五合目
午後3時過ぎ、バスは終点である富士スバルライン五合目に差し掛かった。
車内では目的地への到着を告げる複数の言語によるアナウンスが流れている。
そのアナウンスが終了して数分後、バスは案内センターやレストハウス等が立ち並ぶ通りの停留所に停止した。
運転手の口頭による到着案内の後、乗降口のドアが開く。
様々な言語によるざわめきの中、バスの乗客達は各々立ち上がり、ザックを背負い乗降口へと向かう。
乗降口は人でごった返していて、降車には暫く時間が掛かりそうだった。
だが、まあ富士登山は長丁場。何も焦る必要はない。
僕は他の乗客達が降りるのを見守った。
大半の乗客が降車を済ませたのを見計らった後、荷物を網棚から下ろして乗降口へと向かう。
降車した僕を出迎えたのは大粒の雨だった。
事前の天気予報では雨後曇り。
まあ予想の範囲内とはいえ気分が良いものではない。
バッグから折り畳み傘を取り出して広げ雨を凌ぐ。
山頂方面を仰ぎ見るものの霞んで何も見えない。
いきなり出鼻を挫じかれた思いではあったが、まあ、時が経てば雨は上がるだろう。
それに、どの道、直ぐに登山は出来ないのだ。
富士スバルライン五合目と麓の富士吉田市との標高差は1500m以上。この標高差に体が慣れていない状態での登山は高山病を引き起こす恐れがある。
薄い空気に体を順応させる為に呼吸や脈拍を整えるには一時間程度は必要なのだ。
気を取り直し、登山用具を扱うレンタルショップへと向かう。
富士山では事前に予約していれば五号目で登山用具一式をレンタルすることが出来る。手ぶらで来る事も可能だ。
もっとも、コストを考えると着替えやタオル、携帯食等は流石に事前に用意して持って来るべきだが、登山用具に関しては継続して登山を続けるのでなければ、購入するよりもお得だろう。
実際、僕は、登山に必須な登山靴やザック、レインウエア、ストック等は持たずにここまで来ていた。
レンタルショップはレストハウスの一角を間借りする形で出店していた。
代金は事前に支払い済みなので、スマホの確認メールと身分証明書を見せ、予約していた登山用具を受け取る。
早速、直ぐ近くに設置されたコインロッカー前で登山靴を履き、ザックを背負う事にする。これで見掛け上はごく一般的なハイカーだ。(中身は…だが。)
着替えを終え、休憩所へと向かう。
休憩所は僕と同じように雨上がりを待つ登山客が大勢いて、腰掛ける椅子はほぼ埋まっていた。
仕方なく床に座る。
座って携行品に不足が無いかをスマホのメモで確認すると、手袋が無い事が判明した。
夏とはいえ頂上付近は氷点下に近い温度になる。転倒時の怪我の防止を考えても手袋無しでの登山は有り得ないだろう。
急いで土産物店に向かい手袋を購入する事にする。
手袋購入後、再び休憩所に戻り雨が上がるのを待つ。
焦りは禁物だが、やはり流石にじれったい。
小一時間後、心なしか雨が小降りになって来たような気がする。
腕時計を見ると午後四時を少し過ぎていた。
五合目に到着してから一時間。待機時間としては十分だ。
じっとしていても仕方がない。僕は雨が上がる事を願いつつ登山口へと向かった。
登山口には休憩所から5分程で辿り着いた。
登山口脇に有る管理センターの前で、センターの職員が富士山保全の協力金を募っていた。
協力金とは要するに入山料であり金額は1000円であった。任意ではあるが、まあ1000円程度ならと思い受付に納付する。
日本で入山料が必要な山はそれ程無い。
有名なのは日光男体山だろうか。山全体が日光二荒山神社の敷地内で参拝料も兼ねて1000円徴収される。
もっとも、男体山はお返しとして神社の御守りも貰えるので、別段高いとは感じないだろう。
富士山も日本一の標高の山に登ると考えると妥当な額かもしれない。
登山口から暫くは幅の広い平坦な道が続く。
上り坂は特にきつくはなく、寧ろ下る坂も多い。富士山を登っているという実感は湧いて来ない。
他の登山客が居なければ、道を間違えたのではないかという不安に駆られた事だろう。
登山客は僕の前方にも後方にも大勢居て、ほぼ途切れる事無く共に山頂への道を歩いている。
もう既に夕方に差し掛かって薄暗く肌寒い中、大勢の人が連なって山頂を目指して歩いて行く。日本でも富士山以外の山では、まず見られない奇妙な光景である。
そして自分もその奇妙な列の一員だ。実に奇妙だ。
30分程歩いた頃だろうか、小降りになっていた雨が上がった。
丁度樹林帯を抜けていた事もあり、遠くの景色を見渡す事が出来た。
頭上にも、下方にも雲が広がる光景は実に壮観だ。
夕日が差し込み、下方の雲の合間から下界の様子を伺う事が出来る。
富士五湖の一つである山中湖。それに、富士吉田市や忍野の街並みがまるで航空写真のように鮮やかに見える。
漸く僕が、既に標高2000m以上の高地を歩いている事を実感する。
小休憩も兼ねて暫し立ち止まり、景色を見渡していた僕の後ろを、ヨーロッパ系の外国人の青年の集団が、皆で交互に掛け声を発しながら通り過ぎて行った。
彼らは、服装も登山用具もまちまちで、少々フリーダムな(登山にはやや無謀とも思える)恰好であった。
日本人登山客と言えば、お決まりの防寒ウェアに身を包み、似たようなザックを担ぎ、両手にはストック2本という判で押したようなスタイル。
そんな定型的な出で立ちの日本人と比較しすると、ステレオタイプな感想ではあるが国民性や民族性の違いを感じてしまう。
休憩の間に再び小雨が降り始めた。
湿気を保った風が吹き抜ける。
寒くは無かったがブルっと震えが走った。武者震いだろうか。
止まり続けていると本当に寒さで震えが起こるかもしれない。
歩みを再開する事にする。
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