第3話 魔女(2)

「ズバリ…………キミが狂獣の姿になった時、服を着ていたかい? それとも全裸だった?」

「…………はい?」


 思わぬ質問に、自分の耳がおかしくなってしまったのかと疑った。

 しかしリンドの表情は真剣そのもの。ふざけている風には見えない。果たしてその真剣さが正しい方向に向かっていることを願うばかりだが。


「服は、着ていなかったと思いますけど」


 なんて馬鹿々々しいことを口走っているのだろう。でも上官の質問なのだから答えないわけにはいかない。

 アラタの答えに、リンドは口元を歪めた。


「なるほど……なるほど……クククク」


 何やら邪悪な笑い声が聞こえてきて、正直に答えたのは失敗だったかと思い始める。


「それじゃあ次の質問だ。キミが狂獣から元の姿に戻った時、服は着ていたかな?」


 またも意図の分からない質問だ。

 そろそろ辟易として溜息をつきかけた時、アラタは妙な違和感に気づいた。


「あれ、そういえば戻った時、服は着ていました」


 服の有無など、その時は気にする余裕もなかった。いや、気に留める必要を感じなかったと言っていい。獣であれば服を着る必要はなく、人間であれば服を着るのが自然。その時その時で違和感のない格好をしていたのだ。特に意識もしないまま。

 だがその違和感のなさこそが、微妙な違和感となって不合を生み出している。

 これはどういうことだろう。


 自分が本当に変成していたのならば、一度消失した服はどこにいったのだろうか。


 違和感に気づいたアラタを見てリンドがニヤリと笑む。


「まさか自分の格好を気にして服を着脱したということはあるまいね?」

「そんなこと、考えもしませんでした」

「なら、そこには理由がある。そしてその不合理を解消する説明を用意するのは容易いことだよ。キミの言った事実と、今のキミの状態――特に外傷もないのに筋肉に力が入らず動けない状態をかんがみると、やはり私の推察通りと言っていいだろう。もしやキミの中に変成の病に対する抗体のようなものがあるのかも~、なんてことも思ったんだけど、違ったみたいだ。うん」

「一体僕の体に何が起きてるっていうんですか? 教えてください!」


 やけに勿体をつけるようなリンドの物言いに、焦れたアラタが声を荒げる。


 自分の体は変なのだ。変成の病に対する異常な不安が内在し、一年半前には実際に獣と成った。戻りはしたものの、それ以来、希薄になった自分の代わりに、狂暴な何かが自分を内側から喰らい尽くそうとしているという妄想が頭から離れない。


 恐ろしい。自分を見失うのが。自分でなくなるのが。

 恐ろしいからこそ、知るべきだ。


「聞きたいかい~? 知りたいかい~?」

「お願いします、リンド様!」

「『様』はいらないよ。親しみを込めてリンドちゃんって呼んでくれたまえ」

「…………リンドさん!」

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに……あぁでも、いいねぇ。真っすぐに意志をぶつけてくる男の子の眼、嫌いじゃない。よろしい、教えてしんぜよう!」


 己の身を抱いて体をくねらせたかと思えば、次には腰に手を当て逆の手で親指を立てる。まるで人をからかう道化のよう。

 そうして彼女はアラタににじり寄り、唇に引かれた紅を艶美えんびに歪めた。


「キミの変身能力は変成の病によるものじゃあない。変成の病を緻密ちみつに再現した、キミ自身のによるものだよ」

「僕の、魔想?」

「そう。狂獣の姿は、キミの魔想がかたどった形だ。服の上から、こう、張り付けるように魔想を発動したってわけ。本当に肉体が変化したわけじゃないよ」


 そう言ってリンドは自身の薄い衣服の上に手を這わせた。


「でも僕は、今まで魔想なんか使えたことがないのに」


 訓練兵時代に行われた能力テストでも、魔想に関しては最低ランクの判定、つまり魔想の才無しという結果だった。自分は魔導兵にはなれないのだと諦めていた。


「そうなの。でも並大抵の魔想が使えないのは珍しいことじゃない。魔想は己の想像力で形を成すモノ。体内に魔力を持っていようと、想像力が欠如していれば、魔想は使えない道理さ」

「じゃあ、僕の中に魔力自体はあった……?」

「そ。そして狂獣になった時に魔力を使い果たしてしまった。外傷や不調がないのに動けないというのは、まさに魔力を空っぽになるまで使い果たした魔想使いに起こる症状だ。今は私が魔力を継ぎ足したから多少は動けるがね」


 魔力が切れれば、魔想使いは動けなくなる。魔導兵に関する基礎知識だ。

 通常、魔想使いは如何なる時にも、常に魔力をわずかに温存しておく。行動不能となるのを未然に防ぐのが魔想使いたる心得、と聞いたことがある。


 未熟な自分は、魔力が尽きるまで狂獣化を続けてしまった。故に動けなくなった。


「もしかしてあなたが僕のベッドに潜り込んでいたのは……」

「キミを回復させるためだよ。他に何の意味があると思ったんだい?」

「……助けてもらってこんなことを言うのもなんですけど、他にやりようはなかったんでしょうか?」

「もちろんあったよ。だからその中から一番おもしろそうな手段を選んだんじゃないか。わざわざ!」


 にまぁ、と非常にご機嫌そうに笑むリンド。おもしろそう、というのはつまり、「私にとって」という限定的な意味合いだろう。

 段々と彼女の性格が読めてきたような気がする。


 リンドはベッドに腰を掛けて話を続ける。


「話を戻すけど、キミの姿形が変わったのは魔想によるものだ。けれど問題は、そんな複雑な魔想、普通の魔想使いでは扱えないってことなんだ」

「魔想が想像力で造られるものなら、これくらいのことができる人はいそうですけど」

「そりゃ見た目だけなら真似できる人はたくさんいるよ。でもその中身は空っぽだ。本物の狂獣が如き力を引き出すなんて普通はできない。なのに、キミはその力を使いこなして敵兵を蹴散らしたそうじゃないか」


 アラタが敵兵を蹴散らした、というくだりはウェンから聞いたのだろう。

 あの時の自分は、本物の狂獣に迫るほどの力を持っていた。それは自分でも感じている。


「キミの力は特別なものだよ」

「でも、他の魔導兵が使うような魔想はからっきしなんです。こんなよく分からない魔想だけが使えるなんて……」

「そう! まさにそこだよ」


 そう言ってリンドは唐突に、両手の上に白い人形を出した。魔想の人形だ。


「こんな話がある」


 彼女の語りに合わせ、人形たちが踊るように役を演じ始める。


「とある若者は優秀な魔想使いだった。だけどある日家に帰ると、悪者が家に押し入り、若者の肉親を剣でめった刺しにしていた」


 人形から血に似せた白い液体が無情に噴き出す。二つの人形が倒れ、塵となった。

 表情のない若者の人形が怒りに震える。その周囲に、刃のようなものが浮かんでいく。


「その光景にショックを受けた若者は、魔想で造った剣でその悪者を切り刻んだ。その日以来、家での光景が忘れられない若者が造る魔想は、全て剣の形になった……」

「それって」


 似ている、と思った。

 故郷の人間が狂獣と成り、その狂獣に父親を殺された、自分の話に。


 劇が終わり動きを止めた人形は、無数の光の粒になって両手の上から退場する。


「稀に悲惨な経験をしたことによる心的外傷後ストレス障害(PTSD)が、魔想の形を固定化してしまうことがある。トラウマは、言い換えれば強い執着。自分にとって最も忌まわしい形が想像を埋め、魔想に憑りつく」


 アラタに思い当たるトラウマなど一つしかない。

 あの日だ。

 村の結婚式。舞い踊る少女。そして押し寄せる狂獣。


「そうか」


 納得したようにアラタは呟く。


 惨劇が訪れ、彼女は息絶えた。


「この魔想は……僕の傷か」


 アラタは首から提げていたものを手に取る。


 あれから一年と半年は過ぎた。自分はずっと、ずっと、忘れてはいないのだ。

 透き通る夜空に雪粒を散りばめた宝石のペンダントは冷たく、握り込んだ手の熱を優しく奪う。


「実は、キミに提案があってね。もしよければなんだけど――――」


 ベッドに座ったリンドがアラタの肩へと手を伸ばす。


「――キミの特別な力、私の下で役立ててみない?」


 魔女はそう言って微笑んだ。

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