第4話 王都カディアラ

 戦場から戻って一週間が経ち、アラタはようやく支えなく歩けるようになった。

 寝ているうちに体内に魔力が充填されたのだろう。まともに動かなかった手指の先まで活力がみなぎってくるようだ。


 そして動けるようになってすぐに、アラタの後方行きが正式に通達される。その準備も既に整えられていた。リンドの手配だろう。


 私物だけをリュックに詰めて飼育舎に赴けば、明らかに自分を待っている軍人の姿が見える。背後には鎖で首を繋がれた赤褐色の飛竜ワイバーン


「乗れ」


 中年と思われる兵士はそう言ってきびすを返し、背を低めた飛竜にまたがる。アラタは促されるままに竜の背をよじ登り、彼の後ろについた。

 たどたどしい手つきで留め具に足を固定する。革のベルトで何重にも縛り、振り落とされる危険を減らす。時おり身じろぎする飛竜の挙動に何度も肝を冷やした。


 竜に乗るのは初めてだ。一般兵では馬に乗ることはあれ、飛竜で空を飛ぶ機会などまずない。そうした機会を得るのは高級軍人か、その従者くらいのものだ。

 だが今回はクロノ・リンドの特命。軍において将官級の権限を持ち、兵の運用に多少の融通が利く彼女の命により、特別に飛竜と付き人が貸し出されたのだ。


 準備が整い、飼育舎の人間によって鎖が外される。

 束縛から解かれた飛竜は、その身をほぐすように首を伸ばし翼を広げている。

 兵士が前輪を振り上げてくつわに合図を送ってやる。すると飛竜は広げた翼を何度か羽ばたかせ、後ろ足で地面を蹴りつけ、空中へと飛び込むのだった。


 生ぬるい外気に肌を叩かれながら、滑らかな軌道で上昇。地上二〇〇メートル付近を保ちつつ、後はひたすら南へ進む。


 シャルコルの戦況は比較的に穏やかだが、今後のことは誰にも分からない。今は姿の見えない、謎の金属音を発する車両が、明日にでもまた姿を現わすかもしれない。

 アラタは仲間の無事を祈った。


 キャンプを離れたウェンのことも気がかりだ。彼に助けてもらった礼もそういえばできていない。狂獣化の話も、まだ。

 また会える時があるだろうか。その時は、ちゃんと弁解できるだろうか。





 リンドに指示されるがままに来たのは、外壁に囲まれた巨大な城塞都市。

 王都カディアラ。最高権力者の住まう王城が存在する、アルトラン国の中枢だ。


 正面の門を抜ければ、そこは見たこともないほど多くの人や建物で溢れかえる賑やかな景色だった。


「これが、都会か」


 田舎の小村で育ったアラタには想像を絶する華やかさだ。


 石レンガで舗装された大通りは往来の人や荷を運ぶ馬車で埋めつくされている。脇にほとんど隙間なく並ぶ建物は、初めて訪れる人間なら圧倒されてしまうだろう。

 人々が纏う洒落た服や磨かれた石の香りが、自然と背筋を伸ばさせる。


「さて、どこに向かえばいいんだろう」


 三日間の旅を連れ立った兵士と別れると、一人残されたアラタはリュックから封筒を取り出す。


 赤の封蝋がされた黒の封筒には、宛名などが書かれていない。それはリンドから直接手渡されたもの。彼女はこれを、招待状と言っていた。


 町に到着したら開けるように言われたそれを、アラタは丁寧に開いてゆく。入っていたのは、黒い石の指輪のようなものと、一枚の便箋。


『広場で待っててね。そこで迎えを待つこと。誰にも知られないように』


 書かれている内容に、アラタは首を捻った。


「広場って……どこのことだ?」


 広場なんて、この大きな町ならいくつかありそうなものだ。


 ――それに、誰にも知られないように、なんて。まあ下手に口にしなければ、誰かに知られるなんてことは起こらないと思うけれど。


 仕方なく大通りを歩きながら散策する。正門を抜けてしばらくは、中心へと向かう真っすぐの道だ。その所々に、枝が生えるように小道が伸びる。


 途中に行き当たった交通の要衝となる広場では、アクセサリーや食べ物などの露店が並び、休暇を過ごす客を喜ばせていた。

 とても戦争中とは思えない。泥に塗れ、血が流れる戦場を見てきた後では、少し信じられないような光景だ。


 町の中心部へ近づくにつれて賑わいは増していくようだった。住居となる建物より商店が目立つ繁華街。交差する道も増え、猥雑になっていく。


「……取りあえずここで時間を潰してみようか。というか、迎えの人は僕の顔を知ってるのか?」


 足を止めたそこは、四方向に道が伸びる広場。


 中央では年老いた男が熱心に演説を行っている。隣には彼の飼い犬が、わけの分からないような顔で立たされていた。


「――――私たちアルトラン国民は、百年以上前から肉体が変化する恐ろしい病気に悩まされています。肉体が獣に成ると、心の方も獣に寄っていく。人間性を保とうと我慢しても無駄で、むしろ我慢した分だけ肉体と心との矛盾は大きくなり、より深く狂ってしまうのです。ではそんな変成の病は、どこから来たのでしょうか……そうです! あの北の国カドラムが、人体に変成を引き起こす瘴気しょうきを、壁の外から送り込んでいたのです!」


 力の入った演説だ。大きな声に反応して、犬が男に吠えたてる。


「都会じゃこんな演説が流行っているのか……? あの犬、もしかして狂獣のつもり……?」


 アラタは困惑して周囲を見回す。

 演説にはちょっとした人だかりができているが、真面目に傍聴している人は数えるほど。ほとんどの人は通り過ぎる際に聞き流すか、笑いの種にするか。


 変成の病はカドラムが原因である。それと似たようなことを、アラタも考えたことがあった。自分の村が滅亡する要因となった事態には、カドラムから来たフェイクという男が関わっていたからだ。

 今は根拠がない。だがいずれ、自分は真実を突き止める。


 建物に寄り掛かって胡乱な考えを巡らせていると、同じように退屈を持て余していたと見える女性が声を発した。


「笑えるよね。犬に芸まで仕込んで。本物の狂獣を見たことがあるのかも怪しいわ。あんな妄言でもカドラムへの敵意に繋がるなら、国にとっては都合がいいんだろうけれど」


 見たところ女に連れはおらず、近くには人もいない。自分以外には。

 よってその声は、自分に向けられたものだと、遅れて理解した。


「ごきげんよう。調子はどう?」


 気づかなかったと見られたか、女が今度ははっきりと笑みを向けてくる。


「え? あ、ど、どうも」


 知らない人間に声をかけられることには慣れていない。故郷の村ではほとんど全員が顔見知りだったから。都会ではこれが当たり前なのか。


「カディアラは初めて?」

「ええと、はい。どうしてですか?」

「さっきから落ち着きなさすぎ。目がうろうろしてた。の証拠ね」

「そんなに分かりやすいですか」

「初めて来る人はみんなそんなものよ。ねえ、兵隊さんはこんなところで何しているの?」


 黒髪の女は興味をむき出しに遠慮なく問いかけてくる。田舎から来た兵士をからかってやろうという魂胆かもしれない。


「別に、今日は非番なだけです」

「休日でも制服着てるんだ。真面目なのね」


 言ってしまった後で、しまったと反省する。

 脳裏には手紙の『誰にも知られてはいけない』という内容がちらついていた。だが隠そうとするあまり、逆に不自然さが際立ってしまった。


「ふうん。じゃあ今は暇なんだ」

「そういうわけでは――」


 反論しようとするアラタの口を制すように女は距離を詰めてくる。


「なんだか退屈なのよね。戦争が始まっても、この町で過ごす日々は変わり映えしないというか」

「はあ……」

「かといって、あの変なおじいさんみたいに好戦デモで盛り上がるのも嫌になるし。暇だから、お酒の相手でもしてくれる人を探してるんだけど……」


 そう言って女はアラタの顔をまじまじと見つめた。品定めをするような目つきだ。


「兵隊さん、よく見ると可愛い顔してるのね」

「へ?」

「私に付き合ってくれない? お話しましょ」

「いや、僕はその、用事が……」

「だいじょうぶ! ちょっと一杯ひっかけるだけよ」


 そんなことを言って、女はアラタの腕に自分を絡ませて、強引に腕を引く。

 やたらと胸を押し付けては、手を体に絡ませてくるような格好なので、アラタも下手に抵抗できないでいた。

 通り過ぎる人の視線が、こころなしか痛い。


「ちょっと、やめてください!」


 それでも思い切って振り払うと、女はアラタから離れた。ほっと息をついたのも束の間。得意げな彼女の手には、黒い封筒が握られていた。


「なになに? ひろばでまっててね。――だれにもしられないように……だってぇ? 軍隊にも変な指示を出す人がいるものね」


 女はアラタの懐からくすねた手紙を高らかに朗読する。


 誰にも知られないように、という手紙の指定が頭をぐるぐると回る。これはまずいのではないか。内心で汗水を滝のように流しながら、アラタはなるべく平静を装って手を差し出した。


「それを、返してください」


 せめて手紙は回収しなければ。


 しかし女は封筒を後ろ手に隠すような仕草をして、笑顔で言った。


「これを返してほしかったら、大人しく私に付き合うこと、っていうのはどう、兵隊さん? ダメって言われたら、この手紙の内容、誰かにしゃべっちゃうかも」


 アラタは返す言葉を持たず、固まってしまう。その隙に女はアラタの腕にしがみつき直す。弱みを握られたアラタに、抵抗する術はなかった。


 昔、元兵士だった父親に、カディアラで勤務していた頃の話を聞いたことがある。父親はその時にあったエピソードを語る前に必ず、ある言葉を口にしていた。


『都会はな、アラタ……都会は怖いぞ…………』


 その父の声がいま、やたらはっきりとこだましている。


「さあさ、レッツゴー!」

「ま、待ってください!? 待機命令が!」


 陽気な女は拳を突き上げ、繁華街の奥へと若き兵士を引きずり込むのだった。


 都会、恐るべし、と後にアラタは思い返す。

 まさか立っているだけで見知らぬ女性に連れて行かれるとは思いもよらないし、その裏に企みがあろうとは想像だにしない。


 カディアラでの最初の経験は、恐らく忘れがたいものとなっただろう。

 俗に言う、黒歴史として。





 知らない天井と、知らない顔がある。


「あ、お目覚め~」


 高く幼い声が頭に響く。

 頭痛がひどい。頭を内側から叩かれているかのようだ。加えて胃の底では嫌な感覚が渦巻いている。


 いつの間にか眠っていたようだ。だが記憶が混濁して、いつから、そしてどこで自分が眠りについたのか思い出せずにいる。


 鉄球のように重い頭をのそりと引き起こすと、自分が寝ていたのが長椅子の上であると分かった。


 体中を襲う倦怠感としばし戦い、ぼやけた思考が徐々に晴れると、そこで、自分を取り囲む数人の存在に気づく。


「ようやく起きたかい? 新入りくん」


 正面に座る、アルトラン軍の制服に黒いマントを羽織った青年は、眩しいほどに真っすぐな眼差しをアラタに向けていた。

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