第二章 影の部隊

第1話 反動

 シャルコルの集会施設を空ける形で設営された病院。


 数多くの負傷者を抱えたその場所で、アラタはひとり天井を眺めていた。


 ――暇だ……。


 慌ただしい医療従事者の声を聞き流しながら徒然を思う。


 負傷した体でここへ運び込まれ、頭に包帯を巻きつけられた後、取りあえず放置。

 アラタが頭に負った傷は軽度で、特段手をかけるほどのものでもないという判断らしかった。頭部への衝撃を申告したのだが、その傷が見当たらず、意識もはっきりしている。


 ただどういうわけか、体が動かない。外傷はないものの、こんな状態ではまともに行軍すらできないので、こうしてベッドで横になっている。

 狂獣と成ったことが原因なのかもしれないが、そんな突拍子もないことを言うわけにもいかなかった。


 ともかく安静が必要だと言われ、後は天井を眺めて時を過ごすばかり。


 時おり、運び込まれてくる者の悲痛な声が聞こえてくる。

 自分より遥かに重傷で、生死の境をさまよっている兵士は何十人と居た。特に魔導兵の負傷者はかなりの数だ。

 そうした人に比べると、今の自分の容態はどうにもよく分からない。貴重なベッドを占拠しているのが申し訳ないくらいだ。もしかすると、もう動けるのでは?


「くっ……!」


 こうして体を起こそうという試みは、もう何度目になるだろう。体を捻じりながらもわずかに持ち上がった上半身は、思った以上に踏ん張りがきかない。ベッドからはみ出た体は、そのままずるずると板張りの床に落下してしまった。


「何やってるんですか!?」


 間抜けの音を聴きつけた看護師が駆けよってくる。

 看護師が応援を呼んで、二人がかりでアラタの体を持ち上げた。


「……三回目です」

「はい。ごめんなさい」

「こっちは人手不足で手が足りないっていうのに、どうしてそう意味のない無理をするんですか? 構ってほしいんですか?」

「ごもっともです…………いや、構ってほしいという意味じゃなくて」

「もういいです。次やったら地面で寝てもらいます。建物の床じゃないですよ。建物の外の冷たくて硬い地面です。どうやらそこが恋しいようですので」

「気をつけます……本当に」


 看護師の脅迫を受け、それからはせめて面倒をかけないよう心がけた。


 それから日を跨いだ昼過ぎのことだった。


 仮設病院内で、とある話し声が耳に入ってくる。


「――――なるほど、ではこちらの被害は軽微に抑えられたか」

「はい。カドラム軍はこちらの魔導兵を破る手段を持たず、攻めあぐねていたと」

「やはり殲滅作戦が功を奏したな。大方、町に踏み入るための頭数が不足したのだろう。竜騎兵ドラグーンを投入した甲斐があったというものよ」


 声の主は二人の上官のようだ。今の戦況について話している。


「作戦の成果は十分かと。ですが、少し気にかかることが……」

「なんだ?」

「昨日の報告にあった、『謎の金属音を発する車両』……あれが今日の戦闘では現れなかったのです」

「魔導兵の魔想を封じたという、あれか」

「そうです。あの車両が現れていれば、こちらの被害は甚大なものとなっていたはず。我々は音への対策を持っていませんから」

「大方、整備不良か何かだろう。対策など講じるほどのことでもない。あのような動く棺桶など、近づかれる前に爆撃してしまえばいい。この前は不意を打たれたために犠牲が出たのだ。ならば今後は警戒を強めればいいだけのこと」


 実際に戦場を見ていない指揮官の所感は楽観的としか言いようがないが、ともかく。


 謎の金属音。あの絶望の音は、もう戦場に響いてはいないらしい。

 しかし、どうしたことだろう。カドラムがまたあの兵器を使えば、アルトラン軍の武器は封じられたも同然だ。それなのに戦場に投入されなかったのは、どういう理由があるのだろう。まさか本当に整備不良か?


「奴らの言葉すら信用に値しないと、奴ら自身が証明したな。もう慈悲は要らないということだ」

「気になることはもう一つ」

「言ってみろ」

「早朝、町を出ていく黒いマントの者を見かけたという報告がありまして。怪しい人間がこちらを嗅ぎまわっているのかも――」

「いや……分かった。それについては、ここでは――」


 そうして部下とおぼしき男は、上官に引き連れられ建物を出ていった。

 上官は建物を出る直前、「そうか、彼らが片づけたか……」と口にしたようだった。


 アラタのような末端には知らされない情報が軍部にあることは不思議ではない。それは大抵の場合、戦場で戦うのみの兵士には関係のない事柄だからだ。

 自分は戦うだけだ。そして、いつか死ぬだけだ。


 もう一度眠ろうと瞼を閉じた。眠気などないが、それ以外に暇を潰せそうにもない。

 だが眠りに落ちる前に、来訪者があった。


「やあアラタ。調子はどうだ?」」


 自分を呼ぶ声に瞼を開く。寝台を見下ろすブロンドの青年は、ウェンだった。


「ああ……ウェンか……!」


 ウェンの顔を見た途端、安心する気持ちがこみ上げる。寝ているだけの身としては、再び戦地に赴いた彼が生きていると確認できただけでも朗報だ。

 どうしても仲間の安否には気を揉んでしまう。唐突な死別の後ではなおさらに。


「お見舞いに来てやった…………まあ、まだあいつのことをちゃんと話していないと思ってね。話せるか?」

「そういうことなら、平気だ。首が動かせないから、相槌は上手く打てないかもしれないけど」

「口が利ければ上等だ」


 そうして二人は、先日死亡した友人、レオナールのことを語り合った。


 訓練所に入所してから知り合った彼の初見の印象は、打ったばかりの鉄のような男、だった。アラタやウェンとつるむようになった彼は、その若々しい熱で場を引っ張り盛り上げる。

 かと思えば、夜一人になると、暗がりの中で聖書に目を通す。きたる時を思い、冷たい刀身にやすりをかけるように。

 人の関心を引く熱情家でありつつ、冷静な部分も併せ持つ。


「いずれ人の上に立つようになるやつだと思っていたよ」


 アラタは、ついぞ本人には伝えられなかった思いを言う。誰にも話してこなかった考えに、ウェンも同意を示した。


「そうだね。仲間思いの良い上官になっただろう」

「それに人を乗せるのが上手いんだよ、レオナールは。どんな難しそうなことでも、あいつができるって言うならできる気がしてくる」

「例えば……教官の食事に香辛料を混ぜ込んでやろうとしたこととか?」

「あー、そんなこともあった。確か僕が教官にしごかれた時だ。その腹いせに、ってレオナールが計画して、三人で決行したんだ。それで見事に成功。あの時の教官の顔、絵になるくらい真っ赤に茹で上がってたよ」

「マズかったのはその後だったね。教官のご機嫌取りのコリンに密告されて、三人とも走り込みの罰を受けてしまった」

「コリンめ…………今思えば、馬鹿なことをしたもんだ」

「まったく」


 一年前。訓練所に入り、ウェンとレオナールに出会った。

 いずれ死の危険に身をさらすと知っていながらも、戦いのことを何も知らなかった時代。あれから長いようで短い一年が過ぎ去ったのだ。

 漂う死に呑まれた友人を悼むように、思い出を巡った。


「――――それじゃあ、もう行くよ」

「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。招集がかかってるわけでもないんだろう?」


 椅子から立ち上がるウェンに声をかける。けれど彼は首を横に振る。


「明日、オレの隊はここを発つらしい。しばらくは会えない気がするよ。これが今生こんじょうの別れになるのかは分からないけどね」


 そう言ってウェンは仮設病院の入り口へ向かう。


「死ぬなよ」


 アラタが声をかけると、「当たり前だろ」と返して、彼は出ていった。

 重荷を嫌う彼らしい別れ方だった。




 退屈な入院生活に転機が訪れたのは、ウェンが去ってから間もなくのことだった。

 血の臭気が漂うような大部屋からアラタは運び出される。初めは、とうとう堪忍袋かんにんぶくろが切れた看護師に建物から放り出されるのかと恐怖したものだが、どうやら違う。別棟の個室へ移されるだけのようだ。


 看護師に理由を尋ねると、「さあ? 少なくとも、意味なく落下する患者さんを助け起こす手間が省けるのは助かりますけどね」と返されてしまった


「まあ、いいか。これで気兼ねなく休めるってものだし……」


 新しいベッドの上で微睡みの気配を感じ、瞼を閉じる。


 軍に入隊してからというもの、完全に一人になる時間は久しぶりだ。集団行動が基本の軍では、こうした機会は貴重だ。

 集団の騒がしさよりは孤独の静寂の方を拠り所にしてきたアラタは、一人の時間に思いのほか心が安らぐ。一分にも満たないうちに眠りへと堕ちるのだった。


 だが、目を覚ましたのは、体感からして三十分も経っていないうちだったろう。


 ただならぬ異変を感じた。体をなぞるかのような違和感に、自分の中の防衛本能が総動員する。

 妙に暑い。それなのに悪寒がする。脈を打つ心臓はいつになく暴れ、何かの予感を告げようとする。

 これはそう、気配だ。得体の知れない何かの。

 火照るほどの暑さに耐えきれず、アラタは自分を覆う毛布を払いのけた。


「ん、もう起きたの? おはよ~」


 剥がした毛布の奥、自分のすぐ隣で密着するように身を横たえていたのは、見知らぬ女だった。


 アメジストを彷彿とさせる眼がわずかに開いた瞼の隙間から覗く。垂れ目で薄く笑む様には、くらくらするほどの怪しげな色香いろかがあった。

 長くまっすぐな髪はカラスの濡れ羽色をして、少し汗ばんだ額に貼りつく。

 薄闇の色をした丈長の瀟洒しょうしゃな黒衣は、豊満な胸から締まった胴にかけての滑らかな曲線美をくっきりと映し出す。側面のスリットからは黒タイツに覆われた足が零れている。

 さながら、古い時代の魔女のようだ。


 開いた口がふさがらないとは、まさに今の自分の状態を指す。動揺し、緊張しきった体。強張ったままわずかに身じろぎすれば、密着した柔らかな肉体の感触が腕に伝わった。


「いやん、くすぐったいなぁ」


 飛んだ。この瞬間、思考が吹き飛んだ。


 その日、仮設病院の傍にあるその部屋から、若者の絶叫と、凄まじい物音が響いたという。

 まさか二日続けてベッドから落下しようとは、思いもしなかった。

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