第5話

「あなたはどうして私を助けようとしているんですか?」

「さて。しがない骸骨でも、分け隔てなく挨拶してくれたからかな?」

「そうは言っても、いまのあなたは……。とても若くお美しい、黒髪の」


 幼い姫君は、ナイゼルの容姿を飾る語彙を持たず、口をつぐむ。

 ナイゼルは薄く笑って、一度引っ込めていた手を、再び差し出した。


「おいで、お姫様。俺は厄災、呪いの魔法使い。俺をこの国から遠ざければ、ルシエル姫は英雄だ。君の祈りが奇跡を呼んで、俺を呼び起こした。これはその仕上げだよ」

「あなたをこの国から遠ざければ……」

「うん。俺はもうこの国にいる必要がない。どこか遠くへ行って、そこで君を育てるよ。なかなか良い計画だと思わないか?」


 ルシエルは一歩踏み出して、ナイゼルの手を取った。

 真摯なまなざしでナイゼルを見上げて、告げた。


「わかりました。私はあなたをこの国から遠ざけます。お願いします、ナイゼル」


 その次の瞬間、ルシエルはナイゼルの腕に抱き寄せられ、赤いマントにすっぽりと包まれた。

 びゅうびゅうと激しい風の音が耳元で鳴り響き、やがてふっと静寂が訪れる。


「もう目を開けて良いよ。下を見て。これが君の育った国。今から俺たちは遠くへ行く。誰か別れを告げたい相手はいる?」


 優しい声に促され、ルシエルは目を開けた。煌々と輝く月光を浴びて、空に浮かんでいることを知った。そのまま、そうっと足元へと目を向ける。

 眼下には、月夜に照らされた城や、森が広がっていた。

 ルシエルはじっとその光景を見つめ、ゆるく首を振った。


「母が亡くなっているので、私の会いたいひとは誰もいません。兄弟に挨拶をしても、私は……生贄の仕事に戻れと言われるだけでしょうから。このままあなたとどこまでも行きます」

「そう? 俺はおじさんだから勘違いしないけど、そういうことは無闇と男に対して言わないようにしよう? おじさんと約束して」


 ルシエルが成長するまで見守ると言ってしまった手前、ナイゼルは父親気取りでそう忠告した。しかしルシエルはナイゼルの腕の中で顔を上げ、きっぱりと言い切った。


「ナイゼル以外には言いません。私の一生はすでに、あなたに捧げています。私は……、初めて会ったときからあなたを」

「ちょっと待って。そんな美談は信用ならない。俺は初めて会ったとき骸骨だったし、恩義を感じられることがあるとすれば、お菓子をあげたときからだと思っている。君が俺についてくる気になったのは俺がお菓子おじさんだからだ。それは本来、非常に危険な考えだ。君にはまず、世の中ってものを教えなければ」


 ぶつぶつと言うナイゼルを見上げて、ルシエルは無言となり、ナイゼルの体に自分のやせ細った腕を巻き付け、胸には頬を押し付けた。


「私はもう何も失うものがありません。だからそばにいるあなたに頼りたくなるんだと思います」

「おっと、ド正論きた」

「だけどもしこの先ずっとあなたと一緒にいて、いろんな人に出会い、いろんなものを見ても、やっぱりあなたが良いって思ったら、そのときは」

「お姫様。古くからあることわざに、『来年のことを言うと悪魔が笑う』っていうのがある。お姫様が言っているのは来年どころか、ずーっと、ずーっと先の未来のことだ。こんな口約束は、きっと小さな子どもの君の方が忘れてしまうさ。賭けても良い」


 憎まれ口を叩くナイゼルであったが、ルシエルのまっすぐな瞳に見つめられると、不意に自信がなくなる。

 いつの日か遠い未来に、ルシエルはこの日のことを掘り起こして、「ナイゼル、約束」などと言い出すのではないだろうか。


(そのときどうするかは……そのときが来たら考えるとして)


 この国は、姫君であるルシエルをして未練もないと言わしめるほど、彼女に優しくはなかったに違いない。

 だけどもしこの先、旅立ちのこの日を思い出すことがあったら、その思い出が少しでも美しいものであるように。

 

 ナイゼルは片腕でルシエルを抱き直すと、そっと右手を虚空にかざした。

 その掌から、真っ白な花びらがとめどなく溢れ出す。

 それは夜風に乗って、はらはらと深い闇に沈んだ王国へと、降り注いだ。


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呪われし王国へ、手向けの花を 有沢真尋 @mahiroA

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