答え合わせ

『答え合わせをしようか』


“彼女”は次にそう書いた。


『ちなみに君の声は聞こえてるよ』


恐ろしい速さで文字が浮かび上がる。しかも彼女は虚空に向かって一人で話すよう催促までしてくる。


「君は東京の人なの?」


羞恥心からか恐怖心からかはわからないが僕の声は糸のように細かった。波打つ音だけが響いていた空間に僕の声一つだけが付け足されるのは虚しい気分だ。


『そうだった』


だった?死んだからだろうか?


「どうして瓶に手紙を入れて流したの?」


『切手がなかった 送る人がいなかった』


『久しぶりに人と話せてうれしい』


彼女は本当は何がしたいのだろう。文面からは予想がつかない。もっと話したいだけなのだろうか。


「何がしたいの?」


『私のからっぽの心を満たしてほしい。だから、私とおしゃべりして』


言葉が重い。日々日頃からポエムでも書いてそうな文調だ。


「ここでなら無理。僕は静岡に帰らないといけない。だから無理。ここに縛り付けられているわけじゃないのなら、出来るかもね」


せめてもの優しさを僕は込めた。ただ、姿形も見えないものと話すなんて阿呆な人工知能と話すことよりも馬鹿らしい。


『キミは気づかなかったの?あの瓶が海を流れて来てないことに』


「え?なんで君はあの瓶のあった場所を知っているの?」


『海流って知ってる?ここら辺の海流は静岡とは逆方向に流れてるんだよね』


右腕から肩にかけて撫でるような感覚が走った。


『何でここに来てって言ったかわかる?私の馴染み深い場所でもあるし思ったより人目につかないの』


「つまり何が言いたい」


この女、いや女かどうかすらわからないが、ヤバい匂いが抑えられなくなっている。悲劇のヒロインぶっていたのは嘘だったのか、いやそれが道を外れた者の末路とも言えるかもしれない。


『きのすむまでいっしょにいて』


 僕は回れ右して走り出した。地面に浮き出たあの文字は、一瞬しか見ていないものの脳裏に焼き付いて離れなかった。周囲の視線が痛い。仕方ないことか、僕が今生命の危機に瀕しているなんて誰も思っていないだろうから。


 すると、声が聞こえた。


「走って逃げようなんて馬鹿ね」


 首元から鮮やかなまでに紅い血が吹き出していた。


 それを見た瞬間に痛みが込み上げ、呼吸が荒れ、立っていられなくなった。出血の多さで貧血の症状が出たのか、瞼を開けていても前が見えないくらい意識が朦朧としてきた。指一本動かすことすら難しい。結構な大通りでこんな事態になってしまったらしく周囲の視線は悲鳴と化してしまった。


「さっきの言葉の意味、わかった?海流のこと。言わなくてもわかると思うけど、私はずっと、あなたの後ろに……」


 僕のイメージ通りの女性が宙に浮いていると思ったら、彼女が話している最中にプツンと切れた糸のように意識はそこで途切れた。


 次に僕が目を開けると真白い天井がまず目に入った。それに微かなエンジン音と車特有の揺れがした。視界が開けてくると口が左頬まで裂けた女性が見下ろしているのがわかった。


「目が覚めたの。幸運だったね、一命を取り留められて」


 怒りも笑いも哀しみもせず、彼女はそう言った。彼女がいると言うことは良からぬことが起きているに違いない。そう思って周囲がどうなっているのかを知りたいのに首が痛くて動かない。


「何してるの?ねえ、無駄なことはやめてよ」


 彼女は腰を落として僕の顔を覗き込んだ。言葉を発するのもままならない僕は顔をしかめることしか出来なかった。


「大丈夫、ここにいる人たちは全員大人しくしてもらってるから」


そうか。そこには僕が見てはならないショッキングな光景が広がっているんだな。僕のせいで僕と関係のない人まで犠牲になってしまうなんて、僕はどう償えばいいんだ。ここから生きて逃げ出すことができればの話だが。


「そんなに見たいの?じゃあ見せてあげる」


やめろやめろやめろ!


 彼女が僕の上半身を起こそうとしてきた。左手が頭に回り、そして右手が背中に回った。彼女は笑っている、楽しみなことを早く共有したいと言わんばかりの笑みだ。


 彼女に上半身を立てられて目に入ったものは、案の定血塗れの死体群だった。救急隊員一人と……白いワンピースを着た女性が壁に寄りかかって地面に座っているもののピクリとも動く気配はない。二人とも同様に首に歯形が着いていた。


 殺人現場を見た衝撃よりも、自分のせいで消えた命が二つあることに悲しみを覚えた。気がつけば何か液体が、右頬を伝っていた。それが血であるか涙であるかは僕にはわからない、わかりたくなかった。挙句、自分の運ばれた担架を思いっきり殴った。


「何をそんなに怒ってるの。大人しくしてよ」


僕は修羅のように顔に皺を寄せ、彼女に指を差した。


「ふふ、そう」


彼女はまた笑った。目の奥には、深い闇。狂気の色が見える。


「ねえ、あたし、綺麗?」


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ある女の手紙 空野宇夜 @Eight-horns

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