掛けられ、床に倒されてしまう。

 彼の持った剣が、顔の横の床に突き立った。


「さて、こうしてキミは一度死んだわけだ。……ありゃ、困ったな。これじゃあ何をするにしても、命が足りないぞ?」


 とぼけたことを言いながら、リンドは机の向こうで意地の悪い笑みを浮かべる。


 どういうことだ。先ほどまでヘクターは何も持っていなかった。軍服を身に着けてはいるが、武器を所持している様子はなかった。

 それに何もない空間から飛び出してきた剣――――。


 そうして気づいた時、自分を殴りたくなった。

 何を寝ぼけたことを考えている? あれは魔想だ。

 ヘクターの魔想は、剣を造る魔想なのだ。


 膠着こうちゃくした状況で、なおもほのかな殺意を漂わせながらヘクターは言う。


「咄嗟のことに魔想も発動できなかったようだ。せっかくの力も、使わなければ無抵抗も同然。君は、暴威に抗うすべを知らない」


 眼前にある彼の目は、自分を殺すと語っていた。数秒後、いや数瞬後、確実に息を絶やすと。


 血管に刃を通される恐怖を覚えた。白蛇の呪い――虐げられる痛みに伴って、抗うための叫びを口にする。


「ウ……おおおおォ!」


 訪れる変化は一瞬。右腕の筋肉が急激に膨れ、異形と化す。


 アラタの腕の形状が変化したことを見て取って、ヘクターは剣を己の前に重ねた。そうして振り払う一撃を剣で受け、後ろに引く。


「あれが狂獣化……!」

「でも聞いていた様子と違うねぇ。腕だけの省エネ版ってところかな?」


 楽しげに分析するリンドの声を聞きながら、アラタは荒くなった呼吸を整える。

 変化は既に終わっている。瞑想をするまでもなく、腕は元の形に戻っていた。


「本気に……なるところでした。また、自分を、見失いそうに……」

「ごめんごめん。でもこうするしかなかったんだ。キミが魔想なしには戦えないって知るためにはね。これでもまだ、魔想を使わないって言うつもりかい?」

「…………認めます。僕は魔想を使わないと、戦うことすらできない。でも――」


 魔想を使わずに戦うという選択肢は無くなった。それでも懸念は渦巻いて消えることはない。事は自分だけの問題ではないのだ。


「――この力を使えば、いつか自分を抑えられなくなる時が来る。そんな確かな予感があるんです。その時になれば、誰かを傷つけてしまうかもしれない。越えてはいけない一線を越え、戻れなくなってしまうかもしれない」


 立ち塞がる不安に顔を俯かせるアラタ。そんな彼に、ヘクターは言う。


「魔想の扱いに不安があるというなら、そこは自分たちがカバーすることができる。何せ厄介な魔想じゃじゃ馬に関して、リバースはみな君の先輩だ。魔想と付き合うコツを教えてやれるし、君が暴れ出した時は全力で止めてやるさ」


 彼は彼で、狂獣化とは異なるが、似たような問題に向き合ってきたのだろう。それを経た力強さが表情に滲んでいる。

 そうしてトラウマによる痛みを抱えながらも、傷に触れることを選んだのだ。


「だから大丈夫だ」


 その言葉に、膨らんでいたアラタの不安がしぼんでいく。

 何とかなるのかもしれない。前向きになりはじめた自身の心持ちに気づく。

 迷いはあった。しかし本当に目的を果たそうとするのならば、この選択肢をとる以外に道はないのだと悟り、答えた。


「分かりました。僕をリバースに入れてください。――――そして僕に、フェイクを殺させてください」


 聞き分けのなかった子供がやっと言うことを聞いた。それに満足するような笑みで、リンドは笑む。


「うんうん、よろしいっ。それじゃあ今日は歓迎会だ!」


 こうしてアラタのリバース入隊が決定する。

 遠くかすみがかった目標を、現実に捉えたのだ。

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