第2話 儀式の準備
タリエ村で行われる婚姻の儀は特別なものだった。何せ新しく夫婦になる二人のために、村の全ての住人が祝福を捧げるのだ。
儀式の一週間前から始まった準備期間中は、どこもかしこも浮足立つような雰囲気が漂っている。
皆が準備作業に従事し、それが終われば豪華な食事で贅を尽くす。村の伝統的な祝福は、村中に一体感と婚姻の儀に向けての高揚を生み出していた。
アラタも村人の一人として、丸太を運んでいるところだ。
近隣の森から切り出された丸太は長く、重い。力仕事にほとんど縁のないアラタは、絶望的な表情をしながら這いずるように歩を進めている。
「おーい、大丈夫かよー?」
声をかけるのは、同じ丸太を運んでいるジュドという青年。アラタと同い年の男だ。
彼は今にも潰れそうなアラタとは違い、背筋の伸びた姿勢できびきびと動く。
「よ、余裕ヨユー……」
「普段から運動してねぇとこういう時に痛い目に遭うもんなんだな。これに懲りたら、ちょっとは親の手伝いでもしたらどうだ?」
「僕には無理だって言われたよ!」
「はははっ! まあアラタの親父みたいに村の安全を担う仕事は、素人には危険だよな。狂獣の一匹でも軍の兵士は手を焼くって聞いたぜ。それを何とかできるって言うんだから、親父さんには敬意を抱くべきだな」
「もっと簡単な仕事をやってくれてたら、僕も将来の仕事に困らなかったのに」
「これは両親の苦労が目に浮かぶぜ」
ひねくれたアラタに、ジュドは正論を説く。それがどうも気に喰わない。
言うまでもなく父親のことは尊敬している。彼の役割は他に代わりが務まる者がいないほど希少で、重要なものだ。
特に狂獣と呼ばれる方は狂暴極まりなく、一たび現れれば、並の人間が対処することはまず不可能だった。
そういった脅威が村に近づく前に排除するのがテツロウの仕事。確かに素人が生半可な心意気で手伝えるものではない。
「ジュド。そういう君は何をするか、とっくに決めてるんだろうな」
アラタはしたり顔でからかってくるジュドを困らせてやろうと思った。
彼とは仲が良いが、将来何をするかという話を聞いたことがない。どうせ自分と同じく、何も考えていないのだろうと高を括っていた。
前方を歩くジュドが「俺か?」とこちらを向いてにやりと笑む。
「俺は軍人になるよ。実は剣の訓練だって始めてるんだ」
「軍人って…………えぇ!? じゃあ村を出ていくつもりなのか? でも剣の訓練なんて、一体誰から――」
「元アルトラン軍所属テツロウ・マクギリ。お前の親父さんに稽古をつけてもらってるよ」
思いもしなかった名前を聞いて、アラタは狐につままれたような顔をした。
今朝、父からされた兵役の話。唐突な話だと思ったが、何となく腑に落ちる。
「父さんめ。ジュドが兵士になるからって、僕まで巻き込むつもりだったか」
「ん? もしかしてアラタも軍属希望だったか?」
「そんなわけないって。軍に入りたい人なんてのは、誰かを守る役目に憧れているとか、魔物と戦って武功を立てたいとか、きっと大層な目的を持っている人ばかりなんだろ? 僕にそんなのはない」
目的さえあるのなら、きっと兵士になることも厭わないだろう。
アラタには目下、そういった目的意識が乏しい。ただ過不足のない生活ができればそれでいいと思っている。
だがそれだけではいけない。どう生きるにしても、これからの方針を定めなくてはいけないというのは、避けようのない現実だった。
丸太を運び終え、さらにそれを小さな薪サイズにまで切り分け、一個所へまとめたところで昼休憩となった。
他の村人と同じように、二人は木陰に座り込む。汗でべたつく肌へ手うちわで風を送っている時、ジュドが言う。
「しっかし、いよいよ明日かぁ、ソラノさんの結婚式。信じられねぇ~」
ソラノさん、というのは今回の花嫁。村長の娘で、アラタたちにとっては世話焼きな姉のような存在だった。
「まさか都会の男と結婚するなんてね」
「あと少ししたら俺が嫁に貰う予定だったのに。あぁ、本当に惜しいなぁ」
「そんなこと考えてたのか……初めて知ったぞ……」
幼馴染からすれば割と衝撃的な事実が、さらっと告白されたのだった。
結婚相手は王都カディアラから度々この村に訪れていた行商人の一人だという。今頃はもう村に到着して歓待を受けていることだろう。
その時、休んでいる男たちへ、村の女性陣が水と軽食を運んでいるのが見えた。労いの言葉をかける彼女たちの中には、白銀髪のキノウの姿もあった。
「…………お前はどうするつもりなんだよ。キノウとのことは」
「はぁ?」
彼女の姿を目で追っていたところ、ジュドがそんなことを言う。
からかっているつもりだろうか。弁解しようとすると、彼はアラタの視線を指で促した。誘導された視線の先には、こちらへ向かってくるキノウの姿があった。
「何の話をしてたの? 私の名前が聞こえた気がするけど?」
「き、気のせいだ。ジュドが実はソラノさんに惚れてたって話を聞いてただけ。明日の宴会でご馳走をつつきながら詳しく問い詰めてやろうと思うんだけど、キノウも一緒にどう?」
おい、とジュドが肩を殴ってくる。何度もからかった仕返しだ。
「それは残念だったね……でもジュド君はかっこいいから他にも良い相手が見つかると思う。元気出して。はい、サンドイッチ。それとお水も」
「ありがとうよ……あぁそうだ! ちょっと一人で傷を癒してぇから向こう行くわ! それじゃ後はお二人でごゆっくり~」
サンドイッチと水の入った杯を受け取ったジュドは、とても傷心とは思えないような明るい顔で瞬く間に姿を消した。
変に気を回したな、あいつ。アラタは彼が消えた先を睨む。
「大丈夫かな、ジュド君。あと私は明日忙しいから、話は訊けそうにないんだけど……」
「ああ、あれは冗談」
「何? 二人して私をからかったの? もうっ!」
キノウはふくれながらアラタに昼食を差し出す。
全てが冗談というわけでもないが、彼の
「作業の方はどう? みんなに迷惑かけてない?」
「心配しなくても順調だって。式場の舞台は造り終えてるんだし、残ってる作業なんて宴会で燃やす薪を作るくらいだ。僕一人でも楽勝だよ」
「また強がりばっかり。力のないアラタじゃ、斧だってまともに振れるか怪しいんだから。ちゃんとみんなに手伝ってもらうんだよ」
「それくらいできるって。キノウは僕を過小評価しすぎだ」
「ふふ、そうかな? それじゃあ私、もう行くから」
キノウはまだサンドイッチが詰まったバスケットを持って歩いてゆく。途中、くるりと振り返って、アラタに向かってその蕾のような唇をこっそりと開いた。
「またいつもの場所でね」
そう約束を交わし、彼女は離れていった。
アラタとキノウとの仲は、家族の範疇を越えつつある。今はまだ。けれど一線を越えるのは時間の問題というのは、二人と親しい者なら誰でも気づくことだった。
同じ家で暮らしているとはいえ、血の繋がりがない異性であれば自然な成り行きと言えるだろう。
けれどそうした関係性を越えた部分で、アラタにとってキノウは特別な存在なのだった。
キノウと初めて出会った日、アラタは彼女の命を救った。
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