漂着物
『やらない善よりやる偽善』
言葉の出は知らないけど、僕はこの言葉が大好きだ。この言葉を原動力に僕は中学の時からずっと浜掃除のボランティアを続けている。僕が海を好いてることもあるからこそかもしれないが。他には何をやってたっけ。地域のゴミ拾い活動なんかに参加して、通行人に笑顔で挨拶をしていることだろうか。こうして考えてみると僕はやたらとゴミ拾いが好きらしい。
高校でのあだ名もやっぱり『偽善者トミー』だった。勿論僕は日本人だ。
海が好きなのは本心だ。掃除とは別に学校終わりの下校時、雨天時以外のほぼ毎日、僕は浜で座っている。春夏秋冬いつでもだ。
ある冬の日、僕はいつものように浜に向かった。冬至にも近かったゆえ、
波打ち際まで来てみると、普段見るはずのない漂着物に出くわした。瓶。ただの瓶ではなくワインボトルやビール瓶のようなものではなく、無色透明のガラス瓶。コルクで栓がされており、中には折り畳まれた紙が入っていた。ここまで大袈裟には言っていたが、なぜこんなベタな演出が現実に起こっているんだ、と困惑した。けれども、僕はこの手紙に書かれているものに興味も示した。こんなロマンじみたものをやるのは誰だろう。もしも、漫画やアニメなんかで見たような文通みたようなものだったら?できるだけ一人で解決したい、誰かにイジられる前に。
コルクのせいで開かない。ここで誰かに頼れば……ロクなことにならない。なら、割るしか無い。左右を見渡せば、砂浜の端の方に岩が所々に転がっているのが見えた。
そこまで歩いて岩を目の前にした。今だけは後先考えないようにと、一思いに瓶を振りかぶった。少々不快な音がしてようやく中身が手元へやってきた。それは何枚かの紙が重なったもので裏返してみると文字がびっしりと書かれていた。とりあえずはその文字の羅列を読んでみた。最初は予想通りだと思っていた。ただ、次第に読み進めるうち、なんだか馬鹿らしくなった。
(なんで僕はこんなしょうもない作り話を読まされているんだ。それに加え、自分を幽霊だの助けて欲しいだの厨二病なのか?)
ただ、思春期男子であり偽善者である僕は女子からの要求なんてすぐに呑んでしまう。これを書く人物が女性であることは字体、文体からもよく分かる。この人物が指定した、ちゃんとした待ち合わせ場所もある。文字を通してでも助けてなんて言われれば目を逸らすことが出来なくなる。
(これは何かのおふざけなのか?)
しかし、先程感じた馬鹿らしさが拭い切れない。いや、これは篩で本気にしない人間を落とすための技なのだろうか。当たり前のようにこの女性は実在していていつ来るかも分からない運命の人を待ち続けているのか。
ならば、行くしかない。
幽霊なんて居るはずが無い。僕はそう信じて葛西臨海公園まで行く計画を立て始めた。文明の利器とは哀しき物哉、計画も数十分で建てられてしまった。スマホで検索するだけでルートが出てきてしまう。自分でルートを構築すること、出来た時の達成感を僕はまだ知らない。急ぎすぎているとは思わないが、善は急げと心に決めているからなるべく早くことを済ませたかった。
今居る下田の柿崎から東京へ行くには……踊り子号に乗るべきか。調べてみれば伊豆急下田駅から東京まで行くのに六千円だった。特急はやはり高校生にはキツい。かと言ってもっと安いものも無いに等しい。
(どうやら使わずに溜まったお年玉を使う時が来たようだ)
そうは言えども、一万円札なんて過剰な大金は日常的には使えない代物でちょっとした買い物では取り出すことはない。だからその紙きれは使えずに少しずつ溜まっていった。手元には六万円ほど。それほどは使わない。予算は三万。これで行こう。
数日後、僕は家を出た。家族へは友達の家へ泊まりにゆくとささやかな嘘をついた。僕には親の反応がロマンスへの期待ではなく、別の僕の障害になり得ると思ったからだ。ありもしない被害妄想に取り憑かれるのはよくあることだ。まあ、今回ばかりは誰にも話したくなかったのが事実だ。
踊り子号に乗り込み席に着いた。低反発のシートが僕を眠りに誘おうとする。背もたれも同様に僕の体重を受け止め全身の力を奪おうとしてくる。正直に言えば昨日はありとあらゆる不安に取り囲まれて碌に眠れやしなかった。しかし、僕の足にガッチリと繋がれた鎖から解放されたのを感じると緊張が解けてきた。
窓から見えたはずだった白富士を見ることなく、東京へ着いてしまった。降りて外を見てみると、ホームの数が多すぎて鏡に左右を挟まれているのかと錯覚した。
ここに用はない。だからさっさと乗り換えることにした。車窓から見える外の景色は都会特有の灰色が主だった。異様に高い建物が立ち並び、見る者を圧倒する。車は絶え間なく流れ続け、その内の多くはタバコを吸った時のように煙を吹かしていた。平日である故か人はまばらで座れる場所さえ余っていた。都会の電車はもっと溢れかえるように人がいると思ったが、意外とそうでもなかった。僕がいつもテレビで見ていたものは何だったのだろう。
十数分で目的地に着いた。駅を出ると目の前には噴水が鎮座していた。ただ、この時期に高く舞い上がる水を見たにしろ、涼しいどころか寒いまである。
駅前広場、そして中央に位置する中央広場を抜けて葛西海浜公園に続く橋の前まで来た。気になりはするがそこは臨海公園でないから向かうのはやめようと思った。でも、僕の体はまるで誰かに背中を押されたかのように前へ出た。
橋を渡れば、すぐそこに砂浜があった。僕は尻を汚さないように、砂浜の目の前にある岩場に腰をかけた。すると、後ろから誰かが肩に手を置いたような感触が走った。あまりに唐突だったために腰が浮いた。振り返れば誰もいない。僕はそういう悪戯なのだろうと思った。次は右の頬に指を立てられる感触。海に向き直っても誰もいない。奇妙に感じた僕は一周回った。なのに誰もいない。何もせずとも心臓の鼓動が聞こえてきた。ここでようやく気づいたが、砂浜に文字が書かれていた。
『こんにちは ようやく会えましたね』
いかにも女子らしい小さく綺麗な文字だった。
「嘘だろ……」
”彼女”の姿はどこにも見えなかった。
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