八合目

 雨と風は止む気配を見せない。

 時折小降りになり風が弱まったとしてもそれは、一時的な凪であり、次の瞬間には嘲笑うかのような強風や豪雨が僕達登山者の全身に襲いかかる。


 僕は今、他の登山客数人と共に本八合目の山小屋の前に据えられた木製の長椅子に座っていた。

 長椅子は建物の軒下に設置してある。だが横殴りとなった雨は構う事無く椅子に座っている僕達に浴びせ掛かり僕達から体温を奪って行く。


 本八合目に辿り着いて、かれこれ30分程この状況は続いていた。

 何故、後ろの山小屋の中に入って休まないのかと思うかもしれない。

 だが、残念な事に富士山の山小屋、特に八合目の様な高所は完全な予約制。天候が悪いからと言って飛び込みで宿泊する事は出来ない。

 それに本来、御来光登山は夕方までに山小屋まで辿り着き、そこで仮眠を取って改めて深夜山頂へと向かうというのが通例。仮眠を取らず夜通し登る登山、いわゆる弾丸登山は推奨されていない。

 肉体への負担、夜間眠い中の登山の危険性、勿論商売上有り難くない存在という理由もあるだろう。

 ともかく、そういった理由で僕達はこの場所では歓迎されざる輩であり、そういう訳だから僕達が山小屋の従業員に何らかの配慮を期待するのは時間の無駄というものだろう。


 僕の右隣には数分前から定年をとうに過ぎたであろう老齢の男性が座っていた。

 男性の座っている場所は長椅子の端で、風をもろに受ける位置であり傍目からでも辛そうに見える。 

 僕自身もこの寒さは堪えてはいたが、若年の僕が年長者を風除けにして平然としている事には心苦しさを感じていた。

 結局僕は隣に座っているご老人に内側の席を譲る事にした。

 僕が立ち上がりその事を告げると、ご老人は何度も礼をいって僕が座っていた内側の場所へと身体を移動した。

 立ち上がっていた僕は改めて長椅子の右端に腰を据える。端の席は思っていた通り寒かった。しかし、譲った手前、あまりそういった素振りは見せたくない。

 僕はザックを抱えながら震えをなるべく抑えるよう努めた。


 時計を見る。午後11時。本八合目に着いてから未だ一時間も経っていない。体感では2時間は座っていた気がするのだが。寒さを堪えながら過ごす時間は実に長く感じるものなのだろう。

 日の出の時刻まで後6時間。

 もし山頂を目指すのなら、ここから山頂までは標準タイムで2時間、眠気を考えればプラス1時間、恐らく極寒であろう山頂において長時間待機するのは避けたいので30分前頃に到着したいと考えると、出発時刻は明日の午前1時30分だ。

 つまり山頂を目指すにしても後2時間30分はここで待機しなければならない。


 果たして寒さに耐えられるだろうか。


 時折、目の前の道を他の登山客達が通り過ぎて行く。

 進行方向とは反対方向へと進む登山客も多い。登頂を諦め下山する人達だ。


 そして、今も、僕達が座っている場所から3m程離れた所で学生達が話し合っている。

 進むべきか、引き返すべきか。その4人は暫くその議論を続けていたがやがて沈黙した。どうやら結論が出たようだ。

 

 「下山しよう。進むは蛮勇、退くは勇気だ。山は逃げない。来年必ずここに戻って来よう。」

 

 グループのリーダーらしき一人がそう言うと、他の仲間たちも同意したように頷き共に下山して行った。


 山は逃げない、また来年来ればいい。


 それは事実だ。噴火など滅多に起こらない特殊な事態にならない限り富士山は来年もまた7月上旬に開山し9月上旬まで登山客を受け入れるだろう。

 そして彼らは若い。年齢的に考えて、来年も登る機会があると思うのは当然だ。


 しかし、隣に座って寒さを堪えているご老人は果たして次の機会は来るのだろうか。 

 そして、頭痛を抱える僕は果たしてまた来年登る事は出来るのだろうか。


 人は人生において幾度か重要な選択をすべき時が訪れる。

 そうだと判る時もあれば、その時はそう思わず後になって振り返って気付く時もある。多分に後悔という感情と共に。


 そして、今、再びその選択の時が訪れたのかもしれない。


 …考えてみれば、僕は今までそういった人生の選択の機会においてずっと後悔する方の道を選んで来ていた気がする。

 いや、正確には、選んだ訳ではない。選択する事自体を拒絶していた。

 進学、就職、そして恋愛も。

 そう、選ぶべき道は何時も示されていた。にも関わらず選択する勇気が無く、結局、決断を悪戯に引き伸ばした挙げ句、非現実的な選択肢を妄想してそこに逃げこんだ。

 そうして逃げ続けた結果が…今の僕だ。


 …いい加減、理解し受け入れるべきなのだろう。現実を。


 現状、体の震えはシャレにならないレベルだった。震えが止まっている時間の方が少なくなっている。

 低体温症という言葉が頭に浮かぶ。

 北アルプス等に比べれば遥かに難易度が低いと言われる夏の富士登山における死者はほぼこれだ。

 高い標高による気温低下。それに加えて吹き付ける風と纏わりつく雨が登山者の体温を削り取っていく。激しい震えや、判断力の低下、そして最終的に呼吸停止をもたらす。 

 さらに、僕には寒さ以外の問題も有った。気温か酸素濃度の低下の影響か七合目までは平気だった頭の痛みがついに訪れ始めていた。あの飲み屋の帰り道で転倒した日から始まった頭の内部から頭蓋を押し広げるかのような鈍い痛みが。


 ”もうお前の身体は限界だよ。下山しな。” 

 そう、全身が宣告しているようだ。


 僕は思い切って抱えたザックを持ったまま席から立ち上がった。

 そしてその勢いでザックを背負いストックを掴んで歩き始めた。

 七合目に下る階段に向けて。


 そうだ、もう限界だ。下山するしかないんだ。

 そして、河口湖近くのビジネスホテルの一室を借りて明日はゆっくり眠ろう。

 そこで、しっかりと休んだら次の日から日常生活に戻るんだ。


 …そして、頭痛が悪化する僕が再び富士山に登る機会は無いだろう。


 この世界はいつも僕の望む通りにはならない。

 その事の再確認の為に少々金と時間と体力を使ってしまったようだ。

 仕方がない。勉強料みたいなものだ。


 It's OK. I understand.

 

 It's my life.



 何も悲しむ事は無い。今まで通りだ。

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