第5話 強固な形
これがカドラム兵の怨念であるならば、仇であるアルトラン兵を殲滅するまで鳴りやまないのだろう。
だけど、と歯を食いしばりながら、アズミ・シーグレイは
この金属音は兵士の怨念なんかじゃない。カドラム兵が乗ってきた車両から流れてくるもの。
よく見れば、車両の上部にラッパ型の拡声器のようなものが取りつけられている。恐らくあれが車両内部の装置と繋がって、この不快な音を拡散しているのだ。
「音の原因をどうにかすれば……いや」
アズミはすぐさま自分の中の提案を却下する。
魔想なしで遠くの車両までたどり着くのは難しい。仮に辿り着いたとして、その後は? 音の原因を取り除くことができるのか。音が止まれば魔想が使えるようになるという保証はあるのか。いくつかの博打に勝とうと、何も起こらなければそのまま撃ち殺される。そこに自身の命を消費する価値はあるのだろうか。
今は統率も乱れている。策を練っても決行するのは困難だ。
せめてニコラス隊長が生きていれば。
「……ないものねだりしても仕方ない。何か他にできることは?」
アズミも魔導兵であり、魔想を封じられていた。
あの耳障りな音が、どうしても集中を乱す。頭の中のイメージが明確でなければ、魔想が形になることはない。
それならば、と思いついた端から次々と魔想を試してみる。あるいは自身に深く染みついたイメージであれば、この状況下でも使えるかもしれない。
盾。剣。椅子。家の扉。赤い髪。手。〈
…………水。
それを脳裏に浮かべた時、アズミの手から、湧き出るように水が流れ落ちた。
「水は造れる、か……魔想の全てを封じられてはいない」
手から流れる水は、間違いなくアズミが造った魔想だ。しかしそのような魔想は、軍の指定する規格にはない。単純な話、水で人を殺すには効率が悪いので、訓練で教えられることがないのだ。
他の魔想が使えない今の状況では、ただの水でも使い道があるはず。
そして金属音は、魔想の全てを封印するものではないらしい。これは朗報だ。アズミは塹壕の中ですくんでしまっている魔導兵に声をかけた。
「ねえ! そんなところで丸くなってないで、何でもいいから魔想を試しなさい!」
「無理なんだよ……いくらやっても、何も出て来やしない」
「あなたの想像しやすいものを魔想にするの! 軍で教えられたものでなくてもいいから、一番得意なものを! いじける暇があるならやってみなさい!」
怒鳴るようなアズミの声に気圧されたか、魔導兵が手を突き出して魔想の準備に入る。だが魔導兵がいくら想像力を絞ろうと、魔想ができる気配はなかった。
「やっぱり無理だぁ!」
弱気になる魔導兵に歯噛みする。
魔想に頼りきった結果が、これか。
その時、銃声が鳴り、塹壕の
「カドラム兵!」
叫ぶアズミの視線の先、塹壕の上に立つカドラム兵が銃口をこちらへ向ける。
丸まっていた魔導兵が我先にと塹壕から這い出ようとする。敵兵は自動小銃を、逃げようとする魔導兵へ向けて発砲。魔導兵の逃走は失敗に終わった。
そうして次に危険が迫るのはアズミだ。
彼女は魔想の水をできるだけ大量に作り、目の前に浮遊する球として出力する。
銃弾は水の中では勢いを失うと聞いたことがある。どれだけの水があれば身を守れるのかは分からない。だからこれは賭けだ。負ければ命を失う。そういう賭け。
カドラム兵が水の球へ発砲する。
銃弾が水の球にめり込む。魔想の形状を歪ませる外部からの衝撃は、魔想イメージの源である脳を軋ませた。だが魔想が分離してしまうのを、何とか耐え抜く。
数発の銃弾は水に呑まれてわずかに失墜したが、そのまま水を貫通し、アズミの
「くっ……!」
勢いを殺しきるには水量が足りなかった。けれど水は弾の勢いを弱め、おかげで傷は深くならずに済んだ。まだ戦える。
敵の自動小銃は休む暇なく弾を吐く。絶え間ない銃撃にアズミは傷を作っていく。身を切る痛みを噛み殺しながら、水を増やすことに集中した。
いつしかアズミの前には人を包めるほどに分厚い水球が形成されている。
水に触れた銃弾はようやく完全に勢いを奪われ、アズミの足元に落ちていった。
「よし、弾は防げる。後はどうやって敵を倒すか――」
反攻の可能性を見出した、その時だ。
ちゃぽん、と間の抜けた音が鳴った。銃撃とは違う、石を投げ込んだような音。
銃弾を受けて泡立った水球越しには、敵の挙動が見えなかった。だから何が起きたのか理解するには時間がかかった。
辛うじて水球の中に、棒状の物体が入り込んでいるのを目視したと同時、
「爆弾!?」
水球の中で爆発が起き、アズミは衝撃で吹き飛ばされた。
塹壕の土壁に体を打ちつけ、声と吐息が強制的に押し出される。その際に頭もぶつけたようで、視界がぐらぐらと歪んでいた。
水で衝撃が緩和され、手足はもっていかれずに済んだ。しかし水球は壊れてしまった。
「ゲホッ、ゲホッ! み、水を、集めないと……」
判断は正常。けれどイメージが定まらない。おまけに視界が揺れて上手く魔想が造れない。
土煙の向こうで、敵兵が銃を構えている。
早く、しないと。
「こんなところで……!」
死ぬなんて嫌だ。何もできないなんて。
涙をにじませながら吐く言葉は、諦めのようにも聞こえる。
いや、それだけはない。死んでも諦めることだけはしない。弱音を吐いて逃げ出すくらいなら、敵に噛みついてでも生き延びてやる。
アズミは
そして土煙が晴れた先に、敵兵の腕に噛みつく、獣の姿を見た。
自分は、誰だっけ?
何をしているんだっけ?
意識が再び目を覚ました。最後の記憶から、少しだけ時間が経っている。
――名前はアラタ・マクギリ。アルトラン兵として戦っていたはずだ。
状況は把握できていた。何をすべきかということも、理解している。
自分の姿――地面を踏む足は四つで、鋭利な爪が生えている。縦に長い顎、よく利く鼻、むき出しの全身に生えた灰毛、尻尾。問題はない。
アラタは眼前のカドラム兵に飛びかかり、その腕に強く噛みついた。
不意を突かれた兵士は悲鳴を上げて銃を取り落とす。銃は塹壕内へと滑り落ちていった。兵士は自分の腕に噛みついた狼のような存在に目を見開いて驚愕し、また悲鳴を上げた。
「なんでこんなところに狂獣が!? うわあああぁ!」
パニックとなった兵士を、アラタは解放する。
武器を失った兵士には戦闘能力がなかった。兵士はアラタを警戒するように視線を送った後、慌てて走り去っていった。
「狂獣……!」
その声が聞こえたのは味方の塹壕から。
塹壕に一人残っていたアズミが、滑り落ちてきた銃を手にしてこちらを見ている。
彼女の眼に映るのは恐怖と焦燥。震える指が引き金にあてられ、今にも発砲しそうだった。
今の自分の姿は恐怖の対象だ。味方に攻撃されては
アラタは敵意がないことを示すため、それ以上塹壕に近づくことなく離れた。そして今度は、敵の指揮官の元へ駆けだす。
大地を踏む感触が、妙に懐かしく思った。
血に狂い、際限なく人を殺す狂獣。なぜ今、自分がこの姿に成っているのか、よく分からない。不思議と正気を保てていることも。
分かるのは、今の自分はこれまで持てなかった力を持っているということ。
救えなかった何かを掴みとる。そのための強さが、この手にはある。
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