第5話 姉妹

 甘城あまぎさんが塾へ行くのを見送った僕は、甘城さんのお姉さん――真央まおさんと待ち合わせた近所のレストランへ向かった。


 僕が店に入ると、二人席に座っていたラフな格好の真央さんが手を挙げた。


「よう、最上もがみ


「真央さん、どうも」


 軽い挨拶を済ませて、僕は真央さんと向かい合うように座る。


「で、話ってなんですか」


「おいおい、せっかちな奴だな。そんなんじゃみおに嫌われるぞ」


「うっ……」


「澪は気の長い男が好きなんだ。鼻の下が長いやつは願い下げだろう」


「僕がいつも鼻の下を伸ばしてるみたいに言わないでください」


「いつも学校の帰りに澪がやって来るかどうかって、首を長くして待っているくせに」


「なんで知ってるんですか!?」


「私は姉だからねえ。まあ、長い物には巻かれとくもんだよ」


「長い物……長物じゃなければいいんですけど」


「おお、威勢いいじゃないか。澪といいことあったのか?」


「そ、そんなのあ、ありませんよ!」


「……最上、お前も結構……いや、いいや。まあ、今日は長話に付き合ってくれよ」


 真央さんは『話しておきたいことがある』と言っていたのだった。しかしわざわざ甘城あまぎさんがいない時にする話ってなんだろう。




 ――僕の飲み物を注文してくれた真央さんは、少しだけ世間話をした後、落ち着いたところで本題に入った。


「話したいのは私の妹――澪のことだ……」


 優しい顔つきで、真央さんは話しだす。


「澪は純粋無垢でよく笑い、周りまで笑顔にしてしまう、地上に舞い降りた天使のような子だった……」


「今もそうです」


「……そうだな」


 真央さんは伏し目がちに頷く。


「だが最上、お前は知らないかもしれないが、お前が澪とつるみだした十二月の半ばまで、あの子はほんとに笑わなくなっちまっていたんだよ」


「え……?」


「中学生の時からずっと……」


「……何かあったんですか」


「それを話しに来た」


 真央さんはアイスコーヒーを半分ほど一気に飲んで、長い息をつく。


「澪が中学一年生の時、わたしは三年生だった。その頃の私は、あの子が嫌いだった」


「なんで――」


「理由は、単純に嫉妬だったんだろうなぁ。あの子は可愛いし、成績も良かったし――でも話が通じないところがあるから、私がそれでイライラしてきつく当たると、皆は私を責めるんだ。澪だけ特別扱いかよ!って思った。そのうち口も聞かなくなった……」


「…………」


 しばしの沈黙。他の客の話し声と、食器の打ち合う音が響く。


「……だけど、胸のでかい澪が男子共にセクハラまがいなことをされたときは流石に見ていられなかった。気づいたら、そいつらを殴ってた。澪のこと、嫌いだったはずなのに」


 真央さんは静かに続ける。


「はっとして振り返るとさ、澪はそれまで我慢していたのを開放するみたいに、泣きながら私に言うんだ。『お姉ちゃん、ありがとう』って」


 その声は震えていた。そして、言葉を絞り出すように言う。


「それで思い出した。私が澪をどれだけ冷たくあしらっても、どれだけ突き放しても、澪は私をずっと好きでいてくれてたことを、思い出した」


 頬に涙を伝わせる彼女は、呼吸を整えながらコーヒーを飲み干す。


「だからその日誓ったんだ。私が澪を守るって」


「そうだったんですね……」


 あ、でも、それならどうして甘城さんは笑えなくなったっていうのだろう。


「それから私は、面白がって澪に近づく輩をことごとく打ちのめした。高校生を相手にしたこともある。教師も敵だと思った。学校の外でも、ずっとあの子のそばにいるようにして――」


 今思えば過保護だった。と真央さんは言う。


「だけど、澪がちょっと抜けてることを、都合がいいとしか考えないような奴らが、あの子を傷つけると思うと――あの子を失うことを考えると、私は気が休まらなかったんだ」


 彼女は空になったグラスを見つめながら息をつく。


「でも、私は後ろを振り返るべきだった。ずっと背中の澪を守るつもりでいながら、私はあの子を見ていなかった……」


「何があったんですか?」


「いや、事件があったわけじゃないんだ。だんだん、そうなっていった」


 最上。と僕に目をやる。


「あの子、ありえないくらいの天然ボケするだろ? 私としては、ピュアで可愛いって思うんだけどさ、同年代の女子にはそうは思えないんだろうな。『ぶりっ子』だって――『作ってる』って、そう見えたみたいでさ」


「ああ……」


「しかも成績優秀で容姿端麗。人間出来過ぎていると、疎まれるもんだ。おまけに常時ボディーガードが付いているとなると、自分から近寄るようなやつはいなかった」


「……」


「やがて澪は孤立した……」


 高嶺の花。同時に羨望の的だったのだろうか。


 妬む心は言葉に棘を作る。自分まで刺されたくはないから距離を置く。そうして暗黙のうちに共有された忌避の空気感は、一度完成してしまえば元には戻らない。


 そういう、ことなのだろうか。


「私はあの子に笑ってほしかったけど、ほら、私って不器用だからさ、うまくできなくって……だめな姉だよなぁ」


「そんなこと……。甘城さんは、真央さんのこと尊敬しているみたいでしたよ。きっと真央さんの存在が支えになっているんだと思います」


「あはは、ありがと。最上」


 やっぱりお前は良いやつだ。と真央さんは微笑む。


「最上と会うようになってから、澪は変わった。よく笑うようになったんだ。主に、お前の話題でな」


 悔しいけど。と笑った真央さんは、ふうっと息をしてから僕を真っ直ぐに見据えてこう言った。


「最上、澪をよろしくな」

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君のチョコっと甘いとこ 猫奴(まおぬー) @maognu

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