第2話 追う者たち

 俺は、ムトウの研究室から右手用の義手を持ち出した。

 当然、俺が受け取るべきものだからだ。

 ただし、俺はムトウとの約束を守れなかった。

 俺が義手を持ち出したのは、誰も管理していないからに他ならない。


 右手用の義手を見せられて5か月後、今日の3日前、ムトウは死んだ。

 首つり自殺したという話を、奥さんのユリコから聞かされた。

 死ぬ理由があったとは思えない。ムトウは、殺されたのだ。

 死体は首を吊った状態で発見されたのかもしれないが、自分の意思で首を吊ったのだとは、俺にはどうしても思えなかった。


 死体発見当時のムトウの状態まではわからない。警察の内部情報を教えてもらえる立場ではないのだ。

 俺は、義手の入ったケースをバックに入れ、電車に揺られた。

 アパートに帰るのだ。左手は、5か月前から義手がはまっている。


 左手には1日中黒い手袋を被せている状態だが、指が欠けた手を人目に晒している時よりは人目を惹かなくなった。

 俺は、東京郊外の安いアパートで独り暮らしをしている。たまたま大金を手に入れ、そのうちの半分を投資に回し、半分を生活費とした。急に派手な生活になれば、周囲から怪しまれる。


 日本は、贅沢をしようと思えばいくらでもできるが、贅沢をしようと思わなくても、そこそこの金で快適に暮らせる国だ。

 現在、俺は仕事もしていない。そのうち、暇つぶしに仕事を探すかもしれないが、現在は仕事をしなくても生きていける。


 バックを抱えてアパートに帰りつき、鍵を開けて取っ手に手をかけ、俺は手を止めた。

 俺は社会人としての経験は浅いが、それなりに物騒な目にあってきた。

 結果として、左手の5本の指を失い、5人の人間を殺す程度には、場数は踏んでいる。


 自分の部屋の入口の扉に、違和感を覚えた。

 原因はわからない。だが、警戒しながら扉を開ける。

 その瞬間、俺は腕を掴まれた。前からだ。

 一人暮らしの俺の部屋の中から、腕を掴まれたのだ。


 バックを持っている右手を掴まれた。俺は、義手をはめた左手で振り払った。

 義手は重く、力強かった。

 腕を振り回すと、俺の腕をつかんだ男が尻餅をついていた。

 黒いスーツ姿の、厳つい体をした男だった。


「俺の部屋だ。どうやって入った?」

「ムトウの研究室から、義手を持ち出す者がいるはずだと思って見張っていた。そんなもの、どうするつもりだ?」


 男は立ち上がりながら言った。サングラスをかけているため、表情もわからない。


「俺の質問に答えていないぞ。どうして俺の部屋にいる?」

「アパートの管理人と話をつけた。正式な立ち入りだよ」


 男は、スーツの内側から手帳を見せた。警察だ。


「ムトウは死んだ」

「ああ。そうだな」

「この義手は誰のものでもない。俺がもらってもいいだろう。俺にくれると言っていたんだ」


 突然俺の腕をつかんだ男が、本当に警察の者なのかわからない。俺が知る警察官の行動ではない。

 だが、死んだ人間の物を勝手に持って行っていいという理由はない。本物の警察官だった場合、俺は窃盗罪に問われる可能性がある。

 そのため、俺の言い方は言い訳がましいことを自分で理解していた。


「そうか……」


 男は懐から写真を取り出し、俺に突きつけた。

 薄暗い場所の写真だ。俺には、すぐには何が写っているのか解らなかった。

 次第に焦点が定まったからか、ムトウの死体だとわかった。


「首吊り自殺じゃなかったのか?」

「そうではないことは、わかっているだろう?」


 警察を名乗る男は、写真を摘まんで持っていた。指の位置をずらす。

 わざと一部を隠すように持っていたのだと、俺は理解した。

 最初に警察が見せた写真は、死体の一部が男の指で隠されていた。

 男が指を移動させたことにより、隠されていた部分を見ることができた。

 ムトウの右手の指が、全て切断されていた。


「あんたは、ムトウを殺した犯人を捜しているのかい? それとも、ムトウが殺された理由を調べているのかい?」

「後者だな」

「つまり、警察じゃないな」

「いや……」


 俺は、男の言葉を最後まで聞かなかった。初めから疑っていたのだ。アパートの管理人に鍵を開けさせ、中で待つことや、出会いがしらに俺の腕をつかむやり方は、どう考えても警察の手法ではない。


 その上、殺人事件の犯人ではなく、指が切断された理由を調べているのだと言われれば、俺には男が、俺の力を知って誰かを殺させようとしているのだとしか想像できなかった。

 俺は自分の部屋に背を向けて走り出した。


「待て!」


 背後から声がかかるが、待つぐらいなら逃げはしない。

 目の前に、黒塗りの車が停車していた。

 その中から、同じように黒づくめ男達が出てくるのを見て、俺は車を回避して走り続けた。


 俺を追う男達は3人に増えていた。

 俺は児童公園に入り、茂みを抜け、橋の下に逃げ込んだ。

わき目もふらずに走った。肩で息をし、追手の姿が見えなくなった頃、俺は足を止めた。


 アパートにはしばらく帰れない。もともと、必要なものは置いていない。

 俺の資産は、財布の中のカードで全額が出し入れできるようになっているのだ。

 俺はラーメン屋に入った。

 定食を注文し、店のテレビを眺めていると、緊急ニュースが流れた。


 凶悪犯が逃走しており、発見者は警察に連絡するように報じていた。

 テレビの画面では、人を殺そうとして逃走する場面だとして、俺がアパートから逃走する姿が紹介されていた。

 俺の学生時代の写真が紹介される。

 本名が晒される。


 俺は、指名手配された。

 俺を追ってきたのが警察かどうかはわからない。


 ただ、公権力であり、かなり強い権力を持った何者かであったことは、間違いないようだ。

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