第2話

 骸骨は、もう長いことその場にひとりで留め置かれていて、自分が何者でなぜそこにいるかも当然の如く忘れ去っていた。

 身動きもできないし、そもそもいま考えていることを、体のどの部分で考えているかもわからない。


(肉は全部腐り落ちた。頭髪らしきものは残っているかもしれないが……。骨しか無いのに、心はどこにあるんだ。俺はここに、いつまでいなければいけないんだ)


 遠くで人の声や、歩き回る足音のようなものが聞こえることはある(耳も無いのにどこで聞いているのかは、わからない)。

 この世界にはまだ生きている人間がいて、時が流れているのだと知る。

 しかし、骸骨の元を訪れる者はいない。

 誰の姿も、ついぞ見たことはない(目も無いのに以下略)。


(俺はいったい、「何」なんだ?)


 声も出ない。

 たとえその場に誰かが現れたとしても、結局のところ伝えるすべはない。

 絶望……も、するにはしたが、どれほど練りに練って凝った怨嗟の文言を考えても、ただただ間が抜けている。使うあてが、ないのだから。

 そうして日がな一日、かつて吊るされたままの姿勢で跪くだけの毎日。

 変化は、唐突に訪れた。


「はじめまして。私の名前はルシエル・ディ・ザルディーニ。四番目の姫です。今日からここに住むことになりました。どうぞよろしくお願いします」


(!!!!!!??????)


 丁寧なお辞儀をされ、心の底から驚いた。驚いたなどというものではなかった。口から心臓が飛び出るかと思った(心臓無くて良かった)。変な動悸がした(もちろんイリュージョン)。


(お、俺は……俺は? 名前は思い出せない。自分が誰かもわからない。わからないけど、こちらこそよろしくお願いします)


 息くさくないかな? こうなると、体が全部腐って跡形もなくなっていて良かった。中途半端に残っていたら、腐臭がきっと君を苦しめただろうから。それでなくてもここ、空気は全然綺麗じゃないから、君は呼吸をするのも辛いんじゃないか?

 綺麗な少女だった。

 細かく波打つ金の髪に、真っ青な瞳。白のレースをふんだんに使った、淡いクリーム色のドレス。

 薄暗い牢獄に、光が降り立ったのだと思った。


「私は小さいので、あまりたくさんの場所は使わないと思います。あなたのお邪魔にならないようにしますが、何か気になることがありましたら、なんなりと仰ってくださいませ」


 ルシエル・ディ・ザルディーニ王女殿下は、子どもらしく高く澄んだ声でそう告げて、「前を失礼します」と骸骨の前を横切った。

 そして、可愛らしく言った。


「うん、良い部屋じゃない」


(そんなわけあるかーー!! ここは!! 牢獄!! 王女殿下のような方がお越しになるような場ではありません!! 早々にご退出……)


 心の中で盛大につっこんでから、骸骨は不意に、背筋が凍るような冷たい感覚に襲われる。

 王女、殿下。

 身に着けているものも、品のある振る舞いも、なるほどすべて頷ける。彼女は紛うことなき姫君であらせられるのであろう。

 それならば、なぜ。

 こんな若い身空で、打ち捨てられた牢獄に現れ、骸骨との同居生活を開始しようとしているのだ?


 もちろん、外のことを何も知らない骸骨に、その理由を知ることはできない。

 口もなく、声も出ない体に成り果てて、自分で直に問い質すこともできない。

 ただ、ときおり視界に入り込んでくる彼女の存在を、やきもきとした気持ちで見守りながら、心配することしかできなかった。


(俺のように、俺のようになる前に、君はここから出て行くんだ……!)


 こんなろくに光も差さない部屋では、いずれ病み衰えて大人になる前に死んでしまう。

 骸骨仲間が欲しいなんて、思ったことも無い。

 この上は骨が増えても、全然嬉しくないのに。

 そんな骸骨の心配をよそに、姫君は一日中ベッドに腰掛け、ほとんど身じろぎもしなかった。

 顔を動かせない骸骨の位置から、彼女が何をしているか知ることはできなかった。だが、いつもそこから澄みきった風が吹き付けてくるような、清浄な空気が立ち上るのは感じられた。

 ルシエル王女は、ただひたすらに祈っていたのだ。


(何を?)


 * * *

 

 

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