八合目(Re)

 僕は再び本八合目の山小屋の前に立っていた。

 あれから時が流れ、再び登頂に挑戦するべく富士山に舞い戻って来た…という訳では無い。

 登頂を諦め下山していたのを途中で止め引き返してきたのだ。


 …説明しよう。

 僕は確かに30分程前、七合目に向けて下山を始めた。

 だが、100m程歩いた辺りでストックの地面を突く感覚に違和感を覚え立ち止まった。

 そして、その場でストックを持ち上げ先端を見る。ストックの先についている筈のゴムキャップが無くなっていた。

 一体何故無いのだろう。直ぐに、泥を拭くために本八合目で外したのを思い出す。しかし、その後ゴムキャップを何処に置いたのかは思い出せなかった。長椅子の下に置いたような気はするのだが。

 まあ、違和感は有るが、下山には支障は無いだろう。しかし、ストックもレンタル品。返却した際に欠品として料金を請求されるかもしれない。大した額では無いだろうが。

 迷いながらも、僕は暫くそのまま下山を続けた。しかし、どうにも気になって仕方がなかった。


 結局僕は一旦、本八合目に引き返す事にした。


 本八合目に戻ると僕が先程まで座っていた長椅子の端には既に他の登山客が座っていた。隣のご老人も別の場所に移ったのか、今は居ないようだ。

 僕はその登山客に許しを貰って椅子の下を調べる事にした。

 膝をついて下を覗き込む。しかし、長椅子の下には何も無かった。

 誰かが持ち去ったのか、それとも最初から置いていなかったのか。

 僕はふと気付き己のザックを開け中を探った。

 黒いビニール袋が有った。そしてその中にはゴムキャップ。


 問題は解決した。だか、再び下山を決断する気力は失われていた。


 何故、ここに戻る前に思い出さなかったのか、ザックを探さなかったのか。

 たまたま忘れていたのか、それとも登頂に対する未練が無意識に記憶を封じてしまっていたのか。

 いずれにせよ、心が折れてしまった。

 こうなってしまっては当分の間下山の決断を下せそうにない。


 意志薄弱、優柔不断。

 僕は人生で一体何度同じ過ちを繰り返すのだろう。


 反省と後悔とで時間が虚しく過ぎていく。

 しかし、やがて寒さと憂鬱さに耐えかね本八合目近辺をうろつくことにした。

 歩き回るといっても本八合目はさほど広さがある訳では無い。

 つづら折りに伸びる山道に沿って幾つかの山小屋が有るだけだ。


 夜中の十二時を過ぎているというのに売店が一軒開いていた。

 売店の前では、数人が立ってカップ麺をすすっている。

 思い出したかのように空腹を感じる。

 そういえば午後八時ごろに下界のコンビニで購入した握り飯弁当を食べてからは固形物は何も口にしていない。

 表に張り出されたカップ麺の値段を見る。価格は800円。

 実に足元を見た価格ではあった。だが、ここまで運ぶ労力、注ぐ熱湯を用意する手間を考えれば妥当な金額かもしれない。

 僕の背負うザックの中にはまだチョコレートとキャンディー一袋が有る。しかし、下山時やさらなる非常時の為に今はまだ手を付けたくない。


 僕はカップ麺を購入する事にした。

 代金と引き換えに熱湯が注がれたカップを受け取る。

 数分後、蓋を開けプラスチックの使い捨てフォークで麺を掬い口の中に流し込む。


 …びっくりする程旨かった。


 空腹は最高の調味料、と言う言葉を実感する。

 麺を大方すすり終えるとカップを持ち上げスープごと一気に飲み干す。

 言い知れない満足感。

 そして、先程までの震えが嘘のように治まっていた。

 カップ麺とは食事の準備が取れないときに手っ取り早く空腹を満たす為の食べ物という認識しかなかったのだが、こうも肉体に活力を与えてくれるとは驚きであった。

 五臓六腑に染み渡るという表現が誇張ではないように思えた。


 身体の充足が心の余裕と自信を生んでいた。

 そして僕の中で一旦は消えていた選択肢が復活する。


 即ち、山頂に向け進む事。


 …馬鹿な事を考えるのは止せ。死に至る道だぞ。

 すぐさま己の自制心がその選択を否定する。

 だが、同時にもう一人の自分が囁く。

 ”ここで下山したらお前はこの先ずっと未練を引き摺って生きる事になるぜ。それに、どうせお前はその頭の痛みのせいで長くは生きられないんだ。残り少ない人生、後悔の無い選択をしようじゃないか。”


 心が揺れる。


 空を見上げる。心なしか雨が以前より小降りになっている気がした。

 しばらく山道の先をじっと見つめていた僕の傍らを一人の登山者が通り過ぎていった。

 その登山者は迷いのない足取りで山道を登って行く。


 その姿が、僕の決断を後押しした。


 ”進む。”


 愚かな決断。だが。その思いはもはや止める事は出来ない。

 登山靴の靴ひもを締め直し、ザックを担ぎ、山道を登る。

 進む先と背後に仄かに見える他の登山者のヘッドランプの明かりが、山頂に向け登っているのが僕だけでは無い事を教えてくれた。それに勇気付けられながら歩みを進める。

 大丈夫、大丈夫、何とかなる。

 (…本当にそうだろうか。この状況に相応しい言葉は”赤信号、皆で渡れば怖くない”ではないだろうか。)


 道中、ストックが浮石を突きバランスを崩す。両足の踏ん張りが効かず派手に転倒。かなり疲労が足にきていたようだ。

 泥を払う。しかし泥は雨が洗い流してくれたが、ズボンに穴が開いてしまったのか足に妙に冷たさを感じる。


 風は相変わらず強い。雨は未だ降り続いている。そして、寒い。

 こんな状況で一体なぜ進むのか。

 僕は一体何の為に登っているのか。

 僕がこの山に登っている理由、それはとにかく日本一高い山に登った、その結果と記憶を得るためだ。

 僕の残り少ない人生。その空白だらけの空虚な人生のノートに富士山登頂成功という文字を書き記すのだ。

 それに仮に登頂出来ず力尽きたとしてもそれはそれで悪くはない。

 人生のゴールが日本一の山というのは僕にしては上出来だ。

 どうせ、生きて下山した所で、冴えない日常を繰り返すだけだ。そして、数年後、頭部の痛みが悪化し、入院。そして開頭手術を行うも、予後不良で息を引き取るのだ。


 つまり、今回の登山、僕の負けは無い。


 悲惨な現状、見えない未来。だが気分や体調はやけに良かった。

 震えは起こらす、頭痛も治まっている。


 だが、安心するのは早計だ。

 死に瀕した末期癌の患者が死を目前にして一時的に容態が回復したように安定する現象、いわゆる中治り現象のような事が僕の身に起きているのかもしれない。


 順調にいけば頂上までは後一時間程。


 果たして、山中で力尽きてしまうのか、それとも生還して病室で息を引き取るのか。


 この愚か者はいずれの末路を迎えるのだろうか。




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