第2話 白蛇の呪い
蛇がいた。
それは白く美しい体をしていた。
辺りは真っ暗。横たわる闇が視界を塗りつぶしている中で、白い蛇の輪郭ばかりがはっきりと視認できた。
これは夢だ。幾度となく見た夢。これから起こることは、決まって同じ。
殺風景な夢の景色で、白い蛇は、闇を這いずってこちらへ向かって来る。
「……!? く、か…………!」
自分は金縛りにあったように、一歩たりとも動くことはできなかった。声すらもうまく出せない。だから近づく蛇を眺めるだけ。
ゆっくり。妖しくからだをくねらせて、ゆっくり、ゆっくりと。
目を逸らせば、その間に蛇は迫る。
恐怖に背を向ければ、恐怖は何倍にも膨れ上がって自分の心に爪をたてる。
アラタの心象を映すかのように、遠くにあった蛇の姿は大きく、近くなっていくようだった。
頭さえも麻痺したように意識が遠のき、時間が飛ぶ。
気がついて視線を下げれば、蛇は自分の右足に絡まっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ――――」
この瞬間、逃れようのない何かが自分の全てを蝕んだのだと感じた。
長い体が右足から左足へ、左足から左腿へ、左腿から腰へ、腰から胸へ、胸から肩へ、肩から首へ。
蛇は細いけれど強大で、美しいけれど恐ろしく、尊いけれど血生臭かった。
這いずる先から毒が回る。自分の肉体は余すところなく蛇のものになってゆく。
抵抗に意味はなく、意味を求める思考はだんだん落ちて、落ちた先は八方塞がり。
光は差さない。風は吹かない。何も見えない。息もできない。
白の檻に囚われて、焼けるような泡を吐きながら溺れ続ける。
「ああ、そうか」
声も出ないのに言葉を吐く。
つまりこれは呪いなのだ。強大な存在に虐げられ、何もできない自分の具現化。
そうして手のひらからは大事なものが零れてゆく。
残るものは激しい自責と後悔。打ちひしがれる自分と、去りゆく強者。
絡みついた蛇は首筋に、牙を立てた。
夜明けに目を覚ましたアラタは、中隊の行動に参加し、町の外に掘られた塹壕の中から北の地平を眺めている。
遮蔽物の少ない平野は視認性が高い。敵が行動を起こした時、すぐさま発見して迎撃姿勢をとることに苦労はないだろう。
前方六キロの地点には丘がそびえ立つ。敵はそこからやってくるはずだ。
「見つけたら真っ先に教えろよ。俺が一番に魔想を叩き込んでやる」
隣で待機するレオナールが意気込む。彼もアラタと同じ隊に配属されていた。
「落ち着けって。射程距離内に入る前から興奮したって仕方ないだろう?」
「けっ、お前は落ち着き過ぎだぜ。それともビビって固まってるだけか?」
「半分半分ってところだ」
「それじゃアラタにしちゃ上出来だな。むしろそれくらいがちょうどいい。お前が血気盛んで前に出たがるやつだったら、俺を止める役がいなくなっちまうからな」
「それは、責任重大だな」
そんなアラタたちのやり取りを、中隊長のニコラス中尉が見ていた。
視線に気づき、あまり戦場にふさわしくないやり取りをしたかと、アラタは上官に謝る。
「すみません。無駄口を……」
「いいや。無駄口でもくだらないことでも、話す余裕があるというのは良いことだ。緊張がほぐれる。マクギリ二等兵、君が緊張のあまり治療の手順を間違えでもしたら、とても困ってしまうからな」
「はい!」
衛生兵であるアラタは、医療道具を詰めた鞄を持参して戦場に控えている。
元々、虫ですら殺すのを躊躇う性格だ。敵兵の命に対しても冷酷に徹しきれないがために、殺しをする必要のない衛生兵として配属された。別段、医療に長けているわけではない。
「クリッチ二等兵。威勢がいいな」
名前を呼ばれたレオナール・クリッチは、活きが良いのが取り柄とばかりに返す。
「この妙な戦争を早く終わらせちまいたいだけです!」
「同感だ」
ニコラスは部下思いの人物だ。部下の顔と名前、兵科、さらには趣味まで把握しているほど。
だからこそ戦闘に臨む兵士を甘やかすことはしない。彼は気を引き締めるように言う。
「だが勢い余って、魔力切れを起こしてくれるなよ。無駄に魔想を巨大化させて、すぐに使い物にならなくなった魔導兵を、私は何人も見てきた」
レオナールや他の魔導兵は、アルトラン側の貴重な砲台役だ。
剣、槍、弓矢、魔想。いずれもアルトランの主要な攻撃手段となる。
中でも攻撃の要となるのが、変幻自在の魔想による大規模攻撃。大きく練り上げ打ち出された魔想は、半径およそ一~一〇〇メートルほどを焼く。
戦争に動員された魔導兵の数が、そのまま戦力の大きさとも言われるほどだ。
「君を含む魔導兵が離脱すれば、他の兵士は無防備も同然となる。その結果が今まで私たちが重ねてきた敗北の山だ。理解しているな?」
「はい! 肝に命じます!」
魔導兵であるレオナール自身、魔想の欠点には気づいているはずだった。
魔想はアルトランの戦力に欠かせない要素ではあるが、源である魔力には限りがある。魔力を使い果たした魔導兵が万全に戻るには、一週間の時を要するのだ。
打倒カドラムに闘志を燃やすレオナールといえど、魔力が切れれば何もできず、後方へ引き下げられてしまう。そうして魔導兵の減ったアルトラン軍は戦力を著しく落とす。
カドラム軍による侵攻が始まって一年半。
これまでアルトラン軍は幾度も敗北を重ねてきた。北部に位置する町村のほとんどは、今はカドラムの占領下にある。
それらの敗北の主な要因こそが、魔導兵の離脱による戦力の低下。そこから堰を切ったように始まる戦線の瓦解なのだった。
同じ敗北を繰り返してはならない。
「いい返事だ。では、一緒に生き残ろう。神の加護があらんことを」
「神の加護があらんことを」
アラタとレオナールも同じ言葉を返した。一種の儀礼のようなものだ。
本当に神がいるのならば、こんな意味の分からない戦争を起こさせはしないだろう。少なくともアラタはそう思っていた。
その後はまた、双眼鏡を片手に遠くを眺める作業。
目を凝らし、丘の付近をじっと見つめる。
敵があの丘から頭を出し、灰色の制服を露わにした時、昨日と同じ戦闘が始まる。ここにまた地獄が訪れるのだ。
兵は泥に塗れ、大地を血で汚す。叫びながら傷つけ、喚きながら傷つけられ、狂いながら敵に向かう。
カドラムはどうやら報復のために攻めてくるらしい。
書状に記された、アルトラン領域内で殺害されたという宮廷巫女。それが恐らくキノウ・ホワイトであるということを、殺戮の現場にいた自分は知っている。
なのにどうしてこんなことになったのかは、未だに理解が追いつかなかった。
ふと視線を上にあげる。そこには明るいばかりで無表情の空がある。
せめて雪が降ってくれればいいのに。
雪の再来を、自分は待っているのだから。
「…………あれ?」
その時だった。空を見上げた視界に小さな点が、一つ、二つ、三つ、映った。
雪などではない。それはいつか見た白雪とは似ても似つかぬほど荒々しく、無粋な影。直線の軌道で空をなぞり、アルトラン軍の方へ向かってくる。
兵士の一人が声を上げた。
「敵戦闘機を発見! 三機がこちらへ近づいてきます!」
「体を隠せ! 魔導兵は障壁で身を守れ!」
ニコラス中隊長の指示を聞いた兵士たちが塹壕や、魔想で造られた蒼色の障壁へと身を隠していく。
「また来なすったぜ。今度は残らず灰にしてやる」
障壁に隠れながらレオナールが歯をむき出しにして笑う。
そうして町に陣取るアルトラン軍が守りに入る頃、丘の向こうからカドラムの兵が姿を現わし始めていた。
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