九合目
「天候は非常に悪いです。出来れば引き返すことをお勧めします。もし進むのなら、ここから先は自己責任、何が有っても自己責任ですからねー!」
九合目に辿り着いた僕の耳に、登山者達に向かって注意喚起する誘導員らしき男の声が届いた。
”引き返すことをお勧めします”
そう言われたところで、ここまで来て”はいそうですか”と引き返す者はまず居ないだろうが。
まあ、何もせずに登山者を無謀な登頂に向かわせて良いのかという自責の念か、或いは、登山者に覚悟を促す為、そういった意味での声掛けだろう。
九合目には山小屋は無く、鳥居と、登山道から少し外れた所に小さな祠があるだけだ。
僕はその祠に寄り、財布から小銭を取り出して納め手を合わせた。
まあ、普段は勿論、正月三が日でさえ神社に出向かない僕が、今更手を合わせて拝んだところで何の御利益も得られないだろうが。
そういった事に思いが及ばない程に今の僕の精神は疲弊しているのだろう。
暫し休憩を取ったのち、出発する。
戻ることは考えていなかった。もうルビコン川は渡ってしまったのだ。
今更戻ったところで後悔だけしか残らない。前に進むしかない。
コンコルド錯誤。正常性バイアス。
ネット上でよく耳にする単語が頭に浮かぶ。そして、それらを振り払うように一歩一歩前へ進む。
持ち上げる足が重く次の足を進めるのが辛い。
風は吹き止まず雨は降り続く。御来光を見るという希望は叶えられそうにない。
九合目で暫く待機していた為か再び体の震えも起きていた。
だが、震えは肉体が死にあがらっている証。震えがある内はまだ大丈夫、そう自分に言い聞かせて進む。
歩いている道中、バランスを崩し転倒する。
これが何度目の転倒だろう。足が限界に近い。おそらく、ズボンにも数箇所穴が開いてしまっているだろう。
僕が利用した登山具のレンタルショップの場合、返却時レンタル品に破損があったとしても通常使用によるものならば追加料金は発生しない。
だから、まあ、金銭については心配しなくて良いのだが、ボロボロになって返却されたズボンを見てレンタルショップの店員は果たして何を思うのか。
気を取り直して再び歩く。
再び転倒。
おかしい。
異変に気付く。やけに足元の凹凸が激しい。浮石も多い。
もしやと思い、ヘッドランプの光を落とし、立ち止まって辺りの様子を伺う。
下からの登山者のヘッドランプの光がこちらに近づいて来る。だが、その光は、僕が居る場所よりかなり手前で左方向に向きを変え、そのまま上方へと進んで消えた。
僕は再びヘッドランプを点け、今の登山者が向きを変えた場所へと歩みを進める。
案の定、5m程進んだ所で、登山道の境目を示すロープを発見した。
危なかった。どうやら、僕は何時の間にか登山道を外れていたらしい。
富士山は、日本アルプスの尾根道のように登山道を外れる事が、即、滑落や遭難に繋がる、そういう訳では無いが、あのまま道なき道を進んでいて無事だったとは思えない。
僕は首を左右に振り周囲を確認する。どうも辺りを照らすヘッドランプの光が以前よりも弱い気がする。電池切れが近いのだろうか。
光量の低下も登山道を外れてしまった原因かもしれない。僕はヘッドランプの電池を交換する事にした。
交換後、歩みを再開。暫くは何事も無く進む。
が、10分程のち、突如息苦しさを覚え立ち止まる。
数回深呼吸する。息苦しさが多少和らぐ。
原因は薄い空気だろうか。ここは3500mを超える高所、酸素濃度は平地の2/3程度だ。
また、登山道を外れてしまった焦りにより歩くペースが少し速くなっていたのも一因かもしれない。
少し歩くペースを落とすことにしよう。
…全くもって、悪戦苦闘の連続。こんなに苦労してまで山頂を目指して何になるというのか。頑張って辿り着いた所で何かが得られる訳でも無いというのに。
『だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで…』
自然と『若者たち』という歌の歌詞が口に出てしまう。
人はなぜ苦しい思いをしてまで山に登るのだろう。
僕には一応理由が有る。日本一高い山に登ったという結果と記憶を得たい。そして今までの人生の区切りを付けたいという理由だ。
しかし、その僕ですら、正直その目的とこの困難さとが釣り合っているようには思えない。
僕以外の全員が僕以上に明確な理由を持って登っているとは思えない。一体なぜ人は山に登るのか。
なぜ山に登るのか、という問いに対してはイギリスの登山家のジョージ・マロリーの、”そこに山があるからだ”という返答が有名だ。(正確には”そこにエベレストがあるからだ”と訳すのが正解らしい。)
ちょっと禅問答のような返しだが、要するに山好きにとっては高い山が有れば自然と登ってみたくなるものであり、そこにそれ以上の理由を求めるのは野暮じゃないかと言いたいのだろう。
しかし、山好きなら初めからそう思える境地に至れるものなのだろうか。
そうは思えない。
経験したのだ。知ったのだ。苦しんで疲れきった先に得られる山頂からの素晴らしい景色や達成感を。
それらを得られる事を信じているからこそ長く苦しい登山に耐えられる、いや、むしろ、その大変さ困難ささえ登頂時の喜びを増す為のスパイスに感じられるのかもしれない。
…山登りはよく人生に例えられるが、人生もその点では同じかもしれない。
報われる事を信じられれば、目標までの苦しさ困難ささえ糧となる。
逆に報われる未来を信じる事が出来なければ目標に辿り着く事はおろか、目標に向かって足を踏み出す事すら出来ない。
そして、ただ進まない言い訳を考える事だけが上手くなるのだ。
九合目からもう一時間は歩いただろうか。
前方に鳥居が見えてきた。
山頂の神社の直下に設置された鳥居だ。
どうやら終わりが近いようだ。
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