第5話 傷をつけられた者たち

 自分はあまり意思の強い人間ではないという認識がある。


 見知らぬ女の人に繁華街の酒場まで連れて行かれたことは記憶していた。路地の奥まった場所の小さな酒場だった。

 酒を出す店に入るのは初めてで、さぞ酒臭く荒々しい輩が集まる場所なのだろうと身構えていたら、意外と落ち着いた雰囲気で、良い印象を覚えた気がする。

 それに酒場の女主人も店の雰囲気にそぐうたおやかな人だった。見たこともない作りの服を着ていた。和服、というらしい。


 席につくなり、女の人は葡萄酒を頼んでいた。運ばれた杯は二つ。

 最初は絶対に飲むまいと断っていた。上官からの命令があるのだから、酒で潰れるわけにはいかない。遊ぶためにこの町を訪れたのではないのだ、決して。


 だから初めは試しに一口。これは脅されて仕方なく、だ。すると女の人にもっと飲めと言われて二口、三口。せめて一杯分は飲まないと、手紙の内容を言いふらすと言われ、渋々一杯を飲み干す。


 そこから、よく憶えていない。

 二杯目も飲んだ気がする。別の種類も飲んだ気がする。高級な米の酒も飲んだ気がする。

 飲んで、飲んで、飲んで、飲まれた。


 目が覚めたのは長椅子の上。知らない部屋で、知らない人に囲まれていた。


 回想を高速で流し、うなだれる。

 ああ、これは間抜けすぎる。


「新入りくん、気分はどうかな? まだ調子が悪いようなら、無理せず横になっているといい」

「いえ……大丈夫、です。楽になってきました……ありがとうございます」


 正面の椅子には軍服に黒マントの青年が座している。


 彼の気遣いに感謝しながら無理やり顔を上げる。全然楽になどなっていないが、いつまでも寝ていては礼を欠く。それに自分が置かれている状況くらいは確認しておきたかった。


 あの黒髪の女性はどうなったのだろう。見たところこの場にはいないようだ。

 逃げられたとか? まさか盗人だったのか?

 紛失した物はないか探ってみる。手紙は……持っていた。荷物のリュックも傍に置かれている。盗みがあったかは不明。


「大変な目にあったようだね」


 青年が声をかけてくる。


「随分と飲まされたようだ。こっちの酒には慣れていないだろうに。災難だった」

「あなた方が助けてくれたんですか?」

「助けた、というのは大げさだな。介抱しただけだ。自分らは君の仲間だから、遠慮はいらないよ」

「仲間……?」


 えらく謙遜けんそんをする人だ。それに仲間なんて、初対面で妙な言い回しをする。

 青年は軍服を着ているが、軍の関係者だろうか。


「本当にありがとうございます。それであの、ここはどこなんですか?」


 低い机の周りに長椅子が置かれた部屋。棚や暖炉などの調度が、落ち着いた色合いで揃えられている。広い家の一室、といったところだろうか。


 自分は酒場に放っておかれていたか、それとも道端に捨てられていたか。どういう経緯でここに運ばれたのだろう。


 そんなことを考えていると、部屋の雰囲気に似合わない荒げた声が返ってきた。


「はぁッ? アンタそんなことも知らないままノコノコついてきたわけ?」


 声の主は彫りの深い顔を引きつらせた強気な印象の女性。青年とは違って軍服ではなく私服のようだ。やたらと丈の短いスカートや派手な装飾が自信の表れに見える。


「メア、やめないか」


 青年が強面こわもての女に呼びかけるも、彼女は構わず続ける。


「呆れるわ。こんな危機管理能力が欠如したやつを入れるとかナイでしょ。知らない女に引っかかる時点でどんだけ馬鹿なのって感じだし、それに見るからに甘ったれってツラ! テストは不合格よ」

「テスト……?」

「そう。まぁもうアンタには関係のない話だけどね。こいつの処理、どうする?」


 アラタの疑問に取り合わないまま、強面の女は隣の男に視線を向ける。

 その眼鏡を掛けた男は穏やかな表情で、怒り気味の強面女をたしなめる。


「まぁまぁ、まだ気が早いですよ。別に手紙の内容はテストというわけではありません。単に現時点での能力を測るためでしかないのですから」

「あーそう。そんで、この坊ちゃんには如何程の能力があるってわけ? 任務の途中にハニートラップに掛かって毒でも盛られて呆気なく死ぬくらいの能力?」


 イライラとした強面女に対し、「まぁまぁ」と眼鏡の男はさとす口調。

 そうして二人がやりとりをしていると、後ろから小さな人影が忍び寄って強面女の背から顔を出した。


「メア、はやとちり~」

「うっさいガキ」


 言いながら強面女は自分の腰辺りにまとわりつく少女の頭を引っ掴む。少女は「あぁー」と情けない声を出しながら、されるがままになっていた。

 よく見ればその少女の顔は、アラタがこの部屋で目覚めた時に真っ先に拝んだ顔だ。


「あんまりユルルをいじめるんじゃないぞ」


 背後で繰り広げられるやり取りをなだめ、軍服の青年は眼前に座るアラタへと視線を戻す。


「さて、君もいろいろと戸惑っていることだろうね」

「さっきから何がなんだか……あなたは僕を助けてくれたのではないんですか?」

「一つ誤解を解こう。君に酒を勧めた女性のことだが、彼女は自分たちの仲間だ。そして君も、新しく仲間になる人材だと聞いている」

「仲間? あなたたちは一体……?」

「君が探していた、万象の魔女クロノ・リンドの使いだよ」


 戸惑いを隠せないアラタの前で、軍服の青年は自信に満ちた表情で言う。


秘匿性ひとくせい特異機能群、通称『リバースreverse』。クロノ・リンドの命の下、秘匿性の高い作戦を実行する部隊。魔女の手先となる、独立組織だ」

「ひとくせい……リバース……?」


 聞いたことのない部隊名だ。そんな部隊が存在していただろうか。


「そして自分は一応ここのリーダーをやってる、ヘクター・マグガルという者だ。これからよろしく」


 青年、ヘクターは机越しに握手を求めて手を差し出す。


「ちょ、ちょっと待ってください。リバース、ですか? そんな部隊聞いたことがないです。ここは軍の施設じゃないんですか?」


 アラタは差し出された手を握ることができなかった。


 どうも変だ。自分はアルトラン軍の兵士として招かれたはず。だというのに、独立組織? なんだそれは?

 着いたのはごく一般的な調度品が並ぶ、一般的な家の一室。迎えたのは、一人を除いては軍服すら着ていない若者集団。明らかに従軍適正年齢に達していない子供まで居る。

 当の少女はアラタと目が合うとパッと笑った。疑いを知らない子供の笑みだ。


 握手を求めた手を引っ込めながら、軍服のヘクターは言う。


「これからは軍の指揮系統からは外れることとなる。扱いとしては傭兵と同じ。しかし様々な特権を与えられ、時には軍と協力をしながら作戦を実行する。その存在が公にされることはない」

「どうして、そんな組織があるんですか?」

「暴威に抗うため」


 その質問をした時、ヘクターの目つきには剣呑なものが宿ったように見えた。傾けた眉に覚悟をのせ、まなじりに潜む意志は遠くの何かを見据えている。


「カドラムという、抗い難い暴力。の強大な存在に打ち勝つために集まったんだ。同じように傷をつけられた者たちが、こうして」


 部屋に居る強面女、眼鏡の男、幼い少女も、同じ意志の下に集まっている。


 ――傷をつけられた者、か。


 その傷こそが、集まった彼らの共通点。戦いに身を投じる意味なのだ。


 青年は剣呑な雰囲気を収め、軽い調子に転じる。


「君を歓迎したい。どうだろう、自分たちと一緒に戦ってくれるか? アラタ・マクギリ?」


 強面の女が舌打ちをする。全員が歓迎しているわけではないようだが、ともかく。


「傷をつけられたという意味では、僕もあなたたちと同じなのかもしれません。兵士になった理由もそこにある。リンド魔導総長の下で魔想を役立てないかと言われたのも、多分そういった部分をあの人に見込まれたんだと思います」


 リンドと話した時、戦場で発露した狂獣に成る力を、特殊な魔想によるものだと教えられた。

 同時にその魔想を十全に発揮できる場所を提示されたのは、アルトラン軍の通常作戦行動では規定外の魔想を活かせる体制が整っていないからだ。


「でも、それは断りました。僕にはこの魔想は使えませんから」


 自分に扱える力ではない、と思った。そしてこれからも、できる限りこの力からは距離をとっておきたい。その気持ちは、魔想を使わなかったここ数日の間、日増しに強くなっていった。

 狂獣に成ってしまう力を、怖いと感じる自分がいる。

 これと向き合うなど自分には無理だ。


「せっかく抗うための力があるのに使わないの。とんだ甘ったれね。それじゃあさっさとうちから出ていって」


 強面女が興味を失くしたように部屋から出ていく。幼い少女も、こちらを振り返りながらそれに続いた。


 これでいい。仕方がないのだ。

 狂った自分が、誰かを傷つけてしまう可能性があるのなら、その力は使えない。


「そうか……聞いていた話といささか違うが、本人がそう言うのであれば――」


 ヘクターも諦めを示した。その時だ。


 二人が出ていった部屋の外から、何やらやり取りが聞こえた。文句を口にしているらしき強面女の声と、もう一つは大人の女性の声。「――だからもう話は終わったんだって!」という不満の声を最後に、部屋の扉が開かれる。


「おっまたせー! いやー、メンゴメンゴ。うっかりアラタ君が来る時間に予定を入れちゃっててねー。出迎えるのが遅れちゃった!」


 勢いよく開かれた扉から入って来たのは、いつかの黒き魔女だった。

 既に決着したやり取りを、リンドは眺め、にこっと笑って言う。


「うん。とりあえず場所を移そうか。話はそれからだよ」

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